55satuma-ishiのブログ

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犬も歩けばミニ宝くじ箱に当たるミンミンゼミブロ。

ひらめき電球

     

    犬も歩けば棒に当たる・・・・・・人1音譜

 

  

 犬も歩けば棒に当たる・・・・・・人2音譜

 

    

 犬も歩けば棒に当たる・・・・・・人3音譜

 

    

  目 ながぁーい春の山やみじかぁーい春の山・・・あし

 

タイトル「今だと鼾」6

A- 1⃣ 十四日間の待機と武漢間違い                              

二千十九年十二月の今日の自身は夜間病院の診察室へむかうながい廊下。一枚の扉を右手で引いた・・・だが今日の自身はどうしてここに立って扉に手を当てているのだろう・・・・・・今年の干支である戌年ものこり半月もない今日の日である。世間も、師走のいそがしさを感じている足のはこび。官庁の御用納めを、兼務していなくもないクリスマスイブだ。天皇誕生日としての祝日ではなくなった師走。来年は令和元年をむかえる親ガメと子ガメである。二十五日と二十七から二十八日のご婦人がたはATMコーナーへ引率しながらの親子ガメのようだ。犬たちも街角や広がる田園を軽トラックの左側座席からながめている。新しく迎える亥の年のバトンタッチとは犬たちとの広い田園風景が大きい棒や小さい棒のつかいかたを教えているのだろう。最近クリスマスイブごろは大きいケーキは購入しないでカットケーキ派へ移行した。今日は以前から片付けたいものを考えていた。片付けたいものとは・・・中古PCセットと駆動エレメントが壊れた草刈り釜二台を廃棄することだった。焦ることはなかったがお昼一時間まえに軽トラックへ積みこんで目的地へでかけた。今日は師走の二十七日である。明日はご用納めのニュース環境のふん囲気がTVと多少どうきした。現在、今日の自身は軽トラックの右座席で右手にハンドルをにぎっている。現在十一時十五分ごろだが前方へ十字路のしん号機は青である。青のまま直進・・・二つ山の手のS字道路ぞいの丘をこえて広域道から目的地へ到着した。軽トラックの荷台の廃棄者は無口である。とうぜんだろう間もなく廃材業者へ処分のうんめいがまっているのだから。廃棄うけ入れ業者の、女事務員をさがしてL型の階段をかけあがってノックしたが返事はない。失礼ながら右手で扉をひいて「ごめんください」と声をかけたが不在のようだ。階段をおりて軽トラックのつみにの中古PCと壊れた草刈り釜二台の無言者を仮置き場のわきへ降ろした。しばらく腰をすえていると広い置き場のわきから女事務員が無口でちかづいて来る。きづいた時は向って右側へしせんを向けていたが下向きのふぜいで「すみませんー」の声を発した。家をでるまえに女事務員とは電話ぐちではなしはしていたのだ。

何台か作業者が駐車場の隅っこにとまっているが他車は仕事場へ移動していて静かだ。女事務員から事務所へあんないされて、中へはいって処分代金をはらって階段をおりた。軽トラックのエンジンをかけて作業場出口を左へハンドルをすすめた。帰りながらとり引業者のことを考えていた。たしか一台の廃液専用トラックがはんたい側から社内へ帰ってきた気配がした? たしかにトラックの後姿はバキュウム車とも言えなくもなかった・・・廃液積載トラックだろう。いぜんどこかで見かけたことがなくもないが大きな広告が廃液車の後ろへ、広告がプリントアウトしてあった。広告のオーナーは近くに在住だがあくまで広告だろう。廃材業者の丸っこい大きな筒状の構造物は廃液塔だろうか。

まーいいだろう今日の自身は目的をはたせたのだから。明日からは師走のご用納めだが親ガメに子ガメの過積載ならないことを祈る日でもある。カメとは廃液車の広告のことがカメとなる。カメとは焼肉飯店での客引きのことだ。隣国ソウルフードやチャイナフードの東南アジアをイメージさせる言葉だ。今日の自身としても隣国間違いしていた・・・ではないが。アメリカへ移住者たちの一つの町(繁華街)と言えなくもない日本人町(繁華街)としても同じと言える「ソウルフード」は・・・実情としての人気スポットの印象は世界各国でもしられている、が。しかし「ソウルフード」とは世界で最後の「ベルリンの壁ソウル」の印象間違いでよいのだ。しかしソウルフードが「ベルリンの壁」とは何ぞや、と・・・どやされないとも限らない。食事事情は日常からたいせつだから「確かにどやされるだろう」アメリカ人嘘つかないとは、世界の中で敗戦後の日本が隣国へ「脚の脛へ飛び火病」となった。分断の国のかたちは残念なことだといえる隣国問題だ・・・日本の責任ではないが当時の冷戦国事情だろうと言える。

結果てきには広島や長崎が隣国へ間違った「鐘の音」と化身して轟いたと言える。ソウルフード言葉とは、海外へ渡航歴がなかったら反日感情派になっていたのかもしれない・・・と。

今日の自身の中古PCセットと駆動エレメントが壊れた草刈り釜二台の廃棄のたずね人として多少緊張した日だ。廃液車広告のソウルフードオナーの店がなぜに廃材業者の隣地へあったかである。帰りながら頭がもうろうとしてきた。

今日の自身の服装は十二月末としては多少・・・温暖な天候がわざわいして軽装間違いしていた。今時間としてTVは年越しのおせち料理としての大作戦UP番組だ。

戌から亥への紅白歌合戦者も一つのおせち料理のあつまりである。寄り道はしないで帰宅した。午後時間として、夕方ごろから急に体の節々が痛みはじめてきたのだ。普段より一枚重ね着をして布団を抱いて寝こんだ。咳がおく深くなって止まらなくなった。以前から今日の自身として「咳きこみ人」ではあった、が。

今年の真夏時間は「ガマの油切れ症」のはずもなかった。冬場として今時間の「ガマの油切れ症」ともおもえない。ではなんだ問題点は。今日の自身は廃材業者のせいにはしたくない、が。場内へ環境マスクを着用できなかったのだ。頭の中は明日のご用納め日時が先行していた。だが後の祭りである現在時間・・・布団を抱きうつぶせ状態になって咳きでわき腹をつつかれていた。こうなったら・・・お天道様がご笑覧された今日の自身が天命と言えなくもなかった。可の昔、一世を風びした曲「走れ走れコータロウ」の天国行き時間が漂う今日の自身。病院の扉をひこうと手をあてたままである・・・まだ病院へは行っていないのだ。寝こんだ布団の中で口もとへ手をあてて一枚の扉をひこうと咳きこんでいる状態と言えた。扉は鋼鉄のようにおもたい・・・いつの間にか携帯電話を手にもっていた。

一枚の鋼鉄の扉は携帯電話だった。履歴から病院をさがして・・・ルルルル・・・ルルルルとつながった相手は夜間病院警備員のようだ・・・うまく当直診療科の受診の了解をとれたのだ。カゼひきは立ち上がっていると咳はでないとはどういうことか。布団の中へよこになるとわき腹へ咳きこむので布団を強く抱いた。最長老者であったら咳きこみからは帰ってこれないだろう。祝いの正月に大福もちをのどへ詰まらせる話はいとまがない。呼吸困難はどちらも同じであるが咳きこみは・・・心の蔵へとさしこんだら天国である。こういう時は左右どちらかの手に鉄アレイを準備したい。

一枚の鋼鉄の扉は鉄アレイのようだった。鉄アレイでたすかるだろう。夜間病院はなんとか来院OKのですよと、了解。即入院のいでたちでそこらじゅうの洗面用具や携帯充電USBセットをバッグへなげこんだ。おおげさすぎるが海外旅行へいくのではなかった。病院行きの移動型スーツケースの準備のようだ。今日の自身には、熱帯魚水槽があるから・・・病院編の海外旅行者からは五泊六日分の水槽キャベジン食を四・五個投入必須である。であるが水槽の魚たちは・・・間違った病院編の海外旅行者とはきづかない。TAXIへ乗車して夜間受付へとうちゃくした。

鉄アレイとしての診察室の一枚の扉を透明にあけて「よろしくおねがいします」と合掌していた。看護師は見あたらなかったが丸型椅子へ座った。ドクターは大型パソコンをよこむきにのぞいていた。左側の椅子のわきへ夜間病院編の海外旅行バッグをしずかにおいた。目の前にいるドクターの診察室はここではなかった。外科医である。ここの診察室はたしか麻酔科の診察室のようである。

今日の自身は夜間病院の麻酔科の丸型椅子へ座っている。ドクターはへいせいであった。いぜんから外科の担当医であったなのだが夜間病院てきな会話でへいせいに診察はおわった。今日は夜間問診検査としての患者であった。だから今時間では投薬の話はない。診療注射などのかたちにはならなかったが「病は気から」としての帰宅である。立っていれば咳きこまない。畳によこへなれば続々と咳きこむとは? もちろん今日の自身は夜間TAXIで往復して午後二十二時四十五分にきたくした。病は気からの床へついたが、悪病神にとりつかれた朝方までの咳きこみ時間では安眠とはいかなかった。かなり体力が咳きこみで体外へ飛んだ。今夜は一夜泊まり覚悟(ガマの油切れ症)しての二十七日夕方から二十八日かけての師走カゼの様相になった・・・・・・。

官庁街のご用納め日と今年の出来高納めでもある。株価取引界や商工会青年部はくる年の亥の年へ初夢をご来光しているだろう。合掌の手打ちは終了した。今日の自身は二十七日金曜日である。あす派の勤め人は社内のすすはらいと賀正としての干支の交代の松竹梅を祭壇へかざりきたくする。

今年としての戌の年国民へ「いいお正月を・・・大福もちの初夢」っと社の扉がカチッとスローモーションしてとじた。若い女性社員たちはお先に・・・っと、まとまって社の扉がガキュールルしてモーションカチッと初詣へとでかけてとじた。年越しの今日の自身は三十一日である。

立っていれば咳きこまずだから寝ないほうがよい。初詣にいけたらよかった。インフルエンザ患者なのかもしれないと口の中へふくんでいる。今日の自身としては市販薬局タイプの錠剤でもありがたい。病は気からだ。初夢はご来光の歌合戦のリハーサルでもよい。初夢はご来光の明け年の四日(土曜日)か明け年の六日(月曜日)ヘと休暇がながい年だ。まずは後者が飛び石ご来光となるのだ。それにしても飛び石の六日から十日目までも・・・ながいなぁー。

カゼ薬をだいじに錠剤二錠づつを服用した。ほとんどお買い得カゼ錠剤はのこり二個だ。すみっこにくるまったビニールのあいだにもう一個であと三個のこった。インフルエンザにかかったら・・・まず「病は気から」間違いになってはいけない。冬場がちかづいたら市販薬局品の準備はいる。ファミリーの中で確認がひつようだ。公的には年間のカリキュラム設けられていて各家庭に秋ごろから予防接種予報の・・・メール便が届くからよい。

ワールド社会も防疫システム化されている時代であるのだ。初日の二十七日からの一夜泊まりだけが悪魔の明星者だった。夜間病院行きをけっこうするまでの四時間ほどが悪魔のガマの油切れの師走カゼとなってしまった。どう言うことか「ガマの油ぎれと節々の関節冷凍庫感」は体現したくない。そう遠くない江戸時代に街道筋にはガマの油屋の「上り街道・下り街道旗」が風にゆれていただろう。今日の自身としては、廃材業者へのでかけかたに問題解決のPointがあると言えた。「街道筋ご用納め上り下り旗」としてバキューム車広告が電線スズメしたかもしれない。

過去現在未来時代としてのルーツ・・・「マスクは昔から品切れ社会」ではなかったが手づくりだろう。マスク着用は現在年から仮期間二千三十年後までとなるのだろうか。過去形てきにはむかしから季節ごとのマスク社会ははじまっていた、が。未来二十二世紀と言える・・・遥か千年後が始まったのだSDGsチンパンジー社会として。今日の自身の性は「仮称:石仏の場所・・・地蔵」といえる、がの話。街道筋や田園筋にも「仮称:石仏の地蔵・・・場所」にまんじゅ沙華の花が咲く。寒冷地では肩に赤い袈裟をみる。二千二十年に干支が亥の年へかわりました。毎年の干支の交代者たちと共有の時代は昔からはじまっていた。今日の自身はながかった飛び石六日の月曜日であるからでかけた。

係りつけの病院(仮称:西医院)へ受診受付を完了した。口内や胸・背中の基本診断はおわった・・・後はしばらくの間、病院玄関ぐちのわきの一室で待機することになった。この時の待機とは、インフルエンザ隔離患者に思えたし覚悟した、が。

しばらくして、担当ドクターが待機室の鋼鉄の扉を開けてはいってきた。ドクターは無言でウイルス分離培養検査の処置を行うのだろうか・・・綿棒で口内から鼻孔(鼻孔から口内)へのつながりとして? の処置。鼻の中へ綿棒をいれて鼻壁のふき取り採取してもち帰った・・・。

患者としての検査結果は今日から四日後の一月十一日に病院でドクターから「陰性です」との一声で安堵した。であるから、今回の今日の自身として鋼鉄扉は大綱引きに思えた。

大綱とはおおきなドーム競技場だ。綱引きとはおおきな剣で獅子との対決だった。おおきなドーム競技場は病院だ。綱引きはドクターの首元へかけている聴診器としての剣と言える。と言うことで患者としては今日の自身が獅子に思える。

去る年としての戌の年ご用納めごろから七転び八起きして新年へ亥の年の初夢は「仮称:犬も歩けば棒に当たる年・・・亥の年(なぜ亥が十二支としては最後の・・・花より牡丹・・・一つ鏡餅を待てばチュウチュウーの役回り)」と古人は伝承している。日本での新型コロナウイルスの発表は二千二十年一月六日となっている、が・・・⁉ 時期を同じくして二千十九年師走、今日の自身としては・・・ながかったなぁーインフルエンザ診察日の待

機期間九日と陰性結果問診日十五日目は。 

 

 

A- 2⃣ 日帰り旅行(肯定ポッポ)                      

今日の自身は、現在ここの街の喫茶室でアイスコーヒーをストローで一気に一口吸い込んだ。テーブルの向かいにいる長身のイケメン男児もおなじ動作をする。なにしろ店のそとは暑いのだ。ここの喫茶室をさがすのにけっこう街中の四ツ角信号機に顔を左右にウインクさせられた。今日の自身として喫茶店までの日帰り旅行はいますすっているアイス&愛スコーヒーが教えていそうだ。なにしろ車旅行事情としてはドライブインが必須なのだ。ドライブインのない旅行は問題外でもある。JAF高速道でも言える。ドライブとは多少違う傾向になるだろう。

メインドライバー者はジャンケンポンでいいようだが時前にジャンケン動作必須だ。運転手は「君だよ僕だ」の計画者はご注意は常識なのだ。今日の自身としては全国版・道州制版あとは県内版道路情報地図が右ハンドル助手席周囲にあるべきだ。それからもう一つは運転手席側のパンタグラフの隅っこへ夜行性蛍光色の遊泳磁石器をかんたん設置で走行することだ。

