犬も歩けば棒に当たる・・・・・・人1
犬も歩けば棒に当たる・・・・・・人2
犬も歩けば棒に当たる・・・・・・人3
ながぁーい春の山やみじかぁーい春の山・・・
タイトル「今だと鼾」6
A- 1⃣ 十四日間の待機と武漢間違い
二千十九年十二月の今日の自身は夜間病院の診察室へむかうながい廊下。一枚の扉を右手で引いた・・・だが今日の自身はどうしてここに立って扉に手を当てているのだろう・・・・・・。今年の干支である戌年ものこり半月もない今日の日である。世間も、師走のいそがしさを感じている足のはこび。官庁の御用納めを、兼務していなくもないクリスマスイブだ。天皇誕生日としての祝日ではなくなった師走。来年は令和元年をむかえる親ガメと子ガメである。二十五日と二十七から二十八日のご婦人がたはATMコーナーへ引率しながらの親子ガメのようだ。犬たちも街角や広がる田園を軽トラックの左側座席からながめている。新しく迎える亥の年のバトンタッチとは犬たちとの広い田園風景が大きい棒や小さい棒のつかいかたを教えているのだろう。最近クリスマスイブごろは大きいケーキは購入しないでカットケーキ派へ移行した。今日は以前から片付けたいものを考えていた。片付けたいものとは・・・中古PCセットと駆動エレメントが壊れた草刈り釜二台を廃棄することだった。焦ることはなかったがお昼一時間まえに軽トラックへ積みこんで目的地へでかけた。今日は師走の二十七日である。明日はご用納めのニュース環境のふん囲気がTVと多少どうきした。現在、今日の自身は軽トラックの右座席で右手にハンドルをにぎっている。現在十一時十五分ごろだが前方へ十字路のしん号機は青である。青のまま直進・・・二つ山の手のS字道路ぞいの丘をこえて広域道から目的地へ到着した。軽トラックの荷台の廃棄者は無口である。とうぜんだろう間もなく廃材業者へ処分のうんめいがまっているのだから。廃棄うけ入れ業者の、女事務員をさがしてL型の階段をかけあがってノックしたが返事はない。失礼ながら右手で扉をひいて「ごめんください」と声をかけたが不在のようだ。階段をおりて軽トラックのつみにの中古PCと壊れた草刈り釜二台の無言者を仮置き場のわきへ降ろした。しばらく腰をすえていると広い置き場のわきから女事務員が無口でちかづいて来る。きづいた時は向って右側へしせんを向けていたが下向きのふぜいで「すみませんー」の声を発した。家をでるまえに女事務員とは電話ぐちではなしはしていたのだ。
何台か作業者が駐車場の隅っこにとまっているが他車は仕事場へ移動していて静かだ。女事務員から事務所へあんないされて、中へはいって処分代金をはらって階段をおりた。軽トラックのエンジンをかけて作業場出口を左へハンドルをすすめた。帰りながらとり引業者のことを考えていた。たしか一台の廃液専用トラックがはんたい側から社内へ帰ってきた気配がした? たしかにトラックの後姿はバキュウム車とも言えなくもなかった・・・廃液積載トラックだろう。いぜんどこかで見かけたことがなくもないが大きな広告が廃液車の後ろへ、広告がプリントアウトしてあった。広告のオーナーは近くに在住だがあくまで広告だろう。廃材業者の丸っこい大きな筒状の構造物は廃液塔だろうか。
まーいいだろう今日の自身は目的をはたせたのだから。明日からは師走のご用納めだが親ガメに子ガメの過積載ならないことを祈る日でもある。カメとは廃液車の広告のことがカメとなる。カメとは焼肉飯店での客引きのことだ。隣国ソウルフードやチャイナフードの東南アジアをイメージさせる言葉だ。今日の自身としても隣国間違いしていた・・・ではないが。アメリカへ移住者たちの一つの町(繁華街)と言えなくもない日本人町(繁華街)としても同じと言える「ソウルフード」は・・・実情としての人気スポットの印象は世界各国でもしられている、が。しかし「ソウルフード」とは世界で最後の「ベルリンの壁ソウル」の印象間違いでよいのだ。しかしソウルフードが「ベルリンの壁」とは何ぞや、と・・・どやされないとも限らない。食事事情は日常からたいせつだから「確かにどやされるだろう」アメリカ人嘘つかないとは、世界の中で敗戦後の日本が隣国へ「脚の脛へ飛び火病」となった。分断の国のかたちは残念なことだといえる隣国問題だ・・・日本の責任ではないが当時の冷戦国事情だろうと言える。
