●4年ぶりに声出し応援が解禁された第100回大会には、沿道にコロナ禍後最多の約98万人(大会本部調べ)の観衆が詰めかけ、選手に大きな声援が送られた。
●青山学院大學が往路の 3区から一度もトップを譲らず、10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。 8区の塩出翔太選手( 2年)、 9区の倉本玄太選手( 4年)がともに区間賞に輝き、往路、復路ともに制す完全優勝。就任20年目を迎えた原晋監督(56)が作り上げたチームは、史上初の2年連続大学3冠に挑んだ 2位の駒大に 6分35秒の大差をつけた。沿道から大会を見守った約98万人の駅伝ファンと、肩を組んで待つ仲間へ、歓喜の投げキスだ。青学大のアンカー、宇田川瞬矢選手( 2年)は両手を広げ、ゴールテープを切った。本命の駒澤大學も往路は旧来の大会記録以上で走り、復路も 6区以外は全員区間 5位以内。大きなミスはなかったが、青山学院大學には常勝軍団の計算を上回る強さがあった。創部 106年目を迎えた青山学院大學。低迷期は長かった。1976年大会は10区で途中棄権し、30年以上も本戦から遠のいた。しかし、2004年に原監督が就任。09年に復活出場すると、翌年に総合8位でシードを獲得。15年に初優勝してからは総合優勝7度、10年連続4位以内と屈指の強豪校に変貌した。青学大を7度目の総合Vへ導いた原晋監督は監督歴20年のノウハウを生かし、駒大 1強の下馬評を覆した。今大会の出走10選手のうち、前回大会も走ったのは太田と佐藤のみで、 2大会連続出場が 2人のみはシード10校の中で最少。逆に初出走は 7選手で、復路は全員が初の箱根路だった。経験値不足も懸念されたが、指揮官の起用はズバリと的中した。巧みなタクトで導き、再び黄金時代の幕が開けた。
●往路で 3位と躍進した城西大學は復路12位ながら順位を守って過去最高の総合 3位に入り、大会の最優秀選手(MVP)にあたる「金栗四三杯」は山上りの 5区で自身の区間記録を50秒更新した〝山の妖精〟山本唯翔(ゆいと、 4年)選手が受賞した。城西大學が第100回の記念大会で新たな歴史を刻んだ。チーム史上最高の総合3位に入り、 6区の久保出雄太選手(大學 3年)が笑みを浮かべた。久保出は山下りの20.8キロを59分55秒の区間13位で走破し、復路をスタートした 3位を守ってたすきをつないだ。最終10区で東洋大學の猛烈な追い上げにあったが、中田侑希選手( 4年)の懸命の走りで21秒差で逃げ切った。2004年に創部 3年目で初出場し、過去最高だった10、12年の総合6位を上回る初の表彰台を全員でかなえた。初優勝は遠い未来のことではない。
●前回大会16位の大東文化大學がシード権ぎりぎりの10位に滑り込んだ。往路 8位から 8区で11位に転落したが、最終10区で東海大學を逆転した。就任 2年目でOBの真名子圭(まなこ・きよし)監督(45)は報告会でうれし泣きした。仙台育英高の男子監督として2019年の全国高校駅伝を制した実績を持つ真名子監督が再建を託され、22年 4月に就任。練習の質、意識、さらには生活態度まですべてを改革した。2023年 9月に大学創立100周年を迎えた大東文化大學が、100回大会で復活ののろしを上げた。
●東海大學は 3年ぶりのシード権獲得を狙ったが、10位の大東文化大學に 1分10秒及ばない総合11位に終わり涙にくれた。両角速監督(57)は選手をねぎらったが、チームには暗い雰囲気が漂った。最終10区のたすきリレーではシード圏内の10位だったが、 4秒差で迫っていた大東文化大學にかわされ、陥落。来季も予選会からとなった。復路一斉スタートの関係で競り合いはなかったものの、国士舘大學と総合11時間 1分52秒と同タイムで並ぶ珍事もあった。