遊泳磁器とは「ゲゲゲの鬼太郎の女房の目の玉版だ」が車用専門店オートバックスや雑貨店でこうにゅしてもよい・・・適当に方向磁器の目の玉が遊泳背泳ぎしていれば「磁器女房」といえる。これは長距離てきドライブでは大切な「磁器女房」である。または、ブラックチューインガム運転代行者となりうる。かんたん設定で考えたら交代しながら運転手は「君だよ僕だ」などで車内での殴りあい間違いへならない魔法の「磁器女房必須」なのだ。磁器女房器から・・・おかわり二杯目アイス&愛スをすすっている。なにも食事をしないからトイレは心配ない。「ここの街の名は? 君の名は?」・・・南島原半島の北側の町だ。たしか地図上に本渡市とある・・・から「某監督作品」のロケーションの地とあいなる場所だ。上、下天草半島だからキリスタン殉教の地とある。

ここのミカンを一度食したがタンカンミカンの酸っぱさ感があった。まさか野生のミカンではあるまい。これから黙して先へいこう・・・っと店をでた。今日の自身が日帰りドライブ旅行のロケーション地が「磁器女房」として作品になるかである。監督は僕だ。正面にすわっているイケメン男児は無口人間かそれとも障害者としての・・・「唖(おし)」かだ。

イケメン男児は唖ではないが左右の手のどちらかに仮称:囲炉裏端でのブンブク茶釜宙返り猫友の傷痕のハンディキャップがあった。

こういうことは万人に一人と言えなくもない話。むかし医学者にMr Noguchiがいたと知る人はおおい。仮称:幼少期に猫友の囲炉裏端で吊るされた南部湯釜がひっくりかえり・・・幼少事故にあったのではないが・・・。

のちに医学博士へなった人だ。博士はハンディキャップの手を囲炉裏端の猫に噛まれたのではない。今日の自身のイケメン男児はどちらだろうか。博士になりえたのかも知れないが?。囲炉裏端の猫に噛まれたとの風評だ・・・むかし話としてそんなにお腹がすいていたのかである猫友。

今日の自身はときどきおおきなジャコに噛みつく猫友の顔だ。本渡市は風評として島の中核都市だ。街中の道路は囲碁板の路線が広がる感。囲碁板とは信号機が教えているから運転はスムーズだ。回り込んで天草五橋として背伸びして見えたのは天草瀬戸大橋だったようだ。天草五橋は瀬戸大橋を先へ渡らなくてならない。上天草市の方の島々が五橋だった。

架橋が完成してから約三十年ごに今日の自身は本渡市街の喫茶室へはいっていたことになる。だから目の前の瀬戸大橋を「天草五橋」と考えてもよいだろう。

現在出発してから約百二キロメートル地点を富岡半島(国道三百二十四号線)からまわってきた。下天草半島の旅をしている。今回は上天草半島へは進めないが、先ほどの天草瀬戸大橋を渡らなければならなかった。富岡城跡へ散策はできなかったがとおくに残像がうかぶ。乗車している車は軽自動車の通称名は箱ワゴン車と呼ばれている。六百六十CC車(仮称改造:七百七十CC車体)だ。改造とはインタークーラー馬力車である。走行距離限界は〇〇〇距離? 「矢崎のアロッコメーター」をタコメーターとした顔立ち。ミネラルウォーター馬力ではないが車専用ミネラルウォーター液を搭載しての話だ。

車君も美味しい専用ミネラルウォーターを必要としている時代なのだ。今日の自身は観光バスガイドではないがあえて男ガイド気分である。となりの、磁器女房をみながら運転しているとは、左座席のイケメン男児はしらない。左右ハンドル車時代だが日本車の右ハンドル車である。左座席へ仮称Mr Noguchi博士が便乗されているからきん張気味でもある。

一つ目のいぜんとは霧島国立公園域へ行った。左座席へ仮称Mr Noguchi博士猫友と便乗の旅だった。途中休憩は廃校跡(ここではあえて:富岡城跡?)でおりて一腹した。うっかりワゴン移動ドアをあけてしまったので猫君(Mr Noguchi博士)が廃校の床下へもぐりこんでしまったのだ。しかし猫友は頭がよかった。猫君(仮称名:ユル・ブリンナー)っと叫んだらヘッド低くして床下のいた張りからかえってきた。

どう言うことだろう。ヘッドを低くしてとは?・・・すこし考えてみた。一つは移動ドアからの飛びだしかた。二つ目は今日の自身の声色のコイコイ。三つ目は廃校跡の床下へ当時の子供たちがいたのかも知れない。先生に引率されて。猫君の叫びとが反覆した音叉音と言えなくもない。Mr Noguchi博士への叫び。

今日の自身の下天草半島日帰りドライブは軽自動車であることは間違いはなかった。往復走行距離が二百キロ圏内であればよいのだ。二つ目は薩摩半島の枕崎方面へ計画をたてたが・・・笠沙町までだ。吹上浜の先に大浦干拓がある。小岳山の下の堀ノ山あたりまでまわった。高く高く港が望めるあたりの無人の畑でシャガンダ?・・・通称として猫トイレだ

。帰る方向にながい吹上浜が一本の弓色の弧をえがいていた。でも多少走りすぎのようだ。吹上浜の背中が鹿児島シティーである。

そんなに遠くないがおお昔から海水浴へきていたのだ。裏道国道としてはお往復約二百十キロになった。ここの野間半島あたりの秋目浜ちかくへその昔、鑑真和上やキリストでん道者の難破船が港へ座礁とある。台風は昔から曾祖父から祖父母・親子・孫・ひ孫へと伝承されてはいない天災だ。その年ごとに春さきごろから海域の潮の子と太陽の子がいく成者間違いをする台風。仏教やキリストでん道者も潮の子・太陽の子と言える。

難破した港の浜で草履やブーツを新たにして・・・ツールやルーツさがしに秘伝の山野草をもとめて上陸したとある。これらの難破船たちを考えながら吹上浜の沿線路で帰途についた。ここでの今日の自身も軽箱ワゴン車だった、が・・・。もとに戻ろう。

いま下天草半島を同じく軽箱ワゴンで走行中だ。このワゴン車のバンパーには可愛い丸形ポールがくっついている。なにを教えているのか?・・・。道路沿いのラーメン店のぼり旗をみながら通過する。下車したいがトイレ時だけでよいのだ今日は。隣にいるイケメン男児も同じだろう。

考えたらイケメン男児はなぜ無口か「聾唖者とは・・・仮称だ」今日の自身も無口派なのだがの話。軽箱ワゴン車のパワーとは・・・仮称七百七十CCとしてのプラスかマイナスの百十CCミッション車を座席で体現中としておこう。ハンドルは「君だけに僕だけに・・・歌・歌・歌」だ。それを知っているのが「座席女房」だ。

いいよー座席女房は。さー走れー軽箱ワゴンさんとMr Noguchi博士。走りながら富岡城跡の散策できなかったことを考えていなくもない。多少遠すぎる半島だが橋ではない江の島だ。富岡半島を仮想して稲荷の境内で心の合掌していた。国道二百六十六号線を下りながら牛深フェリー乗り場へむかっている。

どこかで軽食しないかぎり・・・スイスイ走行約三十四から三十キロへと牛深ループ橋がちかづく。ループ橋を一周して市街で軽食をすませた。ここまで到着したらトイレ事情はあんしんだ。ドライブはトイレ事情になっている。

近年と言える平成時代のこどもたちは「戦争を知らない子供たち」だが「道の駅知ってる子供たち」だったのだ今日の自身もおおきなくちを開いて言えない。昔話てきにはペーパードライバー派なのだから! この箱ワゴン車バンパーには可愛い丸形ポールがくっついているがなにを教えているのだろう・・・。

今日の自身の軽箱ワゴン車はべつの感性で言えば・・・初心者マークの二十歳以降の「郷士としての内之浦氏か種子島氏からの日本宇宙計画発射試験場」と言えた。ながかった「Hope40号車」・・・。

 

 

A- 3⃣ 夢の中で(独鈷剣)

ここは広く太平洋側を望むあたり遠州灘の海。黒潮の北上のむかいには上総・下総半島がかすかに海上にうかぶび目の前にせまる伊豆の国。おおきな波間に高い明峰がせまればお腹がすくから心のよくぼうを誘う。可の万葉歌人たちがよんだ明峰だ。晩秋にかたむくころにはうっすら九合目あたりまで初雪がのぞめるのだ。

伊豆の国から北へ美宇羅半島。旭日は東からのぼりわが故郷の紀の国の西へとしずむのだ。点と線でむすべば東西の船の海里もここらあたりではみじかい。今回の漁は多少とおくなったが漁船も三倍ちかくおおきいから夢追い酒きぶんである。海かぜが船の帆を押せばしぜんとまわりから漁師中間のいせいのいい潮見お囃子もでてくるのだ。

漁師唄のことだ、が・・・大漁ばたとしての船主とのかけあいお囃子はよい。

「日は東の顔かー・・・いやー北国の親潮顔だホーイノホイホイ。漁師はてぬぐい鉢巻きあみを引くー・・・日が西顔してしずむころにゃー豊漁の稚魚は海へかえしてねーむるー・・・船は風が船主ー帆をあやしー・・・日が東から顔をだすころにがした稚魚もおおきくなって大漁ばたホーイノホイホイ」一夜あけて船は紀の国へ黒潮をへさ先で波をさしながらすすむ

やや右方へちいさくなっていく富士の山岳。交代で潮見かぜをよみ帆舵をあやすのだ。あやすとは赤子ではなかった。帆舵を・・・あやす。漁師たちの好天あら波や雨天あら波とは海の神とお天と様しだいと言える。天災の台風や冬場の漁はあまりいい商売とは言えなくもない。大漁ばたとしては魚たちが船主長老者だろう。舟歌をお囃子しなかったら海の神であるかん定奉行も大あくびだろうから漁師ならでわのこころ意気だ。おおきな潮見の海かぜがゴーゴーゴーっと叫んでいる・・・漁師たちは帰途の船上だからいそぐことはない。

一区画の船底には魚がおよいでいるからこの船だけは高級料亭の品と言えた。船大工も考えに考えた生けす漁船だった。当然なのだがとうじの保存法はかぎられていた。豊漁したらちかくの港へ荷揚げは必須だ。

魚の大目が白くにごるはご法度だから新鮮度のイメージ時間はまてない。船底でおよいでいる大漁ばたとは? さきほど右方へちいさくなった富士の山岳が知っている・・・。船底や海底からの・・・叫びは黒潮の街道のさけめからなのだが時代の漁師たちも知りえただろうか。現代てきに考えたら・・・日本海溝が海の河となる。

現代人は魚群たんち機と言えるものを考案していた。心配はいらないがむかしの時代は魚たちがちかくまで顔をのぞかせていた。海中の魚のほうが大漁ばたかんり人だった。その年の時期がくると「大漁ばたとしてのニシンが浜におしよせるのだだった」その当時に生まれていたらよかったか・・・その時代の育成者へたずねたい。

海として「黒潮と親潮」のどちらも魚たちの育成者と言える。旭日の国(日本)としては現代より二世紀いぜんごろから海洋漁場としての海外の発展時代へのりだしたようだ。貿易船ルートとしての商船化でもありうる。時代の「ウワサ話」は万里するとあるから船主は漁師だけではない。

船主には商人たちもいるからウワサ話のひろまり方は・・・船問屋とも言える異国の品々だ。ふところに五つ玉のさん術刀をしのばせているのだ。歌〇伎〇居船一隻や二隻ダンチョネ勘定の「〇舞〇芝〇」がうまい。かけ売り漁師や青果市場なども同じだ。今日の自身もかけ売り台で値札手話ポーズ売り子を経験したいものだ。

『大正時代末期に能登・富山湾の五穀豊穣米を時代背景にした騒動がおきたらしい。

そのとうじは関東大震災や日本の南の端の大隅半島は草木の雲にふかれて大噴火がおきた。桜島のマグマだまりが大隅半島に乗り上げて「握手喝采をなした」のだ。これらのできごとを時の偉人である「南洲西郷翁」は「よくはなしモンソと大舞台で・・・敬天愛人と立礼されていると思いたい」南洋の種子島や屋久島・奄美大島は昔から日本国のこゆうの島』・・・なのだと。

漁船は現在は伊勢湾沖を通過中だ。ここからは富士の山岳はもうみえない。大海原からは好天にめぐまれて南アルプスの山々がみえる。向かう故郷のわが港はまじかだ。黒潮の波音が船底の魚たちに話しかける。「お帰りホーイノホイホイ・・・船の潮水いれかえせんば。お帰りホーイノホイホイ」っと。黒潮や親潮もいきているからお囃子をしたいだろう。鳥羽の岬(大王崎)や熊野灘沖から北へ八経ヶ岳や仏性ヶ岳・日置山が浮かんでいた。漁師仲間たちと沖から無事帰国を船上から山主の神へ合掌した。漁師全員くちもとが八の字にあがって笑っている。

漁師は海の神から山の神へ「大事な金の玉」を荷下ろし人生なのだ。この船の漁師は漁師なかまとして義兄弟になりえている。お国の港が波間に浮かんだ。ダンチョネお囃子唄を漁師たちは唄いはじめた。「旭日は東の顔かー・・・いやー北国の親潮顔だホーイノホイホイ。漁師はてぬぐい鉢巻きあみを引くー・・・日が西顔してしずむころにゃー豊漁の稚魚は海へかえしてねーむるー・・・船は風が船主ー帆をあやしー・・・旭日が東から顔をだすころ・・・にがした稚魚もおおきくなって大漁ばたホーイノホイホイ」・・・魚たちは港へあがった。

「サーサー今朝あがったばかりだ・・・サンマの点棒焼きたてご賞味してサー買っておくれ・・・おくれ買ってサーサー」競り子の親が・・・頭に鉢巻き形の買い子方として調子語だ。親と子は魚たちとしてのダンチョネ手話ポーズでライライ・ライライのオーライの買い手一本指成功者の後ろに江田助吉とお亀の姿があった。音譜

 

         今日の自身  目

 水牛とカバ

         

                 素潜りとカメ

 

