1月11日の「1ならび」の日に、中日ビルが4月23日(火)に全面開業を果たすことが発表されました。この記事では、昔の中日ビルの思い出と、新しい中日ビルについての概要をお伝えしていこうと思っております。


「文化の殿堂」、中日ビル。

(出典:中日新聞名古屋本社)


旧中日ビルは「名古屋の中心に文化の殿堂を!」という目的のもと、当時の中部日本新聞社が「中日新聞」と改題した昭和41年(1966年)に竣工しました。御園座・名鉄ホールと並ぶ3大劇場として宝塚歌劇の公演もおこなわれていた、わが国唯一の新聞社直営劇場「中日劇場」(1420席)や生涯学習の拠点として中日新聞社がみずから手掛ける「中日文化センター」、結婚式や各種会合に使用された中部地区最大クラスのバンケットホール「中日パレス」、また中部財界のエグゼクティブが集う社交場「クラブ東海」など、まさに「中日カルチャー」の発信地でした。

写真右下には栄バスターミナル(現:ミツコシマエ ヒロバス)と「エンゼルパーク駐車場」の工事のようすがみられ、この建物の開設を機に栄地区の整備が加速していることが窺える一枚です。


上品さ漂う「中日ビルタウン」。

中日ビル正面玄関に設けられた「夜空の饗宴」。

久屋大通の緑に反射した太陽光が注ぐ空間。

B2〜3階にはショッピングとグルメが愉しめる「中日ビルタウン」があり、非常にクラシックで上質な空気感が私も大好きでした。1階の吹き抜けには岐阜県出身の洋画家・矢橋六郎のモザイク画「夜空の饗宴」がお出迎え。ベネチア製モザイクタイル100種類100万個など、希少な素材を用いた芸術は、まさに文化の殿堂たりうる佇まいを放っていました。


行き交う流れに悠然と佇む緑、希望に満ちた噴水…

落ち着いた文化都市たる佇まいが感じられる場所。


私のお気に入りは2階にあるカフェ〈サンモリッツ〉。栄から少し東、高岳に本店がある創業60年を超える老舗パティスリーです。久屋大通と広小路通に行き交う流れを観ながら製法をしっかり守りつづけるケーキを頬張るのは至福の時間でありました。その真下・1階には〈ユーハイム〉が神戸元町本店を除けば唯一のレストラン業態を出店、神戸直伝の味を名古屋の真ん中で発信しつづけ、多くの名古屋っ子に親しんで頂いていました。実は本店よりも広く豪華で、ゆったりと食事を愉しめる場所だったので、私も結構通っていました。

(※〈サンモリッツ〉は地下鉄今池駅前の「今池ガスビル」や金山総合駅北口の「Niterra日本特殊陶業市民会館」などでカフェも含めて営業されています)


心の拠り所としての「中日ビル」。

いつもドラゴンズファンとともにいてくれた。

憧れと感謝は、永遠に忘れない…。

(出典:中日新聞名古屋本社)


あと、中日ビルといえば、、、

われわれにとってはひとつの「聖地」のような場所で。。。

3階には〈中日ドラゴンズストア〉があって、ECもない時代、ドラゴンズグッズ欲しさにまぁよく通いました!(今ではオフィスにカレンダーとドアラグッズを少し飾ってあるだけで、身につけてはいませんが…)

当時は「オアシス21」のショップもあるわけなく、イオンモールナゴヤドーム前そのものも未開店で、ここがナゴヤドーム(現:バンテリンドーム ナゴヤ)のプリズムストア以上にドラゴンズグッズが揃う殿堂でありました。

この建物には企業としての「中日ドラゴンズ」の本社も入り、シーズン通して横断幕等でドラゴンズを応援していたことを印象深く覚えておられる方も多いと思います。とりわけ"黄色い球団"の勢いが強い関西、日頃は肩身の狭い思いを強いられている身にとって、遠い名古屋の地に悠然と建つ此処こそ、まさに心の拠り所であったと申しても過言ではありませんでした。


日本一パレードで終点になった中日ビル前の様子。

華やかなりし中日ドラゴンズの思い出…。

(出典:中日新聞名古屋本社)


***


思い出話で随分と長くなってしまいました。

完璧に予定外ではありますが、新しいビルについては別記事としてご披露申しあげたいと思います。


■□■GO-chin無料相談所■□■


アパレルショップ関係、販路マッチング、都市問題を中心にお問合せ、お困り事など何なりとお寄せください。24時間以内に返信を心がけますが、内容によっては返信いたしかねる場合がございます。


g.osada.55labo@gmail.com