結果てきには広島や長崎が隣国へ間違った「鐘の音」と化身して轟いたと言える。ソウルフード言葉とは、海外へ渡航歴がなかったら反日感情派になっていたのかもしれない・・・と。
今日の自身の中古PCセットと駆動エレメントが壊れた草刈り釜二台の廃棄のたずね人として多少緊張した日だ。廃液車広告のソウルフードオナーの店がなぜに廃材業者の隣地へあったかである。帰りながら頭がもうろうとしてきた。
今日の自身の服装は十二月末としては多少・・・温暖な天候がわざわいして軽装間違いしていた。今時間としてTVは年越しのおせち料理としての大作戦UP番組だ。
戌から亥への紅白歌合戦者も一つのおせち料理のあつまりである。寄り道はしないで帰宅した。午後時間として、夕方ごろから急に体の節々が痛みはじめてきたのだ。普段より一枚重ね着をして布団を抱いて寝こんだ。咳がおく深くなって止まらなくなった。以前から今日の自身として「咳きこみ人」ではあった、が。
今年の真夏時間は「ガマの油切れ症」のはずもなかった。冬場として今時間の「ガマの油切れ症」ともおもえない。ではなんだ問題点は。今日の自身は廃材業者のせいにはしたくない、が。場内へ環境マスクを着用できなかったのだ。頭の中は明日のご用納め日時が先行していた。だが後の祭りである現在時間・・・布団を抱きうつぶせ状態になって咳きでわき腹をつつかれていた。こうなったら・・・お天道様がご笑覧された今日の自身が天命と言えなくもなかった。可の昔、一世を風びした曲「走れ走れコータロウ」の天国行き時間が漂う今日の自身。病院の扉をひこうと手をあてたままである・・・まだ病院へは行っていないのだ。寝こんだ布団の中で口もとへ手をあてて一枚の扉をひこうと咳きこんでいる状態と言えた。扉は鋼鉄のようにおもたい・・・いつの間にか携帯電話を手にもっていた。
一枚の鋼鉄の扉は携帯電話だった。履歴から病院をさがして・・・ルルルル・・・ルルルルとつながった相手は夜間病院警備員のようだ・・・うまく当直診療科の受診の了解をとれたのだ。カゼひきは立ち上がっていると咳はでないとはどういうことか。布団の中へよこになるとわき腹へ咳きこむので布団を強く抱いた。最長老者であったら咳きこみからは帰ってこれないだろう。祝いの正月に大福もちをのどへ詰まらせる話はいとまがない。呼吸困難はどちらも同じであるが咳きこみは・・・心の蔵へとさしこんだら天国である。こういう時は左右どちらかの手に鉄アレイを準備したい。
一枚の鋼鉄の扉は鉄アレイのようだった。鉄アレイでたすかるだろう。夜間病院はなんとか来院OKのですよと、了解。即入院のいでたちでそこらじゅうの洗面用具や携帯充電USBセットをバッグへなげこんだ。おおげさすぎるが海外旅行へいくのではなかった。病院行きの移動型スーツケースの準備のようだ。今日の自身には、熱帯魚水槽があるから・・・病院編の海外旅行者からは五泊六日分の水槽キャベジン食を四・五個投入必須である。であるが水槽の魚たちは・・・間違った病院編の海外旅行者とはきづかない。TAXIへ乗車して夜間受付へとうちゃくした。
鉄アレイとしての診察室の一枚の扉を透明にあけて「よろしくおねがいします」と合掌していた。看護師は見あたらなかったが丸型椅子へ座った。ドクターは大型パソコンをよこむきにのぞいていた。左側の椅子のわきへ夜間病院編の海外旅行バッグをしずかにおいた。目の前にいるドクターの診察室はここではなかった。外科医である。ここの診察室はたしか麻酔科の診察室のようである。
