金本知憲監督(49)が28日、 1月 4日に逝去した星野仙一氏(享年70)のお別れの会(大阪市内)で弔辞を読んだ。ユニホーム姿で参列した金本監督は、遺影を見上げると、しばらく言葉が出てこなかった。涙ぐみ、ときおり言葉につまりながらも感謝の思いを伝えた。そして 6分58秒の慟哭(どうこく)で改めて弔いVを誓った。30日の巨人との開幕戦(東京ドーム)に向けて、東京入りした。

福留孝介外野手(40)は28日、大阪市内で開かれた「阪神タイガース元監督星野仙一氏お別れの会」で献花を行い「僕にとって永遠の監督」に最後の別れを告げた。打倒巨人に野球人生を捧げた恩師の思いを引き継ぎ、30日からの開幕・巨人戦(東京ドーム)に臨む。献花台の前で、微笑みかけてくる 3枚の写真を 1枚ずつゆっくりと目に焼き付けた。在りし日の「監督」との記憶を思い巡らしながら。福留にとって、あまりにも特別な存在だった。1999年。入団した中日監督が星野仙一だった。その年にリーグ優勝を味わう幸運。もちろん「闘将」のおかげ。だからはっきり言った。ただ、不思議な運命の巡り合わせか、師がタテジマに袖を通し、遅れて弟子も虎に飛び込んだ。別れのセレモニーを終えると、甲子園室内練習場に戻って練習。そして決戦の地・東京へ。30日から、開幕戦で戦う相手は、亡き恩師が最も闘志を燃やした巨人だ。打倒巨人に命をかけた闘将の思いを受け継ぐシーズンの幕開けが、「打倒巨人」で始まる。何かの因縁か。21歳で星野監督の門下生となった男は、まもなく41歳になる。恩返しは「優勝」-。誰よりも燃える男の思いを強く胸に抱き、福留孝介のプロ20年目のシーズンがあす、幕を開ける。

1月 4日に膵臓がんで70歳で亡くなった元中日、阪神、楽天監督の星野仙一氏のお別れの会が28日、大阪市内で開かれた。笑顔の闘将の写真を見上げ、そして深々と頭を下げた。金本監督と並んで片岡篤史ヘッド兼打撃コーチ(48)、矢野燿大 2軍監督(49)もユニホーム姿で献花。思いは指揮官と同じだ。星野阪神 1年目の2002年に北海道日本ハムからFA加入した片岡ヘッドは声を絞り出した。今年からファームを率いる矢野 2軍監督も目を潤ませ、魂の継承を誓った。尽きることのない感謝の思い-。悲しみを乗り越え、金本監督とともに必ず、優勝を報告する。

金本知憲監督ら首脳陣と選手・スタッフが、兵庫・西宮市の広田神社で必勝祈願を行った。天気にも恵まれ、シーズン開幕前の恒例行事に約1400人のファンも駆けつけた。同神社の西井宮司は今季のチームスローガンを引き合いに出しながら13年ぶりの「リーグ制覇」に期待した。

記事をまとめてみました。

 

 金本知憲監督が28日、 1月 4日に逝去した星野仙一氏のお別れの会(大阪市内)で弔辞を読んだ。

 ユニホーム姿で参列した金本監督は、遺影を見上げると、しばらく言葉が出てこなかった。「星野さん。まず本当にタイガースに呼んでいただいてありがとうございました…。こうして写真を見るだけで、涙が止まらない日が続きます。広島出身の僕を本当に強引にタイガースに呼んでいただいて、そのおかげで2003年、あの感動の優勝を味わうことができました」と、涙ぐみ、ときおり言葉につまりながらも感謝の思いを伝えた。

 そして「なんとか星野さんの期待に応えられるように、私もタイガースの監督として強いチームを作っていきたいと思います」と誓いをあらたにした。

 星野仙一氏のお別れ会で涙を流しながら弔辞をのべる金本知憲監督=大阪市北区のハービスホール

  1月 4日に膵臓がんで70歳で亡くなった元中日、阪神、楽天監督の星野仙一氏のお別れの会が28日、大阪市内で開かれた。星野氏に誘われ、広島からフリーエージェント(FA)で阪神に移籍した金本知憲監督は涙の弔辞。 6分58秒の慟哭(どうこく)で改めて弔いVを誓った。30日の巨人との開幕戦(東京ドーム)に向けて、東京入りした。