●100回目の箱根駅伝は近年の高速化を象徴する結果になった。青山学院大學の優勝記録は従来を 2分17秒も更新する10時間41分25秒。さらに注目は 9位帝京大學までが10時間台で走ったこと。94年に優勝した山梨学院大學が初めて11時間の壁を破ったが、そのタイムでは今はシード圏内も心もとない。17年には反発力のある厚底シューズが登場。区間記録が一気に塗り変わった。現在の記録はすべて19年以降に樹立されたもの。
記念大会の今回は予選会で全国の大学に門戸を開いた一方、復路ではトップ青山学院大學とのタイム差10分以上という線引きで、16校が一斉繰り上げスタートになった。また本大会で関東学生連合の出場を取りやめて批判も起きた。来年以降の全国化を期待する声もある。伝統を守りつつ、いかに時代に即して変化していくか。100回の節目は、未来の箱根駅伝を考えるいい機会でもある。
記事をまとめてみました。
10区、沿道から大歓声を受けてゴールに向かう青山学院大學・宇田川瞬矢選手=2024年 1月 3日東京都内
第100回東京箱根間往復大学駅伝競走復路( 3日、神奈川・箱根町芦ノ湖駐車場―東京・大手町=109.6キロ)
4年ぶりに声出し応援が解禁された第100回大会には、沿道にコロナ禍後最多の約98万人(大会本部調べ)の観衆が詰めかけ、選手に大きな声援が送られた。史上最多タイの16校が一斉スタートとなった 6区のスタート地点付近では、10年ぶりに出場した東農大の応援団らが名物の「大根踊り」を披露。人気アニメ「ドラゴンボール」に登場するフリーザにふんして沿道で応援する「フリーザ軍団」は7区に登場した。
戸塚中継所をトップでタスキをつないだ青山学院大學 8区塩出翔太選手に笑顔で声をかける原晋監督
青学大が往路の 3区から一度もトップを譲らず、10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした。 8区の塩出翔太( 2年)、 9区の倉本玄太( 4年)がともに区間賞に輝き、往路、復路ともに制す完全優勝。就任20年目を迎えた原晋監督が作り上げたチームは、史上初の2年連続大学3冠に挑んだ 2位の駒大に 6分35秒の大差をつけた。
沿道から大会を見守った約98万人の駅伝ファンと、肩を組んで待つ仲間へ、歓喜の投げキスだ。青学大のアンカー、宇田川瞬矢( 2年)は両手を広げ、ゴールテープを切った。
青山学院大學10区の宇田川瞬矢選手が1位でゴール。大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たした=東京・大手町
「 1~ 9区のいい形でつないでくれた先輩、同期に感謝。みんなが待っていたのでうれしかった」
第100回の節目を迎えた箱根駅伝で往路、復路ともに制し、完全V。胴上げで 3度、宙に舞った原監督は「私以上に学生の方が優勝したいという思いが強いレースだった」と選手をたたえた。
大会前は大学三大駅伝で5連勝の駒大が 1強と目されていたが、ふたを開けてみれば青学大の独壇場だった。 2日の往路を大会新記録で優勝。全員が箱根初出場の復路は駒大と 2分38秒差でスタートした 6区の野村昭夢( 3年)が区間 2位の好走で、 8区の塩出と 9区の倉本は区間賞を獲得。大会前に指揮官が掲げた「負けてたまるか大作戦」を完遂した。
2年ぶりVにカメラ目線でポーズをとる原晋監督。育て上げた選手たちが駒大の3冠を阻んだ=東京・大手町
本命の駒大も往路は旧来の大会記録以上で走り、復路も 6区以外は全員区間 5位以内。大きなミスはなかったが、青学大には常勝軍団の計算を上回る強さがあった。
