A- 1⃣トト櫓は選択へ3
男座禅
l キッチンのほうからマヤの呼ぶ声がする。サーできたわよー舞ちゃん皆呼んできて。今日はお代わり大丈夫だからね。樹がやったーと叫んだ。勇一も今日はお腹「ぺコ 感のハグ」・・・樹もペコ感だったがお父さんにご馳走したいと思った。カレーには美味しい水が食感倍増となりえる。家族としては四人ぶんのコップにお水でよいのだ。なぜか六個のお水がテーブルを囲んでいた。
だれもそれには気づかなかったがマヤだけは違った。「お父さん今日は樹サーお腹いっぱいなの。」樹のぶんも食べてねっといった。舞が今日は樹ちゃんはお腹いっぱいかもね。「そうなんだ私!」キッチンで食事中だ。
樹が右脇から一個のお水のコップをコップへチンしたのだ。小さな声で・・・「お父さんこれ・・・進さんのよって」こういう時は不思議と言葉が同期する。勇一も「ウン」した。樹のぶんもお腹へはいっていく。マヤは樹の方へは多少広角にテーブルモニター画面した。大学生の進と稲荷神社バス停とはどういうことなのか。ベンチから歩いてほど近い鳥居にタッチとは神力のことだった。マヤはまだバス停で下車したことはないのだが、一度はいってみたいと考えている。 だから余分に二個コップのお水が多いことになる。一個は進ともう一個はバス停のベンチとしては「鳥居」なのだ。鳥居にタッチか、お水取りのコップにタッチかのいづれかなのだが。
マヤは、両方へタッチとはどうゆうことか頭の隅っこで考えているのだった。実は樹は以前稲荷神社で一つの体現をしていた。舞も稲荷神社バス停のベンチとは・・・? 舞は以前から、樹はまだ小さいがなぜか神力があるように思えていた。それから、大学生の進はいつも透き色の赤い傘をもち歩いている。マヤがお暇なコップを横目にお代わり大丈夫よっと声をかけた。勇一と舞がお願いしますと・・・ハイした。マヤはありがとうね! の返事。テーブルの二個のコップ。
食事中の、同期的な不思議さを思い浮かべながらハレルヤ~っとコップへ瞬きをかえした。カレー日の雰囲気が、天井からのシーリング照明へと伝線したかのように光った。 今日のお開きはようやく終わり、後はマヤは二個のコップはおいたまま布巾で丸く描いた。マヤは明日は月曜日でパートの日だ。勇一のお昼前の食事用と、子供たちの簡単モーニングの準備は終わった。マヤは小さく「Yesterday」ハレルヤ・・・。
マヤは今日時間でテーブルを片付けたのではなかった。キッチンの椅子へ座ってテーブの二個のお水。
コップを目視したのは、マヤのまだ知らない時間の稲荷神社バス停の「ベンチ」・・・・・・たしか樹が後ろへ回りこんで一個のお暇コップへハイタッチした。キッチンの今日の日をOFFして勇一のほうへハレルヤ~と近ずく。居間には勇一だけが、今日の出来事時間ニュースチャンネル器をさわっていたが、小さなテーブルへおいた。舞も樹も明日時間へ消灯している。
マヤは今日時間でテーブルを片付けたのではなかった。
もうニ個のコップは、座禅体験しているのだろうかっとマヤは心の中へしまった。朝が来て子供たちを送り出したマヤ。勇一にでかけ前の昼食できてるからねっと返した。まだ十分時間はあるし、マヤもいい時間じゃないといった。「おでかけするね」っとマヤ。
勇一が、水曜日はマヤの座禅体験の日だなっとハグして「いってらっしゃい」した。勇一もマヤも土、日曜日は休み時間は同じであるから心配ない。勇一は洋服ダンスに上げていた座禅座布団を居間のソファーへおいた。マヤの専用の部屋へは勇一もはいらないことにしていた。それは「Yesterday」としてのマヤ自身なのだった。
それは一郎へは話していた・・・学生のころそう遠くない小高い山へクループで登った日の出来ごとを・・・。好天日は、高い高いタワーから遥か遠くの山を指さす。卒業まじかとしての学生最後の休日のミニイベントだ。そこに山があるから登るのだ。
