最近、どうも言語化がおっくうである。
これは日々消耗していることを意味する。
しかし、わたしの仕事は「言葉」の仕事である。
深い内省と内観を重ねて「言葉」を研ぎ澄ませる努力をし続けないと、「仕事の質」そのものが高まっていかない。
仕事の質を高め続ける努力を重ねないと、付加価値の創出や継続的な循環に繋がらない。
継続的な循環に繋がらないと、大きな意味でのエコシステムの流れのなかに存在し続けることは難しい。
ゆえに、(世界旅行しているときはあれほど熱心に綴り続けたのに)老体?に鞭打って言語化、表出化の習慣を取り戻そうと思う。
書きたいことは山ほどあるのだ。それを怠っているのは自分の中で言い訳をしているに過ぎない。
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【競争から共創のマネジメントへ】
文字通りだが、ありとあらゆる事象において現在わたしたちが生きる社会は、世界は、競争から共創への促進がなされている。
競い争うのではなく、共に価値を創り上げる。
それは個人においても、組織においても。
「戦略」とはもともと軍事用語だが、誰も彼もを敵と見做していると、世界は敵だらけになってしまう。
違いを活かし合い、お互いを認め合い、その上で双方が活きる道を見出す。
特に昨今の状況、情勢においてはそれは必須の在り方である。
競争は不安と恐怖から生まれる。
自身の生存が脅かされるのではないかという不安や恐怖。
共創は愛と勇気から生まれる。
自身を透徹した視点で見つめ、徹底的に向き合い、その上でようやく他者や世界に対する慈しみに辿り着く。
また、優しさには「弱さからくる優しさ」と「強さからくる優しさ」がある。
競争のフェーズを人生の経験において味わい尽くし、世界に叩きのめされ、絶望の中にようやく一筋の光を見出し、やむなく意識レベルでの発達を遂げ、その先に辿り着くフェーズが「共創のマネジメント」である。
「強さからくる優しさ」と「共創のマネジメント」は不可分である。強さという言葉には、「孤独に耐えうる強さ」という意味を内包する。
現在の時代はVUCAといわれ、ありとあらゆる先行きの見通しを立てることは困難さを極めており、クネビンのフレームワークによれば、現在わたしたちが生きる世界はまさしく「複雑(complex)」や「混沌(chaos)」の状態である。
そうした背景において、他者を含む世界に対して競争のみのアプローチをとり続けることは、遅かれ早かれ自身にそのまま返ってくる。
ゆえに混沌極まりない現在の世界において、個人も組織もとり得るべきアプローチは「共創のマネジメント」である。
愛は哀しみであり、知性である。
「無知は罪である」という言葉があるが、それも翻っては無知であることの罪は自身に返っていく。
競争により相手を打ち負かすのではなく、どうすれば共生の道を歩めるのか。
それを考え続け、考え抜き、その上でその思索に基づいた行動を、世界に対して勇気を持って最初の一歩を踏み出す。
それが「共創のマネジメント」への道である。
本記事がとても抽象度が高いことは認識している。いずれ具体に関する記事も書く予定である。
愛とは何か、
知とは何か、
勇気とは何か、
マネジメントとは何か、
個の幸せとは何か、
組織の成果とは何か、
大きな社会課題とは何か、
わたしは何のために生まれ、何をして生きるのか、
わたしたちはどこから来てどこへ向かうのか、
お金の問題・人間関係の問題・健康の問題とは何か、
についてはまたの機会に譲る。