私的近況報告のWとH選択(トト櫓は選択へカカ櫓は一葉へ)8 | 55satuma-ishiのブログ

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犬も歩けばミニ宝くじ箱に当たるミンミンゼミブロ。

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                   舞(姉)        樹(妹)

               勇一(父)   スター

 

             音譜 マヤ(母)

あし

A- 1⃣ トト櫓は選択へ2

男座禅

 只今ぁーと、樹が玄関の扉をあけて帰宅した。今日はマヤが少し先に帰っていた。

 月に十二日ほど、パートタイマーの仕事をしている。

 以前は専業主婦の一つのかたち。マヤ自身も、仕事をするようになってからは、体調が今は元気の感じがする。

父の勇一は夜間大学で教師として働く。以前はサラリーマンであった。

 友人から是非と空きポストへ請われた。貿易関係の職場で営業業務に従事していた。

マヤとは、年の差は離れていて九歳。

 樹は勇一が三十五歳の時に生まれたが、意外とお茶目なところがある。

 樹が、お母さん最近お仕事だいじょうぶと、話しかけてきた。

  だいぶなれたからね。心配しなくていいよ。樹も安心したそぶり。

  学校で聞かれたの。先生からお父さん元気ってね。私も何を尋ねられたか、理解できなかったの。「そうー」今度お父さんに聞いとくね。

  じゃー樹にも後でおしえて。樹は自分の部屋へ帰った。

  マヤとしては、勇一の親友たちの関係性を気にとめるのだった。

  いま時間としては、居間に掛かった時計は午後四時三十分をさしている。

  時折、樹と帰宅時間が一緒になるときがあった。帰りに夕食の惣菜や明日への準備買いなどで時間がとられた。舞は塾へ通っているので夕方近い。

  勇一は午前十二時から仕事時間としてでかけるのだった。

  意外と大変なサイクル時間といえた。

  マヤとしては、専業主婦でよさそうな一日時間。

  舞が帰宅してから一緒に夕飯をすませる。TV時間としては勇一が何時になるかだけだ。舞も樹も、自分時間でラジオ時間しているようだ。それでいいのだった。

  ラジオ時間としての友だちづくりなど。

  一日時間はなぜか忙しい、多少考えものといえる。

  ただし北欧の、ノルエーやスウェーデンなどの一日時間。

  勇一が帰宅する時間帯は、季節ごとの白夜に近いのだろう。

  だから日本で感じる四季は、世界の地域圏としてはだいぶことなる。

  こう考えたら、ほかにも沢山であえるのだ・・・北欧としてのオーロラなど。

  今夜は勇一は、北欧のオーロラ時間として社交性のLDE社会か。

  帰宅してからの詰問感が、こころの中でほんのり浮かんだ。

  居間で一人でTVを視聴は自然である。そう思いながらも明日の朝食の準備など・・・。勇一だけは、おでかけの午前十一時前ごろ昼食をとり、正午前にはでかけるのだ。

  パートタイマーの、マヤ時間でいえば帰宅する約四時間半前に、勇一はでかけていることになる。