         あし

アップ                                    砂漠の海と生き物たち

「今だと鼾」5

A-1⃣ 水牛とカバ                    

水牛とカバの名前を聞くとなぜか身近に思える。何故だろうか。アジア民族は、稲作を主に労働源としているからだろうか。カバはアフリカ圏に生息しているとある。ここでの水牛とカバとしては、カバだけがちがってきてしまったので自称今日の自身がバカと言える。両方の動物としては、水辺をこのむということでは湿田農家ちたいラオスをかんがえる。カバとしてはアフリカの水辺であいましょう。日本にも水牛がいるのだ・・・しらないことはなかったが南の沖縄だ。水牛は角が長いのでおぼえやすい沖縄だ。人間も海や川としては水辺の愛好者だから。アジア料理は多彩だから水餃子が・・・水牛へとイメージマーキングしている。日本から旅行へでかけ水牛をオーダーしても水餃子とならないだろう。観光にきたのだ、しっかり水餃子を試食して水牛圏を楽しもう。しかし、伝統国である中華民国は水牛が田畑で神力として活躍している。この国は、広いが極寒のちいきの砂漠化を緑化新興団地へとほうこうせいをかえた新国だ。日本国にたとえたら、ローカル都市の鹿児島&薩摩ちいきの環境は火山都市として・・・北京都市へせまる砂漠化げんしょうをイメージさせるが、ここは火山灰都市だ。現在過去未来としての、ツールは中華民国からの季節風の黄砂の回数で時代の気象予報士たちは、洗濯物のかわきかたでわかった。鹿児島&薩摩としての環境は台風や真冬の季節風じきがたいへんなようだ。火山国としての、子供たちへ宿命感がいざというときの天の声だろう。火山活動の空からまいおちる火山灰問題には資本投資はされている。投資されればされるほど「金の玉」が塵肺化するのだろう。以前、国会議事堂の移転計画との話題があった。宮城や栃木県・岐阜県・琵琶湖のあたりだったようだ。ここになぜ鹿児島&薩摩がふくまれていないか。シュヴァイツァ博士みたいなところへ、カモフラージュされてみえる県なの。そうではなさそうである言い伝えられている教育的な博士尽力とは。地球圏には北極星と南極星があったのだと仮想してみたい。どちらも同じ七星だと思っていい。仮想をとりさったら、緯度の位置としての南緯圏からはほぼみえないとしても地平線上に位置する。イタリアのポンペイが、鹿児島&薩摩とかんがえたら不理解のなぞが解けるだろうか。風光めいびな毎年の世界サミットがポンペイ会場なだけの話であった。現在では、霧島&薩摩へとへんかしてきているみたいだ。霧島国立公園国会議事堂で、各大臣や議員たちが遠近両用メガネを使い分けて・・・「大正時代におきた関東大震災や桜島の大噴火(大隅桜島&薩摩開聞岳と池)」を、知見してもらいたいですね。ここの、ポンぺイ会場のあしなが叔父さんを敢えて大臣デレクターが、桜島の活動と噴煙予報を討議するのだ。桜島の討議とは・・・現在の議題をこの場所でおこなうことが「シラス大鰻シェフ」だったのだ。とうじとしては、東の国が「官僚の京か」または西の国が「万年平社員の京か」論争等をまちがったのかなぁー。トンボ返りへとなり十両相撲のしきりなおしは露払いにはならなかったようだ。お腹の悪玉菌者になってしまった。コロンブスの卵たちは『嘘つかない黒んぼと「敬天愛人」なり』と県々の山をこえたが・・・いくさ人と消えた。語り部としては、むかいあった銃口の弾が空中で和合して地上に落下したとある。二十世紀から、はじまった動物園のパンダの平和ツアー計画は・・・大成功を誕生させました。」。日本国内はパンダ動物園王国になりました。そのほか勤めを終えて帰国したパンダもいました。レッサーパンダが、ここの鹿児島&薩摩に入園しているらしい。なぜ、ジャイアントパンダが中華民国から遊びにこないのかなぁー。考えかたをかえたら宇宙計画「hope」推奨都市になっていた。レッサーパンダは、これからの未来都市「hope」へなってほしいなぁー。なお動物園の周遊ちいきへコアラの食事としてのユーカリを育てているそうだ。レッサーパンダとコアラとはどうかんがえればよいかだ。レッサーパンダが宇宙飛行士としての船長だろう。コアラは、宇宙ステーションのロボットアーム操作技師と言えなくもない。時代の大きな交易都市としての「hope」をかんがえているからよい。ココで・・・ホップステップ・ジャンプして雲仙島原圏はどのような季節風の草木がなびくのだろうか。火山活動をしている雲仙岳の草木は。先人たちと「Mr hope」草木をかけた音譜

 

 

A-2⃣ 素潜りとカメ

海では素潜りは簡単にはできない。また、カメには出会えないのだ。そもそも、川にカメがいると思っているのだが海は世界へつながっている。だから海のカメたちをルーツ的に考えている。今日の自分は「素潜りとカメ」としては川で素潜りをしようと思う。さいきんは子供たちは川や海で簡単には泳げなくなりました。自治体や、学校教育のありかたが変わった時代です。だから年度ごとにシステムとカリキュラムが計画されているようだ。っといっても、ひと昔まえの東京オリンピックのころからはじまっていたのだ。難しくかんがえることはなかったのです。管理社会なのだ。遊びは家庭で子供をしつけるのだ。勉強をしなければいけない社会だった。自分かってに山や海へ魚釣りへはいけないのだ。近くにいる住民社会が子供たちを管理している時代ことばに思える。ちょうど六十年になる・・・新しい時代の子供たちは、四年ごとの世界オリンピック蒸気機関車ではない。「水上スーパー特急列車の前畑選手号マラソンランナー」なのだ。前畑選手も現在はマラソンランナーへ転身した時代とあえてかんがえた。カール・ルイスは「走って飛んでカール・ルイス」と言うことばで喝采をあび表現された。走って飛んで・・・を多少かん違いしているのだろうか。かん違いとは走り幅跳びと棒高跳びとを協奏曲していたのだった。今日の自分の身のじかな同級生に仮称カール・ルイスさんがいたが棒高跳びはしなかった。もう一人は棒高跳び者であっ反対だったと思う。なぜカール・ルイス選手と言いかたになっているかだが同級生のエントリー競技が同じではなかったカール・ルイスだ。水泳の強化選手たちは川や海では泳がない。時間があれば専属のプールで手足をばたつかせての練習のみでがんばっているのだ。頑張りかたの栄養源はなんだろうといつもかんがえている。日本的な応援歌は、トビウオのマエハタ選手だろう。サーフィンは海の波長時間できまるようだ。海にいけば、サーフィンができるとかんがえているが、波時間までまたないと海へはいれないのだ。最近はサーフィンに帆をたてて波のりをしている。練習の神はいい波と風である。今日は自身だけで川へ行ってくることにします。小さいころからの川遊び者はいがいとパンツ一枚になるとだんぜん黒んぼであった。黒んぼとは顔だけでなかったのだ。お勉強者はパンツ一枚でわかる。自称して黒んぼだった。隣の集落にも共有者のなかまもいたが無口だ。おなじ集落で同じ班にいた一つ年上がともだちだ。二人だけで黒んぼの日の丸だったように思える。少しは日の丸とこころの川底でかんがえていなくもない。河原の一畳ほどある大きな岩のうえで雑魚寝したかったのだろう。おおきな岩が真冬のあたたかい湯たんぽになっていた。当時は、湯たんぽなどないから真夏には岩に両手をのばして抱いていた。気もちよく半眠りが最高である。四季としての頭のクーラー病に太陽が暖かいお灸を体現させてくれた。だから黒んぼとは、多少ちがうのだが自分からクーラー病なおしの体現者なのだ。空の高く傾いていく太陽様が頭の教養をたしかめていた。「ワガハイワ、タイヨウデアル」ということは・・・「ワガハイワ、センセイデアル」になるのだろうか。南洋の島へ行きたい。だが大小の猛毒大蛇がいると思えば行きたくない・・・ココの二人には、ほんとうは黒んぼではないまちがいがおきていた。たとえば、海におおきな河口があり上流へと海から潮風が鮭のように川にそって登るのだ。川は一般てきにだこうして支流へと分岐する。ちいきの環境にもよるが川のだこうにそって多くの山もだこうすれば強い潮風で上流のちいきには潮風の異変がおきなくもない。『異変とは、冬季の強い潮風によって夜から朝時間まで地熱が夜空の極寒季節風などへ、取られてしまう放射冷却現象と言われる。朝方の霜柱のできかたでもおなじ言いかたをされる。』・・・このような異変がおきる環境かの、湿田 農家もルーツは長い時代のツールと言われる歴史へ埋没農家はかぎりない。東南アジアの国ラオスへ移住者となれたかもだが・・・尋ね人しらず。ふたつ目の自称カメとしての素潜りのあとおおきな岩場で雑魚寝するがこの大岩がカメさんだ。川のカメはおおきな岩場では息抜きはしない。小さな岩場でみかける。奇跡にちかい子ガメが親ガメの背中へのっかり場面・・・など。カメに会いたかったら大岩のかわぞこで出会える。大岩のしたが竜宮姫のお城なのだろう。なにか不可思議と、童話文学みたいだがそれでよいのだ大自然界は。海のカメから川のカメへツールとしての伝言者なのだ。ここさいきん西欧で、第一団のオリンピックが開かれ終了した・・・。メダリストの数は中国・アメリカ・日本の順位から追随国パリス。間近に第二団パラリンピックがスタンバイしていますよ・・・パリス。産業革命の時代から、とうらいした多くの産業のエンジンたち。それらの第一の主役はやはり蒸気機関車エンジンが大きなベビーラッシュ時代だった。現在道路をはしる車や、海で運行されている海洋船もとうじは蒸気型石炭コークスを利用していた。船に蒸気機関車の、石炭エンジンをとうさいしようと国や船主が資本投資をして、かんせいしたとかんがえてよい。蒸気機関車エンジンの、ベビーラッシュは世界のすみずみまでライセンス移住者として、参政権をえて大繁栄をした。なぜ昔から日本の国が黄金の国といわれているのか。金閣寺や銀閣寺は、しっているのだが異国人をまちがわせたのではないと思える。大判小判と銀貨は佐渡ヶ島からはこばれてくる。銀貨や鈴は近くの石見や鈴山などからはこばれた。鉱山は一つの国の財産だ・・・その昔から金閣寺と銀閣寺・仮称の銅閣寺・・・あり。最近ですが世界遺産に登録された。ココの佐渡ヶ島は東枕でいいようだなぁー・・・ 音譜「佐渡おけさ節」でした。音譜音譜

さいきん、日本国の下に、住みついているナマズ予備軍が食事メニュー不足なのかさわがしい。管理者の親衛隊のモグラがメガホンをもちっぱなしだ。懐中電灯とソックスは、ベッドのしたへおくのが原則だと言っていた。電池残量の心配をさせたがるのだ。携帯電話者はどうにかならないものか。地震津波のときや緊急のときは携帯電話を高台へのベンチにわすれるべきだとかんがえたい。安否確認用の子供きたくシステムを再考案できないのだろうかなぁー。でも人口的に一億個人の子供たちとなる。国で再考案したら格安りょうきんだろう・・・高い高い宇宙圏内の衛星が子供たち一億人個人を安否確認時代へ・・・「高台は天国の避難所として再考案携帯器。、天国は高台へ避難の点滅型だろう。」地震時は近くの公園か机の下へ・・・避難。大津波時はまず高台の山へ避難だ。海中の竜宮城の主人はタイやヒラメの踊り美人だろう・・・。カメは浜で産卵中だろうか? それともカメも高台へいどう者だとかんがえるべきだ。メガホンをもって離さない浦島さんの誘導者殿。どうか子供たちに首かけオモチャの携帯台帳をもたせてください。『はじまりはじまり・・・昔々あるところの河原に二人子供の黒んぼさんが泳いでいます。二人の黒んぼさんは暖かい大きな岩場に抱きついたり、また泳いだりしています。大きな岩場の下にカメさんがいるとはしりません。二人のつめたかった体が太陽と岩場の暖かさとで元気になりました。冬場の元気のもとは真夏の河原のツールであるカメ岩でした。二人は元気をいただき家へかえりました。大きな岩場のしたから首にオモチャの携帯台帳をかけた親ガメが二人をみおくってくれたとさ。』音譜

 

 

A-3⃣ 砂漠の海と生き物たち   

日本は島国である。北から鳥取砂丘や南遠大砂丘・中田島砂丘・吹上浜(おか)・九十九里浜・猿ヶ森砂丘・・・「これは砂丘であって砂漠ではありません。日本国には砂漠はなかったのです。」唱歌に「月の沙漠」とある。その時代の人たちも、海岸の砂浜が夜空に浮かぶ「月としての餅つきウサギ」が影法師の砂漠模様・・・王子と王女の王冠が輝いてみえている。世界の砂漠には、サハラ砂漠・ゴビ砂漠・グレートヴィクトリア砂漠が大きく大陸をおおっている。砂漠であっても大陸上だからしんぱいはないが緑地帯がないのだ。砂漠にもいろいろなかたちがあり赤道圏は砂漠のようだ。多少凹凸で緑地帯がだこうしたり湖が林木を支援している。日本は四季における、春雨や田植えシーズンの梅雨じきが呼び水としておしえているから理解できる。大陸が三割で海が七割となっている。海面上昇がしんぱいされているが地震などによる津波予報じは・・・高台へ避難は必須。じょうほう化されアラートの訓練指令が知見されている。さいきんは「知見ことば」を耳にするがどのように意図するジェスチャー手話か。見聞と知識のことをおしえているアラート準備だろう。世界の交易事情や、砂漠事情としては昔からはじまっていたとある。中央アメリカ連邦圏に、パナマ運河があり日本の時代では大正期のはじめごろに運行となり完成したとある。工期がだいぶ遅れたみたいだが、おおくの知識人があつまり人工湖をこうあんしたことで、周囲の国の喝采をあびた。それにしても人間はすごいと言える。もう一つのスエズ運河も、周辺国のふる井戸の知識人から、喝采をもらったのだ。かんがえるソクラテスを完成させるのだ。ソクラテスさんの足時代としてコロンブスの顧客さがしにいこうした。スエズ運河は日本の時代では明治二年ごろだそうだ。第一と第二のソクラテスさん時代に開きはあるみたいだ。世界の運河をかんがえたら・・・日本の国は、なぜひと昔まえに戦争としてのかんがえ方がまちがったのか? ・・・歴史は昔からまちがった「産声の頭(夜泣き)」が戦争へとかりたてる。戦争とは「産声の頭(世界の恐慌)」がその時代の宿命であるデフレ(インフレ)が・・・「オギャーはYes・逆子のNo」となって国ごとのアボリジニ嘘つかない等まちがいがおきてしまうのだ。西欧の産業革命者からいただいたライセンス移住者(蒸気機関車エンジンテスト)使用にまちがいがおきる。世界各国で「忘れたころに天災地震やってくる」の予備軍が、地球の自転軸のエレメント調整をしているのだ。・・・アフリカへ医療渡航経験者のシュバイツァ博士と、言われるところなのかもしれないと言える。アフリカ圏も「hope」だった。日本の南洋の最南端である火山島県も「hope(桜島岳)」と異名をもらっている。そう遠くない時代から、ローカル宇宙計画と共有した「hope」をになっている都市となった。世界は広いが、たしかアフリカの最南端にもあるのだ・・・「cape of good hope」と。ここアフリカ圏への西欧入植の歴史はふるいようだ。歴史問題はどうであれ、スエズ運河完成までのアフリカ人類一万年ものアフリカ民族の『時代のウワサ時間としてのhope」だったのだろう。ウワサ時間とは、広大な砂漠とラクダなど動物。砂漠とは、どういうところかをおしえてくれる小さな爬虫類など。この様にかんがえたらエジプト国家がアフリカの「民」でありえる。周りの大小の民族は民として・・・中央国家エジプトをアフリカの「中央の民」としての象徴(仮称:民族踊り支援隊の交流)とかんがえていたのかもしれない。アフリカの民嘘つかないとは日本の参勤交代の民として同じだろう・・・仮想』可のエジプトのクレオパトラは「美貌ゆえに大蛇」にかまれた・・・との所説あり。または、「自ら美貌としてのサソリ星へたびだった・・・」とういうこともありうる。今日の自身は後者だと思いたい。しかし、エジプトの多くの石積みの大ピラミッド城。近くの大河いきのナイル灌漑対策緑地化をどのようにかんりをおこなったかだ。農作業者女人たちのしどう育成のありかた・・・に行きつくのではないだろうか。だが農作業者男人たちの雇用けいたいもでてくる。ナイル灌漑事業計画としての、畑作緑地帯には川から上がりこんだ爬虫類たちとの共有生活となる。海ガニ・海ヘビや砂漠からの大蛇やカニまちがいのサソリ類も毒蛇表現化はされている・・・ので「サソリが毒蛇の化身」としたい・・・仮想。女人はサソリ座なのだよっと・・・クレオパトラも夜空で瞬いている。ヘビつかい座もあるが所説としては判断の別れ話へと展開しかねない。ヘビつかい座にも賛成派万歳してください。ナイル灌漑対策緑地化派も万歳していいのだよ今日は。砂漠には爬虫類のトカゲやサバクカメレオン・ガラガラヘビ・コウモリ・サハラアリ・サバクグモなど。みぢかなサバクネコやサバクトリなど数多い。やっぱり主役はラクダだ。広い地球のどこかの国の砂漠で緑地化計画がおこなわれていると・・・知った。感動しきりだ。まずは、イスラエルのネゲブ砂漠緑地化PJや中国にある三北防護林PJ・・・だ。砂漠以外の赤道圏ほか北半球・南半球の各地で焼き畑の後や産業林木利用後に植林作業が行われているのだ。そのほか海外トピックス画像でとびこんでくるTVでの熱帯雨林ちいきの変化と大火災だ。山火事は天災なのかなぁー・・・とペーパーテストの解答欄を「埋めなさい」っとなったらどうなるかです。満点をいただくとすればの話。「オーストラリアでコアラが山火事に遭遇」では満点にはならない・・・「オーストラリアで木から降りられなくなったコアラ」となる。世界植林計画推奨団体のロゴマーク(Fsc・・・森を守る)を確認しよう。音譜   あし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        ダウン耳