創部 106年目を迎えた青学大。低迷期は長かった。1976年大会は10区で途中棄権し、30年以上も本戦から遠のいた。しかし、2004年に原監督が就任。09年に復活出場すると、翌年に総合8位でシードを獲得。15年に初優勝してからは総合優勝7度、10年連続4位以内と屈指の強豪校に変貌した。
1位でゴールする10区宇田川瞬矢選手(手前)を迎える青山学院大學・原晋監督(中央)と選手たち=東京・大手町
青学大を7度目の総合Vへ導いた原晋監督は監督歴20年のノウハウを生かし、駒大 1強の下馬評を覆した。今大会の出走10選手のうち、前回大会も走ったのは太田と佐藤のみで、 2大会連続出場が 2人のみはシード10校の中で最少。逆に初出走は 7選手で、復路は全員が初の箱根路だった。経験値不足も懸念されたが、指揮官の起用はズバリと的中した。
◇ ◇ ◇
大会新記録Vを遂げた原監督は、豪快に笑い飛ばした。「皆さん、青学が勝つなんて誰も思っていなかったでしょ。誰か思っていました? 俺も思っていないんだから」。駒大 1強の前評判で迎えながら、 9区間で駒大の区間順位を上回った。04年の就任以降、ゼロから常勝軍団を築き上げた指揮官の手腕が光った。
ゴールした青山学院大學10区宇田川瞬矢選手(中央)を抱き締める志貫勇斗主将。右は見守る原晋監督=東京・大手町
「こちらが 120%の力を発揮し、かつ相手が自滅しなければ無理」という見立てで迎えた今大会。オーダーには 7人の初出走者を並べ、 4年生 3人の中でも 7区山内と 9区倉本は初舞台だった。これは「実績は関係なく選考する」と明言し、箱根で最も好調な選手を起用するように努めてきた証拠。区間賞を獲得した倉本は「 4年間でしっかり練習を積めば、絶対に走れると思っていた」と諦めることはなかったとうなずいた。指揮官は「体系化させた原メソッドの基本軸があるからこそ」と誇った。
12月にはアクシデントにも見舞われた。チーム内でインフルエンザに10人弱の選手が罹患(りかん)。例年は選考会などで追い込むタイミングを、箱根で力を発揮するため、あえて休養にあてた。「トレーニングを柔軟にできるようになった。それが大会新記録につながった」。それまでの疲労が抜け、メンタル面でもリフレッシュができた。
優勝のゴールテープを切った青山学院大學10区宇田川瞬矢選手(左から 2人目)を笑顔で出迎える原晋監督(同 4人目)ら選手たち=東京・大手町
過去の実績にとらわれず、臨機応変な対応をみせた監督は、言葉でも選手たちの重圧を振り払った。12月28日の全体ミーティング。「本音 8割、 2割はほっとさせる」という意味を込めて、学生たちに「準優勝でいいよ」と伝えた。その言葉に逆に選手たちが発奮。選手たちのみでミーティングを開き、あらためて目標を明確化した。「学生たちは『優勝だ』となっているので、力を抜かせようと。『準優勝でいい。その先に優勝がある』と。現実を見ず、学生の気持ちに乗っかって『優勝だ、優勝だ』と輪をかけるように言っても、うそになる」。絶妙な声かけでチームの“120%の力”を引き出した。
「私以上に学生たちが優勝したい思いが強かったレース。学院創立150周年、監督就任20年、箱根駅伝100年、この 3つのタイミングで優勝させていただいたことをうれしく思う」
巧みなタクトで導き、再び黄金時代の幕が開けた。
箱根駅伝 復路 総合優勝し記念写真に納まる青山学院大學の選手たち。前列左から 1区荒巻、 2区黒田、 3区太田、 4区佐藤、 5区若林、後列左から 6区野村、 7区山内、原監督、 8区塩出、 9区倉本、10区宇田川=東京・大手町
○… 2つの吉兆データが的中!?
