食道がんの手術から 1度復帰したものの再び休養していた“浪速の視聴率男”の異名をとったタレント、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁)さんが 3日未明、死去したことが 7日、分かった。64歳だった。
 歯に衣(きぬ)着せぬ語り口が多くの人に愛された。「大阪の代名詞みたいな人」。人気タレントで歌手のやしきたかじんさんの訃報が伝えられた 7日夜、出身地の大阪では驚きと悲しみが広がった。
 関西を代表する名司会者にして数々の名曲を歌った歌手、たかじんさんが逝った。所属事務所が「安らかに天国へと旅立ちました」と発表した。
記事をまとめてみました。

 食道がんの手術から 1度復帰したものの再び休養していた“浪速の視聴率男”の異名をとったタレント、やしきたかじんさんが 3日未明、死去したことが 7日、分かった。64歳だった。一昨年 1月に食道がんを公表して治療に専念、昨年 3月に一度は仕事復帰を果たしたものの、 5月から再び休養に入っていた。高く澄んだ甘い声で歌手として多くのヒット曲を送り出す一方、対照的なダミ声による“毒舌トーク”で関西では司会者として頂点に。数々の冠番組を仕切ったたかじんさんが、ついに力尽きた。
 2012年 1月に食道がんのため休養し、同 4月に手術。2013年 3月21日にレギュラー番組の収録で 1年 2カ月ぶりに仕事復帰したが、同 5月 2日夜、体調不良を訴え再び長期療養。懸命に再復帰を目指したが、思いはかなわなかった。


やしきたかじんさんが死去
 長期療養中のやしきたかじんさんが死去

 歯に衣(きぬ)着せぬ語り口が多くの人に愛された。「大阪の代名詞みたいな人」。人気タレントで歌手のやしきたかじんさんの訃報が伝えられた 7日夜、出身地の大阪では驚きと悲しみが広がった。
 たかじんさんがよく訪れたという大阪・キタの歓楽街、北新地。カラオケスナックを15年以上続ける女性店主は「このところ、北新地に飲みに来ているという話を聞かなかった。とうとうですか」と肩を落とした。
 20年ほど前にたかじんさんが来店したと話すクラブの男性従業員は「いい酒の飲み方をする人だった」と懐かしげに振り返った。
 食道がんの治療後、昨年 3月にいったん芸能活動を再開したが体調不良を訴え、同年 5月から再び活動を休止していた。
 「そんなに悪かったんですか」。友人と大阪・ミナミにいた大阪府東大阪市の男性会社員(40)は驚きを隠しきれない様子で語った。
 テレビ番組の司会などでも大阪の人々に親しまれた。寝屋川市の無職島田信夫さん(72)は「あれほどのエンターテイナーは日本のどこを探してもいない。歌もすごかったが、やっぱりあの人の『見せ場』はトークだ。うそを言わないで、思った通りに言う人だった」と惜しんだ。
 大阪・新世界の通天閣近くにいた大阪市の男性会社員(39)は「ずばずばした物言いが、スカッとしていていいと思っていたのに」と残念そうに話した。


ギター手に熱唱するやしきたかじんさん
 1976年、ギター手に熱唱するやしきたかじんさん

 一方、ラジオやテレビなどでも軽妙なトークが人気を呼び、関西を中心に長年にわたって活躍。特にテレビでは、1988年10月にスタートした関西ローカル・ABCテレビ「晴れ時々たかじん」を皮切りに、1992年10月に始まった同・読売テレビ「たかじんnoばぁ~」、近年でも同局「たかじんのそこまで言って委員会」など、司会を務める番組が軒並み当たり、「関西の視聴率男」の異名を持つようになった。
 東京への対抗意識をあからさまにする関西人のキャラクターの一方、プライベートではワイン好きな左党として知られ、豪快さを示すエピソードにも事欠かなかった。
 ただ、一昨年 1月末には食道がんのため休養を発表。昨年 3月には約 1年 2カ月ぶりに芸能活動を再開したが、体調を崩して 5月から再び休養。闘病を続けていたが、昨年末には全身にがんが転移していたという。
 昨年秋には療養生活を支えた32歳年下の一般女性と自身 3度目となる結婚をした。死期を悟ってのケジメ婚だった可能性もある。結婚前の一昨年7月には、都内で療養中のたかじんさんと、その女性が買い物する姿が写真週刊誌に報じられた。
 多くのファンが、そして何より本人が夢見た再復帰はかなわず…。あの“たかじん節”はもう聞けない。