     あしアップ        耳音譜

                  トト櫓

                  目 

                                           勇一
        音譜  

       舞(姉)     樹(妹)

 

A- 1⃣ トト櫓は選択へ      

  • 櫓太鼓ときたもんだ。ココはある大都会の街中にある、大きな大きな稲荷神社の鳥居。長い長い半透明な自由な時間を、感じさせる一本の石畳的トンネル。まわりは小さな敷砂利のジュウタン色だ。私をおわかりだろうか。私の名は「トト櫓」と申します。今日は久しぶりに参拝。実を言えば私は、神社の大きな森の守りびとでもある。佛教大学を退学したのだが、知人の紹介でこわれた。よっぽどのことでもある。今は詳しい紹介ごとは話せない。話せる日がいつか来るだろう。トト櫓男としての私だ。この長い拝殿までの石畳のトンネルだけが気持ち良い。現在時間は、何時だろうと空の太陽の傾きを計る。それにしても長く感じるトンネル。自分がココの守りびとなのだが、今日は落ち着かない。そうしていると、後ろから一匹のサルがついて来るではないか。守りびとである私が緊張しているようだ。もう一度ふり向いてみた。アァーなんともドデスカデン!石畳のトンネルを楽しそうに近づく。髪型を両肩へおさげした女の子で、名前は樹だ。ワッハハ、ワッハハと吹き出しそうになって、両手で口元をふさぐ。さっきのサルはどこかえ姿を忍術したか?守りびととしての思いと、半妖怪人としての変身ではなさそうだ。私自身がサル替わりしたら神主から解雇御免だ。そう言うこわれかた契約者でもある。私自身が鏡に写っている姿は見られたくない。元の人間の姿へ戻るには、神主から、神水をもらわなくては戻れないのだ。サル回しである。後ろにいるおさげの子もサル回しなのだろうか。まぁーいいさ! 海苔人間に徹しよう。それにしても、後ろのサル回し女のファンタジックな感じは・・・おとぼけサルか。このままでは、拝殿へ同時刻に着き、一緒に大鈴縄を持つのだ。何か心の準備の呪文を二、三つの準備。まず一つ目は「山ん川ん・山ん川ん・山ん川ん南無」だ。二つ目は「海ん川ん・海ん川ん・海ん川ん南無」だ。三つ目は「山ん海ん川ん・山ん海ん川ん・山ん海ん川ん南無」これで心の準備できた。石畳のトンネルのせいなのだろうが、静かそのもの楽しからずや。トト櫓としての海苔人間の私は、稲荷の礼拝の石段へヨイショした。同時に私の左脇へ後ろからピョンコと飛び乗った樹。これからは礼拝が終わるまで同期なのだろうか。一緒に大鈴の綱を一回と二回。両手を合わせながらお互い目が合ったのだった。ホット一息した。石畳の長いようで、身近かったような一つのトンネル時間。樹がトト櫓に尋ねる。今日は何の日ですかと。今日はね!久しぶりに外へ出て、大きな青い空と太陽の日だよ。久しぶりなんだよ私も。トト櫓にであえてよかったね。ココの稲荷神社の大きな森には、沢山の守りびとが住んでるんだ。何かあったらトト櫓になんでも聞いていいよ・・・私でもある海苔男人間へ。そうしていると拝殿の脇から声がした。もう一度大鈴を鳴らしてくれないかっと! トト櫓の頭の隅へ・・・ピンート光がはしった。樹は「アァー神主さんが私のほうを見て笑ってる」。トト櫓はいい人に今日は出会えて良かったね。ハーイハイ、これからどうするの樹ちゃん。もうしばらくすると、友だちの学生さんが来ることになってるの。そうか安心安心。じゃー私はココでお別れね。「ハイ!ありがとうトト櫓さん」・・・サヨウナラ~。トト櫓は、稲荷神社の奥の森へスー~ッと消えた。拝殿の神主さんが、樹へ一杯の「神水を授けた」・・・ありがとうごさいました。樹はそう言いながら、さっき来た石畳を小走りにかけた。時間的に学生が稲荷神社バス停に着く時間だ。午後の三時。不思議と帰りの境内の石畳トンネルは風が一緒になっていた。遠くから犬の鳴き声が聞こえる。鳴き声は拍子記号へとかわる。今頃犬バスは、どのあたりを走っているのだろうか。学生を乗せてた犬バスは、海上火災団地からここまではそうは遠くない。交通の時間帯にもよるが、約三十分の乗車時間だ。お疲れー!学生は、l  稲荷神社バス停脇の長椅子に座っての雑誌を読んでいた。樹は学生の進へ、サーこっちへ来てーッと手招きをして叫んだ。学生は気が付いたようで立ち上がった。私、先にお祈りしてます。先って!先はさっきです。そうー先はさっき、樹ちゃんは。稲荷神社の拝殿で、杜の神主から「神水をさっき頂いたばっかりです」学生の進は多少戸惑った。じゃ私ともう一度、神主さんへお願いしょうか。樹はなぜか今日は元気です。学生と樹は一緒に稲荷神社の入り口を右へ回った。遠くから、犬バスのクラクションの音が大きくひびく。何かあったのだろうか。同時にもう一度犬の遠吠えが空高くはしる。樹は、境内の石畳の長いトンネルを体現している。ヨシッと、学生の進へ言った。今日はここまで!樹は鳥居の周りを二、三回まわった。進はわけがわからない様子。樹は、早く早く鳥居にタッチしてッとお願いした。じゃー樹ちゃんタッチするからね。樹は感性の高い子供だ。進さん今日はココまでです。神主さんの神水は私自身からですよ。進に「神主さんからの拝殿としての話を聞かせた」・・・進は、カモネって言いながら了解のポーズした。樹もOK!した。これから帰りの犬バス時間の確認。都会だとたくさんの犬バスやネコバス・キツネバス・タヌキバスなどが運航中だ。アッタ、次の犬バス時間。約三十分後ね。アッそう。話をしながら停車場の椅子へ掛けて待った。ハイ! お疲れー犬バスで、海上火災団地バスターミナルで降りた。学生の進へグッバイして別れた。お父さんは、家で夕食の準備はいつものことである。実を言うと母はこのところ具合が悪い。隣町の病院へ、お世話になっているのだった。心配はなさそうだが、軽い貧血治療中だった。後から姉の舞がチャイムした。どうしたの樹ちゃん!元気百倍の感じ。そうでしょう。じゃー後で今日の元気の秘密を、パパと舞姉さんへ教えてあげる。楽しみ!樹ちゃんTVつけてと姉の舞。私、お父さんのお手伝いするね!そうしていたら・・・TVの画面がなぜかちらつきだした。何かしらキャスターが現場から中継します・・・言っているようだが、ザーザー音で難聴ぎみ。お父さんTVどこかさわったぁー。食事の準備、しばらくかかるみたいで背を向けている。樹は、少し心配しながらTVの後ろへ背伸びした。元の位置へもどったり裏側へくりかえす。チャンネル機を両手でゲーム機間違いしてる。今までこんなちらつきは無かった。映ったり映らなかったりは・・・。アッそうだ!樹は今日稲荷神社参りで、トト櫓と拝殿での出来ごとを振り返った。三つの呪文の最初の一つを南無南無。「山ん川ん・山ん川ん・山ん川ん南無」・・・よく覚えていたと思う。賢いのだろう。そうしていたらTVキャスターが、現場からの中継は終わります・・・とのザーザー音が同時に消えて・・・画面にトト櫓そっくりの海苔人間が、ピースジェスチャー! 樹はビックリ。後はいつものコマーシャルメロディーへ変り、安心した。やっと出来たらしくお父さんが、樹ちゃんテーブルついてぇーと声をかけた。樹はチョット待ってとトイレへ回った。ジャーして食事時間。勇一と舞と樹はハイポーズした。ご飯の御代りは自分でね・・・になっている。そのほかの御代りはお父さんへお願い。樹はご飯の御代りポーズだけが、トト櫓に思えた。少しスマイルした。TV画面では「ヨシモト劇の面白真っ最中・・・」。内心二度目のスマイル。なぜか電線スズメしたかのように、皆で目視し合った。電線スズメは今日の、食卓にみえないもう一つの空席と思えた。食事が終わり後はTVの娯楽時間だ。勇一は二人に言った。来月は一緒にお母さんのところへ、お見舞いに行くことを。その前に、樹の提案である稲荷神社へ行くことを提案した。もちろん学生の進も一緒だ。勇一は、マヤがそんなに重病ではないことを告げた。その夜は樹は、今日の一つの未来的な事件として振り返って就寝した。それから半月程した土曜日。海上火災団地前のバスターミナルバス停で、待ち合わせと言うことになった。いつもの七番乗り場に午前九時半集合。大学生の進は先に来ていた。今日は天気がいいのだが、なぜかブルーの傘を持っている。今日は先月、進と同行した樹がガイド役になった。大学生の進は、反対側のほうえへ回りサイドを固めた。犬バス乗り場は、そんなに混んではいない。犬バスの行き先は、港町港ターミナル行と犬バスのヘッドの上へ表示してある。今日の稲荷神社バス停下車は多いか少ないかだけだ。多い方が楽しいにきまっている。団地のロータリー方向から、犬バス到着のクラクションが気持ち良い。犬バス観光ではないが市営直営バスだ。到着した稲荷神社バス停にも、ココからの乗車客が十二、三人程下車する人を待っている。左側中央のドアが自動で開いた。さて何人程。今日の稲荷神社バス停の日としての参加者。あまり後ろは振り向かなかったが、多少のザワザワ感・・・大勢のほうが楽しいのだ。樹の首にはオレンジ色のスカーフが巻かれている。手に持っている小さな旗! 旗を見るとこの間の、トト櫓顔が漫画チックに描かれたた海苔人間。あごに当たりに長い海苔色の髭が生えている。ガイド役としてはこれで良さそうである。今日は、境内で稲荷神社の守り男へ会えるかだが・・・。これは樹の計画の「神水への自信?」境内入り口へ近づいたころ、樹が大学生の進へ鳥居にタッチするようお願いした。進は背は高い方だ。二回ハイタッチ。樹からOK! 合格ねっと。進もオーライした。この間は石畳のトンネルを潜った。今日の樹はチョット何か考えていそうだ。樹におまかせアレーか。樹はみんなの前に並び、ハーイストップの小旗を高く上げた。拝殿へ背にして正面顔で、丁度鳥居の下当たりに立っている。みんな到着しました。鳥居の下で礼拝一回お願いします・・・と。これからは稲荷神社の境内へはいります。途中に清めの神水場があります。これはきまりですから両手に軽くかけて下さいね。じゃーこれから拝殿へ向かいます。おお賽銭の確認をお願いします・・・とガイド役になりきっている・・・樹。大学生の進さんだけは石畳トンネルを歩くのよ。私たちは今日は、両脇の玉砂利ジュウタンを踏みながらです。帰りは反対ね! 背の高い進はオーライしますと。玉砂利はジュウタンではないが、これが真実の境内なのだろう。世界には、色々な形や色の玉砂利や砕石砂利が、あると思えた。歴史に興味を持ったら、ひごろの海や河原・山岳の河川に足をはこぶ。一度世界の小石のジュウタンを、踏んでみたいものだ。ひごろから文武両道としてのジュウタン。境内の色合いを奏でる物など多様だろう。子供の、キュッキュキュッキュ育成靴砂利はないではない。そんなことより皆「お賽銭心か」。実は子供たちも、お賽銭を長年にわたって投げ込んでいる。行きはよいよい・・・帰りは怖い。今日は、大学生の進が「・・・よいよい・・・怖い」なのだが。分っているだろうか。このように考えたら、神社の境内や観光スポットを考えさせてくれる。ひごろはみんな忙しいだけだ。となりの石畳を歩く進は、少し手持ち無沙汰だ。一ヶ所で足踏み。もう一本小旗が必要であった。神水洗い場で清めて拝殿へと歩く。礼拝を終えて帰る人たち。石畳トンネルと玉砂利ジュウタンの、サイクルはうまく出来ている。石畳は左右上下の通り方を考えてあるのだった。周りの玉砂利派は、管理者や人生論者・修学旅行者など・・・の神水力。拝殿へ到着した。礼拝をすませて今日は、社寺受付の小窓でオミクジ一枚。今日の樹は多少の違いがある。オミクジ売り場の小窓がトト櫓に思えてるのだ。樹の小旗がトト櫓なのだ。全員今日は特別券の大吉日で、安堵したようだった樹。拝殿の回りから奥へ延びる社の守が、風に吹かれて森揺れる。森には沢山の守りびとが住んでるがトト櫓そのもの。帰りはみんなで樹とトト櫓の即興詩を、ゆっくりとしたリズムで南無南無した。「(^^♪・・・大きな海も南無~大きな川も南無・大きな山も南無~大樹に生きる命の杜・・・(^^♪」。大学生の進は足早に玉砂利ジュウタンを、ステップ足踏みダンスダンスしてる。持っていなかったはずの右手に三尺の棒。糊でくっつけたのか、全員のオミクジ特券が境内の旗に変身。稲荷神社出口で学生の進が一回、二回鳥居へタッチした。どこから来たのか二、三匹の犬が学生の進へ近づいて回る。参拝帰りの人たちの中から、学生さん元気をもらったんかいー・・・進はソーッスと叫んだ。今日はお父さん、舞さん、お母さん・・・樹ちゃんありがとう。              音譜

               

                 父の勇一

       音譜

     舞(姉)     樹(妹)

                  

         アップ音譜

           母のマヤ

 