  マヤと舞・樹はすでに帰宅していた。夕方近くにル・ル・ル・ル・・・っと電話。

  マヤは、キッチンで手を軽く布巾で拭く。勇一からだった。

  舞と樹へ一日の確認時間だ。「おやすみっと!」お父さんだけどなにか伝言ない。

  舞・樹ちゃん! 舞が明日は、塾の先生が出張だからお休みなのとおしえた。

  わかったわ。マヤは勇一へ帰りは気おつけてねと返した。

  舞は部屋へ帰る。軽やかなミュージック音が、右手で引く扉へ吸いこまれた。

  夜遅く帰った勇一は、キッチンの椅子へ鞄をおいた。仕事としての雑談はしなかった。

  座禅体験者として、友人からの話でミサを誘った。

  時期としては、涼しくなる秋ごろがいいだろってね。

  毎日ではないらしい・・・土曜日か日曜日の体験コースかもだと。

  マヤは、べつに行かない素振りはみせなかった。

  座禅体験コースと、いえるものがあってよかった。

  後は子供たちが参加者となるかだけだ。

  今夜は、このぐらいでいいと思いながら夕食を終えた。

  子供たちはすでに就寝と・・・。

  今度の休日に、家族で相談することになった。

  子どもたちに、宜しく頼むっと個室へと帰った。

  数日が過ぎ予定休日のお昼。TVではカンカンカンカン・・・カンカン・・・。

  賑やかな歌番組だ。出場者が自分で歌う曲名を言いながら・・・バンド演奏がスタートする。

  出場者ごとに、歌いだしのポイントはわかるのだろうか。曲名の発表あたりから、すぐ入りかたは自然そのものだ。

  居間の小さいテーブルにオレンジジュースが人数分のっている。

  歌番組は進行中・・・で順番ごとにカンーカン! 次もカンーカン!・・・

  樹がマヤから聞いていたのか。お父さん「座禅体験」ってどういうこと。

  舞は知らないではなかったが、勇一のほうへ一口ハイジュースした。

  歌番組は・・・キャーワー!ワー!カンカンカンカン・・・カンカン・・・

  この間の話どうなったの・・・お父さん。っというかね。

  そうそう上手くきそうなんだよ。大勢でもいいようなんだ。

  勇一の、隣のソファーに大きな座布団が一枚ある。

  今日はその一枚だけ手に取った。夏は暑い時期だから、秋ごろがいいだろうと・・・

  お寺での座禅体験予定を話した。マヤが私も参加したいっと話す。

  じゃー樹も参加させてーと。

  近いうちにね。父さんが、家族ぶんの体験用座布団を準備するから楽しみにね。

  勇一は、手に座布団を持ったままだ。

  TVの正面に向かって、右回れっ右っと小さく呼称した。

  座布団を床におく。静かに座布団の上に座ったのだった。

  舞が、家でもできるんだー。っと、いいながら同じ座りかたで向かいあった。

 舞、今日はそれでいいけどね。本当は自分だけの座禅だからね。

 そうだね!・・・自分だけで正面向きだよ。今日は、お父さんだけ座禅体験さー。

 何か、犬のお座りみたいジャンお父さん。そうーそういうことになるんだよ。

 犬は昔から、お座り体現者だったんだなー。お父さんも、今日は一本取られましたぞやー。マヤが今日はお父さんが犬   ね!・・・そうだね。樹ちゃん、マヤが今日はこれから日曜日カレー作るからねって・・・キッチンのほうへ消えた。

 

 