人気者だったやしきたかじんさん
 甘い歌声と毒舌で人気者だったやしきたかじんさん。長年、関西のお茶の間で愛された名司会者の姿はもう見られない(2010年11月20日撮影)

 巨星墜つ-。関西を代表する名司会者にして数々の名曲を歌った歌手、たかじんさんが逝った。所属事務所が「安らかに天国へと旅立ちました」と発表した。
 一昨年 1月に公表した食道がんと懸命に闘ったが、関係者によると今月 3日未明に再々婚した妻に看取られ、息を引き取ったという。「故人の強い意志に従い」(所属事務所)公表する前に近親者のみで密葬を済ませた。
 たかじんさんは1971年に「娼婦和子」(後に廃盤)でデビューした後、1976年にシングル「ゆめいらんかね」とアルバム「TAKAJIN」を同時発売して本格デビュー。同年、FM東京が選ぶ最優秀新人賞のベスト 5に選ばれた。
 こわもての風貌とは対照的に、女性の心情を切々と歌い上げるスタイルで、多くのファンを引きつけた。特に1980~90年代には「あんた」(1984年)や「やっぱ好きやねん」(1986年)、「ICHIZU」(1987年)、「なめとんか」(1990年)、「東京」(1993年)などの楽曲を次々と発表。今も中年男性らを中心に、カラオケなどで歌い継がれる。


司会者のみならず歌手としても活躍したたかじんさん
 司会者のみならず歌手としても活躍したたかじんさん。2008年 8月には、自身プロデュースのコンサートで 6年ぶりに歌声を披露し、ファンを喜ばせたが…

 たかじんさんのオフィシャルウェブサイトでは「ファンの皆様、関係各位」として、やしきたかじんさんの所属事務所が以下のメッセージを発表した。
 やしきたかじんは、2012年 1月に食道がんと診断され、 1年 2カ月の療養期間を経て番組復帰をさせて頂くほど順調に回復しておりましたが、復帰後すぐに体調不良を訴え、再び休養させていただきました。
 休養中、もう 1度皆様に元気な姿をお見せできる日を目指し、闘病を続けてまいりましたが、2014年 1月 3日、安らかに天国へと旅立ちました。享年64でした。
 尚、葬儀は故人の強い意志に従いまして、近親者のみの手で密葬にて一切を相済ませました。ここに謹んでご報告申し上げますと共に、故人の回復を祈り待ち続けてくださったファンの皆様、同じく、本人不在で続けて頂いたレギュラー番組関係者の皆様、最後にやしきを愛していただいた全ての皆様に厚く御礼申し上げます。
 尚、しのぶ会等の開催に関しましては、現在未定です。その節はあらためてお知らせさせていただきます。


やしきたかじんさんの所属事務所のメッセージ

【やしき たかじん】
 本名・家鋪隆仁(やしき・たかじん)。1949年10月 5日生まれ、大阪市西成区出身。龍谷大學経済学部中退。在学中に歌手を志し、京都・祇園のクラブで歌い始める。1971年に「娼婦和子」でデビュー。代表曲は「あんた」「やっぱ好きやねん」「東京」など。名司会者としての地位を確立し、「浪速の視聴率男」の異名を持つ。21歳のとき京都出身の女性と結婚し 1女をもうけたが、 1年で離婚。1993年に和服モデルと再婚し、2006年末に離婚。昨年秋、一般女性と再々婚した。血液型O。


 やしきたかじんさんにお別れの言葉を…。安らかにお休みください。

 やしきたかじんさんのオフィシャルウェブサイトの記事はこちら:http://yashiki-takajin.jp/
 やしきたかじんさんのオフィシャルウェブサイト(Facebook)はこちら:https://www.facebook.com/pages/%E3%82%84%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93-%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%96%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88/258458084209762








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