発表後、やはりさらに心理的には落ち込んだ。

 

翌日、勤めに出るときには何かふらふらして、感情を動かさないようにしている自分がいた。

(それだけいつも感情のぶれが大きいのだろうからこれでもいいやと思ってもいた)

出社時に、同僚から「大丈夫?」ときかれたので、表情も病気のように見えたのだと思う。

 

極力残業をせず帰宅。

帰宅後、心配そうにしていた旦那に、ちゃんと帰ってきてほっとした?ときくと

うんと言った。

 

また、思い出して泣いてしまった。

 

翌日はピークだったと思う。

やはり、自分が消えてなくなりたいという思いは、今度もおそってきた。

飛び降りてやろうか、とも。

しかしそこは自分のけちな根性、新築マンションの資産価値が下がる(死んだら関係なかろうに)とか

(事故物件サイト「大島てる」に乗ってしまうかな、とか)

だったら、近くの公園の木とか、職場とか。

職場は屋上に出られるか実際たしかめてみた(が鍵がかかっていたのでは入れなかった)。

首にロープをかけて引っ張るとか(←初回の三振で何回かやった)

 

なぜ自分が生かされて、もっと生きるべき人たちが死んでしまうのだろう。

自分なんて何にもない。

 

子供もできなかったし(不妊治療はそろそろあきらめる状況)

仕事も中途半端(ロースクール進学前の職場に居続けたら、年収は1.5倍はあった)

旦那はやさしいけれど、諸般の事情で八つ当たりばっかりで、幸せにしてあげられているのかわからない。

とくに社会的な活動もしていないし

誰かの役に立っているとも思えない。

 

そう思っていたのが木曜日頃まで。

 

金曜日は少し気持ちが持ち直し、ほぼ定時で出社、旦那を呼び出して気分転換の外ご飯。

だるいのでスープカレーがいいという旦那に、駅近くの主背を探し(気になっていたが入ったことのないお店だった)

おなかいっぱいになって、帰宅。

 

土曜日は、朝から勉強を少しして(憲法、平成30年からの憲法21条1項、22条の「逐条テキスト」と

「趣旨規範」を読み合格答案との比較を実施。

起床後、2時間程度。

その後、朝ご飯、そのあと、気になっていた梅酒の梅の再生と出し殻の佃煮を作り、さらに塩レモンでドレッシングを作ってお昼。

台風の影響でだめになってしまった車のカバーを買いに少し遠くまで旦那とドライブ、

帰宅後、また1時間ほど続きをやって、フィットネスクラブにいきマシンで少し汗を流してお風呂には行って帰宅。

 

日曜日は、朝起きてやはり2時間ぐらい続きをやって

昼過ぎに近所に買い物にいって手作りハム用の塊もも肉・肩ロース肉を買ってきて

冷蔵庫にしまって、

 

今朝は起きてから、手をつける気にならなかった自分の書斎の臨戦態勢モードのための

片付け(書類やら何やらが山積み)と、来週の週末にマンションを買って引っ越す友人のヘルプにいくために

とりあえずかけられる使わないカーテンや、取り寄せた家電コントローラーをキャスター付きの旅行鞄にしまった。

 

家電リモコンをAIスピーカーにつなげると、、単身者にはとても楽。

OK,Googleまたはアレクサ、ただいま、というと電気をつけてテレビをつけてエアコンをつけて空気清浄機をつけてくれる。

朝ご飯は、昨日煮ておいた大根と豚バラ肉の煮物とぬか漬けのキュウリとなす(←これは毎日面倒を見る)

ベランダの木と、ゴーヤ、朝顔にみずをやり

そして、片付けを仕上げて、ことしは過去問の講義を買うかと思って検索をしようとPCを立ち上げ

ブログに目がいく。

 

心の整理をつけることが大事という趣旨の予備校講師の方のエントリーを見て

初日少し無理をしすぎていたことを思い、若干ゆっくり目にこの3連休を過ごしてみた。

こうやってやったことを記録し、かつ勉強しながら、気づいたこと。

 

1.日常生活について

(1)40代で普通の人と遜色なく暮らしているので、日常生活でやることが結構ある。

 たしかに、勉強中心の生活にもっとシフトしていくことはできるし、すべきかとも思う。

 しかし、受験専業は精神的に非常に追い込まれる。

 3振が決まった後、年齢相応の生活はするべしと決めていたので、この点は無理はしない。

 