今日の自身は夜間病院の麻酔科の丸型椅子へ座っている。ドクターはへいせいであった。いぜんから外科の担当医であったなのだが夜間病院てきな会話でへいせいに診察はおわった。今日は夜間問診検査としての患者であった。だから今時間では投薬の話はない。診療注射などのかたちにはならなかったが「病は気から」としての帰宅である。立っていれば咳きこまない。畳によこへなれば続々と咳きこむとは? もちろん今日の自身は夜間TAXIで往復して午後二十二時四十五分にきたくした。病は気からの床へついたが、悪病神にとりつかれた朝方までの咳きこみ時間では安眠とはいかなかった。かなり体力が咳きこみで体外へ飛んだ。今夜は一夜泊まり覚悟(ガマの油切れ症)しての二十七日夕方から二十八日かけての師走カゼの様相になった・・・・・・。
官庁街のご用納め日と今年の出来高納めでもある。株価取引界や商工会青年部はくる年の亥の年へ初夢をご来光しているのだろう。合掌の手打ちは終了した。今日の自身は二十七日金曜日である。あす派の勤め人は社内のすすはらいと賀正としての干支の交代の松竹梅を祭壇へかざりきたくする。
今年としての戌の年国民へ「いいお正月を・・・大福もちの初夢」っと社の扉がカチッとスローモーションしてとじた。若い女性社員たちはお先に・・・っと、まとまって社の扉がガキュールルしてモーションカチッと初詣へとでかけてとじた。年越しの今日の自身は三十一日である。
立っていれば咳きこまずだから寝ないほうがよい。初詣にいけたらよかった。インフルエンザ患者なのかもしれないと口の中へふくんでいる。今日の自身としては市販薬局タイプの錠剤でもありがたい。病は気からだ。初夢はご来光の歌合戦のリハーサルでもよい。初夢はご来光の明け年の四日(土曜日)か明け年の六日(月曜日)ヘと休暇がながい年だ。まずは後者が飛び石ご来光となるのだ。それにしても飛び石の六日から十日目までも・・・ながいなぁー。
カゼ薬をだいじに錠剤二錠づつを服用した。ほとんどお買い得カゼ錠剤はのこり二個だ。すみっこにくるまったビニールのあいだにもう一個であと三個のこった。インフルエンザにかかったら・・・まず「病は気から」間違いになってはいけない。冬場がちかづいたら市販薬局品の準備はいる。ファミリーの中で確認がひつようだ。公的には年間のカリキュラムが設けられていて各家庭に秋ごろから予防接種予報の・・・メール便が届くからよい。
ワールド社会も防疫システム化されている時代であるのだ。初日の二十七日からの一夜泊まりだけが悪魔の明星者だった。夜間病院行きをけっこうするまでの四時間ほどが悪魔のガマの油切れの師走カゼとなってしまった。どう言うことか「ガマの油ぎれと節々の関節冷凍庫感」は体現したくない。そう遠くない江戸時代に街道筋にはガマの油屋の「上り街道・下り街道旗」が風にゆれていただろう。今日の自身としては、廃材業者へのでかけかたに問題解決のPointがあると言えた。「街道筋ご用納め上り下り旗」としてバキューム車広告が電線スズメしたかもしれない。
過去現在未来時代としてのルーツ・・・「マスクは昔から品切れ社会」ではなかったが手づくりだろう。マスク着用は現在年から仮期間二千三十年後までとなるのだろうか。過去形てきにはむかしから季節ごとのマスク社会ははじまっていた、が。未来二十二世紀と言える・・・遥か千年後が始まったのだSDGsチンパンジー社会として。今日の自身の性は「仮称:石仏の場所・・・地蔵」といえる、がの話。街道筋や田園筋にも「仮称:石仏の地蔵・・・場所」にまんじゅ沙華の花が咲く。寒冷地では肩に赤い袈裟をみる。二千二十年に干支が亥の年へかわりました。毎年の干支の交代者たちと共有の時代は昔からはじまっていた。今日の自身はながかった飛び石六日の月曜日であるからでかけた。
