シルバーウィーク到来ということで、「和歌山市が誇る景勝地」、和歌の浦をご紹介したいと思います。
「和歌山市が誇る景勝地」たる表現、このブログ書いてる人、ちょっとズレてるな…と思われたみなさんは、かなり上位クラスの和歌山通です!!
和歌の聖地としての「若の浦」があって、その近傍にある若山の山頂に城を構えた際、その城と城下町に「和歌山」と名付けたのがかの豊臣秀吉。和歌の浦はまさに和歌山市が誇るものというポジションではなくて、和歌山市にとって城とともに並び立つアイデンティティーそのものであり、また和歌山のルーツであるとさえいえるのですね。
今回はそんな和歌の浦のなかでも少しコアなルートをご紹介しようと思います。
和歌の浦おすすめランチ。
まずは和歌の浦が誇る食のニュースポットをご紹介します!
地元ではかなり知られている有名店〈Wakaya津屋〉。
以前存在した和歌川漁協の建物を使った、海鮮と釜炊きごはんが味わえるお店。
メニュー看板に使っている黒板もおそらくは漁協にあった古いものなのでしょう。渋いですね!
開店は平成27年(2015年)なのですがこの味わい。
奥にはご飯を炊くかまどが見えていますね。
店舗のディレクションは「源じろう計画事務所」(社名:海南社(和歌山・海南市))の半田雅義さん。
テーブルと椅子は加太の観光センターで使っていたものを譲り受けたのだとか。
ここから少し和歌の浦を離れて、たまたまぼくが立ち寄ったことのある半田さんの設計の店を2店舗見てみましょう。
こちらは和歌山城下の十一番丁にある〈BAR NO.11(バー ヌメロオンセ)〉。
ドアは和歌山大学の学生寮で用いられていたもの、ライトは市内の老舗クラブが解体される際に譲り受けるなど、当地に根付いたものをうまくリユースするのが源じろう流なのでしょう。
なんか宮崎駿アニメに出てきそうな不調和が面白く、若い世代の考える「レトロ」に近いインテリアという印象を受けました。
こちらは同じ和歌山市内でも郊外、貴志川線の伊太祈曽駅の近くにある「四季の郷公園」のダイニング〈火の食堂〉。
ここもテーブルには廃材を用いるなどアップサイクルな取組がみられます。
で、〈Wakaya津屋〉に戻りまして、、
刺身定食(1760円)。
ごはん3杯までおかわりできますし、非常に美味しいです。スタッフに伝えれば「おこげ」を頂くこともできるそうですよ。
なんと食事をいただいている途中に以前よくしてくださった市の関係の方とバッタリ遭遇!!
地元の食通の人たちにも愛される名店ですので、ぜひ一度おいでになってください。
〈Wakaya津屋〉
和歌山市和歌浦東2-6-2
◾️和歌山バス「和歌浦口」停留所から徒歩2分
◾️「西汀丁」交差点から中央通りを南下、車で11分
三断橋・妹背山。
さあ、いざ景勝地へ!!
いやが上にも高なる胸の高鳴り………
三断橋は紀州和歌山藩初代藩主・徳川頼宣公によって約400年前に架けられて以来、修復しながらも当時のまま残っています。
橋を渡った先には頼宣公ゆかりの地である妹背山。いにしえの素晴らしい和歌の浦の姿を今にとどめるスポットです。
ご覧ください、この三断橋のリズミカルさ!!
中国の西湖堤をイメージさせつつも独自の建築様式が目を惹きます。
今までいろんな橋を渡ってきましたけれども、いちばん好きな橋は?と聞かれたら……
神戸の人間なので本当は神戸大橋です、と答えるべきなのでしょうが(笑)、実はこの「三断橋」と、後述する「不老橋」、迷わずにこのツートップを挙げます。
文化価値、建築価値、美意識どれを取っても最高峰です。
そして橋の対岸に静かに構えるのが妹背山です。
この妹背山には頼宣公が慶安年間(1648年〜1652年)に建立した木造の水上楼閣「観海閣」がありました。
頼宣公はじめ歴代和歌山藩主たちは、ここから東に位置する名草山の麓に位置する古刹・紀三井寺を遥拝していたとも伝わり由緒ある建造物でありましたが、昭和36年(1961年)の9月に襲来した観測史上もっとも強い台風とされる第2次室戸台風で流され、翌年に鉄筋コンクリート造で再建されました。しかし老朽化のため解体され、より精緻な再建をおこなうべく、来年度(令和7年度)完成を目途に木造での復原整備が進められています。
妹背山は高さ14mとおそらく和歌山市内で一番低い山とされていますが、登るとこんな絶景が待っています。
「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たず)鳴きわたる」
(山部赤人・万葉集 巻6-919)
あまりにも有名なこの歌。
高度な計算が含まれているとの指摘もありますが、なんだかぼくにはその「計算」が分からない。むしろこの景観を目の当たりにして計算なんて働くのだろうか………ぼくはほんとうに、心の底から大好きでたまらない。
こう気持ちがスーッとするというか、優美かつ無駄のない素敵な景観です。
片男波公園・「万葉館」。
片男波公園に至る海辺のプロムナード。
心地よい風が吹き渡ります。
和歌の浦の砂嘴に位置する片男波公園にあるのが「万葉館」です。
なんと無料で入館できます。
展示物に著作権があるので遠景で失礼しますが、ご覧の通り博物館のような展示構成になっていて、万葉人の暮らしや時代背景、そして和歌の浦を訪れた万葉歌人の思いなど、さまざまな視点からこの時代を知ることができます。
万葉館のすぐ隣にはこんな素晴らしい砂浜が広がっています。
全長1200mにも及ぶ片男波海岸は、毎年マリンシーズンには賑わいをみせます。
名の由来は……
そう、先の赤人の歌「潟を無み」を語源にしているともいわれます。
和歌の浦トップの景観を誇るカフェ。
不老橋は紀州和歌山藩10代藩主・徳川治寶(はるとみ)の命により嘉永4年(1851年に)完成しました。
アーチ造の石橋は九州など一部地域を除けば非常に珍しい意匠です。
この先に建つ「和歌の浦アート・キューブ」内にあるカフェからの眺望が絶景すぎるのです!!