 ストレート合格君たちとはもう違う人生の課題を得ているわけだし。

 同情されたくないし、年齢相応の経験は積んでいきたいと思うので

 手作りハムも作るし、ぬか漬けもつけるし、フィットネスクラブにも通うし、不妊治療もした。

 

 ・・・ただ少し工夫の余地はありそうかな。

 

(2)仕事は疲れる。

 去年は、職場での人間関係が大変ストレスフルで、

 勉強をしてても頭にちらつき、集中ができないことがあった。

 このところ少し落ち着いてきているので(転職も視野に入れて)しがみつくことはやめたので、

 向こう半年は乗り切れるような気がしている。

 新しい職場に移ってしまうと、そこで一つまた気を使うので(かつ5月の連休後の1週間休みが取れるか不明)

 受験的には不利になりそうだが・・・しかし、社会人として、キャリアを築くなら、今の会社は限界がある。

 

 集中できる時間がとれないのもやむを得ない。

 なので工夫をしないといけない(心の安寧含む)

 

2.獲得すべき力(知識)その他について

(1) 受験用の法律学の頭の使い方

 法律学は、は、「1つ一つをタンスにしまっておく」感じ。

 法律学の勉強の前に、人文系の分野で修士号をとっている(日本・海外)が

 人文系(歴史)は、事実の丁寧な広い上げが命、論理はシンプルでオリジナルであるべき。

 人文系の分野では、新たな素材を自分なりの視点で自分の言葉を使って説明するが

 特に自分が学んだスクールでは、中途半端なテーゼへのあてはめは最も嫌われた。

 

 だから、なんとかの理論、とか書いてあると、それが本当に正しいのかつい疑う癖がある。

 

 しかし、受験用の法律解釈学は、どうも、おそらく

 他人の議論に乗っかることをあまり躊躇なくしてよいらしい。

 本当にわかっているかどうか怪しくても、文脈を違えず答案に書いてしまえばマルになるようである。

 

 各専門用語や視点は、学説の進化を裏にさりげなく抱えており、

 特定の分野、たとえば「事前抑制」、「明確性の理論」は、21条1項について語られる議論であり、

 そのときのターミノロジーを忠実に再現できることが求められ

 言葉を換えて自分で説明しなおしたり、他分野(たとえば23条)で応用してはいけないらしい。

 (まず、いま勉強し直した憲法についてだけかもしれないが)

 

 たぶん、最初に誰か学会で(まず論文で)唱えられたのが、多くの賛同を経て、

 基本書と呼ばれる概説書(←こういうものは歴史学にはないと思う。)に引用されていき

 スタンダードになっているが、少なくとも学習者の段階では応用発展や普遍化を行うことは求められず

 要するにブドウの房のように、ある分野で存在する固有のタームと説明の塊を

 一つ一つ文脈を違えず、記憶の引き出しにしまっておくことが求められている・・・ように感じた。

 

 どうしても、三つ子の魂百まで顔を出す。

 

 もちろん、受験が得意な人文系の分野出身者はたくさんいるだろうから一般化はできないかもしれないが

 自分の足りないところは、こういった丁寧な記憶作業だったように思う。

 

(2) 議論の丁寧さ、細かさ

 上のように丁寧に記憶を引き出しに入れておくと

 業界人=法曹である採点者の頭にすっと通る答案がかけるのだろう。

 

 そうすると、皆が知っている文脈を正確に記憶した上での議論が丁寧にできる。

 

(3)答案構成力

 他の方が、教科ごとの「お作法」といっている、科目ごとの答案構成の方法論を

 自分の中で確立していないように思った。

 

 もちろん、今の段階では一定のものはあるが

 記憶が丁寧になると、質が上がっていくのだろう。

 

(4) 一つのテーマは3日まで

 ずっとやっていると飽きるので、集中してどんどん次にいこうと思う。

 この3日は特例。週に2つの過去問ができたら万々歳。

 

こうやって並列に書いたようで、じつはそれぞれの要素が並列になく

頭がよろしくない自分に気づく(笑)

 

昨日行ったフィットネスにて、隣にいる旦那と会話。

 

「一週間前、一週間後にはどんな気持ちかと想像していたけど

 再びの不合格でどん底だよ、ちくしょー!」

こんな感じで旦那と笑い合えて、よかった。