平成16年、西暦2004年。

私の人生にとって「特別な年」あります。



2年前、阪急ブレーブスのエースピッチャー、サブマリンこと山田久志さんが中日ドラゴンズの監督に就任されて以降のドラファンとして、初の優勝の歓喜に沸いたのもこの年でありました。

2月のキャンプでは就任1年目となった落合博満監督のもと、キャンプイン初日から2日連続で紅白戦を実施、3日から山本昌・立浪和義・アレックス・大西崇之など9選手を主力の北谷組ではなく読谷組とします。練習内容は白紙として選手の自主性を尊重しつつ、北谷組に属する1軍コーチがより若手に寄り添えるかたちとしたのです。このかたちは15日まで続きました。

開幕投手は怪我に苦しんだ川崎憲次郎を選び注目の的に。カープとの開幕戦は3連勝するもののその後は負けが増えていき5月14日までは借金生活に。しかしそこから破竹の勢いで勝ち進み、秋へ…。

10月1日、優勝へのマジックナンバーを「1」としたドラゴンズはカープ戦を、マジック対象チームであったスワローズはジャイアンツと対戦、スワローズがジャイアンツに敗れた瞬間、ドラゴンズの5年ぶり6回目のセントラル・リーグ優勝が決したのです!!

落合監督は平成23年(2011年)の監督退任までの間、過去の常識に捉われずにチームを導いたことで、メディアやファンからは「オレ流」と評されます。物議を醸したこともたくさんありましたけれども、監督在任の8年間の戦績はリーグ優勝4回(04、06、10、11年)、日本一1回(07年→KONAMI CUPアジアシリーズ2007も制覇)、選手の力を最大限に引き出しチームを黄金期に導き、われわれファンにも喜びを届けてくれました。



また、私自身がファッションの可能性に魅了され、こここそが自分の居場所と決意したのもこの年。前年の9月に開業した伊勢丹メンズ館を見て、さらなるファッションの可能性や拡がりを目の当たりにした気がいたしました。とりわけ百貨店のメンズフロアが女性による代理購買ではなく、男性が思い思いにファッションを愉しむ場へと変質した光景は、今まさに自分自身が見ているのに、なんだか夢でも見ているかのごとく、脳内が追いついていなかったことを今でも思い起こします。増床なく20%増収という大成功にもかかわらず、当時の紳士統括部長であられて、メンズ館プロジェクトを企画された大西洋さんは、確かに新規顧客を70%呼び込めたけれども、その裏には50%のお客様を失っていて、そこを「課題」なのだと神妙な面持ちで話しておられました。つまりはそういうお人柄なのでしょう。大西さんはのちに三越伊勢丹ホールディングスの代表取締役社長、現在は羽田空港を運営する日本空港ビルの代表取締役として、今でも第一線で活躍しておられます。百貨店から空港に活躍の場を移されても、なおもって「課題」を見つけ、真っ正面からぶつかっていく姿勢は不変です。道行くたびに「大西さん、大西さん」と声を掛けられている光景を見ると、いかに慕われているのかが分かるというものであります。


この年に生まれた「赤ちゃん」がことし20歳かと思うと、随分と年月が経ったことを痛感します。

私ごとながら、ちょうどその年代の学生にたいへん厳しく接しました。(←友人曰く『それ通常運転』と…笑)

ビジョンの描き方は私なんて遥かに超越するものがあるんだから、その基礎を2年半ほどでなんとかつくってやりたかったのですが、そううまくいくものではなかったです。

私自身の基礎を教える能力の欠如も勿論のことながら、アイデアを描き、やがてビジョンが具現化していく「ワクワクさ」を伝えてあげることが出来なかったことは、私の大きな失態でした。

しかし、私にとっての「歓喜と決断の年」に生まれた若いチカラは、その可能性を無限に秘めています。私の思いや考えなんて、もはやどうでも良くて、自分が信じる道を真っ直ぐ、精一杯生きてほしいと、心から念じます


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