係りつけの病院(仮称:西医院)へ受診受付を完了した。口内や胸・背中の基本診断はおわった・・・後はしばらくの間、病院玄関ぐちのわきの一室で待機することになった。この時の待機とは、インフルエンザ隔離患者に思えたし覚悟した、が。
しばらくして、担当ドクターが待機室の鋼鉄の扉を開けてはいってきた。ドクターは無言でウイルス分離培養検査の処置を行うのだろうか・・・綿棒で口内から鼻孔(鼻孔から口内)へのつながりとして? の処置。鼻の中へ綿棒をいれて鼻壁のふき取り採取してもち帰った・・・。
患者としての検査結果は今日から四日後の一月十一日に病院でドクターから「陰性です」との一声で安堵した。であるから、今回の今日の自身として鋼鉄扉は大綱引きに思えた。
大綱とはおおきなドーム競技場だ。綱引きとはおおきな剣で獅子との対決だった。おおきなドーム競技場は病院だ。綱引きはドクターの首元へかけている聴診器としての剣と言える。と言うことで患者としては今日の自身が獅子に思える。
去る年としての戌の年ご用納めごろから七転び八起きして新年へ亥の年の初夢は「仮称:犬も歩けば棒に当たる年・・・亥の年(なぜ亥が十二支としては最後の・・・花より牡丹・・・一つ鏡餅を待てばチュウチュウーの役回り)」と古人は伝承している。日本での新型コロナウイルスの発表は二千二十年一月六日となっている、が・・・⁉ 時期を同じくして二千十九年師走、今日の自身としては・・・ながかったなぁーインフルエンザ診察日の待
機期間九日と陰性結果問診日十五日目は。
A- 2⃣ 日帰り旅行(肯定ポッポ)
今日の自身は、現在ここの街の喫茶室でアイスコーヒーをストローで一気に一口吸い込んだ。テーブルの向かいにいる長身のイケメン男児もおなじ動作をする。なにしろ店のそとは暑いのだ。ここの喫茶室をさがすのにけっこう街中の四ツ角信号機に顔を左右にウインクさせられた。今日の自身として喫茶店までの日帰り旅行はいますすっているアイス&愛スコーヒーが教えていそうだ。なにしろ車旅行事情としてはドライブインが必須なのだ。ドライブインのない旅行は問題外でもある。JAF高速道でも言える。ドライブとは多少違う傾向になるだろう。
メインドライバー者はジャンケンポンでいいようだが時前にジャンケン動作必須だ。運転手は「君だよ僕だ」の計画者はご注意は常識なのだ。今日の自身としては全国版・道州制版あとは県内版道路情報地図が右ハンドル助手席周囲にあるべきだ。それからもう一つは運転手席側のパンタグラフの隅っこへ夜行性蛍光色の遊泳磁石器をかんたん設置で走行することだ。
遊泳磁器とは「ゲゲゲの鬼太郎の女房の目の玉版だ」が車用専門店オートバックスや雑貨店でこうにゅしてもよい・・・適当に方向磁器の目の玉が遊泳背泳ぎしていれば「磁器女房」といえる。これは長距離てきドライブでは大切な「磁器女房」である。または、ブラックチューインガム運転代行者となりうる。かんたん設定で考えたら交代しながら運転手は「君だよ僕だ」などで車内での殴りあい間違いへならない魔法の「磁器女房必須」なのだ。磁器女房器から・・・おかわり二杯目アイス&愛スをすすっている。なにも食事をしないからトイレは心配ない。「ここの街の名は? 君の名は?」・・・南島原半島の北側の町だ。たしか地図上に本渡市とある・・・から「某監督作品」のロケーションの地とあいなる場所だ。上、下天草半島だからキリスタン殉教の地とある。
ここのミカンを一度食したがタンカンミカンの酸っぱさ感があった。まさか野生のミカンではあるまい。これから黙して先へいこう・・・っと店をでた。今日の自身が日帰りドライブ旅行のロケーション地が「磁器女房」として作品になるかである。監督は僕だ。正面にすわっているイケメン男児は無口人間かそれとも障害者としての・・・「唖(おし)」かだ。
