阿部彩著『子どもの貧困』を読了。
所属する世帯の性質によって、子どもの様々な部分―意欲、学歴、生活水準―が大きく
異なってくることを示し、その格差の是正を図るための政策提案について記述された本である。
この点、学歴や意欲に関する格差というのは、山田による『意欲格差社会』に代表されるように
特段目新しい議論というわけではなかろう。
私自身興味深く感じた部分は、第6章における、イギリスの研究者の「相対的剥奪」指標に関する
議論の紹介であった。
普通、「貧困」の状況を測る際には、年間所得がいくらなのかといった絶対的な基準によって
なされる。
しかし、年間所得がいくら、といった時に、それが貧困なのかどうかピンとこない場合があるかも
しれない。
そこで、例えば「週に一回お肉を食べるか」、「年に一回は旅行に行くか」といったより生活実感に
即した質問項目を利用し、その充足度を測ることによって、人々の困窮の度合いを測るのである。
その際に、人々の充足度の程度の差で以て困窮の度合いを測るため、「相対的」剥奪指標という
呼び名になる。
ここで注意すべきは、質問項目の内容である。
「〇〇はやはり与えられるべきである」という社会的判断がなされる項目において、実際に与えられる・
与えられないの差があったときに、人々の間で「不当な」格差が生じていると言えよう。具体的な例で
言えば、「年に一回の旅行は不要である」という社会的判断が存在する場合、その充足度に差があっても
その差は、「不当な」格差にはならないのである。
それでは実際の日本において、どれくらいのレベルで「〇〇はやはり与えられるべき」とする社会的
判断ないし社会的支持があるのか、という部分に関して言えば、残念ながら積極的なな支持が見られなかったという点が本章に示されている。
すなわち、子どもの生活に関して、「〇〇は与えられなくてよい」とする社会的判断が多く見られた
のであった。
子どもの貧困を是正する上で、「やっぱり〇〇は必要だよね」という社会的支持があって初めて、
政策として動かすことができるのだろうが、その点に関する支持の弱さというデータは、非常に苦しい
ものである。
