ごきげんいかがですか?なつこです。
たまには誰かの役に立つことしようかと
献血ルームに行って400ml献血してきました。
不登校対応に必死過ぎたせいか
前回から3年も経ってました。
たしか前回はコロナ真っただ中で
献血する人が少ないという報道を見て
献血バスが近場に来るということで
行ったんだったわ。
時間が過ぎるのはあっという間ですね。
はるこの精神科の面談に行ってきました。
今回ははるこが通学の日だったので私1人。
なんとなく私の診察っぽくなりました。
でもこれがはるこのためにもなっている、
そんな感じがしています。
はるこが通信制高校を週1日希望なのが
私はイヤなんですよね~と話したら
なぜそう思うのか、から私の考えの癖や
はるこの性質についてとその対応方法を
結構長い時間話していました。
自分のことは直感で決める割に
はるこのことは完璧主義で論理的な判断に偏り
もっと違う方法があったんじゃないか?
とずっと頭を巡らせている。
「でもその時の最善策を取ってきているのでは?」
って聞かれて、ようやくそれに気が付きました。
最善策を取ってきているとは思ってなくて
だからいつも満足できない。
これって第三者から指摘されないと気が付けないし
言ってもらえて救われました。
そっか、私は最善策を取ってきたんだなって。
通信制高校についても
すでにはるこは心を決めているんですけど
「もっと合うところがあるんじゃないか?」
と今でもチェックをしています。
「合うか合わないかはわからないんだし
本人の気持ちが決まっているならそれでいいのよ」
って言われて、確かに・・・と納得。
どうも私は先走りがちなんですよね~
イベントを主催するならいいんでしょうけど。
はるこの「自立」についても考えています。
「できない・気づけない」ことが年々増えていて
親は先に死ぬのにどうしたらいいんだろう?
って(やっぱり先走って)考えてしまいます。
たまたまこちらの記事を読みました。
え?自立って「自分の力で生きること」じゃないの?
と衝撃を受けました。
「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。
どういうこと?と思って調べてみたら
こちらの記事に出会いました。
ちょっと長いんですが、こんな研究があるとは!
外見上は健常者と同じに見えてしまう障害を持つ人の場合、本当は大きな困難を抱えているのに、見た目が同様なので、「考えすぎだよ、がんばれよ」「甘えないで、皆同じでしょ?」と同化型な差別を受けてしまうのです。
(中略)
他人から見えにくい障害は、本人からも気づかれにくい傾向があるという点です。なんとなく他の人と違うけど、何が違うのかは本人にもよく分からない。すると多くの場合、当事者は自分を責め始めます。努力で変えられる範囲と、変えられないがゆえに受け入れ、社会環境の側に変わってもらうほかない範囲の境界線が不鮮明だからです。ゆえに、見えにくい障害を持つ当事者は、社会を変える前に自分を知らなければなりません。
(中略)
依存症の根本は、依存できなくなることにあるのです。
これを障がい者にあてはめると、障がい者も依存先がとても少ない。ありとあらゆるものが健常者向けにできていて、建物にも地域社会にも依存できません。必然、近親者などに依存先が集中してしまいます。
自立とは、その逆で依存先が広がっている状態です。つまり、障がい者の自立には、多くの依存先が必要なのです。
抜き書きだと意味が通じにくいんですけど
この記事は目から鱗でした。
実ははるこのことで主治医からも
「できないことをできるようにするよりも
できなかった時にどうフォローするのかを
教えてあげて行った方がいいですよ」
って言われています。
できないこと前提で行動するというか
上記の「自立」と方向性が似ています。
「自立」を「自分の力で生きて行く」と思っていると
生きているのが苦しくなってしまうよね
って今はわかってきました。
ましてそれを親から強要されたら・・・ねえ。
私自身の思考のクセを変えないといかんなー
と思った診察でした。