イケメン男児は唖ではないが左右の手のどちらかに仮称:囲炉裏端でのブンブク茶釜宙返り猫友の傷痕のハンディキャップがあった。
こういうことは万人に一人と言えなくもない話。むかし医学者にMr Noguchiがいたと知る人はおおい。仮称:幼少期に猫友の囲炉裏端で吊るされた南部湯釜がひっくりかえり・・・幼少事故にあったのではないが・・・。
のちに医学博士へなった人だ。博士はハンディキャップの手を囲炉裏端の猫に噛まれたのではない。今日の自身のイケメン男児はどちらだろうか。博士になりえたのかも知れないが?。囲炉裏端の猫に噛まれたとの風評だ・・・むかし話としてそんなにお腹がすいていたのかである猫友。
今日の自身はときどきおおきなジャコに噛みつく猫友の顔だ。本渡市は風評として島の中核都市だ。街中の道路は囲碁板の路線が広がる感。囲碁板とは信号機が教えているから運転はスムーズだ。回り込んで天草五橋として背伸びして見えたのは天草瀬戸大橋だったようだ。天草五橋は瀬戸大橋を先へ渡らなくてならない。上天草市の方の島々が五橋だった。
架橋が完成してから約三十年ごに今日の自身は本渡市街の喫茶室へはいっていたことになる。だから目の前の瀬戸大橋を「天草五橋」と考えてもよいだろう。
現在出発してから約百二キロメートル地点を富岡半島(国道三百二十四号線)からまわってきた。下天草半島の旅をしている。今回は上天草半島へは進めないが、先ほどの天草瀬戸大橋を渡らなければならなかった。富岡城跡へ散策はできなかったがとおくに残像がうかぶ。乗車している車は軽自動車の通称名は箱ワゴン車と呼ばれている。六百六十CC車(仮称改造:七百七十CC車体)だ。改造とはインタークーラー馬力車である。走行距離限界は〇〇〇距離? 「矢崎のアロッコメーター」をタコメーターとした顔立ち。ミネラルウォーター馬力ではないが車専用ミネラルウォーター液を搭載しての話だ。
車君も美味しい専用ミネラルウォーターを必要としている時代なのだ。今日の自身は観光バスガイドではないがあえて男ガイド気分である。となりの、磁器女房をみながら運転しているとは、左座席のイケメン男児はしらない。左右ハンドル車時代だが日本車の右ハンドル車である。左座席へ仮称Mr Noguchi博士が便乗されているからきん張気味でもある。
一つ目のいぜんとは霧島国立公園域へ行った。左座席へ仮称Mr Noguchi博士猫友と便乗の旅だった。途中休憩は廃校跡(ここではあえて:富岡城跡?)でおりて一腹した。うっかりワゴン移動ドアをあけてしまったので猫君(Mr Noguchi博士)が廃校の床下へもぐりこんでしまったのだ。しかし猫友は頭がよかった。猫君(仮称名:ユル・ブリンナー)っと叫んだらヘッド低くして床下のいた張りからかえってきた。
どう言うことだろう。ヘッドを低くしてとは?・・・すこし考えてみた。一つは移動ドアからの飛びだしかた。二つ目は今日の自身の声色のコイコイ。三つ目は廃校跡の床下へ当時の子供たちがいたのかも知れない。先生に引率されて。猫君の叫びとが反覆した音叉音と言えなくもない。Mr Noguchi博士への叫び。
今日の自身の下天草半島日帰りドライブは軽自動車であることは間違いはなかった。往復走行距離が二百キロ圏内であればよいのだ。二つ目は薩摩半島の枕崎方面へ計画をたてたが・・・笠沙町までだ。吹上浜の先に大浦干拓がある。小岳山の下の堀ノ山あたりまでまわった。高く高く港が望めるあたりの無人の畑でシャガンダ?・・・通称として猫トイレだ
。帰る方向にながい吹上浜が一本の弓色の弧をえがいていた。でも多少走りすぎのようだ。吹上浜の背中が鹿児島シティーである。
そんなに遠くないがおお昔から海水浴へきていたのだ。裏道国道としてはお往復約二百十キロになった。ここの野間半島あたりの秋目浜ちかくへその昔、鑑真和上やキリストでん道者の難破船が港へ座礁とある。台風は昔から曾祖父から祖父母・親子・孫・ひ孫へと伝承されてはいない天災だ。その年ごとに春さきごろから海域の潮の子と太陽の子がいく成者間違いをする台風。仏教やキリストでん道者も潮の子・太陽の子と言える。