  カカ櫓は一葉へ2

女座禅

 夏休みの時期をむかえた。

  以前勇一が買ってくれた、四人ぶんの座布団が座禅体験として活躍している。

  時間をみつけては、各自体験をするようになった。

  座禅って気持ちがよいのか、最近はマヤが自宅の個室を片付けて静かだ。

  時計の針は三時半を回っていた。

  しばらくして樹がいつもの時間帯に帰宅。キッチンから、居間を覗いたが、マヤの姿が見えない。

  樹は大きな声で、お母さんと呼んだが返事がない。そのまま自分の部屋へ。

  姉の舞も、夕方に帰宅するのだが・・・姉の机の上に簡単なメモ書きを見た。

  「樹ちゃんへ、お母さん最近座布団してる」・・・っと。

  そうだったね! 部屋においた自分の座布団のほうへ安心感した。

  舞の座布団は、ちゃんと椅子の上におかれていた。

  これにも樹としては確認できた。メモを舞の座布団の上へ返した。

  すぐには、樹は母を探そうとはしなかった。

  自分の椅子へ座って、スタンドのスイッチをオンした。

  舞のぶんまで勉強の時間だ。樹は今日は、座禅カレンダーを作ることにした。

  簡単な座布団としての曜日メモである。

  カレンダーに座布団の「座」の字を曜日ごとに書きこんで終わった。

  サーお勉強しよっと・・・

  舞も帰宅した。個室としてのマヤの扉を静かに開けた。

  気が付かないのだろうか。そのまま扉を閉じた。

  キッチンから、コップをだし冷蔵庫の冷たい水を口へ流した。

  ホーット、一息ついてまわりを何かしらうかがった。

  父の勇一は、座禅体験の話を友人から教えてもらった。・・・日常的に自然とふっくらの座禅体験の最近。

  っと言うわけで、友だちは勇一に押し付けたのではなかった。上手く日常化できている。背後からマヤが、今日はどうだったのっと様子を伺った。

  舞はニコニコ顔。今日はマヤは、座禅体験としての自然体でよかったのかも知れない。っと思いながらも心にしまった。

  マヤは・・・サー夕ご飯の準備しょーっと。流し台へ正面顔して水道のコックを

  ジャーした。

  樹と舞は、安心ポーズの帰宅日になったが、上手くいってるとお互いハグポーズした。

  夕飯の仕度ができたようだ。

  舞と樹へ軽く扉をノックした。ハーイわかったーの声。

  できたわよー。マヤはキッチンへ入った。

  テーブルには贅沢感しない最近のマヤのメニュー。

  舞が今日は忙しかったのよ。学校の体育科の先生がねー、ヨガ的な話をしていたの。

  しかも今日は、室内での体育時間だったの。

  色々いつも聞けない話で面白かったわ。

  マヤは、最初はご飯はグーね。後は自分でチョキパーよー。

  それから最近、連絡はないけど学生の進さんどうしてる。

  樹は知らないらしかった。

  舞はどうなの。お母さんが、以前病院を退院して以来さっぱり。

  そうなの。お父さんしってるかもと、舞はハグポーズした。

  樹は自分でご飯をチョキしてる。もう少しもらいますーと。

母のマヤが、仕事時間の合い間に部屋で座禅体験してる・・・ことへは気遣ってる舞と樹。

  樹ちゃん・・・お父さんからね。樹ちゃん、この間の座禅体験の話参加したいーって。

  そうよ! みんなと一緒にね。あっそう! お父さんがね、樹ちゃんだけは別な体験ツアーしたらどうかって話。舞がそれどういうこと。

  少し遅くなったけど、モダンバレエーさせたい話していたわ。

  お母さんも賛成。ほんと樹も賛成―っと万歳した。

  舞が 樹ちゃんはそのほうがいいわよ。まだまだ若いし先があるってことね。

  お父さん考えてるんだ。樹ちゃん、お母さんと研修体験交代しましょ。

  お母さんは、仕事はじめたけど座禅っていいわよ。お部屋思い切り、片付けていたの知ってる。知らなかった。大学生の進さんもそのほうが喜ぶんじゃない。

  樹は思わず・・・大笑いしてしまった。そーうなんだけどね。

  稲荷神社の鳥居へ、ハイタッチお願いした思いでが浮かんだのだった。

  もしかしたら、進さんも賛成してくれそうで大きく背伸びした。

  食事も終わり、樹は母の部屋を覗いて見たかったが、自分の部屋へ帰った。

  後は、勇一の帰宅を待つだけのマヤ。朝食の、添え物の準備をしてからソファーでくつろぐ。雑誌を、パラパラしていたら食材百選クッキングの場面が、目にとまった。

  「これからの時代と/簡単十選メタボ対策/バレリーナ推薦クッキング!」・・・

  ○○○クッキングスクール先生の、クッキング対談も読んだ。

  マヤとしては、何か不思議感を感じるのだった。

  しばらくして、勇一がピンポン・・・と帰宅した。

  大学生の進君と樹の話をした。勇一は別段驚きはしなかったので安心した。

  進の話題がでたことを、思い返していた勇一であった。

  マヤは今日は、勇一へはお酒は進めなかったが、コップにお水をおいて伺った。

  マヤも自分で、一口ふくんでゆっくりと流した。食事をしている勇一。

  居間には以前、退院祝いの写真が小さい額に飾ってある。みんなVサインのポーズでなごやかな表情だ。脇には、小さなテーブルにユリの花とコップがみえる。

  舞と樹の今後の将来への一本の道。

大学生の進はこれからは、樹というよりも舞の進学としての道。

勇一とマヤは居間でこれからの家族としての協調性を話あった。

  また、秋にはお寺座禅体験の予定が待っている・・・土曜日か日曜日の体験コースとし

  て。

                       大学生の進

 