原監督は毎年箱根のテーマを「○○大作戦」と掲げている。この 1文字目の母音に注目すると、初優勝した15年以降はすべて「a」のつく年に制覇していた。今回のテーマは「負(Ma)けてたまるか大作戦」で“不敗伝説”は継続。また、今季は出雲 5位、全日本 2位で、20年の箱根も同様の順位推移から制していた。王者は運も味方につけていた。
◆青山学院大學陸上競技部
1918年(大 7)創部。箱根初出場は43年で、最下位の11位。76年を最後に出場できない期間が続いたが、04年に原晋監督が就任し、09年に33年ぶりに箱根復帰。15年の初制覇から4連覇を達成。20、22年も優勝。主なOBは「3代目山の神」こと神野大地。活動拠点は神奈川・相模原市。
3位でゴールに向かう城西大學10区の中田侑希選手を応援する山本唯翔選手(右手前)と選手たち=東京・大手町
往路で 3位と躍進した城西大は復路12位ながら順位を守って過去最高の総合 3位に入り、大会の最優秀選手(MVP)にあたる「金栗四三杯」は山上りの 5区で自身の区間記録を50秒更新した〝山の妖精〟山本唯翔(ゆいと、 4年)が受賞した。
城西大が第100回の記念大会で新たな歴史を刻んだ。チーム史上最高の総合3位に入り、 6区の久保出雄太( 3年)が笑みを浮かべた。
「 3位を目標にしていた。実感はわかないけど、うれしいの一言」
3位でゴールする城西大學 5区の山本唯翔選手=神奈川県箱根町
久保出は山下りの20.8キロを59分55秒の区間13位で走破し、復路をスタートした 3位を守ってたすきをつないだ。最終10区で東洋大の猛烈な追い上げにあったが、中田侑希( 4年)の懸命の走りで21秒差で逃げ切った。
元日に能登半島地震が発生し、開催も危ぶまれた今大会。久保出はエントリーされた全 368人中、ただ一人の石川県出身だった。石川・小松大谷高ではサッカー部から陸上部に転向。「箱根駅伝で走るという強い気持ちで」と大学では同好会を経て 2年時に男子駅伝部へ入部した異色の経歴を持つ。出身の加賀市が甚大な被害に遭い、精神的につらい状況でも「みんなの応援が力になった」と実感を込めた。
ゴールテープを切る城西大學の10区・中田侑希選手( 4年)。過去最高の総合 3位に食い込んだ=東京・大手町
夏は北海道や長野・菅平で合宿を重ね、走力アップ。大学の施設内には標高3000メートル級の高地と同程度の環境を再現し、低酸素トレーニングで成長につなげた。
閉会式ではうれしい知らせも。 5区を 1時間 9分14秒で走り、今大会唯一の区間新記録に輝いた山本唯が金栗四三杯を初受賞。「チームのみんなが目標に対して毎日、真剣に取り組んだ成果」とうなずいた。
2004年に創部 3年目で初出場し、過去最高だった10、12年の総合6位を上回る初の表彰台を全員でかなえた。久保出は「第101回を走るとなったときは走れることに感謝して走りたい」と誓った。初優勝は遠い未来のことではない。
5区で区間新記録を樹立し、最優秀選手に選ばれた城西大學・山本唯翔選手= 3日午後 4時28分、東京・大手町の読売新聞社
第100回大会のMVPは城西大の山本唯翔( 4年)が受賞した。
「山の5区」を 2年連続の区間新となる 1時間 9分14秒で踏破。金栗四三杯を受けた「妖精」は穏やかな笑顔で感謝し「スバルに入社してマラソンに挑戦したい。次のMGCでロス五輪の出場権を取って表彰台に立てるように頑張りたい」と表明した。
5区で同校初の区間賞に輝いた昨年から初代「山の神」今井正人の映像を見るようになった。「今とシューズも違うのにすごい」。先人の偉大さに感服し、ギアの進化も実感し、それでも05年今井の旧コース記録に 2秒届かなかった。100回の歴史の重みを感じ、しかし誇りに思う。「神になれなかった悔しさより、区間新のうれしさが上。今井さんに近づけた」。堂々の現コース新記録だった。
その今井も確信した。「近い将来、破られる」と。青学大の若林、創価大の吉田は「 1時間 9分切り」を狙う。「妖精」山本唯が新基準を作った山。101回目から新たな神が降臨するかもしれない。
前回大会16位の大東大がシード権ぎりぎりの10位に滑り込んだ。往路 8位から 8区で11位に転落したが、最終10区で東海大を逆転した。
「むちゃくちゃうれしかった。泣かないつもりでいたけど、学生の顔を見てほっとした。自然と涙が出てきた」
大東文化大學10区佐々木真人選手(左)は、チームメートに迎えられ、総合10位でゴールをする=東京・大手町