イベント的に考えるから予定がきまると準備は学生ははやい。大学は一つのイベント学校と考えてよいのか。時間をみつけては、近くを犬が曜日ごしに散歩するが小高い山へ登っていると考えていい。よく欄外編で見かけるが単位制度としての制度化は二回りも三回りも違うのだろう。大学とは単位イベント者ですか? 多少オーバーな話。
マヤも同行した学生時代の小高い山の一日・・・「そこに山があるから・・・J・マロリー」だった。
カカ櫓は一葉へ3
女座禅
「暑い夏の日差しが少し傾いた。」
朝夕は昨日よりだいぶ・・・千羽鶴ほどの緯度で冬至へかたむく。子供たちの長かった夏休みも数日あまりだ。始め良ければ終わりよしだろう。絵日記帳のクレヨン箱が大活躍する残り数日である。以前からの、ファミリーとしての座禅体験は各自フリーでおこなっている。
だれにも尋ねていないが、真夏日の座禅は皆勤賞ではなさそう。それを知っているのはヒグラシではなくてアブラゼミやミンミンゼミだ。ヒグラシは、秋を教えてくれる。
近くを散歩する犬のようだがありがたい。犬の鳴き声が遠くからきこえる。勇一としての座禅体験は、夜間大学のいそがしさが座禅のようだ。マヤとしてはパートタイマーのない日に座禅時間をあてている。そのほうがいいのだ帰宅時間として。
だから今日は自分の部屋で座禅の日でもある。すでに自室へはいってしずかだ。先週、勇一が休みを利用してDIYへ簡単なWifi型インターホンをみつけてくれた。
さっそくマヤ専用器として、部屋へインターホンセットしてくれたから安心である。
月に約十二日のパート時間にあわせられる座禅となる。子供たちの座禅も、同じであるからマヤの座禅室は勇一からの提供案といえる。そのほうが子供たちも安心して帰宅できた。もう始まっていた。
秋にはお寺での座禅体験が待っている。なぜか、自宅体験が上手くいきすぎたようでもある。なぜだろうかと勇一は考えている。以前マヤが、病院へ入院していたころや退院した時期のことなど。樹と大学生の進が、稲荷神社バス停からの散策なども頭をよぎった。
退院祝い時の食事会でのマヤの思い出の曲「Yesterday」が思いだされる。自分は、夜間大学の授業勤務者である。発案当時に歌番組での「カンカンカンカン・・・カンカン・・・鐘が一つや二つの進行だ」以下三つ連打共鳴したら合格なのだ。
TVモニター画面を背に正面しての座布団一枚ポーズなど。勇一は、ファミリーの方を向き手持ちの座布団へ座ったことがある。あの時隣の樹が、お父さん犬のハイハイポーズしてるみたいといっていた。
あれ以来勇一はご無沙汰のままである。勇一の座布団は自分の部屋の洋服ダンスに上げてあった。手がとどきそうな位置だがお休み中なのだろう。勇一は、マヤや子どもたちに座禅体験を長く継続させる提案ではなかったが。自然な気持ちでの体験型コースへなれてよかったと思う。
樹だけは、勇一からのモダンバレエーを習わせたいといっていた。だから後はファミリーとして三人だけになる予定だ。モダンバレエーとしては「大切な考えるソクラテスの脚」である。
これからは、樹の脚が「Mr’ 勇一ソクラテス」に相対した。ワーィワーィ、お父さんありがとうございますと返事。後はお父さんが座禅体験者だなっと返した。そうよ! 樹は大学生の進君の考える脚なのよ。お姉さん私の座禅体験をも頑張ってねって。
大丈夫よ、私も「大学生の進さん」応援してあげるからね。お姉さんは「合格だね・・・」
コーヒーを手にしていたマヤがソファー越しに、樹も「合格みたいよ・・・」って二口めがほのかにながれた。舞がお母さんの部屋の、インターホンもいいけど扉の外と内へ「お帰り人形さん」下げるといいわねー。
