新宿アルタが来年2月末をもって閉館することが発表されました。


日本で知らない人はいない「アルタ」。

アルタのある場所にはもともと三越グループの食品会社であった二幸が本店を置いていた場所で、二幸のクローズ後、三越主導で再開発が進められ、昭和55年(1980年)4月に「新宿情報ビル・スタジオアルタ」として開業しました。新宿東口の目の前であることから、スマホのない当時、壁面の大型ビジョンでセンセーショナルなニュースを知った方も多かったことでしょう。また、駅から新宿三丁目や歌舞伎町へのゲートウェイとなる「アルタ前」は渋谷のハチ公前、有楽町マリオンなどに並ぶ都内きっての待ち合わせの定番スポットとして知られるようになりました。


アルタを全国区に押し上げたのは開業の2年半後、昭和57年(1982年)の10月に始まったフジテレビ制作の「森田一義アワー 笑っていいとも!」でしょう。当時、TBS一強体制にくさびを打つべく、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに掲げ、若者文化を牽引していこうという時に始まった番組のひとつです。アルタの7階と8階に設けられた多目的スタジオから毎週月曜日〜金曜日、首都圏はもとより全国に放映され、アルタの名は全国区になりました。ちなみにこの年にフジテレビは全日・ゴールデン・プライムの全てで初めて視聴率トップに立ち、三冠王を達成します。その地位は日テレに奪われるまで12年続くことになる、まさにフジテレビの栄光の1ページとなる歴史の幕開けでありました。


SCとしての「アルタ」。

低層部にはおもにティーンやピュアヤングをターゲットにしたファッションビル「新宿アルタ」として三越が運営、実は若者の流行を追った109などのラインナップとは異なり渋谷〜原宿で名を馳せたサブカルファッションのショップの集積地だったそう。単価の高いフラッグシップに対してアルタのショップは軒並みプライスラインを下げたことで、1階・2階のヤング向けアイテムショップと合わせてティーンの支持を得ました。


その後、三越の経営不振に伴い新宿アルタの建物をダイビルに売却、建物名が「新宿ダイビル」になり三越はリースバックの上で引き続き使用することに。平成26年(2014年)には「笑っていいとも!」の放映が終了、その2年後にはスタジオそのものをクローズします。SCもピュアヤングのマーケットはファストファッションに大きく押され、平成30年(2018年)にはミッシー・ミセス向けショップを導入するなどテナントミックスが迷走しはじめ、抜群のロケーションを活かしきれていない状態がつづいていました。


一等地の活用法すら分からない!?

このビルはダイビルの所有物件となっていて、大家として再開発を企図する中で契約が更新できなかったのではないかと推測したのですが、どうやらそうではなくて、三越伊勢丹HDとしての決断だったようです。

むろんフロア構造や面積の狭隘さはSCとして致命的ではありましたが、このロケーションを易々とやめてしまう三越伊勢丹の考え方が私には全くもってわからない。


「アルタ前」から新宿通り東側を望む。

○に伊の看板が伊勢丹新宿本店本館。


三越伊勢丹グループとしてはあくまで伊勢丹新宿本店のある新宿三丁目エリアに特化して再開発を進める計画なのでしょうが、そのうえでもあのロケーションを活用する方策は本当になかったのでしょうか。新宿東口広場に面し、東口から新宿三丁目のグルメ・ショッピングエリアにも、また靖国通りを超えて歌舞伎町へと至るときにも通過する、まさに新宿におけるシンボリックな立地であることに揺るぎはありません。ここを「巨大なPOP-UP空間」に仕立てて年間8回転くらいでやるとか、所謂「火元水元」がいけるならば、新宿ならではの食体験空間とか、これまでにないリーシングに難航しクローズを決めたというところでしょうが、長年、新宿に拠点を置き、リテールの中でも発想力に長けるといわれる伊勢丹の限界を感じずにはいられず、伊勢丹新宿本店が好きであった私にはとりわけ寂しさの募るニュースに映りました。


※次回の記事は4/1(月)に公開します。


■□■GO-chin無料相談所■□■


アパレルショップ関係、販路マッチング、都市問題を中心にお問合せ、お困り事など何なりとお寄せください。24時間以内に返信を心がけますが、内容によっては返信いたしかねる場合がございます。


g.osada.55labo@gmail.com