A- 2⃣ 肯定ポッポ

 世間では一般的に、ポッポは平和の使者と伝承されてきている。

  過去としての現代社会など。さらに未来への伝承社会としてのポッポである。

  超音波に類似する、聴感能力を持って生まれたのは陸地の動物たちだけだろうか。

  たとえば、クジラやイルカの仲間たちには、IQ能力があることは知られている。

  海の話を始めたら、一回り大きく海洋学の学位者の大人や子ども。

漁師というよりは、海賊船の船長自身になった気分はどういうことだろうか。

  海洋こそ夢の世界である。私は海洋学の仲間ではない。山ん神子と川ん神子仲間だ。

  海ん神子は、海洋学者でもある漁師たち。頑張ってください・・・。

  今日、ある田舎街を軽トラックで走行していた。

  小さい車道であるが対向車は行き交っている。

  「右側のほうから左側へ一羽のハトが急接近してトラックのパンタグラフへぶつかりそうに思えて・・・ウワワァー~と思わず叫んだ」こんなことは初めてであった。

  思い返せばよくあることだ。走行している遠い前方を飛んでいたりする。

動物社会も、SDGs異変時代とは思いたくはない。私は野鳥協会会員ではない。

日本も多くの、ラムサール条約への参画の時代だ。

野鳥会の人たちは、それなりの社会活動家としてのポリシー者だろう。

以前何がしかで見たが「我がきた我が街・・・」という題名の試写会的なTVコマーシャルを覚えている。私も「我がきた我が街・・・」といえるタイトルが自分の田舎街が同感した。

一つの、参画という言葉としての「我がきた我が街ラムサール条約誘致協定・・・」言葉とは、一歩間違えれば協定破条になりえる。

  武蔵は舟の大きな漕ぎ棒を肩に背負っていたのだろうか。

  ここでの漕ぎ棒のたとえは、活動家といえる表現でないかも知れないが・・・時代仲間としてのポッポポッポ鳥たち。

  私たちの社会とは、そもそも実践者が利巧派の人。

  行動派でなかったら間違った共有者に思われて当然。

  今日の私としての、ポッポポッポ羽としては街の通行人かも知れない。

  でもあまり落胆する必要はないと思う。

  「我がきた我が街・・・ポッポポッポ」とは、長い時代を育てた当地の土のしたに深く深く流れている・・・深層水だ。天然ミネラルウォーターだ。

  大昔の通信手段は、街道を足で走る手紙の配達人や山伏の烽火・ほら貝・お寺の鐘の音とある。

  海上からの、五穀豊穣船に同乗の手紙の配達人たち。

  ポッポポッポ者は高級取りだっただろうか。

  どちらにしても、野山や山岳路を駆けることは大変な毎日。藁草履を、幾つか担いで走るのだ。

  今日のポッポポッポ者が、現代社会の飛行機ポストマン時代になっていた。

  だが大雨や台風・崖崩れにより、干支刻と九ツが大昔は変わっていた配達刻。 

  まだ電報局は、なくならないだろうが? 郵便局から電報は送信できる。

  祝電や弔電としての、働き感は重宝であるし人間関係を万国共通化させる。

  電報は爽やかさんでした。私たちの時代としての伝承者ポッポポッポ鳥たちの・・・ハー~・・・トさん。

 

 

                            

A- 3⃣ 独鈷剣(独鈷型:とっこがた)