A- 2⃣ カカ櫓は一葉へ

  • 大樹の杜と海上火災団地としての、共有への思い出作り。樹の母でもあるマヤは、隣町から半年ぶりに帰宅してきた。退院まえにファミリーとしての見舞い。その後病院で帰宅できる日を、カレンダーや入院日記に綴った。勇一や舞、樹が来てくれていたころの思い出。玄関へ入ると靴箱の上に、白いユリの花が飾ってある。香りが部屋をなだめる。マヤはみんなへ真実にありがとう・・・ありがとうを繰り返す。今日は姉の舞が、退院の日を歓迎している。樹は後から入りながらドアを閉めた。こんな時はどうなんだろうか。家庭ごとに多少の違いはあると思う。居間のほうから、感じのいいメロディーが聞こえて来る。後から来た樹が叫んだ。いい曲ねって。舞がこの曲は、お母さんが学生時代に歌っていたんだってさ。昔そう言ってた。そうなんだ。そうだってさ。ビートルズの「Yesterday曲ね」勇一もOKポーズした。時計は十一時を少し回っている。帰りは犬バスで、隣町の病院近くのバス停からだった。こんな時はどうなんだろう。父の勇一は今日は、宅配的な食事会を考え・・・毎度アリー! の予定。時間はタップリあるから急ぐ必要はない。舞に注文の意向は、伝えてあるから心配しなくてよい。問題は和食系か洋食系だ。退院祝いにどちらが良いかは、母であるマヤの希望にしたい。勇一は、  マヤを居間のソファーに誘った。小さなテーブルの上には、一輪のユリの花がさしてある。舞が一杯の水を、テーブルへ静かにおいた。マヤは少し飲んで、流れているメロディーに目を細めた。みんなへの感謝と思えた。一口の水でようやく自宅へ帰ったのだった。樹がお帰りと呟く。透明な窓からの虹色斜陽。勇一は大きな窓のカーテンを開いた。庭先の芝から、空へとつながる太い一本の横糸の雲。勇一は舞に、連絡しようか・・・と行った。樹がお母さん何食べたい?周りを気遣った。ッとした瞬間。メロディーと一緒にお帰り南無南無・・・呪文!樹はビックリした。思い出したかのように・・・三つ目の「山ん海ん川ん・山ん海ん川ん・山ん海ん川ん南無」を南無した。稲荷神社バス停からトト櫓が、樹の自宅へ来れないはず。樹だけが、周りをキョロキョロ。今度は一番目の「山ん川ん・山ん川ん・山ん川ん南無」と聞こえた。一輪差しのユリとテーブルが、l  少しガタガタっと音を立てた。樹はビックリしながら、お母さんもう一口飲んでっと叫んだ。舞が冷蔵庫から水差しを持ってきて進めた。マヤはニッコリほほ笑んで、勇一からのメロディーを思い描いた。三分の一程流した。喉からお腹へほのかに冷たい糸。樹は良かったねと言った。メロディーはまだ奏でている。マヤが勇一へ、私今日は洋食系にしたいと告げた。舞が今日はみんなでワイングラスねって。樹は私は飲めないなぁー。オレンジジュース頼んでぇーと、おねだり。舞はメモ帳に書き込んでいる。メニュー表がないので、トッピングメニューでも良い。この辺りは海上火災団地である。自宅から多少遠くになる。舞いが電話口へ消えた。舞としてもメニュー表がない時の、注文はそう簡単ではなさそうだ。樹へ勇一はビールを頼んでと伝えた。お父さんだけね! 外へ目線をやるとスズメたちが芝の周りでいちゃつき合っていた。さっきまでの飛行機雲は大きく蛇行している。マヤは話題をかえた。樹がこのあいだ出かけた様子に、興味があった。海上火災団地にほど近い稲荷神社バス停。マヤは、樹ちゃんトンネルもっと知りたがっている。樹は、バーバーナンチャッテまぁーだだよーだ。お母さんは退院したばっかり! そうなんだ。まぁーだだねぇーって・・・ね。それじゃー後が楽しみです。そう来なくっちゃ今日の日。さっきね! 南無南無したの気づかなかったぁ―。南無南無ね。そう南無南無よ。少し教えとくね。稲荷バス停が南無なの。いつも乗り降りする当たりが、みんなの南無なの。しばらくして舞が、連絡うまく取れたようで帰ってきた。お母さん何か飲みたいものある。そうねーお父さんと一緒にね。分かったそうしとくわ。私は樹と一緒にの南無ね。そうか舞姉ちゃん、南無きにしてたん。そうよ少しだけ。今日は、歓迎的南無犬バス停車場の日になれたの。そうよ樹の気持ちに同感よ。勇一は興味なさそうで「Yesterday」を聴きいっている。樹ちゃんお母さんへ、いつもの肩掛けを、部屋から持って来るように言った。舞がお父さん電話は入ってるわ。例の学生さんみたいだけど。勇一は立ち上がり電話口で、モソモソと話していた。連絡が取れたらしい。今日がマヤの退院日。今日は伺えないけど・・・お母さんへ宜しくってね。ワーイ! 進さんからなのじゃー樹もOK! だ。そうなの、なぜかわからないけど・・・それでいいの。多少緊張した樹。その後しばらくして、来客のチャイム音が鳴った。玄関から大きな声で・・・毎度ありー・・・お待ちどう様―。舞は、二段専用移動式テーブルを押して行く。しばらくして支払いが終わった。移動式テーブルを押して帰ってきた。勇一が居間の小さなテーブルを、脇へ移動させる。大きいソファー用テーブルを、持って来るように指示した。脇の一輪差しの小さなテーブルを位置代えした。舞がありがとうと言いながら、樹もてつだうように言った。テーブルの上に、今日の退院日お祝いの食がそろった。マヤの退院おめでとうの、乾杯。勇一は舞にもう一つコップの水を、テーブルのユリ一輪差しの正面へ置かせた。多少まだ日は高いのだがお祝いの日。窓の外のスズメたちはいなくなっていた。マヤは勇一へ、ビン入りのビールを両手で持ち「長いあいだ疲れ様」と、ねぎらった。マヤの思い出の曲だよ・・・今日は。みんな多少ホホがほかほか気味であった。そうしていると、ユリの前においたコップから、チンーチンーチンーと、三回ほど鳴ったのだ。姉の舞が、樹の今日の「お水じゃなぁーい」。樹は、 そうなんだけどなーって言おうとしたが、食べるほうへガッテンした。樹としてはなぜ姉の舞が、私へガッテンするのかである。尋ねたかっが口ごもった。稲荷神社での出来事が一瞬頭によぎる。神主がトト櫓だろうか。神主は神水を進めてくれた。樹は拝殿の前でトト櫓と一緒に、大鈴の綱を一緒に引いたのだった。さっきのコップの音色は、どういうことだろう。やっぱり、こわれ契約者でもあると言っていた。とすればトト櫓は、神水としての神力は持ち合わせていないことになる。でもトト櫓は呪文を唱えられた。南無南無・・・と。神主からの伝授であることは確かだ。樹は自分で、南無南無の呪文を唱えてみることを考えた。食事をしながら考えているので、多少周りをキョロキョロしてる。お母さんが、樹どうかしたのッと尋ねた。ウゥーンした。舞も今日の樹ちゃん、お母さんの退院お祝いで、緊張してるかもねぇー。勇一は舞のほうえと目線で探した。ウゥーンだ。樹は急いで、一輪差しのユリの前のコップへ後ろから向かって、サー行くわよー・・・一番目ね。「山ん川ん・山ん川ん・山ん川ん南無」。樹は自分の席に帰った。箸をとろうとした瞬間、コップのほうから「山ん川ん・山ん川ん・・・・・・」と、コップからチンーチンーと二回鳴った。マヤが樹ちゃんどう言うこと。もしかして・・・「Yesterdayの日」・・・って聞き返した。そうかもね!Yesterdayよ今日はと、左手でピースしてジュースを一口飲んだ。マヤは何か思ったのか樹ちゃん・・・お母さんにもジュース貰えないかなー。舞が私のあげるわよと進めた。舞姉さん、後はどうするのコップって樹。姉さんは、樹の南無南無の呪文もらおうかなぁー・・・。南無南無ッて、 杜の山と川の「んん」なんだって。樹はほほ笑んだ。

          

              大樹に生きる命

 アップ

A- 3⃣ 十円と百円のオハジキ

  •  昔からコインには興味があった。海外など交易時代の遭難船見の知らせを聞く。マスコミ等がこぞって現地へ足を運ぶ。サルべージ船も急行中である。タグボートが先導している。タグボートの後ろから、潜水士を乗船させた支援船も走行中である。潜水士たちは、まだ準備している感じではない。すぐ横にいるサルベージ船を見ながら、煙草をふかしている。走る船のエンジンの煙が、潜水士たちの吐く煙草が発煙筒のように感じた。これから始まる一つの今日の仕事。一服の煙草が隊員たちはおいしい。ココは日本国九州圏から南へほど近い種子島である。江戸時代が始まるころ尋ねてきた、西洋からの伝道師たち。それ以後時代を重ねて来たのだ。この島の浜で子供たちは泳ぐことが、未来へ伝承の形容詞。砂の中から子供たちが、一個のコインを見つけたのだ。まさかF・ザビエルが日本に来た時代の、落とし物ではないか。ッと評判になった。鉄砲伝来とは・・・色々な想像をかき立てる。現代は発展した国際社会である。海岸へ行けば潮風が気持ち良い。大人や子供たちも興味をそそる。海外からの、遊泳の落とし物が興味をかき立てる。まさかコインが、遊泳して流れ着くとは思えない。今日の海岸散歩では、コインはお目にかかれないだろう。吸水栓付カラー色のペットボトルなどは、浜に上陸している。奇跡に近い海外からの、ラブレター者にはお目にかかれないが。異国の文字に誘われて、 タイムスリップ感が気分上昇になる。西シナ海や東シナ海などからの、来客者だ。貝殻などには興味がない人たち。まずは、隣国の来客者が良い。漢字や平仮名文字が、ハングル文字にテンションした。ッと同時に伴奏曲色をかきたてる。黒潮にもまれてやっとの上陸者だ。香港や台湾をも来客者として、一つのゲーム感を連想する。でも、お目にかかったことはない。これらは環境にもよるから、山の手の分校者は対象が違ったりする。あくまでゲーム感の、緊張。日本は毎年春以降から夏にかけて、台風〇号の一つ○から二つ〇位へ忙しい。フィリピン遥か南南東の海域で、産声をあげる。この海域にも遭難船が多いのだろう。東南アジアは、コイン船発見の知らせはないようだ。陶器などを多く積んだ時代の、遭難船を引き揚げにサルベージ船が出かける。台風時期を考えながらだが、それ以外の最適な時期がよい。ココに、十円と百円コインがある。日本国の青銅と白銅コインである。これをゲームコイン替りにすることはないが、取り急ぎ時はどちらか使用出来る。ゲームは先行と後者のYes・NOをきめる。ようするに、表か裏と言うことになる。サー行こうかと・・・なり、グー・チョキ・パーで表裏がきまるのだ。親指の爪の上にのせて、グーで屈伸上げすれば良い。上達者は上手い。驚異と思える訓練は必須だろう。高価なグルーガーコインは、プロが使用するか聞きたい。自分たちは、  平民貨幣かプラスチック製コインで良い。今から約五十四年前にW・ペニと言う数学者が考えたゲームが、目にとまった。HeadとTailを使用して、頭のHと尻尾のTを使用して記号化している。H側が、HHH・HHT・HTH・HTTと、T側がTTT・TTH・THT・THHの、八通りを使用して先行と後者で争う。自分の好きな順列記号を選んだら、スタートだ。自分の順列記号へ近い順列を争う一つの、ゲームだそうだ。先行者が、パターンを選ぶが勝者とは限らないそうだ。後者が、勝率てきには近い・・・と。頑張ろうMr W・ペニー。そのほか遊びとして、読む・イベント・・・などがある。内や外遊びの中にも、フィールドアスレチック・ゴッコ遊び・水遊びまである・・・バンガローは遊びではなさそうだが、イベントだ。、ほかは考えて、思い浮かべよう。読むことは遊びとは多少違う。なぜか教育的に、思えばいいのではないようだ。都会育ちや海・川・山育ち派は「・・・多少の楼台煙雨のうちと」。ラーメン屋の旗ではないだろうが・・・街道筋にある出店。酒屋の旗が風にゆれる優美さを感じ取った詩・・・ッとある有名詩人は言っていた。歩く・・・「杜甫さんかドローン機、徒歩さんか⁉」。勇退者は毎週考えて、ドローン機徒歩中。おいしい自然の窒素や酸素を深呼吸して・・・。将来はΣ∞1≦365≦1=24。花いちもんめとして宇宙世界、虹の太陽系が人間は好きだ。私は、自称一般人だ。「宇宙は大昔から広い広い一つの海」と、当時の時代人と相対してきた。自称とは、 学者たちが口にジャージー派ようだ宇宙の海。一個のYKKピン。末広がりで拡張している果てしない宇宙。大型洗濯機の脱水機で、凝縮したら海水や水の心配はいらないのだ。べつに仏教で教わる、天国の浄土・極楽の浄土。反対に地獄の浄土・ブラックホールの浄土だ。鬼さんも左右の手に、一升瓶を持つ時代だ。悪酔いしたら、地獄界とはおもむきが違うブラックホール世界へ。二度と帰りたくない。またコインゲーム先行と後者の、どちらが勝者かまだわからないが・・・ある程度は、コンピューター判断者のHeadと、Tailで理解されているのでしょう。親指のクイックではじかれた、Head・Tailコインのジャンプ。星座や手相易者としての、コインの一つの顔である遊び。男はお手玉はしない。お手玉作りは女である。祖母や母親の針仕事の見習い。野山の湿田や、河原のあたりに数珠玉の花が咲きます。美人の花ではないが、質素感がただよう花と実。私には、不思議と宝石のように感じたころがあった。名前に「石〇」がつくからだろうか。数珠玉が、なぜ宝石に見えるのか男は理解できない。ほかにも色付きガラスオハジキがある。女の一つの娯楽。宝石に見えるみたいだ女子供たちは。数えるとまだまだある。遊びの数。竹トンボなどは、男の遊びと思っていたが女も参戦者だ。でも竹トンボだけは途中棄権する。屋根へ上昇かくれんぼ。バイバイになるのだった女の子だけは。日本語は隣国大陸から伝わったとある。平仮名文字の成り立ちは、自国のようであってなさそうな成り立ち方・・・花いちもんめ遊び歌のよう時代背景か。それで良しとしましょう、この際。ラブレター派はアタック出来たのか。自国の文字が大事だった。約三百五十年以上かけて完成されたようで溜息と安堵。人間は偉大な考えるソクラテスです。先人へ感謝祭だ。今日は、一つの宝石箱のオハジキと、お手玉とコインとしての特大水晶の地球占い師。・・・・・・ココの我が圏には、F・ザビエルが鉄砲伝来からの種子島。以後薩摩半島の坊津へと、上陸とある・・・・・・長い旅。なぜかほかの伝道師たちも、上陸者の地とは? クジラか・シャチかサメかフカかトビウオか・鯛か・・・「船の舵棒」

 