樹が賛成したのだった。勇一は「いい考えだソクラテス」とハグポーズ。今日の日曜日が、一夜明けて朝時間となる。月曜日の朝はみんな早い。勇一は、週のはじめだけはみんなと一緒にお早うモーニングできる。だから全員で出発進行だ。明日からは勇一だけはフリー時間に出かける。だから月曜日は樹と舞が最初のスタートとなる。順次にマヤで最後に勇一が家を出るのだ。
ーレッツゴー・・・っとはやした。帰宅時間も順次予定通りです・・・。AI社会であるから、家庭環境しだいで一週間の道程カレンダーが教えてくれる。簡易AI対話型ロボットが環境下で生活している。樹としての、現時点のマイカレンダーは大学生の進とトト櫓である。また、稲荷神社の神主さんにも久しぶりに会ってみたいのだった。しかし、勇一から進められたモダンバレエスクールのことも、これからは少しずつ準備をまつのだ。
樹としては座禅体験ツアーは考えないことにした。時期をみはからってお父さんにつたえようと思った。学校から帰ってさっそく、自分の部屋においていた座禅座布団を洋服ダンスの上へ椅子を使ってのせた。しばらくしてマヤが帰宅した。樹が奥からきてマヤへ相談してOKをもらった。
お母さんが、部屋用のお帰り人形さんを作ってくれることになった。マヤと樹が、お帰りお人形のかたちとしておなじになると考えていなかった。勇一もお帰り人形としてのハグポーズをした。舞も帰宅して、お父さんと一緒にねっといってくれた。
舞から大学生の進さんへ、座禅体験ツアーの話してあげてもいいわよ。樹は「ソーショッカー」と返した。
A- 2⃣肯定ポッポ2
l ゴールデンウイークって床替えね。
いつもの昭和の日が毎年やってくる。この床替えは簡単にできそうではない。田舎言葉だったら床替えとはさつま芋の床作り作業のようだ。大都会の近くの周圏でも芋床は栄えている。バルコニーなどで、プランタや発泡スチロールを工夫しての芋床大盛況の朝顔も芋族そっくり顔だ。
芋床は少し大きいし簡単ではなさそう。トマトカットや、湯がきオグラ・ピーマンの肉詰めがいいようである。場所が以外と広く提供された環境として最適だ。洗濯ものや布団干しも兼務している。だから親元をチョット離れた近隣県でも右へ倣えの風習だ。育ての親の味体験であるのだ。
老若男女的に考えたら、ニラ味噌か小ネギ和えでもいいと思う。トマトの食べ方は簡単ではないのだ。だからトマトだけは
、海水浴としてスイカと交互に試食したい。お弁当などの薬味を美味しく食べていた。薬味と知ってからは落胆のイロハは隠せない。子供のオヤツになってしまうとはどういうことだろうか。
生活通勤圏として、平坦な道路歩行派はよいが階段歩行派は大変である。自分でまたは、家庭で仕事環境の試食点検が必要だなー。昭和の時代までのオヤツ食ではないかと思う。平成時代へ移行を間違えたらしいか・・・ピーマン君。
時代流行語大賞のオマジナイを考えた。パプリカっと言うものは新しい時代言葉とは考えなかった。「クッキング読本と栄養源の取り方・・・」っとなっただけだ。美味しいものを、お腹へしまいたかったら帰って「パプリカっと小声で帰宅」すればいいのだ。
子供たちはパプリカ一人に一個オヤツでよい。なぜ唐揚げ派はトマトをオヤツにするのだろうか。そうではない。パプリカをオヤツ環境でよいだろう。青いピーマンが怖いのだ。
これからはピーマンを「緑さん鬼」と小声しよう。メタボ時代としては? 時代標語に・・・山本山の海苔や、トマトのお弁当薬味・ヤマヤの醤油など上から読んでも標語だ。
昔からはじまっていたのか山本山の海苔や醤油。いずれも老舗などに関係している。「暖簾」と言いかたが、あるがこれなど昔からの「老舗」で理解できた。北国の北陸街道や、東海道・山陽道・博多街道など北海道は蝦夷街道だ。その他島々は海道である。
『昭和の日を過ぎれば「法としての打ち出の小づちの制定記念日」・「SDgs到来としての緑の日」・「少子社会担当相としての子供の日」・「カレンダー年としての日曜日の重なり振替日」・・・太陽と地球カレンダー年祝日だろう。』
