世界初の電鉄系百貨店は、ターミナルデパートとして昭和4年(1929年)4月15日に開業した阪急百貨店であります。きょうはその開業からちょうど95年目に当たります。


阪急百貨店が「よねむら」と共同開発したクッキー缶。

旧館2期増築竣工後の建物の姿が描かれている。

阪急は「箕面有馬電気軌道」として創業した時の路線である宝塚線に加えて、路線が競合することから阪神電気鉄道の執拗な妨害を受けながらも「儲かる船舶よりも生きるか死ぬかの電鉄を助けてください」との創始者・小林一三翁の必死の願いで開通を果たした神戸線を加えて2路線を持つ都市鉄道へと成長していました。

阪急のターミナル・梅田駅の乗降者は1日10万人を数えるまでに。一三いわく「御乗客」の手にはさまざまなデパートのショッパーがあったのだそう。心斎橋の大丸、北浜の三越、長堀橋の髙島屋……これらのデパートは送迎と広告に大量の販管費を割きお客の誘致に努めていました。一三はこれに目をつけました。

「ここにデパートをつくれば、御乗客の便益に資する店にできる!」

呉服店から派生したデパートとは違いネームバリューは劣るかもしれない。しかし、ここにデパートをつくれば送迎の手間もないうえ、1日10万人が通る場所に店をつくれば広告をやる必要もない。それによって浮いた大量の販管費で利益を薄くして安く売ることで、沿線住民に根差した店ができるはずだ、と確信したのです。

一三は旧知のデパート経営者に相談するものの「素人商売はするな」とアドバイスを受けます。しかしこれでくたばる一三ではなく、駅に隣接して5階建のビルを建設、白木屋に賃貸して様子を伺い勝機を見出すとすぐさま百貨店ビルの建設に着手、昭和4年の「きょう」にあたる4月15日、梅田阪急ビル1期と合わせて阪急百貨店が開店するのです。

開店披露では政財界の錚々たる面子に加えて阪急電車の定期券旅客を招待客に加えるよう指示した一三。「これからこの店のお客様になる電鉄の御乗客こそ招待すべし」との見立ては大いに当たり、阪急百貨店は沿線住民の生活の質の向上とともに大きく発展を遂げ、やがては都内のデパートを押さえて売上日本一へと大きく発展を遂げます。


新築開業後、13階に再現された梅田駅コンコース。

往時の「快速阪急」を偲ばせる空間がひろがる。

(本日現在クローズしている)


2期増築時に完成した梅田駅コンコースは天井モザイク壁画に四神を配した重厚なデザインに。築地本願寺(東京・中央区)や平安神宮社殿(京都市)などのデザインを手がけた伊藤忠太氏の設計です。大衆に夢を与えるために環境デザインには徹底的におカネをかけた一三の思いには、事業家としてのやさしさと志の一端を感じさせます。そしてそのやさしさと志こそ、現在に繋がる阪急東宝グループの原点であるのだと信じます。

※次回の記事は4/17(水)に公開します。


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