A- 4⃣ 顕微鏡はミクロン

  •  ココに一台の顕微鏡が、こじんまりと机に置かれている。単眼生物顕微鏡を買ったのだ。これは昔から考えていたことが現実になった日。ありがたい。だが新年の初夢だった、 購入した顕微鏡セット。カタログで調べたことが、初夢の隅っこの残像。現代は購入規制の時代だ。東京オリンピックの時代は、田舎の学校時代である。山の手分校と言ったほうが、わかりやすい。山の手分校でも顕微鏡セットが、買えた人たち。家庭環境の良い生徒さんたちだ。一般的には、昆虫採集のできる生徒は、採集セットまでは買えた。私も昆虫採集セット派の仲間だ。顕微鏡派は、圏外派の子供たち。採集セットでも結構楽しめた。よく言われるクワガタ虫やカブト虫の、虫愛好者の人たち。昆虫採集セット派は、問題外者でもある。顕微鏡派は、将来へのパスポートか。総理大臣や、科学者か医師などと言える。現代進行形者は、いつの時代も同じか。絵日記よりも採集セット派が、まだ花丸の優位はたもてる。それなりに良いのだ簡単派で。顕微鏡派になりたいとは思わないが、趣味的な移行。チョウ類は、手作り御萩になってしまいがちだ。台無し感を思いながらも、花丸が少しアップ。防腐剤を簡易注射器に移行した。私はなぜか、医療者用を探し回っていた。タッチ感が大夫違った・・・ココだけは、見つけられたら「一晩のブタ小屋補導生だ」。後は採取箱へ、タイムカプセルして完成した。男の子だけかも知れないタイムカプセル者は。度根性ガエル飛びとしては、目の前に門限学校時間。頑張って完成させたら、花丸のつぎの二重花丸がつく。大都会派のタイムスリップ時間が、はなはだ違う。なかには子供の時代から、自宅で育成派がいるみたいだ。このような人たちが、真実の昆虫愛好者たちです。旅行や隣町での野山と河原の体験。大型百貨店などの屋上には、色々なゲーム機がキラキラ星である。休日出勤者のウルトラマンやセブン・マジンガーZ派が、テーマ音楽に合わせて会場はにぎやかだ。一緒に有名タレントなどが歌っている。その間を両手を前後へ、お魚ポーズでくぐり抜けた。やっとありました。クワガタ虫やカブトムシ派の、二匹千円札程のセット売り場が大盛況です。もっと高いのかな? 田舎の山の手分校たちは、意外と知らなかった。地方から育成成長させて、都会へ届けられた。トラックや飛行機便で、昆虫たちは都会旅行者になった。大都会環境で高価な昆虫たちと遊ぶ。学校門限時間外の、度根性ガエル間違いでもいいですよ。大型百貨店で購入届済みの、旅行者でもある昆虫たち。先生から花丸や二重花丸をもらって下さい。山の手分校の昆虫たちは、森の立木のおいしい食事中です。都会派は立体箱の絵日記帳へ、しっかり糊付けして下さいね。現代社会ではすでに出来ています。立体昆虫ボックス完成品。こちらは花丸とは行きませんから不提出ですよ。夏休み完成品まちがいわ。最近は先生みずから、昆虫の育成者時代みたいだ。以前ですが、TVジョン特集でやってましたね。「田舎の苔類の愛好者番組」でした。我が山の手分校より、提供を共有していた苔類としての友だち。感動しました。ウルトラマン・セブン&マジンガーZさん ! たかが山の手分校間違いです。いくら昆虫の愛好者であっても、昆虫動物と就寝しないで下さい。私は昔「ニワトリのヒヨコを脇に置いて就寝」。朝目覚めたら、ヒヨコはペッちゃん子になっていました。ペッちゃん子とは・・・私の背中の裏で体重プレス機間違いのこと。ニワトリをヒヨコから育てるのは、多少難しい問題があります。三から四週令までは慎重に、給餌が必要だ。私たちは卵の孵化については、無知である。私たち初産者は、親からの伝承としての、将来設計図を描いている。人間だっら女性は二十五から三十週が百八十・・・二百十日。あとは多くの栄養源などを食べて、小結・関脇さん。約七ヶ月が大事な潮の道なのだろう。男は浜で大漁旗を飾り立てて、出航が相対性するのだ。これから三ヶ月ほどの遠洋に出るのだ。操業作業は丁度、潮との網の引きあいの大漁旗なり。ニワトリにも、潮の道二百十日があるそうだ。人間世界と同じ潮の道でした。一年の年の始めからの二百十日は、一つのカレンダー節気と節句があるようだが。ニワトリたちは、時代のコロンブス卵として活躍している。ニワトリたちも、仕事がら潮の周期は指定されている。ニワトリたちも、人間的仕事人みたいだ。ご苦労様です。ヒヨコからニワトリたちを考えながら、人間社会の地球と月との潮の目の引き合い。昔の天文学者なども、頭に手を当てながら考えたのだろう。大きな淡水湖と、大きな大きな海の違いを。偉大なり人間は。反対に偉大なりは、星空が知っている潮の道。今夜、窓から星空を両手で大きめの輝きを数えた。窓から昆虫らしき生き物が、部屋の電光ランプをチーンチーンしながら舞うのだった。光る星からランプへチーンした。同類の生き物がいるのか考えた。一人の人間として。学者たちは、宇宙人の存在をあまり考えていないそうだ。宇宙人とは匿名者である人間だと言える。だから太陽系の惑星人が宇宙人となる。太古からの彗星や、遊泳中の個体岩石から、クワガタ虫やカブト虫などを研究していると言える。彗星たちは冷たい氷の集まり。最近の科学者は、小惑星のほうから、希望をもてる発見者として、元素生物を探しているのだろう。空には多くの「顕微鏡サンプルになりえる極小の岩塵」。プラパラートの上に帰れるひが、楽しみなのだ学者たちは。童心に帰ってスライドガラスへ、星のサンプルをカバーガラスでサンドしよう。宇宙的に考えたら、昆虫採集とは新しい時代の、宇宙の扉。顕微鏡派だけではない天体時代だ。ある歌手が・・・歌っていた「(^^♪・・・私にも〇〇〇さん人生色々・貴方にも○○○さん人生色々」。子供たちの夢。○○○総理大臣か・○○○大臣か・○○○宇宙飛行士か・深海艇探査船二千~~○○○かです。やっぱり顕微鏡派が、夢の科学者か医師・・・・・・などだった。童心へ帰って「ブラックホールカプセル探検隊員募集代行」。現実世界は電波望遠鏡や屈折・反射式など・・・望遠鏡で観測時間中。今日も天気予報衛星時代だった。11世紀ごろ修道士がレンズの製作者とは、どう言うこと? もしかしたら宇宙の顕微鏡派ですか・・・子ども総理大臣閣下。

 

 

 

 


 

           あし       

  

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ダウンあし

私的近況報告のWとH選択(トトは選択へカカは一葉へ)6 

 

A― 1⃣  アルキメデスとストリーキング

  • 今日は天気が良い日です。大きな海の向こうから、大きな大きな鯨が泳いで近づいてきました。ヤー! 久しぶり。「鯨さんね」昼間は海の満潮時は空の「月」はみえません。夜の満潮時には、きれいな満月が輝いてうつくしいです。鯨さんなぜ港の近くまで泳いでこれたの・・・っと尋ねました。鯨さんは今日はよっぽどの日みたいだよ。空のお月様が道案内人さ。アッ! そうかよい考えかたね。じゃー干潮の時は鯨さんは私たちには会えないんだね。そうだよ今日はYMCAの日さ。私たちは大感激しました。大感激の王様はだれかなー。鯨さんが答えました・・・海は広いし大きいよと。体の大きさより極小のキラキラの目。鯨さんは大粒の涙をたくさんながしました。鯨さん大丈夫ながしすぎたら、大きな鯨さんのからだは小さく小さくなるんじゃなーい。鯨さんは思わず「ハッ」としました。今日は大変新しい考えかたを発見したのです。鯨アルキメデスさんの原理に? 鯨さんはもう一度「ハッ」としました。早く帰らなかったら潮の時刻がくるね・・・って。それを早くきづいてよかったね。私は右手で大きくさよならをしました。鯨さんも大きな大きな尾ビレで、ザブンザブンと沖のほうへ小さく消えました。後は時がたつにつれて海の潮がザブンザブンと沖へひきます。浜はひっそりと浜の砂漠みたいです。夜空の大きな満月が私たちにほほ笑んでくれたのでした。チョットお遊び的な私たちの海水浴場ストリーキング。でもしっかり海水パンツや水着に着替えています。海水浴時間は事前に下調べしておかなくてはなりません。簡単なようでそうでないの話。例えば、大都会の湘南海岸や田子の浦・鳥取砂丘海岸・巌流島文学碑海岸・そのほか数多い。新婚旅行のメッカと言えば宮崎海岸。東からのぼる真夏の太陽とフェニックス。海の地平線のさきは太平洋だ。江戸時代又は、その昔から湘南の浜で子供たちは泳いできたのだ。現代は車社会である。ナンバープレート「湘南」は有名だ。昔は馬車やリヤカーにはナンバープレートは当然ない。時代そのものが人馬一体で湘南そのもの。馬や牛も海の潮で身を清めたことがあるのではと思う。私は山部赤人さんに好感を思っている・・・〇〇〇浦ゆ○○〇てみれば〇〇の高嶺に雪はふりける・・・と! 真実感がいいのでは。昔から文人さんたちをも「卆業シーズンがあったのだろう」仰げば尊しの・・・。近くから遠くへスキューバーしながら東西南北方向へ行き交う人。湘南歌人や上総・安房歌人の仲間入りができるのか? 感動が掌の中へ一人の「昆虫てんとう虫つかまえた」つかまえたのは富士の山。中国地方の鳥取砂丘は真実に砂漠そのもの。砂質は大山系とか深海系とも言われる。ラクダが日本に観光大使兼務中だ。ラクダや馬にまたがったら約二メートル以上・・・の目線の高さになる。高度感はかくべつ。あくまで高度感は座高の高さで違ってくる。タカ狩りには最適。ラクダに乗って水辺を求めるだけで良い・・・ギラギラ太陽だ。巌流島の多少小さな海岸の入り江から小舟で降り立った。船のこぎ棒を肩に担ぎ・・・御免。島の文学碑へ合掌しなくては男がすたる。向かい合うは大刀賢者と漕ぎ棒賢者で一対一なり。海峡と大橋の下には大きい海底トンネルが完成した現代。当時も交易船や漁師船がみられた。豊後水道を南下しながら東国半島が右にみえる。しだいに宮崎の色々な海岸が「シガイヤ国道として一直線」。戦後のベビーブーム期の人たちが、成人した以後新婚旅行のメッカ巡礼地方であった。ピーチでは真夏の湘南海岸同様でいい時代の人たち。現在でも、ジェット型高速船や大型客船・大型カーフェリーが太平洋上に行き交う。ところによってはサーフィン派がいる。サーフィン同様に、風受けヨットタイプの人たちものどかだ。青島ミカンはおいしいのだろうか。潮が引いたら歩ける天地創造の世界観イイナー。海岸線が一枚岩で浸食されて階段状になったらしい。そもそも地球と月と台風などで、魔法の浸食により丁度ダンダン岩へ衣替えしたのだ。一度は腰をおろしてみたい。

 

 

A― 2⃣  歯でファション

  • ハイ・・・終わりました。今日で治療終了ですよ!そもそもお店に入ったかと言えば、歯周病習慣とカルシュウム食べれるジャコ派だ。よくカン違いするかもです。カルシウムとビタミン不足を。カルシュウム不足やレモン・ビタミンC不足を、あえてコンガラガッチする。若い頃は、ビタミンCをあえて間違っていたころもある。なぜかである。頭の隅っこにビタミンCが残像して・・・食の安全食べるジャコ天。ビタミン不足とは自分勝手だ。暑い盛りは冷たいレモン水。コマーシャルと海辺のカラフルな水着広告のせいだ。なぜ食べるジャコ天ぷらであるか? 海へ行って海水をじかにコップで汲みうがいしたい。ほんの少しのみこみたい気分。これだ! これで決まり、食べれるジャコ天ぷらとイカの揚げ天。イカそのもの栄養源とは思わない。揚げ天のほうが栄養価としては考えられる。今回は「歯でファション」を考えることになった。まず自分をアピールしなくてはならない。しかしコマーシャル派はユーモアメッセージ必須のようだ・・・っと言うわけではないが考えてみることにした。大きな海に向かって地平線を目視した。左側と右側の上下の顎で一人の地平線を向いている私自身。ハーイ! うがいしましたか。じゃ大きく軽く口を開けてください。フムフム! この時チョット歯科医療士のかたを目をムキムキしたい感。でも閉じたままフムフム! 間違ったコロナ時代だが、クリニックの診療座席はなかなかの座りごこちだ。これから診療時間約三十分ほどの歯科医療士との治療開始だ。半フミフムの夢の世界旅行へ。コロナ以前から、患者はナプキンと歯科医療士はマスクスタイル。別におかしい社会ではないが昔からの花粉症対策中である。子供のころは下町育ちではない山育ち派。別に演歌の花道派ではない。治療中は現代音響時代だ。歯科医療士からの提供なのだろうか。天井の隅っこから感じのいいメロディーで気持ち良い。またTVなどで情報としての明日への天気予報と大相撲場所。なんだ現在私は治療台の上で、何を考えているのか治療進行中。歯周病検査年齢の封書が来る時代の私。べつに痛いところはありませんとハッキリ言えない私。たまに冷たい氷水を含んだ感を、歯科医療士へフムフム! 今日は、無料月間年齢者の検査日である。来客に同年代以上の男女いたが大きな口を開けながら同治療中か頭の中が一回転した。歯科医療士も私を無視の最中で、上下左右の歯のカルテ番号らしき会話。日ごろから多少無知的な、8020運動への違和感はあつた。自分で自分の簡単なカルテ画を、ワラ版紙へ上下左右大口を開けてるUの字を書きこんでみる。202402付だ。ハイ! 始めます。うがいしましたかと自問。それでは軽く大きく口を開けて下さい・・・っと。HBの鉛筆で簡単な表をこしらえた。五歳以上年齢としての・・・32本~28本~24本~20本と。面白いことに・・・五歳以上4本~4本~4本で合計12本。一段階・二段階・三段階・・・最後の四段階です。簡単計算アプリではないがの話。でました! 8020運動とはどのような運動か理解できましたかと。結果として私自身は現在適齢期可能者なのだった・・・でました! 7024が私自身の顔かたちと干支の蛇&辰のお年頃みたいだ・・・参考までに結果として、上顎へ一本の差し歯と下顎へ三本掛けブリッジでした。私は歯科医療士ではありません。現在私は診療台で治療中です・・・歯科医療士が尋ねました。今日は「カルテの日でしたが、日頃から歯周病の心がけをお願いします」ハイ!うがいをしてください。お疲れ様!天井の隅っこからは今もメロディーがながれている~。今日の無料会計を済ませたが・・・次回は自分から本人確認検査の生年月日の問診日ですかと出口を後にした。帰ったら冷凍庫の氷を二、三個ふくんでみようか確認!