沖へ浮かぶ船、海からの青い潮風が臭気を漂わせていた。

ここの漁場からは、そう遠くない距離にある漁村である。

  港は昔からの荷船が交易していたころを碑石文字がおしえている。

  当時を知るすべもない朽ちかけた碑石。

紀の国は、処暑の時期を過ぎ秋へ気候も変わる時期である。

  外洋へつながる海岸沿いは、昔から入り江が大小入り込んでいる。

  港も多くあり。

  大きい船などは、白浜の岬を大きく迂回して堺港方面へ行き交う。

  数多くの船主は、大判小判として漁や五穀豊穣米の荷役。

  っといっても天候による潮見を仕事として財をなしている。

  護岸は、大波に洗われて断崖の高い土地柄でもある。

  江田兼吉が、なぜか今日は威勢がよい。

  甲高い声で子供たちとはしゃいでいる。

  海苔の香りが、昔からの当時の朝市としての賑わいを覗かせる。

  胸もとぐらいまで積まれた波受けの石積み。

  降り口あたりから青い波が白く光る。

  繋いだ太い綱が、ピーンと張り止め石に巻きついて漁師船を域びいている。

  近くの子供たちは船着き場へは近づかない。一つの漁師街のしつけである。

日は、辰の刻一ツを過ぎて日が少しづつ昇る。

  兼吉の産みの親であるお亀が玄関口から呼ぶ声。

  子供たちは思わず・・・はしゃぎ手を落として散らばった。

  ああわかったと母方に返事した。隣の子供たちへじゃーまたねと帰った。

  父の助吉が今日は潮の満ちはどうだ・・・っと尋ねた。

  お父ー、べつに今日は潮の満ちは大丈夫じゃ。安心しゃい。

  お亀、ちょっと教えたりー。あたしから、いいんかい。

  お父―は、今日は漁サー出れんかったつよ。

  先月からの、漁疲れが溜まってしもーたらしゅーて。

  お亀が今日から、潮見の準備しといて漁へでれんかいのー。

  潮見を、お父っちゃんに聞いて学びんしゃい。一緒さー漁へいったこつは又べつじゃ。

  潮見間違いしとったら、帰って来れんからのー。

  漁経験者の、隣の安二郎さん一緒だと安心ばい。これから呼びにいってくれんかいの。

  よーうわかった、母さん。兼吉はさっそくいくことに同意した。

  だが兼吉は、納屋の奥でさがし物をしている。

  カカさん。ここらにたしか、独鈷剣あったのしらんけー。っという。

  むかしお亀は、漁師街へ嫁ぐことなった頃、お父からもらったのだという。

  そっだったのか・・・と多少安堵した。そうじゃー。

  お亀が、上げるけんに兼吉もっちょけという。不格好しとるのー。

  そう思わんとけ。

  それ持っちょったら、潮見は大丈夫じゃが。

  じゃ持ってでるのー。そうしんしゃい。

  さっそく兼吉は、右手に独鈷剣を握りしめた。

  隣の、八神安二郎さんとこへ飛び出していった。

  すでに、辰の刻の三ツをすで回っていた。ドンドン、ドンドン。

  お願いしもす。お願いしもっす。安二郎爺さんー。なんじゃなんじゃ。

  っといいながら、ちょっと待っとんなされと・・・。

  引き戸が開き、勘八の嫁であるお梅が顔を覗かせる。何か用ですか?

