立て続けに姫路城関連の記事にお付き合いいただきます。



7月10日の記事ですが、姫路市の清元秀泰市長は同日行われた市長定例会見で天守台付近の有料ゾーンから外れている、三の丸広場のエリアも有料化する検討をおこなっていることを明らかにしました。



三の丸広場は大手門を入ってすぐ、入城口(菱の門)までの間に拡がる、広さ14500㎡のグラウンドとなっていて、市民の憩いの場であると同時に各種祭典時にはイベントスペースとしても活用されています。



天守に展示されている江戸時代の姫路の模型。

赤い⬜︎の部分が三の丸、左下が大手門。


「三の丸」の名のごとく、築城時からもともと広場であったわけではなくて、姫路城天守内に展示されている江戸時代の姫路の模型にもあるように、大規模な御殿が立ち並んでいたようです。御殿群は明治に解体され陸軍の兵舎が設けられます。この際に御殿のみならず三の丸周辺の一部の櫓や門は取り壊されているそう。その後、終戦を期に軍が撤退して今の広場へと姿を変えたのだそうです。


姫路市では石見利勝前市長在任中の平成29年度(2017年度)予算で初めて三の丸の御殿再建に向けた基礎調査費250万円を計上するなど、文化歴史遺産のさらなる活用を進めようとしていますが、これがなかなか進まない。


見事に復元された名古屋城本丸御殿の上洛殿。

復元のためには大きなハードルが課されている。


まず、城郭の全域が国の特別史跡に指定されている姫路城は、文化庁が平成17年(2005年)に発行した「史跡等整備のてびき」にもとづいた再整備が求められますが、ここに「位置、規模、意匠、構造、形式等について十分な根拠があるもの」という復元の条件が記されています。同じく国の特別史跡に指定されている名古屋城では、第一級の国宝であった本丸御殿がありましたが、昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で消失、平成21年(2009年)から10年の歳月をかけて復元された前例があります。こちらは襖絵や天井板絵など1049面もの障壁画は戦時中に取り外されて大切に保管されていたほか、明治から昭和初期にかけて撮られた多くの甲板写真、図面、実測図などが残っていて、きわめて史実に忠実な復元をおこなうことができました。明治初期に解体されてしまった姫路城三の丸の御殿群は名古屋城のそれと同様の再建はほぼ不可能とみられます。


第二に埋蔵文化財の問題。御殿が立ち並んでいた場所であるがゆえに埋蔵文化財の問題があって、姫路市の説明によると、仮にここに建物を建てるとなると大掛かりな埋蔵文化財の発掘調査をする必要があって、それは現実的ではないという意見があります。



三の丸広場は様々なイベント会場にも用いられる。


そして市民感情の問題。姫路市は御殿群復元の費用を示していませんが、規模的におそらく数百億円規模に膨らむでしょうから、その費用の殆どを管理者たる姫路市で負担することを市民がどう考えるのか。加えて先に記したとおり、三の丸広場はその多くがグラウンドとなっていて市民のランニングや体操など健康増進の場であり、また「姫路お城まつり」などのイベント会場にも用いられていて、市民にとっては明治初期になくなった御殿群以上に広場である今の景観に親しみを持っている、そのなかで御殿復元にどこまで支持が得られるのでしょうか。


観光行政という観点だけでものをみるならば、姫路には世界文化遺産にも指定されている姫路城と映画「ラスト・サムライ」のロケ地として知られている書写山円教寺(しょしゃざん えんぎょうじ)の2ヶ所だけが突出していて、いかに滞在時間を延伸して宿泊観光客の誘致に繋げていくかが課題であります。そのなかで三の丸広場の御殿再生は今後の姫路観光にとって大きな分岐点になりうることに疑いはありません。史実に忠実な復元を求める文化庁の指針に大きく反論はいたしませんが、もう少し柔軟に進めないと文化振興を遅らせることにならないか懸念も残ります。


私は三の丸広場については、現在できうる限りの忠実な復元を実施していただきたく思っております。加えて、飲食店や物販店などを整備する。そこから賃料を得ることで整備費用に回すと同時に姫路城内での滞在時間増加に繋げ、姫路の魅力をさらに訴求することになるでしょう。より現実的なプランとしては、市による御殿跡復元後に大坂城跡で実施されているPMO事業者の公募等による民間活力導入が挙げられると思っております。



一方で市民の憩いの場としての昨日は城郭南西側にある「好古園」の活用を提案します。ここは姫路市政100周年を機に作庭された回遊式庭園で、もとは姫路城の西屋敷があった場所です。広さは約34000㎡あるうえ、姫路城入城料金に僅か50円アップして好古園との共通券を出してはいますが回遊性には非常に乏しい。そこでここに広場等を創出するリノベーションを施したうえで無料解放して市民の憩いの場とすることで、観光ニーズと市民の要望とのバランスを保つことができると考えます。


ただ、先にも申し述べましたとおり、三の丸広場は国の特別史跡として登録されており、そこに屋敷跡を復元したうえで飲食や物販を大々的に取り組む「商店街」をやった実績は全国どこにもありません(大坂城跡では旧第四師団司令部庁舎に飲食・物販施設にリノベーションした例はあり)。これらの実現のためには、文化庁に対して精緻な復元を求める特別史跡のガイドラインの見直しを働きかけていくこと、もしそれがかなわないならば、三の丸全域を特別史跡から外す必要もあるかもしれません。


内堀にかかる桜門橋を渡って大手門に入った先に広大なグラウンドがある今の光景から、連続した江戸時代の風情が愉しめる場へ………姫路の魅力をさらに高め、天守の文化的価値を高めつつ、市街地活性化に繋がる取組に大いに期待したいものです。



▶︎次回の記事は7/15(月)に公開します。



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