アート・キューブの2階にある〈和歌の浦カフェ マーレライ〉。
こんなオシャレでゆったりしたカフェ空間が!
サンデー&アイスティー。
サンデーの上に乗っているのは当地の名物「和歌浦(わかうら)せんべい」。
和歌の浦の名勝を絵柄に採用していて、復原のときを待つ「観海閣」が描かれています。
海が賑わうトップシーズンを除けば週末でも混雑がみられることもなく、ゆったりとした時間が流れます。周辺には有名なカフェが多いですが、これからはぜひここも候補のひとつに。
〈和歌の浦カフェ マーレライ〉
和歌山市和歌浦南3-10-1
◾️和歌山バス「不老橋」停留所から徒歩2分
◾️「西汀丁」交差点から中央通りを南下、車で15分(駐車場あり)
(画像提供:名勝和歌の浦 玉津島保存会)
実はこの「和歌の浦アート・キューブ」の場所には、平成11年(1999年)まで「不老館」という料亭旅館がありました。
建物は近代的になり、和の佇まいは変われども、その当時の景色が愉しめる素敵な時間を過ごせます。
江戸時代のアーチ型石橋として全国的にも高い評価のあるこの不老橋、特に優美さが際立っているのがこの雲に見立てた勾欄。紀州湯浅の石工・石屋(西森)忠兵衛の制作と推定されています。
そこから覗き見るのは和歌の神様が鎮座まします玉津島……
「玉津島 見れども飽かず いかにして 包み持ち行かむ 見ぬ人のため」
(藤原卿・万葉集 巻7-1222)
奥和歌浦と呼ばれる雑賀崎へ。
そして夕暮れ時が近づき………
雑賀崎(さいかざき)灯台にやってきました。
雑賀衆の城であった雑賀崎城の跡に、昭和35年(1960年)に設置されました。
雑賀崎は和歌の浦とも近く、「奥和歌浦」(おくわかうら)と呼ばれることも。ここにも多くの万葉人が癒しをもとめて足を伸ばしたそうです。
令和元年(2019年)にオープンした展望広場から眺める夕陽。
紀伊水道の空を赤く染める夕焼けはロマンチックです。
(ただし見渡す限りカップルは不在でした笑)
奥にひろがるのは市南部・水軒の工場群。
大阪平野の都市部の港は紀伊水道よりも奥に位置するため、古くから大工場は和歌山市に集まっていました。今でも花王や日本製鐵などの化学工場が立地し、当地経済を牽引しつづけています。
そして日没間近には「日本のアマルフィ」と賞賛される雑賀崎漁港へと足を進めました。
紀伊国(きのくに)の 雑賀の浦に 出で見れば 海人の灯火 波の間ゆ見ゆ
(藤原卿・万葉集 巻7-1194)
まとめ&自作の歌。
和歌山市民への意識調査でも、この和歌の浦の印象は意外に薄く、忘れ去られている印象。そもそも地元人はこの地を「和歌の浦」と呼称せずに、地名である「和歌浦」(わかうら)と発するのが一般的です。
神戸においても「さんのみや」論争(こちらは漢字表記の問題で「三宮」か「三ノ宮」か)など、各地で旧来の地名に戻そうという動きがみられますが、殊に「わかのうら」論争は深刻です。和歌は「ことば」ですから、「の」が取れただけで調べも風情もなにもかもが変わってしまう……もっと誇りを持って「和歌山凄いよ!」と胸を張ってもらいたいものだと思いつつ、私自身が恋焦がれるこの地をもっと多くの方に知っていただき、そしてひとりでも多くのみなさんにお運びをいただいて、癒しと活力をしっかり受けていただきたい。また、そのための活動を自分自身の目標のひとつとして取り組んでいけたらいいな、とも考えております。
和歌の浦 夕焼け(ゆやけ)貴(たっと)し 吾妹子を しずかに目守(まも)る あきぞかなしき
お目汚し、失礼いたしました。
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