 

 

A― 3⃣  ネズミたちの世界旅行 

  • サー始まるのだ。人間としての世界旅行。あまりかしこまると旅行的にならない。人間がネズミなのだろうか。日本の国を環境下でかんがえた。まずは日本には四季と言うものがある。北日本は寒い冬が来るが、南へ南下するごとに少しずつ暖かさを増す。極寒と言える時期の違いある。そのほかは北とさほど変わらないこともあるのだ。寒さはとはやっぱり高い空からの地球環境にあるようだ。いつも同じような季節感に聞こえたりする。しかし新しい時代になってかんがえかたが変わった。西欧からの産業文化技術によるみたいだ。っと言うことでネズミの世界旅行へ出かけます。あまり条理や不条理文化を、かんがえさせてはいけないのだと最長老からおしかり。そう遠くない昔から、最長老者の当時として先駆けた若者が時代を変えようとした・・・。当時の幼馴染者だ。まさか時代を変えたがる幼馴染者がネズミか? いやそうではなさそうだ。指定された港で交易は行われている。ではなぜ幼馴染者たちは、時代の最長老から勘当されたのか。勘当とは形の違いなどもありうると思える。ネズミとしての幼馴染者は、自分たちの周り圏からの花より団子者ネズミか。ネズミが団子を食べるかだが少しちがう。ネズミはさつま芋やそれに、近い芋類が大好物とかんがえた。北国にも芋はあるのか・・・さつま芋を日本へ広めたのはどこの国か日本人か? やっぱり団子が一番のようだ。一般的には中国から色々な農作物や刀・槍・青銅万華鏡など。言葉文化も中国からでした。アジア圏には毎年毎年一般的台風や時には、Uタウン台風が上へ左右の黒潮台風に近い。北国圏には日付変更線ある。こちらのエスキモー派ネズミは屋外出れば、極寒下の専用冷凍庫使用可能だ。要するにココのエスキモーネズミ仲間たちは動物圏としての世界旅行者のようでる。希望らしきものを教えているのかも知れない。地球圏は海が七割で陸地が三割となっている。太平洋圏の海には日本的な「ひよっこり火山のひょうたん島」・・・が散りばめられている宝石の島々だ。こちらのネズミ派は遠い国からのアリス。クリスマス漂着者の宝石ネズミたち。夜空には多くの宝石星が光る希望そのもの。時代の最長老たちが仮称人間ネズミを作成した。時代はいくらか違っても、不思議と海外圏などからの、気候変動台風とハリケーンの嵐。世界には左回りか右回りのどちらかの風の繰り返しなのだ。日本だけではないようだ春一番黄砂飛来は。世界各地に砂漠がある。それらの国域からのカレンダー的な運び船そのもの。その国としてのネズミたちも勢力域。国域をこえての交易や派遣集団たち。なかには新しい時代計画として、ネズミ売り子などが社会問題となった。太古の時代から夜空には、最長老者が一つの手段としての希望星。動物や魚たちの名のついた星の落書きの歴史。ぎょうしゃ星が最長老者の集まりだろう。空だけは仮称動物色々でよい。サー最長老者と一緒に出発進行。どこの国を最長老者が、大きな杖で地面をドンドン太鼓したのだろう。アフリカ大陸からだろう。最長老者としてのネズミ集団は。アフリカから中東地域へ。又はインド圏・中国圏から日本へ。カスピ海や黒海のまわりを迂回しながらの他圏の旅。西欧への最長老はポルトガル語やスペイン語を教わりながら、スエーデンやノルエー圏へ。島国イングランド代表圏は、当時の海上気球船で港へ漂着したのだ。このあたりが、現代のD51系蒸気機関車新時代へつながる。最長老者集団ハイスタートします。空のライト兄弟ネズミたちものちに賛同した。日本の国と対等にノルエー国も捕鯨国としての最長老者。舟先には大型の弓矢を取り付けた。ネズミたちが遠洋の捕鯨旅行者となった。しかし現在は捕鯨の縮小化の時代だ。試験年として育成への協力者。最長老さんたちがスコッチ食べてウイスキー派か。北極圏の旧ソ連国から近隣国の日本対岸沿線アムール川へさきを急ぐ。海峡を横断し日付変更線をホップ・ステップ・ジャンプした。アラスカ州への長い時代をかけた旅だった。頑張ったね! 新アラスカネズミたちだ。何故、アラスカ州が希望を思わせるのだろうか。近くにあるカナディアン巨木地帯の、環境的貢献度だろう。ですね! カナディアン杉巨木は、住み着いた樵集団の最長老ネズミたちだ。巨木は自信をも感じさぜる。ココの国は大きな五大湖周遊圏だ。一泳ぎして帰ろう。さらに南下すると、メキシカンハットの最長老者に出会った。サボテン酒をいただきほろ酔いの最長老者ネズミさん。ココの国は日本人びいきの国であるそうだがなぜ? サボテン語のニュアンスが少しあるみたいだ。昔々ある時代に、難破船のルーツ回転木馬会交易から友好関係になったとある。今日は「サボテン酒会で良さそう」どんな酒なのだろう。日本人はサボテン植物を好きな民族集団・・・チューチューさんは御ちょこ好き。人間にも御ちょこ派は多い。外交関係は御ちょこで。チョットほろよい気味だが頑張って・・・。中南米の近くまでサボテンの園が広がっています。世界には最重要な運河が二ケ所ある。その一つがパナマ運河。貯水を隣の井関へ、汲み上げ止水しながら船を進水移動。大きな大きな湖の、設計されているところで航行が可能のようだ。運河はかなりの航行幅がある。最長老者ネズミさんは、大きな魔法の杖を使用して虹の橋を渡った。やっと南アメリカ大陸のコロンビア国へ到着だ。多くの大小の虹の橋を、利用させてもらいました。コロンビアお茶豆をシュレッダー。大型のツル罐サイホーンで、大勢の段階的長老者からインターン準備隊へご馳走しました。こんなにおいしい飲み物は宇宙飛行士のお茶会だろう。毎日地球圏の近くを周回軌道中だ。宇宙飛行士たちは、コロンビアコーヒー農園をのぞけるだろうか多少気にかかる。頑張っています農園の最長老者集団として。さきへ急ぎますが最長老ネズミさん宜しくお願いします。ココから気球船をレンタルします。パナマ運河の虹の橋を、ジャンプできたことを思えばレンタル利用です。ハーイ!ホップ・ステップ・ジャンプ・・・ブラジル農場からアルゼンチン農場へ。アルゼンチンは南極圏に近い国ですね。ココでは最長老者は探検家・・・F・マゼランさんなのだろう。ココの海峡あたりから仮称者の人ネズミも、再び太平洋圏への帰途でしたね。国王様!

 

 

A― 4⃣  コロンブスの新台入替えとは

  • 現代は新コロンブスの新台入れ替え時代とはの話。私のガールフレンドは左右対称派。コロンしてブスの何派だろうか合いそう笑い。自分たちは、日ごろコロンブスの卵については考えてはいないです。コロンブスさんは湯がき卵派だ。だれしも一個の卵を、立たせることが出きるかの場面を想像した・・・もしかしてのもしかして感アリだ!でも自分たちもこの「もしかして・・・?」には気づかない。私たちはなかなか気づかないとしたら、ここで終わってしまう。チョット思い切り突っ込んで考えた。父親が船乗りだったそうだ。商船の仕事としての若い時代、が面白みをイメージさせるから良い。話として創造した。コロンブスの一個の湯がき卵・・・皆同感。船の上では多少の前後左右へ浮力として揺れる。たしかコロンブスの卵としては、近くに入れ物が描かれている。自分たちも一生懸命試案した。結論らしき思いは、卵の収穫祭の籠と気づいたのだと。仕事としての漁船へ出かけるが、今日の母親から提供された山盛り卵の籠。コロンブスの卵とは大きな籠だろう。湯がき方は簡単なようで簡単ではない。当時は湯がき卵の、早食い競争祭りでもあったのだろう。早く早く卵の殻を、むいて食べなくてはチャレンジャーと言えない。もうこれ以上口の中へ入らないのである。モー駄目! コロンブスさんは、テーブルの上へ上手く置けたのだった。自然体としての置かれかたで、卵は立ったのだった。早食い競争者の勝者はコロンブスさんではなかった。しかし、最終的に立たせられた卵は、コロンブスさんだ。早食い競争祭ではなかったのだった。結果として卵の立案だった。これで・・・コロンブス卵論は完成をみたのだと思う。今日は天気も良い。イッチョ行ってみるかパチンコヘ。たしか午前十時開店だったはず。社会へ出たころは、年に十二回程だが大笑いのひと月一回だ。この年が最後になったのだった。パチンコ店は、どのようなニューミュージックが良いのだろうか。インベーダーのようなキュッキュッパー・キュッキュッパー・・・ジャララで良いのだ。何しろ多少は静かなほうが良い。子供たちもゲームソフト時代である。ドンチャカ派とじゃないほうへの別れ話は知らない。皆どっち派! 店内は、パチンコ全台キラキラ星が点滅している。モップを持った作業員らしき人影が、長い長い台列の奥へ消えた。さきほどの作業員が釘士か店長かサービスガールか。入ったばかりで背中合わせの台が、何故か話しかけてくる。十時オープンしてますって。今日も商品化は七転び八起ねって。マーダダヨーって。今日の新台入れ替えチャットかもよって。考える新台入れ替え者は私だって。私はブースでないかおわかりって。私がオーデコロン派だってさ。皆さん、今日も隅から隅まできっちりモップ掛け完了。そうだ私も今日は右手次第。最近の台は爪楊枝を鋏めるのかなー。そうしていると又、奥のほうから一人の清掃員が来る。再びモップ掛けかと思ったが違う雰囲気。カラー色のバケツをギコギコしながら通って行った。頭にモップのような掛け帽子をかぶっていた。だが顔はみえなかった。ずんぐりムックリのお姫様の卵型か。女釘士が変装していたのか。話かけてみたら、男か女かわかるがそういかない。十時オープンはスタートしているのだ。簡単には話しかけられないのだった。球の出がおかしく感じた時ぐらいだ。それにしても清掃員が気にかかっている。今日の右手と長い楊枝一本。ソクラテスは紀元前の人だ。コロンブスさんの時代の人たちも、長い歴史の育成者だ。仮称ソクラテスを知っていたと言うことになった。ソクラテスさんの生家は、彫刻職人で生みの母は助産婦とある・・・。籠の中の卵は、コロンブスさんの彫刻職人と助産婦の育ちかたのようであると思える。たしかに卵は倒れなかった。回りにいた大勢のコロンブス卵論参加者は・・・ソクラテスさんポーズで、コロンブス万歳したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

                                                                         

    

        あし                                                                     目

 

   ダウン龍
   

 

 

A- 1⃣トト櫓は選択へ3

男座禅

l  キッチンのほうからマヤの呼ぶ声がする。サーできたわよー舞ちゃん皆呼んできて。今日はお代わり大丈夫だからね。樹がやったーと叫んだ。勇一も今日はお腹「ぺコ 感のハグ」・・・樹もペコ感だったがお父さんにご馳走したいと思った。カレーには美味しい水が食感倍増となりえる。家族としては四人ぶんのコップにお水でよいのだ。なぜか六個のお水がテーブルを囲んでいた。

 だれもそれには気づかなかったがマヤだけは違った。「お父さん今日は樹サーお腹いっぱいなの。」樹のぶんも食べてねっといった。舞が今日は樹ちゃんはお腹いっぱいかもね。「そうなんだ私!」キッチンで食事中だ。

樹が右脇から一個のお水のコップをコップへチンしたのだ。小さな声で・・・「お父さんこれ・・・進さんのよって」こういう時は不思議と言葉が同期する。勇一も「ウン」した。樹のぶんもお腹へはいっていく。マヤは樹の方へは多少広角にテーブルモニター画面した。大学生の進と稲荷神社バス停とはどういうことなのか。ベンチから歩いてほど近い鳥居にタッチとは神力のことだった。マヤはまだバス停で下車したことはないのだが、一度はいってみたいと考えている。 だから余分に二個コップのお水が多いことになる。一個は進ともう一個はバス停のベンチとしては「鳥居」なのだ。鳥居にタッチか、お水取りのコップにタッチかのいづれかなのだが。

マヤは、両方へタッチとはどうゆうことか頭の隅っこで考えているのだった。実は樹は以前稲荷神社で一つの体現をしていた。舞も稲荷神社バス停のベンチとは・・・? 舞は以前から、樹はまだ小さいがなぜか神力があるように思えていた。それから、大学生の進はいつも透き色の赤い傘をもち歩いている。マヤがお暇なコップを横目にお代わり大丈夫よっと声をかけた。勇一と舞がお願いしますと・・・ハイした。マヤはありがとうね! の返事。テーブルの二個のコップ。

食事中の、同期的な不思議さを思い浮かべながらハレルヤ~っとコップへ瞬きをかえした。カレー日の雰囲気が、天井からのシーリング照明へと伝線したかのように光った。 今日のお開きはようやく終わり、後はマヤは二個のコップはおいたまま布巾で丸く描いた。マヤは明日は月曜日でパートの日だ。勇一のお昼前の食事用と、子供たちの簡単モーニングの準備は終わった。マヤは小さく「Yesterday」ハレルヤ・・・。  

マヤは今日時間でテーブルを片付けたのではなかった。キッチンの椅子へ座ってテーブの二個のお水。

コップを目視したのは、マヤのまだ知らない時間の稲荷神社バス停の「ベンチ」・・・・・・たしか樹が後ろへ回りこんで一個のお暇コップへハイタッチした。キッチンの今日の日をOFFして勇一のほうへハレルヤ~と近ずく。居間には勇一だけが、今日の出来事時間ニュースチャンネル器をさわっていたが、小さなテーブルへおいた。舞も樹も明日時間へ消灯している。

マヤは今日時間でテーブルを片付けたのではなかった。

 もうニ個のコップは、座禅体験しているのだろうかっとマヤは心の中へしまった。朝が来て子供たちを送り出したマヤ。勇一にでかけ前の昼食できてるからねっと返した。まだ十分時間はあるし、マヤもいい時間じゃないといった。「おでかけするね」っとマヤ。

勇一が、水曜日はマヤの座禅体験の日だなっとハグして「いってらっしゃい」した。勇一もマヤも土、日曜日は休み時間は同じであるから心配ない。勇一は洋服ダンスに上げていた座禅座布団を居間のソファーへおいた。マヤの専用の部屋へは勇一もはいらないことにしていた。それは「Yesterday」としてのマヤ自身なのだった。

それは一郎へは話していた・・・学生のころそう遠くない小高い山へクループで登った日の出来ごとを・・・。好天日は、高い高いタワーから遥か遠くの山を指さす。卒業まじかとしての学生最後の休日のミニイベントだ。そこに山があるから登るのだ。

イベント的に考えるから予定がきまると準備は学生ははやい。大学は一つのイベント学校と考えてよいのか。時間をみつけては、近くを犬が曜日ごしに散歩するが小高い山へ登っていると考えていい。よく欄外編で見かけるが単位制度としての制度化は二回りも三回りも違うのだろう。大学とは単位イベント者ですか? 多少オーバーな話。

マヤも同行した学生時代の小高い山の一日・・・「そこに山があるから・・・J・マロリー」だった。

            

 

カカ櫓は一葉へ3

女座禅

「暑い夏の日差しが少し傾いた。」

朝夕は昨日よりだいぶ・・・千羽鶴ほどの緯度で冬至へかたむく。子供たちの長かった夏休みも数日あまりだ。始め良ければ終わりよしだろう。絵日記帳のクレヨン箱が大活躍する残り数日である。以前からの、ファミリーとしての座禅体験は各自フリーでおこなっている。

だれにも尋ねていないが、真夏日の座禅は皆勤賞ではなさそう。それを知っているのはヒグラシではなくてアブラゼミやミンミンゼミだ。ヒグラシは、秋を教えてくれる。

近くを散歩する犬のようだがありがたい。犬の鳴き声が遠くからきこえる。勇一としての座禅体験は、夜間大学のいそがしさが座禅のようだ。マヤとしてはパートタイマーのない日に座禅時間をあてている。そのほうがいいのだ帰宅時間として。