難破した港の浜で草履やブーツを新たにして・・・ツールやルーツさがしに秘伝の山野草をもとめて上陸したとある。これらの難破船たちを考えながら吹上浜の沿線路で帰途についた。ここでの今日の自身も軽箱ワゴン車だった、が・・・。もとに戻ろう。
いま下天草半島を同じく軽箱ワゴンで走行中だ。このワゴン車のバンパーには可愛い丸形ポールがくっついている。なにを教えているのか?・・・。道路沿いのラーメン店のぼり旗をみながら通過する。下車したいがトイレ時だけでよいのだ今日は。隣にいるイケメン男児も同じだろう。
考えたらイケメン男児はなぜ無口か「聾唖者とは・・・仮称だ」今日の自身も無口派なのだがの話。軽箱ワゴン車のパワーとは・・・仮称七百七十CCとしてのプラスかマイナスの百十CCミッション車を座席で体現中としておこう。ハンドルは「君だけに僕だけに・・・歌・歌・歌」だ。それを知っているのが「座席女房」だ。
いいよー座席女房は。さー走れー軽箱ワゴンさんとMr Noguchi博士。走りながら富岡城跡の散策できなかったことを考えていなくもない。多少遠すぎる半島だが橋ではない江の島だ。富岡半島を仮想して稲荷の境内で心の合掌していた。国道二百六十六号線を下りながら牛深フェリー乗り場へむかっている。
どこかで軽食しないかぎり・・・スイスイ走行約三十四から三十キロへと牛深ループ橋がちかづく。ループ橋を一周して市街で軽食をすませた。ここまで到着したらトイレ事情はあんしんだ。ドライブはトイレ事情になっている。
近年と言える平成時代のこどもたちは「戦争を知らない子供たち」だが「道の駅知ってる子供たち」だったのだ。今日の自身もおおきなくちを開いて言えない。昔話てきにはペーパードライバー派なのだから! この箱ワゴン車バンパーには可愛い丸形ポールがくっついているがなにを教えているのだろう・・・。
今日の自身の軽箱ワゴン車はべつの感性で言えば・・・初心者マークの二十歳以降の「郷士としての内之浦氏か種子島氏からの日本宇宙計画発射試験場」と言えた。ながかった「Hope40号車」・・・。
A- 3⃣ 夢の中で(独鈷剣)
ここは広く太平洋側を望むあたり遠州灘の海。黒潮の北上のむかいには上総・下総半島がかすかに海上にうかぶび目の前にせまる伊豆の国。おおきな波間に高い明峰がせまればお腹がすくから心のよくぼうを誘う。可の万葉歌人たちがよんだ明峰だ。晩秋にかたむくころにはうっすら九合目あたりまで初雪がのぞめるのだ。
伊豆の国から北へ美宇羅半島。旭日は東からのぼりわが故郷の紀の国の西へとしずむのだ。点と線でむすべば東西の船の海里もここらあたりではみじかい。今回の漁は多少とおくなったが漁船も三倍ちかくおおきいから夢追い酒きぶんである。海かぜが船の帆を押せばしぜんとまわりから漁師中間のいせいのいい潮見お囃子もでてくるのだ。
漁師唄のことだ、が・・・大漁ばたとしての船主とのかけあいお囃子はよい。
「日は東の顔かー・・・いやー北国の親潮顔だホーイノホイホイ。漁師はてぬぐい鉢巻きあみを引くー・・・日が西顔してしずむころにゃー豊漁の稚魚は海へかえしてねーむるー・・・船は風が船主ー帆をあやしー・・・日が東から顔をだすころにがした稚魚もおおきくなって大漁ばたホーイノホイホイ」一夜あけて船は紀の国へ黒潮をへさ先で波をさしながらすすむ。
やや右方へちいさくなっていく富士の山岳。交代で潮見かぜをよみ帆舵をあやすのだ。あやすとは赤子ではなかった。帆舵を・・・あやす。漁師たちの好天あら波や雨天あら波とは海の神とお天と様しだいと言える。天災の台風や冬場の漁はあまりいい商売とは言えなくもない。大漁ばたとしては魚たちが船主長老者だろう。舟歌をお囃子しなかったら海の神であるかん定奉行も大あくびだろうから漁師ならでわのこころ意気だ。おおきな潮見の海かぜがゴーゴーゴーっと叫んでいる・・・漁師たちは帰途の船上だからいそぐことはない。
