1948年、大阪タイガースが変わったユニフォームを採用した。俗にいう「黒のユニフォーム」と言われるユニフォームである。 当時のモノクロ写真で見ると確かに黒に見えてしまうのだが、実際は濃紺色のユニフォームだった。
 実際の使用期間は48年と49年のわずか2年とごく短期だった。それをあしらったユニホームで、ルーキー・藤川俊介がドッカンと1号!を放ったのを交えてまとめてみました。


 猛虎打線が牙を剥いた。横浜投手陣に17安打を浴びさせて12得点。先発のメッセンジャーが4回途中6失点の乱調だったが、それを補って余りある攻撃力を披露した。
 北と南と中央。信州を取り囲むように連なるアルプス山脈のように、猛虎打線がつながっていく。61年の時をこえて蘇った“黒い戦闘服”を身にまとい、城島が、新井が、快音を奏でる。2010年猛虎打線が、ダイナマイトと呼ぶにふさわしい爆発力を見せつけた。阪神が49年ぶり長野での試合で終盤に逆転して乱打戦を制し、横浜8-12阪神と3連勝で首位を守った。
 先発メッセンジャーが5回途中6失点KOされるなど、投手陣が8点を失ったが打線が奮起。
 序盤の劣勢を、城島の連続試合安打&打点を「6」に伸ばす一打で同点に追いつくと、3回には4番の新井が一時勝ち越しとなる3ランを放った。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-3ランを放った新井選手
 3回、3ランを放った新井選手

 その後、同点とされるも8回には代打桧山の右越え2塁打でチャンスを作り、5回の守りで横浜の翌点につながるミスを犯した平野の犠飛で再び同点に追いつく。
 7、8回に1点ずつ挙げて同点として9回、ブラゼルの左犠飛で勝ち越すと、この日が23回目の誕生日の人・藤川俊介がプロ入り1号となる3ランを放ち3点を加え阪神は一挙4得点。17安打で12点を奪い3連勝だ。最終回を藤川球児が締め、阪神は打撃戦を制した。


阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-8回、右前打を放った桧山選手
 8回、右前打を放った桧山選手

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-左越えに3ランを放った新人・藤川俊介選手
 9回阪神二死1、2塁、左越えに3ランを放った新人・藤川俊介選手

 鳥谷が12号ソロを含む4安打2打点でチームを引っ張った。同点の9回には先頭打者として内野安打で出塁。「とにかく食らいついていった。あのヒットから(山口が)おかしくなったような感じ」と抑え投手攻略に一役買った。
 点を取られながらも、打ち勝つカラーが定着しつつある。「大差がなければ、何とかなる感じはある」とチームリーダーも打線の勢いを自覚している。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-5回無死、左越えに本塁打を放った鳥谷選手
 5回無死、左越えに本塁打を放った鳥谷選手

 この日、61年ぶりに復刻し、藤村富美男ら「ダイナマイト打線」を象徴する黒のユニホームについて、真弓監督の口からは「(シーズンの)最後まで着るか?」とジョークも飛び出した。
 長野・善光寺を参拝した真弓監督は孝行息子誕生に満面の笑み。2位巨人との差を1ゲームに広げた。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-試合に勝利しハイタッチする阪神ナイン
 試合に勝利しハイタッチする阪神ナイン。右から藤川球児、城島、新井ら

 日本アルプスに向かって、白球がグングンと伸びた。打ちのめされ、打ちのめし。信州の乱打戦に孝行息子がケリをつけた。23歳の誕生日を自ら祝う、プロ初アーチ。ミラクル劇を、ルーキー、藤川俊介が締めた。
 「入ると思わなかったんですが、当たりがよかったんで『入れ』と思った。何も考えられなくて、頭が真っ白になりました。誕生日? 自分でもビックリしています」
 お立ち台で声が震えた。ブラゼルの犠飛で1点を勝ち越した9回二死2塁で城島が敬遠ぎみの四球で歩かされた。1、2塁となり、横浜の守護神・山口の速球を一閃した。澄んだ夜空を切り裂き、左翼ポール際へ吸い込まれた。プロ71打席目でウイニングランを味わった。ベンチ前でモミクチャにされ、笑顔が弾けた。