だから今日は自分の部屋で座禅の日でもある。すでに自室へはいってしずかだ。先週、勇一が休みを利用してDIYへ簡単なWifi型インターホンをみつけてくれた。

さっそくマヤ専用器として、部屋へインターホンセットしてくれたから安心である。

月に約十二日のパート時間にあわせられる座禅となる。子供たちの座禅も、同じであるからマヤの座禅室は勇一からの提供案といえる。そのほうが子供たちも安心して帰宅できた。もう始まっていた。

秋にはお寺での座禅体験が待っている。なぜか、自宅体験が上手くいきすぎたようでもある。なぜだろうかと勇一は考えている。以前マヤが、病院へ入院していたころや退院した時期のことなど。樹と大学生の進が、稲荷神社バス停からの散策なども頭をよぎった。

退院祝い時の食事会でのマヤの思い出の曲「Yesterday」が思いだされる。自分は、夜間大学の授業勤務者である。発案当時に歌番組での「カンカンカンカン・・・カンカン・・・鐘が一つや二つの進行だ」以下三つ連打共鳴したら合格なのだ。

TVモニター画面を背に正面しての座布団一枚ポーズなど。勇一は、ファミリーの方を向き手持ちの座布団へ座ったことがある。あの時隣の樹が、お父さん犬のハイハイポーズしてるみたいといっていた。

あれ以来勇一はご無沙汰のままである。勇一の座布団は自分の部屋の洋服ダンスに上げてあった。手がとどきそうな位置だがお休み中なのだろう。勇一は、マヤや子どもたちに座禅体験を長く継続させる提案ではなかったが。自然な気持ちでの体験型コースへなれてよかったと思う。

樹だけは、勇一からのモダンバレエーを習わせたいといっていた。だから後はファミリーとして三人だけになる予定だ。モダンバレエーとしては「大切な考えるソクラテスの脚」である。

これからは、樹の脚が「Mr’ 勇一ソクラテス」に相対した。ワーィワーィ、お父さんありがとうございますと返事。後はお父さんが座禅体験者だなっと返した。そうよ! 樹は大学生の進君の考える脚なのよ。お姉さん私の座禅体験をも頑張ってねって。

大丈夫よ、私も「大学生の進さん」応援してあげるからね。お姉さんは「合格だね・・・」

コーヒーを手にしていたマヤがソファー越しに、樹も「合格みたいよ・・・」って二口めがほのかにながれた。舞がお母さんの部屋の、インターホンもいいけど扉の外と内へ「お帰り人形さん」下げるといいわねー。

樹が賛成したのだった。勇一は「いい考えだソクラテス」とハグポーズ。今日の日曜日が、一夜明けて朝時間となる。月曜日の朝はみんな早い。勇一は、週のはじめだけはみんなと一緒にお早うモーニングできる。だから全員で出発進行だ。明日からは勇一だけはフリー時間に出かける。だから月曜日は樹と舞が最初のスタートとなる。順次にマヤで最後に勇一が家を出るのだ。

ーレッツゴー・・・っとはやした。帰宅時間も順次予定通りです・・・。AI社会であるから、家庭環境しだいで一週間の道程カレンダーが教えてくれる。簡易AI対話型ロボットが環境下で生活している。樹としての、現時点のマイカレンダーは大学生の進とトト櫓である。また、稲荷神社の神主さんにも久しぶりに会ってみたいのだった。しかし、勇一から進められたモダンバレエスクールのことも、これからは少しずつ準備をまつのだ。

樹としては座禅体験ツアーは考えないことにした。時期をみはからってお父さんにつたえようと思った。学校から帰ってさっそく、自分の部屋においていた座禅座布団を洋服ダンスの上へ椅子を使ってのせた。しばらくしてマヤが帰宅した。樹が奥からきてマヤへ相談してOKをもらった。

お母さんが、部屋用のお帰り人形さんを作ってくれることになった。マヤと樹が、お帰りお人形のかたちとしておなじになると考えていなかった。勇一もお帰り人形としてのハグポーズをした。舞も帰宅して、お父さんと一緒にねっといってくれた。

舞から大学生の進さんへ、座禅体験ツアーの話してあげてもいいわよ。樹は「ソーショッカー」と返した。

 

             

 

A- 2⃣肯定ポッポ2 

l  ゴールデンウイークって床替えね。

 いつもの昭和の日が毎年やってくる。この床替えは簡単にできそうではない。田舎言葉だったら床替えとはさつま芋の床作り作業のようだ。大都会の近くの周圏でも芋床は栄えている。バルコニーなどで、プランタや発泡スチロールを工夫しての芋床大盛況の朝顔も芋族そっくり顔だ。

 芋床は少し大きいし簡単ではなさそう。トマトカットや、湯がきオグラ・ピーマンの肉詰めがいいようである。場所が以外と広く提供された環境として最適だ。洗濯ものや布団干しも兼務している。だから親元をチョット離れた近隣県でも右へ倣えの風習だ。育ての親の味体験であるのだ。

老若男女的に考えたら、ニラ味噌か小ネギ和えでもいいと思う。トマトの食べ方は簡単ではないのだ。だからトマトだけは

、海水浴としてスイカと交互に試食したい。お弁当などの薬味を美味しく食べていた。薬味と知ってからは落胆のイロハは隠せない。子供のオヤツになってしまうとはどういうことだろうか。

生活通勤圏として、平坦な道路歩行派はよいが階段歩行派は大変である。自分でまたは、家庭で仕事環境の試食点検が必要だなー。昭和の時代までのオヤツ食ではないかと思う。平成時代へ移行を間違えたらしいか・・・ピーマン君。

時代流行語大賞のオマジナイを考えた。パプリカっと言うものは新しい時代言葉とは考えなかった。「クッキング読本と栄養源の取り方・・・」っとなっただけだ。美味しいものを、お腹へしまいたかったら帰って「パプリカっと小声で帰宅」すればいいのだ。

子供たちはパプリカ一人に一個オヤツでよい。なぜ唐揚げ派はトマトをオヤツにするのだろうか。そうではない。パプリカをオヤツ環境でよいだろう。青いピーマンが怖いのだ。

これからはピーマンを「緑さん鬼」と小声しよう。メタボ時代としては? 時代標語に・・・山本山の海苔や、トマトのお弁当薬味・ヤマヤの醤油など上から読んでも標語だ。

昔からはじまっていたのか山本山の海苔や醤油。いずれも老舗などに関係している。「暖簾」と言いかたが、あるがこれなど昔からの「老舗」で理解できた。北国の北陸街道や、東海道・山陽道・博多街道など北海道は蝦夷街道だ。その他島々は海道である。

『昭和の日を過ぎれば「法としての打ち出の小づちの制定記念日」・「SDgs到来としての緑の日」・「少子社会担当相としての子供の日」・「カレンダー年としての日曜日の重なり振替日」・・・太陽と地球カレンダー年祝日だろう。』

時代の航海者は、コロンブスと言いかたではないにしても探検者たちだった。こうなったら難しい話だ。その時代の外遊船は間違ったら遭難船になる。遭難船も第二の仮称コロンブス的伝道者になりたかったのだろう。

こちらは、手漕ぎファミリー者になっただけだ。

伝道者とは頭に王冠を描いた人たちのようだ。コロンブスとはならなかったのではないが。っということは、やっぱり伝道者が海洋学者と海洋航路学者をけんむになった。

時代としての先導者である。

一時代を制覇しえた、先導者の由緒ある伝統国はみずから大きな海洋船を造った。植民地化された国や、島々はどのようなルーツやツールを担って交易してきたのだろうと考える。やっぱりツール社会だったのだ。時代としての起源が始まった時から二足歩行となりえた類人猿だったのだ。類人猿も木から落ちながらの、私案者であり弱肉強食社会としては安全なツール。

いい船を造ることが、ルーツの発見者になりえた。船主は〇〇〇〇大王になる。伝道者とは大船の船長だ。船長も宵の明星を酒で船酔いしたらデッキから猿となって落ちた。

そのほか一つの私案としては竹林がある。竹林でも、類人猿も木から落ちるを体現できなくもない。竹は滑るようだが笹渡で移動できるのだ。この竹林猿渡法は、子供のころあるていどマスターしていた。だからオランウータンやコアラ体験者でもある。

ご安心を・・・猿も木から落ちるとは別称があるみたいだ。勤勉的にはあえて話さないほうがいいのだった。

社会では、宣言がはじまっていた。肩から腰をロープで結ぶのだが・・・猿も落ちるのISOがゴールデンウィーク化されていた・・・。新時代としての、オランウータンやコアラは林業国家職員である樹林生活者みたいだ。それこそ地上の天使そのものだろう。天使様は腰巻ロープなのだ。

人間は大地を歩けることは幸せだ。その時の季節にあわせて、地上の河原などで水遊びしていると思っていいのだ。お腹が風船になるほど水を飲んでいいのだよ。

オランウータンさんコアラさん、職員さんたち。カエルなどの爬虫類の仲間にも猿も木から落ちる生き物がいる。カエルであり鳥の仲間にも多くいる。カエルの仲間には木の上でオタマジャクシの育成者もいる。キツツキ類は、人間的な生活者であり住居を考案してしまった。猿も木から落ちるとは人間社会だけではなかったのだった。

 空飛ぶ宇宙飛行士は、地球の大気圏下で大型ルービックキューブ宇宙船の中で遊泳中だ。地球人のためや、他の惑星旅行者時代としての仕事を兼務している。余程のアクシデントがない限りは宇宙実験勤務後に帰還する。横並び高給取りの仕事をおこなっているらしい・・・。

宇宙ステーション作業手当は、時間給としてどのぐらいだろうか。教えてくださいますか・・・¥〇〇〇〇〇〇〇位(丸が七個)の中にはいる整数年給。成層圏は、地上約四百キロメートル圏内だそうだが現役大学生小型リービックキューブは無人船になった時代。

どうかお願いします。そう遠くない宇宙年に、ある都市の土いじりが好きな「匿名:土いじり工学博士を・・・」宇宙船外ロボットアームオペレーター運転手に派遣採用してください。恒星月にハローワーク事務所が建てられることになった。これからの時代の雇用者は「恒星月の現役大学生事務所」になっていたと・・・

雨の海・晴れの海より。         

                                       

A- 3⃣独鈷剣(独鈷型:とっこがた)2 

l  山村五衛門は、丁重に挨拶が終わると土間の外で港をうかがっている。右脇へ杖をはさみ内ポケットから煙草を取り出し風向きをきにしている。火がついたらしく大きく背伸びをしてみじろぐ。お花は、土間内から外をうかがっていたがお茶の準備ができたみたいだ。

港の見回り役さん、お茶入ってますっと部屋へ誘った。いつも忙しゅうさせましてすまんですが。部屋へ入り脇の上がり端へ腰をおろした。奥に座っていた吉衛門がいつも港の見回り役さんには安堵しとんですがと言う。「いやいやこればっかりは漁師商売のかたが不在じゃ港の仕事である潮の話ばきけんでしょ。

そうですが。寒い日や暑い時期の大風あっでしょ。お染がここんとこ助吉が漁疲れしましたんですがと助吉をなだめた。

明け方から若い兼吉が潮見の準備しよりますが。」嫁のお亀が見回り役の手に壺漬けを盛った。しばらくお待ちをとお花が外へ小走りに飛び出した。

お亀が、助吉へ顔洗いニャンニャンネコポーズする。 潮見から兼吉が帰ってくるポーズみたいだ。不思議と思えるが、漁師街には潮見としての掟があるのだ。潮風で潮見が読めるように体現人生なのかもしれない。

当然と言えば・・・当然である。「いま来ますよーうちの旦那」お花の声が玄関口から潮風にのって聞こえた。無精ひげの兼吉の顔が玄関口から特大ズームされた。部屋が暗いので兼吉の顔とは判断がつかない。表の日差しが背中を押す。お花と兼吉の帰宅で午の刻の四ツは終わったことを告げた。お亀が、港の見回り役の五衛門さんが来てくださっとるやがねーと、長椅子を指さした。玄関に近い上がり端に座っている五衛門。

長椅子から向かって、正面囲炉裏の上がり端に五衛門が西洋風の山高帽を右脇へおいている。五衛門が、一本の杖をついて立ち上がってしばらくぶりの、潮海の挨拶をした。兼吉も父の助吉からの潮見拝見となったことを告げる。

お花も、そうなり申すと兼吉とお亀母さんへ「ウンウン・・・」っとうなずく。「隣の八神安二郎っさんと勘八さんも明日から漁へ同行すっがに」奥の囲炉裏手前に座っているお染が「兼吉親父に今までついとったんじゃー安堵じゃが」っと潮見した。助吉は黙していたがネコの頭をニ、三回撫ぜた。撫ぜれば返事を返すのが動物の習性だ。生活の一部となり潮見の算術となる。

ネコは、ミャーとは鳴かなかったが囲炉裏端としては鳴いていなくもない。いぜんと茶釜口から小さく舞う湯気が啼く。脇にいる山村五衛門が港の潮見の様子を問う。兼吉はそうなんじゃがと・・・いま時分の秋の中道としての黒潮の雲海をてみじかに話す。大型の船ではないが小さく鯛の仲間やイセエビなど小物だろうか。

マグロなどは船がより大きくなるのだ。大浜の、網ひき漁がいいのだが四季としては船漁と掛けもちになった。磯の昆布やひじき類は海女の漁場になるしアワビ漁が最適なのだ。助吉が「五衛門さんもどうです」秋口からの漁場へお供しましょうやと尋ね顔。山村五衛門は山高帽子をうち扇に「またの機会に・・・ですが」とお亀のほうへ笑いをかえした。

ふたたび右手の杖で、かるく土間をドンと突いた。五衛門サーは・・・役人さん勤めのほうが気楽でしょうがとお花があとおしをする。山村五衛門は、経過を話しながら今年の春先定年になったと挨拶した。退職後に人生の山登りとおもい護摩壇岳へ登ったらしいが。下山の途中、右足をわるくしたと説明した。

ネコが上がり端のお亀のほうへ近ずいて顔洗いおねだりのようだ。頭を撫でながらお亀は抱きかかえた。漁師としての旦那は、天候や大風で潮見疲労が溜まっていた。ネコをお花へ返したがそつない表情のネコ顔である。自分の子供のようでもあった。

そんなこと知るよしもないネコ。

今日の来客者は、山高帽子と一本の杖が潮見なのだろう。助吉が、お花のネコを儂のほうの畳へ上げるよう小声した。今日は子供たちも兼吉としての港での漁場の話で目元がまるいようである。お亀が、お花へ団子汁和えを作るようにと炊事場へかけいった。「団子と汁」は上手くできたようであった。

 ワカメ湯がき和え酢と、お醤油団子汁・・・隣の八神梅を、子供の蜜へよびにいかせた。梅が来たのでみんなで丁度丑の刻として九ツで九人前でいただきます。お箸を一本加えて合掌。

お梅がうちの勘八さんの分ねっと潮見した。山村五衛門が八神勘八さんの潮見だいじょうぶでしょうがと団子を挟んだ。

ネコは、馳走にあやかってか兼吉の長椅子の脇へ近づいて座った。スター