  安二郎さんへ、お願いがありまして御免ですが。      

  お梅の話によると・・・安二郎は、寅の刻の四ツに勘八と漁へでたという事だった。

  兼吉はわが家に帰った。子供たちは、表の空き地でワイワイ飛び跳ねていたが、後ろからついてくる。嫁のお亀さんがおらしたの。

  あのさー父―、明日への港の潮見を今日はしとくでーええかー。

  どういうこっじゃと助吉。安二郎さんらは当分帰ってこん。

  そっか、そういう事じゃったか。じゃー、今日は船の準備しとけ。網じゃー網。

  一緒に潮見もじゃ。まーここへ座っておくれと・・・。カカのお亀が、今日は新茶よっと湯呑を差し出した。

  子供たちは、父の助吉と祖母のお染に寄り添うのだった。

  曾祖父母の吉衛門とお染が、にこにこして、乾燥イカの炙りを囲炉裏にさしている。

  前歯が多少不ぞろいだが奥歯でしゃぶっている。

  江田吉衛門は、嘉永六年生まれであるから、千八百五十三年という事になるようだ。

  兼吉は、父の助吉が二十三の時に生まれた子である。

  黒く煤けた屋根裏の下がり天井から、囲炉裏へ黒色の細い段木が吊るされている。

  段木である鳥の喉仏に茶釜が上手く掛っている。

  茶釜口からは、シューンと息吹く湯気。

  曾祖父の吉衛門が、どうだ港の潮見わかるかという。

  わしもお父へ就いて、十三年ちこうなるでわかっちょるが。

  そっかわかっちょるか。それはそれとして、何だ腰へ差しちょる金ん棒は。

  これはお母からもろたんじゃー。納屋さーへ、しまってあったずら。

  こぐちが錆びとらんかそれ。錆びとる錆びとらんの問題じゃないんじゃ。

  カカーの旧家からの、もらい物っというとったがのー。

  じゃったら、お母から砥石貰って錆びを落とすこっだな今日は。

  今日から潮見じゃなかか・・・砥石とだ 。そんでよかー兼吉。

  よっしゃー!そうすっべー。

  じゃーお父ー自分で研ぐでー・・・そうじゃなー兼吉、今日の潮見はそいからじゃー。

  一漁師として、助吉から兼吉へ潮見のよい機会にもなったようだった。

  たしかお亀は、旧家の森家から持ってきたとたしかいっていた。

  多少気掛かりは、漁師に独鈷剣が必要かどうかを・・・助吉は考えていたが、まあーこれでよかろう。子の兼吉への護身としてであろう。

  兼吉が、港へ出向いてからは多少みんな安堵した。

  隣の八神安二郎は、子の勘八と寅の刻の四ツに漁にでたといっていた。

  帰ってきたら、今後同志としての出漁予定を話し合うことを考えている。

  助吉は当分、漁場網の修理へ回ってもらう予定にした。

  曾祖父の吉衛門は、お亀に八神勘八の嫁お梅を呼びに行かせた。

  しばらくしてお亀は帰ってきた。

  キヌの右脇から、まだ若いお梅があんじょどうですー助吉さんお体は。

  困った時はお互い様さー思うちょるが。潮目を見比べじゃー当分は。

  漁場の網修理でもせんといかんでやー。じゃがや、旦那の勘八どんと連れ添って何年や。

  あらー旦那は今日は、朝はようー親父さんと潮見へ漁でさっとるですが。

  キヌ親母さんにも毎朝ありがたいこっですがー。

  お陰でもー八年がたちましたが。

  そうか、うちの兼吉より二つ違いだったがのー。そうでした。

  キヌさーには、これから当分めんどかけちょー事なるがー。

  兼吉をよろしゅうー。こればっかしは、潮見のお天気さーだけじゃけんねー。

  帰れんこっなる潮見はまあーなかんが。

  帰りの港へ鯨のお化け乗り上げんでしょ。船はそう大きくないでしょうが。

  そっだなーと・・・みんな大笑いした。

  後で兼吉へも、よういっちょきかせとくけんが。

  キヌさん。うちの勘八には、親父が付いちょるが大丈夫とおもちょる。

  こればっかしは漁師の帰り潮見ですがねー。

  キヌさー、お梅さー囲炉裏でしゃぶりイカできとるが。食べんしゃい。

  日は巳の刻の一ツ。

  囲炉裏前の長椅子へキヌとお梅が向き合って座っている。

  色々と話しているが、囲炉裏の茶釜からは相変わらずシューンと巳の刻を誘う。

  ネコは、助吉に左膝の脇で頭をなぜられている。

  囲炉裏の炙りイカを貰いたいのだ。まだ時間的に午の刻は大夫早い。

  兼吉は、港の船の上で漁への片づけと波の音を読む。今日は天気はよいのだ。

  時期としての、潮見目と波音は日の上がる時間でかわる。

  空に浮かぶ月の位置もさがす。曾祖父の、吉衛門は御年七十九歳である。

  海にはでれないが、網の修理は夫婦で加勢するのだ。

  吉衛門が、助吉の脇にいるネコへ炙りイカの尻尾を、ポイッと投げた。

  喜んでかぶり着く様は、やはり動物そのものだ

  吉衛門はお亀に、今すぐ港サー走って早く帰って来いと兼吉に声掛けろ。

  あいわかった。港はそう遠くはない。

  港の周りには、防風林が石積みと同じく離れの家々を囲っている。

  大風の時期には、ひとたまりもないが知恵を絞って段差をつけてある。

  海ん神子としての、長年の潮見の漁師街は知見が湧いた造りになっている。

  潮見は生きている海の生き物たち・・・っと考えると潮見とは?

  塩と潮の揉み茶の大波のようだろう。吉衛門の、目の奥から潮目が光った。

  開放された入り口から、いい天気、いい天気じゃがーッと声がする。

  久しぶりですがっと、港の見回り役である山村五衛門が尋ねてきた。

  長年港の見回り役をしている。役人上がりで律儀な男である。

  たしか山村五衛門は、明治九年生まれで江田助吉と同年の五十六歳であった。

  頭には、西欧風の少し浅めの山高帽をかぶっている。

  右手には、一本の杖を先導させて玄関口で止まった。

  御免下さいと、いいながら左脇へ帽子を回して背中越しポーズの挨拶。

  兼吉の嫁お花がいつもお世話になっちょりますと。小声で近づいた・・・・・・今、港へ迎えにいっちょりますけんがお待ちを!