就任 2年目でOBの真名子圭(まなこ・きよし)監督は報告会でうれし泣きした。箱根駅伝で総合優勝 4度を誇る大東大は2019年大会で19位。その後は3年連続で予選会で敗退した。宮城・仙台育英高の男子監督として2019年の全国高校駅伝を制した実績を持つ真名子監督が再建を託され、22年 4月に就任。練習の質、意識、さらには生活態度まですべてを改革した。
最終10区で大東文化大學・佐々木真人選手(中央)が10位に滑り込んだ=東京・大手町
2年連続で予選会をトップ通過。今年は o9年ぶりのシード権を獲得した。「来年は上位を目指したい。明日の朝 6時から全員で練習をします」。2023年 9月に大学創立100周年を迎えた大東大が、100回大会で復活ののろしを上げた。
あと一歩届かなかった。東海大は 3年ぶりのシード権獲得を狙ったが、10位の大東大に 1分10秒及ばない総合11位に終わり涙にくれた。
「復活ののろしというテーマを持って臨んだ。その中でもやれることは学生も精いっぱいやってくれたんじゃないか」
両角速監督は選手をねぎらったが、チームには暗い雰囲気が漂った。最終10区のたすきリレーではシード圏内の10位だったが、 4秒差で迫っていた大東大にかわされ、陥落。来季も予選会からとなった。
総合11位でゴールした東海大學・ロホマン選手(中央)=東京・大手町
復路一斉スタートの関係で競り合いはなかったものの、国士舘大と総合11時間 1分52秒と同タイムで並ぶ珍事もあった。区間最高順位で東海大が上回った(東海大は 1区・ 5位、国士舘大は 5区・ 7位が最高)ため上位となったが、目の前でスルリと逃げたシード権への喪失感は大きい。箱根路に向け、再びいばらの道を歩む結果となった。
100回目の箱根駅伝は近年の高速化を象徴する結果になった。
青学大の優勝記録は従来を 2分17秒も更新する10時間41分25秒。さらに注目は 9位帝京大までが10時間台で走ったこと。94年に優勝した山梨学院大が初めて11時間の壁を破ったが、そのタイムでは今はシード圏内も心もとない。
当時の山梨学院大の監督で、関東学連の上田誠仁駅伝対策委員長が振り返る。「高速化が進んでいる。それは盾と矛の関係で、強い盾があるから強い矛ができる。お互い今のままではダメだと刺激を受けて追求する。それを100回の歴史で繰り返してきた」。
10区、後方を走る運営管理車の青山学院大學・原晋監督から声をかけられ、両手を挙げて応える宇田川瞬矢選手=東京・大手町
86年に日本テレビが完全生中継を開始して、全国区の人気イベントに。高速化が加速した。89年にケニア人留学生ランナーが初登場。 2区を走った山梨学院大オツオリが 7人抜きと快走したことで、他校も競って“切り札”獲得に乗り出し、今大会まで40人の留学生が出走した。
17年には反発力のある厚底シューズが登場。区間記録が一気に塗り変わった。現在の記録はすべて19年以降に樹立されたもの。「今回の 3区で青学大の太田くんが日本人で初めて60分を切ったが、ちょっと前では考えられない」(上田委員長)。一方で疲労骨折などの選手の故障は増えている。
ゴール手前で投げキッスをする青山学院大學10区宇田川瞬矢選手=東京・大手町
記念大会の今回は予選会で全国の大学に門戸を開いた一方、復路ではトップ青学大とのタイム差10分以上という線引きで、16校が一斉繰り上げスタートになった。また本大会で関東学生連合の出場を取りやめて批判も起きた。来年以降の全国化を期待する声もあるが、上田委員長は「関東学連からは何も発信していない」。伝統を守りつつ、いかに時代に即して変化していくか。100回の節目は、未来の箱根駅伝を考えるいい機会でもある。
【最終結果】
1位・青山学院大学
2位・駒澤大學 6分35秒差
3位・城西大學 11分2秒差
4位・東洋大學 11分22秒差
5位・国学院大學 14分3秒差
6位・法政大學 15分11秒差
7位・早稲田大學 15分15秒差
8位・創価大學 15分57秒差
9位・帝京大學 17分58秒差
10位・大東文化大學 19分17秒差
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11位・東海大學 20分27秒差
12位・国士舘大學 20分28秒差
13位・中央大學 20分34秒差
14位・立教大學 21分39秒差
15位・日本大學 24分41秒差
16位・日本体育大學 25分6秒差
17位・順天堂大學 25分18秒差
18位・駿河台大學 25分33秒差
19位・中央学院大學 26分1秒差
20位・明治大學 26分4秒差
21位・神奈川大學 26分13秒差
22位・東京農業大學 27分51秒差
23位・山梨学院大學 29分46秒差