一区画の船底には魚がおよいでいるからこの船だけは高級料亭の品と言えた。船大工も考えに考えた生けす漁船だった。当然なのだがとうじの保存法はかぎられていた。豊漁したらちかくの港へ荷揚げは必須だ。
魚の大目が白くにごるはご法度だから新鮮度のイメージ時間はまてない。船底でおよいでいる大漁ばたとは? さきほど右方へちいさくなった富士の山岳が知っている・・・。船底や海底からの・・・叫びは黒潮の街道のさけめからなのだが時代の漁師たちも知りえただろうか。現代てきに考えたら・・・日本海溝が海の河となる。
現代人は魚群たんち機と言えるものを考案していた。心配はいらないがむかしの時代は魚たちがちかくまで顔をのぞかせていた。海中の魚のほうが大漁ばたかんり人だった。その年の時期がくると「大漁ばたとしてのニシンが浜におしよせるのだだった」その当時に生まれていたらよかったか・・・その時代の育成者へたずねたい。
海として「黒潮と親潮」のどちらも魚たちの育成者と言える。旭日の国(日本)としては現代より二世紀いぜんごろから海洋漁場としての海外の発展時代へのりだしたようだ。貿易船ルートとしての商船化でもありうる。時代の「ウワサ話」は万里するとあるから船主は漁師だけではない。
船主には商人たちもいるからウワサ話のひろまり方は・・・船問屋とも言える異国の品々だ。ふところに五つ玉のさん術刀をしのばせているのだ。歌〇伎〇居船一隻や二隻ダンチョネ勘定の「〇舞〇芝〇」がうまい。かけ売り漁師や青果市場なども同じだ。今日の自身もかけ売り台で値札手話ポーズ売り子を経験したいものだ。
『大正時代末期に能登・富山湾の五穀豊穣米を時代背景にした騒動がおきたらしい。
そのとうじは関東大震災や日本の南の端の大隅半島は草木の雲にふかれて大噴火がおきた。桜島のマグマだまりが大隅半島に乗り上げて「握手喝采をなした」のだ。これらのできごとを時の偉人である「南洲西郷翁」は「よくはなしモンソと大舞台で・・・敬天愛人と立礼されていると思いたい」南洋の種子島や屋久島・奄美大島は昔から日本国のこゆうの島』・・・なのだと。
漁船は現在は伊勢湾沖を通過中だ。ここからは富士の山岳はもうみえない。大海原からは好天にめぐまれて南アルプスの山々がみえる。向かう故郷のわが港はまじかだ。黒潮の波音が船底の魚たちに話しかける。「お帰りホーイノホイホイ・・・船の潮水いれかえせんば。お帰りホーイノホイホイ」っと。黒潮や親潮もいきているからお囃子をしたいだろう。鳥羽の岬(大王崎)や熊野灘沖から北へ八経ヶ岳や仏性ヶ岳・日置山が浮かんでいた。漁師仲間たちと沖から無事帰国を船上から山主の神へ合掌した。漁師全員くちもとが八の字にあがって笑っている。
漁師は海の神から山の神へ「大事な金の玉」を荷下ろし人生なのだ。この船の漁師は漁師なかまとして義兄弟になりえている。お国の港が波間に浮かんだ。ダンチョネお囃子唄を漁師たちは唄いはじめた。「旭日は東の顔かー・・・いやー北国の親潮顔だホーイノホイホイ。漁師はてぬぐい鉢巻きあみを引くー・・・日が西顔してしずむころにゃー豊漁の稚魚は海へかえしてねーむるー・・・船は風が船主ー帆をあやしー・・・旭日が東から顔をだすころ・・・にがした稚魚もおおきくなって大漁ばたホーイノホイホイ」・・・魚たちは港へあがった。
「サーサー今朝あがったばかりだ・・・サンマの点棒焼きたてご賞味してサー買っておくれ・・・おくれ買ってサーサー」競り子の親が・・・頭に鉢巻き形の買い子方として調子語だ。親と子は魚たちとしてのダンチョネ手話ポーズでライライ・ライライのオーライの買い手一本指成功者の後ろに江田助吉とお亀の姿があった。