★弔辞全文

 星野さん! まず、本当にタイガースに呼んでいただいて、ありがとうございました(深く息を吐きながら。涙がにじみ出る。14秒の沈黙…。メモを見ることもなく続けた)。

 いまだに……こうして写真を…みるだけで…涙が止まらない日が…今…続いています(再び沈黙。涙が頬を伝う。鼻をすする)。

 広島出身の僕を…地元の広島でプレーしている僕を、本当に強引にタイガースに呼んでいただいて、そのおかげで2003年、あの感動の優勝を味わうことができました。本当に阪神ファンを喜ばせたいという星野さんの思いと、星野さんを胴上げしたいという思いと、ただそれだけでひたすらに頑張って勝ち取った優勝だと思っています。僕と…星野さんは 1年しか一緒にプレーしていませんけど、僕がその後、タイガースで選手をずっと続けていても常にけがをしたときは「大丈夫か?」。フルイニング記録が途切れたときも「それから、今からが大事だ」と。「お前の姿、振る舞いをみんなみているから」と電話をしてくださいました。引退するときも…電話をいただきまして、「まずはゆっくりしろ」と。「すぐにユニホームを着ろ」という風にアドバイスをいただきました。

 私が監督の要請をされたときに、かなり迷ってどちらかといえば消極的だった自分だったんですが、「とにかく、やれ」「チャレンジしろ」「俺でもできたんだから、お前でもできる」と。「いやいや、いやいや」。何回か電話でそういうお話をしました。最後は選手時代のFAのときと同じように半ば強引に「やれ、ユニホームを着ろ」の一点張りでした。

 祭壇には中日、阪神、楽天でのユニホーム姿の写真が並べられた=大阪市北区のハービスホール

 (鼻をすする)

 そして僕が監督に就任してからも、楽天の副会長をされている立場でありながらも常に心配してくれて、チーム作りのアドバイスをしてくれたり、ほめてくれたり、マスコミを通じて、すごくサポートをしていただきました。最後に会ったのは殿堂入りのパーティーのときですが、常に「どうだ。どうだ」「あの選手はどうだ? 使えそうか? あと、どれぐらいかかりそうだ?」とか、ずっとそんな話ばっかりです。何とか星野さんの期待に応えられるように私もタイガースの監督として強いチームを作っていきたいと思います。

 僕と星野さんとの間の…(深い息を吐く)、 3つ目の夢であるタイガースでの「優勝」。 1つ目の夢は2003年、僕がタイガースにきて星野さんを胴上げするという夢は叶いました。 2つ目の夢はなんとか楽天で「日本一」になってほしい。中日とタイガースでなし得なかった「日本一」、日本シリーズでの「優勝」をどうしても達成してほしい。これが 2つ目の夢でした。先ほど言いましたように、 3つ目の夢というのが僕がタイガースで優勝して胴上げしてもらうところを星野さんにみてほしかったです。もうそれはかなわぬこととなってしまいましたけれど…(10秒の沈黙。涙があふれ出す)、どうしても…なんとか…優勝して…「よくやったな」という言葉をやっぱり…かけてほしかったです(涙が止まらず、ぬぐう)。

 今年、選手たちとともに頑張って、必ず優勝しますので、天国から「よくやったな」という言葉をかけてください。そして、ウイニングボールを墓前に供えにいきますので…待っていてください。本当にタイガースに呼んでいただいて、ありがとうございました。しっかり、島野さん(育夫氏、2007年に他界した星野氏の参謀)とともにタイガースを応援してください。以上で私の弔辞とさせていただきます。

 謝辞を述べる発起人の阪神・坂井信也オーナー=大阪市北区のハービスホール

☆星野仙一氏の阪神時代の監督付広報だった阪神・平田勝男チーフ兼守備走塁コーチ

 「(目を赤くし)もう涙は枯れたと思っていましたけど、きょうで最後です。(次は)優勝してうれし涙を届けることが一番の供養になる。開幕戦は巨人戦ですが、星野監督の就任 1年目と同じで、そのときは勝った。もう 1回、再現したい」

★主な出席者

【阪神関係】安藤統男、川藤幸三、田淵幸一、掛布雅之、岡田彰布、真弓明信、和田豊、一枝修平、黒田正宏、上田二朗、中西清起、八木裕、広沢克実、下柳剛、赤星憲広、新井貴浩、藪恵壹、遠山奬志、亀山努、井川慶、狩野恵輔、葛城育郎

【球界関係】山田久志、宇野勝、山本昌、立浪和義、井上一樹、今中慎二、福本豊、金村義明、楽天・立花陽三球団社長、オリックス・西名弘明名誉会長、同・湊通夫球団社長、中日・西山和夫球団代表

