《2021年9月の出来事です》
入院していた病院は、
小児がん拠点病院でもあり、
網膜芽細胞腫を診てくれる先生がいるので、
広範囲から患者が集まってきます。
関西全域と中国四国地方くらいの
広範囲です。
我が家は地元の病院で化学療法した際、
一人も同じ病気の子に出会えませんでした。
とても孤独な入院でした
陽子線治療の入院中には、
6組の同じ病気の親子に出会いました。
たまたま多い時期だったのかもですが、
希少がんと呼ばれる病気の割には
多かった気がします
皆、息子よりも小さく、
赤ちゃんから2歳前くらい。
病気が分かって
全身化学療法の最中。
眼球摘出している子もいました。
付き添っている
お母さん達は、
息子が同じ病気とは
思っていないようで、
こちらからは
目の寄り目または斜視具合で、
網膜芽細胞腫だろうな
と、思って、
何となくこちらから
世間話から話しかけると、
少し仲良くなって、
「うちの子、目にできるがんなんです。」
と、打ち明けて下さいます。
「うちもですよー」
と、言うと、
え?とビックリされます。
当時息子は髪の毛ふさふさで、
4歳のわんぱく坊主。
多分こんな大きい子で
まだ治療しているとは
思わなかったのだと思います。
右の義眼もナチュラルで、
あまり義眼だと分からず、
視力もほぼなかったのですが、
視覚障がいがあるようには見えないくらい、
プレイルームで元気に遊んでいました。
希少がんであるが故、
誰にも分かってもらえない
と、思ってしまい、
あまり口に出さない様子は、
2年前の自分を見ているかのようでした。
同じ病気ですよ、
不安ですよね?
私で良ければ話聞きますよ、
治療のこと何でも話しますよ、
と、言いたい反面、
未だに治療していて、
片眼摘出していて、
視力もほぼなくて、
陽子線治療までしている
厳しい現実を、
治療が始まったばかりの
お母さんにしていいものなのか?
と、葛藤がありました。
結局、お節介な性格が出てしまい、
色々話すことになるのですが、
色々話すことで、
自分自身も客観的に
病気と向き合えた気がします。
病気以外のことも
色々話しました。
他の小児がんのお母さんとも
仲良くなり、
夜な夜な、デイルームで、
語り合ったり、時には泣いたり。
入院が長かった分、
そんな思い出も
できました。