$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-本塁打を放ちベンチ前で出迎えられる藤川俊介選手
 9回、本塁打を放ちベンチ前で出迎えられる藤川俊介選手

 ルーキーで唯一、開幕から1軍に食らいついている。「6、7月にずっと自分の打撃が悪くて、いい結果を出せなかった。苦しかったんですが、打撃だけじゃないと思って、気持ちを切り替えた」。述懐する2カ月で「H」ランプを灯したのは、わずか1度。守備固めに代走要員。応援してくれる家族からの『けがしないで頑張って』というメッセージを宝物に、泥だらけになった。長野入りした前夜は藤川球児らと会食。すしに舌鼓を打って、英気を養った。
 若武者の活躍に真弓監督は「少しずつ、打撃も力をつけている。前の打席でもヒットを打っていたからね」と笑顔。この日は、セ・リーグ6球団が復刻ユニホームを着用した。阪神は1948、49年に着用し、猛威をふるったダイナマイト打線の象徴だった“黒虎”を採用した。球史に残る攻撃力が甦り、17安打12点と打線が爆発。7、8、9回で6点を奪って逆転した。指揮官は「じゃ、最後まで着るか!?」と珍しく口元をゆるめた。
 真弓監督は午前、善光寺に出かけていた。長野駅付近にある選手宿舎から片道2キロ。汗だくになりながら参道を歩いた。拝観料 500円を払って本堂へ。手を合わせた後は床下の真っ暗闇を歩く、戒壇めぐりへ。右手を木の壁に沿わせながら、一歩ずつ確実に歩を進めた。本堂を出ると、横浜・尾花監督が到着する偶然もあった。優勝を強く願う指揮官の思いが、ミラクル勝利を運んできた。
 藤川俊介は「とにかく勝利につながるプレーをしようと心がけています」。日替わりヒーローの誕生こそが、猛虎の証。巨人とは1ゲーム差に広がった。小さな虫がカクテル光線に混じる信州でガッチリ首位を固めた。


阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-2010.08.17 横浜VS阪神試合結果

阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-2010.08.17現在勝敗表

 〔猛虎爆発!ダイナマイト打線〕
 1番金田正泰、2番呉昌征の巧打俊足、3番別当薫、4番藤村富美男の豪打、5番土井垣武、6番本堂保次のしぶとい打撃、7番8番は後藤次男、安居玉一の強打、あるいは長谷川善三の巧打。そして白坂長栄、西江一郎、大館勲、谷田比呂美、門前真佐人と充実の控え。そのスタートは1947年だが、1948年入団の別当薫が加わり、プロ野球史上に残るバランスのとれた強力なバッティング・オーダーとなった。

 「黒のユニフォーム」の使用期間は、1948年と1949年のわずか2年とごく短期。ところがこの時代を知らない世代の間でも、この異端のユニフォームの認知度は非常に高い。かつてタイガースが黒いユニフォーム(正確には紺色だけど)を着ていたコトを知っている人はけっこう多いのだ。
 これはまさしく伝説のユニフォームである。
 しかし1950年の2リーグ分立騒ぎの中で、別当薫、土井垣武、呉昌征、本堂保次といった打線の主力打者が毎日オリオンズに引き抜かれ、ダイナマイト打線は崩壊。そしてこのユニフォームも姿を消した。

$阪神ファンのアスリート・虎ちゃん77のスポーツ日記-黒のユニフォーム
 「黒のユニフォーム」 阪神タイガース公式サイトより

 新ダイナマイト打線が爆発だ!このままG軍団との一騎打ちへと進んで行け!
 最後に笑う球団、それは阪神しかいない!誰が見てもそう思えるだけの球団に成長した現在、このまま突っ走って欲しいですね。
 ガンバレ!阪神!GO!GO!タイガース!





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