【政財界、芸能界】井戸敏三兵庫県知事、山中健芦屋市長、森詳介関西電力相談役、桂きん枝(敬称略、順不同)

 星野仙一氏のお別れの会が執り行われ、会場に入る金本知憲監督=大阪市北区のハービスホール

◇星野 仙一(ほしの・せんいち)

 元投手。1947(昭和22)年 1月22日生まれ。岡山県出身。倉敷商高、明大を経て1969年「ドラフト1位」で中日入団。エースとして活躍し、1974年に「沢村賞」。 2度の「リーグ優勝」に貢献し、「通算146勝121敗34セーブ、防御率3.60」。1982年に引退し、監督としては中日で1988、1999年、阪神で2003年に「リーグ優勝」。2008年北京五輪日本代表監督( 4位)。2011年から楽天を指揮し、2013年は球団初の「リーグ優勝と日本一」に導いた。監督通算「1181勝1043敗53分け」。2014年限りで退任し、シニアアドバイザーを経て球団副会長。2017年野球殿堂入り。現役時代のサイズは 1メートル80、80キロ。右投げ右打ち。2018年 1月 4日、膵臓がんにより、70歳で死去。

◆星野仙一氏と阪神

★キャンプ地変更: 1年目の2002年まで春季キャンプは高知県安芸市だったが、 2年目の2003年に温暖な沖縄・宜野座に 1次キャンプを変更した。

★血の入れ替え:監督 1年目の2002年オフに大量24選手が退団。トレードで下柳、中村豊らを獲得し、FAで広島から金本(現監督)、メジャーから伊良部を獲得した。

★フロント改革:久万オーナー(当時)に「アナタが変わらないと阪神は変わらない」と言及し、電鉄本社から補強費を捻出。実現しなかったがペタジーニ、中村紀らの獲得にも乗り出した。

★ファンも“改革”:2002年の巨人との開幕戦(東京ドーム)で国歌斉唱の際に六甲おろしを大合唱した左翼席のファンに「恥ずかしい」とぴしゃり。またジェット風船禁止の横浜スタジアムで平然と上げられてきた風船にも激怒し、ファンも自制した。

★朝食は絶対:遠征時、宿舎での朝食は必ず食べるよう指示。関係者にチェックさせ、選手の意識を高めさせた。

 

 福留孝介外野手は28日、大阪市内で開かれた「阪神タイガース元監督星野仙一氏お別れの会」で献花を行い「僕にとって永遠の監督」に最後の別れを告げた。打倒巨人に野球人生を捧げた恩師の思いを引き継ぎ、30日からの開幕・巨人戦(東京ドーム)に臨む。

 献花台の前で、微笑みかけてくる 3枚の写真を 1枚ずつゆっくりと目に焼き付けた。在りし日の「監督」との記憶を思い巡らしながら。福留にとって、あまりにも特別な存在だった。

 「みなさんは『星野さん』と呼ばれますが、僕にとってはやっぱり『星野監督』。僕にとって永遠の監督ですから」

 最後の別れ。脳裏に浮かんだのは誓いであり、感謝の気持ちだった。

 「まだまだ頑張ります。このチームを引っ張ります。ありがとうございました。ゆっくりお休み下さい」

 背番号「8」のユニホーム姿で、そう語りかけたことを明かした。

 1999年。入団した中日監督が星野仙一だった。その年にリーグ優勝を味わう幸運。もちろん「闘将」のおかげ。だからはっきり言った。中日、阪神、楽天の 3球団在籍時の写真では「やっぱり中日に目が行きますね」。ただ、不思議な運命の巡り合わせか、師がタテジマに袖を通し、遅れて弟子も虎に飛び込んだ。

 「このユニホームを着ていると『頑張れ』と言ってくださっているような気がします。頭の中に蘇るのは、星野監督に教えてもらったことばかりです」

 献花を終えた福留孝介外野手。中日時代からの愛弟子が打倒巨人の遺伝子を受け継ぐ=大阪市北区のハービスホール

 別れのセレモニーを終えると、甲子園室内練習場に戻って練習。そして決戦の地・東京へ。30日から、開幕戦で戦う相手は、亡き恩師が最も闘志を燃やした巨人だ。打倒巨人に命をかけた闘将の思いを受け継ぐシーズンの幕開けが、「打倒巨人」で始まる。何かの因縁か。