時代の航海者は、コロンブスと言いかたではないにしても探検者たちだった。こうなったら難しい話だ。その時代の外遊船は間違ったら遭難船になる。遭難船も第二の仮称コロンブス的伝道者になりたかったのだろう。
こちらは、手漕ぎファミリー者になっただけだ。
伝道者とは頭に王冠を描いた人たちのようだ。コロンブスとはならなかったのではないが。っということは、やっぱり伝道者が海洋学者と海洋航路学者をけんむになった。
時代としての先導者である。
一時代を制覇しえた、先導者の由緒ある伝統国はみずから大きな海洋船を造った。植民地化された国や、島々はどのようなルーツやツールを担って交易してきたのだろうと考える。やっぱりツール社会だったのだ。時代としての起源が始まった時から二足歩行となりえた類人猿だったのだ。類人猿も木から落ちながらの、私案者であり弱肉強食社会としては安全なツール。
いい船を造ることが、ルーツの発見者になりえた。船主は〇〇〇〇大王になる。伝道者とは大船の船長だ。船長も宵の明星を酒で船酔いしたらデッキから猿となって落ちた。
そのほか一つの私案としては竹林がある。竹林でも、類人猿も木から落ちるを体現できなくもない。竹は滑るようだが笹渡で移動できるのだ。この竹林猿渡法は、子供のころあるていどマスターしていた。だからオランウータンやコアラ体験者でもある。
ご安心を・・・猿も木から落ちるとは別称があるみたいだ。勤勉的にはあえて話さないほうがいいのだった。
社会では、宣言がはじまっていた。肩から腰をロープで結ぶのだが・・・猿も落ちるのISOがゴールデンウィーク化されていた・・・。新時代としての、オランウータンやコアラは林業国家職員である樹林生活者みたいだ。それこそ地上の天使そのものだろう。天使様は腰巻ロープなのだ。
人間は大地を歩けることは幸せだ。その時の季節にあわせて、地上の河原などで水遊びしていると思っていいのだ。お腹が風船になるほど水を飲んでいいのだよ。
オランウータンさんコアラさん、職員さんたち。カエルなどの爬虫類の仲間にも猿も木から落ちる生き物がいる。カエルであり鳥の仲間にも多くいる。カエルの仲間には木の上でオタマジャクシの育成者もいる。キツツキ類は、人間的な生活者であり住居を考案してしまった。猿も木から落ちるとは人間社会だけではなかったのだった。
空飛ぶ宇宙飛行士は、地球の大気圏下で大型ルービックキューブ宇宙船の中で遊泳中だ。地球人のためや、他の惑星旅行者時代としての仕事を兼務している。余程のアクシデントがない限りは宇宙実験勤務後に帰還する。横並び高給取りの仕事をおこなっているらしい・・・。
宇宙ステーション作業手当は、時間給としてどのぐらいだろうか。教えてくださいますか・・・¥〇〇〇〇〇〇〇位(丸が七個)の中にはいる整数年給。成層圏は、地上約四百キロメートル圏内だそうだが現役大学生小型リービックキューブは無人船になった時代。
どうかお願いします。そう遠くない宇宙年に、ある都市の土いじりが好きな「匿名:土いじり工学博士を・・・」宇宙船外ロボットアームオペレーター運転手に派遣採用してください。恒星月にハローワーク事務所が建てられることになった。これからの時代の雇用者は「恒星月の現役大学生事務所」になっていたと・・・
雨の海・晴れの海より。
A- 3⃣独鈷剣(独鈷型:とっこがた)2
l 山村五衛門は、丁重に挨拶が終わると土間の外で港をうかがっている。右脇へ杖をはさみ内ポケットから煙草を取り出し風向きをきにしている。火がついたらしく大きく背伸びをしてみじろぐ。お花は、土間内から外をうかがっていたがお茶の準備ができたみたいだ。
港の見回り役さん、お茶入ってますっと部屋へ誘った。いつも忙しゅうさせましてすまんですが。部屋へ入り脇の上がり端へ腰をおろした。奥に座っていた吉衛門がいつも港の見回り役さんには安堵しとんですがと言う。「いやいやこればっかりは漁師商売のかたが不在じゃ港の仕事である潮の話ばきけんでしょ。
