ごきげんいかがですか?なつこです。

 

通信制高校の履修科目変更により

理系私立以外の選択肢がなくなります。

でも「国語(現代文)」だけは外せない。

これから生きて行くために必要なもの

なので、履修とか関係ありません。

 

実家の母が1枚のはがきを見せてきました。

昨年亡くなった母の友人の長男さんから

寒中見舞いが届いたとのこと。

「ねえ、この文章おかしいと思わない?」

と言うので手に取りました。

 

まるで定規で書いたような文字、

名前と「様」の異常な間隔、

宛名を見た瞬間に

「あ、これは」

とすぐわかりました。

たぶん重度のASD。

手書きの文章は常識的ではないけれど

がんばったな、と私は思いました。

 

長男さんは大学にも行っていたそうで

仲間内で集まった時に亡くなった友達が

「うちの長男はバカなのよ」

ってしょっちゅう言っているのが

どういうこと?と思っていたそう。

でも喪主が次男くんになっていたり

今回の手紙でなんとなくわかったとのこと。


はるこが発達障害とわかってから

こちらの本を読んでいた実家の母。

 

 

もしかすると発達障害なのかなって

思ったそうです。

でもわかってるのに

「この手紙おかしくない?」

って聞いてくるって・・・・

これが世間の見方なんだなって

あらためて痛感させられました。

 

長男さんはおそらく私と同じくらいの50代。

この世代は発達障害なんて言葉はなく

専門の教育とかもなかったかと。

団塊ジュニアはとにかく大学へ行かせれば

将来は安泰だと思われていた世代。

でも大学に行ったって

「なにが常識なのか」

を知らなかったら社会からはじき出される。

当時の教育はそんなものはなく

私も社会に出て学ぶことになりました。

 

でもはるこを見ていて、社会に出てからでは

遅いんじゃないのかなと思っています。

発達障害の人は小さい頃から

「こういう時はこうする」と知ることで

社会生活に困らなくなるかも、と。

「常識だからこうする」が通用せず

「こんな時はこうする」が有効というか。

 

塾の国語の授業で多くの事例を読んだり

選択問題の矯正をすることが

そういう対策になっている気がしています。

大学受験に関係なくても「国語」を選択するのは

親がいなくなっても生きていけるようにする

その第一歩だと思っています。