 「監督は常に強いところを倒すことを目的とされていた。それが巨人であるのか、どこなのかは別として、最後まで戦う姿勢、向かっていく気持ちだけは忘れてはいけない。その気持ちは、絶対に変わらず受け継いでいきたいと思っています」

 21歳で星野監督の門下生となった男は、まもなく41歳になる。恩返しは「優勝」-。誰よりも燃える男の思いを強く胸に抱き、福留孝介のプロ20年目のシーズンがあす、幕を開ける。

★福留孝介外野手と星野仙一氏

 甲子園に 3度出場し、PL学園高 3年秋、1995年のドラフト会議では最注目選手。巨人、中日を意中の球団として、指名を待った。星野氏が指揮を執っていた中日を含む高校生最多の 7球団から指名を受け、交渉権を引き当てた近鉄への入団を拒否。日本生命に進み、 3年後の1998年秋のドラフト会議で中日を逆指名し、 1位で入団。守備に課題があった福留だが、星野氏は根気強く起用。サイクル安打に王手をかけながら、終盤に守備固めを送るなど、厳しくも接した。 1年目の1999年は 132試合に出場、「打率0.284、16本塁打、52打点」をマークし、リーグ優勝に貢献した。

 

  1月 4日に膵臓がんで70歳で亡くなった元中日、阪神、楽天監督の星野仙一氏のお別れの会が28日、大阪市内で開かれた。

 笑顔の闘将の写真を見上げ、そして深々と頭を下げた。金本監督と並んで片岡篤史ヘッド兼打撃コーチ、矢野燿大 2軍監督もユニホーム姿で献花。思いは指揮官と同じだ。

 星野阪神 1年目の2002年に北海道日本ハムからFA加入した片岡ヘッドは「本当にありがとうございました、と。それを優勝という形で届けられるように。『コーチ一丸となって、金本監督を支えられるように頑張ります』と伝えました」と声を絞り出した。

 献花台に向かう金本知憲監督(中)、矢野燿大 2軍監督(左)、片岡篤史ヘッド兼打撃コーチ(右)。闘将の薫陶を受けた 3人が阪神を優勝に導く=大阪市北区のハービスホール

 「勝ちにこだわる姿勢だけはしっかり肝に銘じて、選手に伝えていきたい」。開幕戦はくしくも、星野氏がもっとも燃えた巨人が相手だ。「私も選手も、対巨人で違った意味の緊張感というか、開幕戦になると思う。いいスタートが切れるように全力でやりたいと思います」。

 今年からファームを率いる矢野 2軍監督も「プロの世界(中日)に入れていただいたのも、(阪神へ)トレードに出されたのも、プロで初めて優勝を経験させていただいたのも星野監督です。世界で一番お世話になった監督」と目を潤ませ、魂の継承を誓った。

 「教えていただいたことが僕の中に染みこんでいる。星野イズムをしっかり伝えていかないといけない。僕は下( 2軍)から支える役目ですが、少しでも早く、星野さんの願い(優勝して楽天と日本シリーズ)を叶えたいと思います」

 尽きることのない感謝の思い-。悲しみを乗り越え、金本監督とともに必ず、優勝を報告する。

 

 必勝祈願する金本知憲監督。後方右は坂井信也オーナー、同 2人目は揚塩健治球団社長=兵庫・西宮市の広田神社

 金本知憲監督ら首脳陣と選手・スタッフが、兵庫・西宮市の広田神社で必勝祈願を行った。

 天気にも恵まれ、シーズン開幕前の恒例行事に約1400人のファンも駆けつけた。同神社の西井宮司は「執念をもって、リーグ優勝を勝ち取ってもらって、『日本一』になってほしい」と、今季のチームスローガンを引き合いに出しながら13年ぶりの「リーグ制覇」に期待した。

 

 全員野球でファン皆が待ち望む「二文字」に向かって、全員で力を合わせて進め!  ガンバレ!阪神!我らのタイガース!勝利を掴め!  

 

全身全霊を懸けて不屈の精神で立ち向かう。たとえ、どんなに苦しい局面になろうとも、最後の最後まで絶対に勝負を諦めない。

その精神を全員が強く持ち、タイガースが変革し続ける一年にしたい。そうした強い決意をスローガンとして表現しています。

※このスローガン・デザインは、2018年のシーズンロゴとしても展開して参ります。

 

 2018年オープン戦順位表

 

 2018年 オープン戦・公式戦 日程と結果(03月)

 

 2018年 公式戦 日程と結果(04月)

 

 

 

 

   

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