そうですが。寒い日や暑い時期の大風あっでしょ。お染がここんとこ助吉が漁疲れしましたんですがと助吉をなだめた。
明け方から若い兼吉が潮見の準備しよりますが。」嫁のお亀が見回り役の手に壺漬けを盛った。しばらくお待ちをとお花が外へ小走りに飛び出した。
お亀が、助吉へ顔洗いニャンニャンネコポーズする。 潮見から兼吉が帰ってくるポーズみたいだ。不思議と思えるが、漁師街には潮見としての掟があるのだ。潮風で潮見が読めるように体現人生なのかもしれない。
当然と言えば・・・当然である。「いま来ますよーうちの旦那」お花の声が玄関口から潮風にのって聞こえた。無精ひげの兼吉の顔が玄関口から特大ズームされた。部屋が暗いので兼吉の顔とは判断がつかない。表の日差しが背中を押す。お花と兼吉の帰宅で午の刻の四ツは終わったことを告げた。お亀が、港の見回り役の五衛門さんが来てくださっとるやがねーと、長椅子を指さした。玄関に近い上がり端に座っている五衛門。
長椅子から向かって、正面囲炉裏の上がり端に五衛門が西洋風の山高帽を右脇へおいている。五衛門が、一本の杖をついて立ち上がってしばらくぶりの、潮海の挨拶をした。兼吉も父の助吉からの潮見拝見となったことを告げる。
お花も、そうなり申すと兼吉とお亀母さんへ「ウンウン・・・」っとうなずく。「隣の八神安二郎っさんと勘八さんも明日から漁へ同行すっがに」奥の囲炉裏手前に座っているお染が「兼吉親父に今までついとったんじゃー安堵じゃが」っと潮見した。助吉は黙していたがネコの頭をニ、三回撫ぜた。撫ぜれば返事を返すのが動物の習性だ。生活の一部となり潮見の算術となる。
ネコは、ミャーとは鳴かなかったが囲炉裏端としては鳴いていなくもない。いぜんと茶釜口から小さく舞う湯気が啼く。脇にいる山村五衛門が港の潮見の様子を問う。兼吉はそうなんじゃがと・・・いま時分の秋の中道としての黒潮の雲海をてみじかに話す。大型の船ではないが小さく鯛の仲間やイセエビなど小物だろうか。
マグロなどは船がより大きくなるのだ。大浜の、網ひき漁がいいのだが四季としては船漁と掛けもちになった。磯の昆布やひじき類は海女の漁場になるしアワビ漁が最適なのだ。助吉が「五衛門さんもどうです」秋口からの漁場へお供しましょうやと尋ね顔。山村五衛門は山高帽子をうち扇に「またの機会に・・・ですが」とお亀のほうへ笑いをかえした。
ふたたび右手の杖で、かるく土間をドンと突いた。五衛門サーは・・・役人さん勤めのほうが気楽でしょうがとお花があとおしをする。山村五衛門は、経過を話しながら今年の春先定年になったと挨拶した。退職後に人生の山登りとおもい護摩壇岳へ登ったらしいが。下山の途中、右足をわるくしたと説明した。
ネコが上がり端のお亀のほうへ近ずいて顔洗いおねだりのようだ。頭を撫でながらお亀は抱きかかえた。漁師としての旦那は、天候や大風で潮見疲労が溜まっていた。ネコをお花へ返したがそつない表情のネコ顔である。自分の子供のようでもあった。
そんなこと知るよしもないネコ。
今日の来客者は、山高帽子と一本の杖が潮見なのだろう。助吉が、お花のネコを儂のほうの畳へ上げるよう小声した。今日は子供たちも兼吉としての港での漁場の話で目元がまるいようである。お亀が、お花へ団子汁和えを作るようにと炊事場へかけいった。「団子と汁」は上手くできたようであった。
ワカメ湯がき和え酢と、お醤油団子汁・・・隣の八神梅を、子供の蜜へよびにいかせた。梅が来たのでみんなで丁度丑の刻として九ツで九人前でいただきます。お箸を一本加えて合掌。
お梅がうちの勘八さんの分ねっと潮見した。山村五衛門が八神勘八さんの潮見だいじょうぶでしょうがと団子を挟んだ。
ネコは、馳走にあやかってか兼吉の長椅子の脇へ近づいて座った。