(特別編のため全般に亘って敬称略)


今回は私が愛してやまない伊勢丹新宿本店のお話。


伊勢丹新宿本店は03年のメンズ館オープン以降、好調な業績で業界を牽引していた。「伊勢丹」の名のごとき勢いに乗り06年の本館地下1階の食品フロアリモデルを皮切りに26年ぶりの6次再開発をスタート、07年には本館1階の婦人雑貨がリモデルオープン、翌年以降に本館2階〜4階の婦人服フロアのリモデルが控えていた。07年度の本店の売上は2700億円を超える。


順風満帆に見えた新宿本店は、この翌年、08年にアメリカから世界に伝播する激動の波にさらわれることとなる。


リーマンショックだ。


08年から新宿本店の業績はみるみる悪化し、経済状況の不透明さを理由にリモデルは無期限の延期を余儀なくされる。社長の武藤は営業本部長の二橋、MD統括本部長の中込という社内での実力者に業績悪化を最低限に食い止めるように指示、二人三脚で難局に挑むものの減収に歯止めがかからない。どうしたものか。


そこであるひとりの「男」に社内外の期待が注がれることになる。


大西 洋。


03年のメンズ館リモデルで初年度年間20%増収を果たした立役者として、そして物腰の低さ、謙虚さ、理知的かつ尖った感性を持つ、高い品位を備える人物として社内はもちろん社外でも高い人気を誇っていた。三越伊勢丹ホールディングス発足を機に三越常務に転身し、銀座店増床など新生・三越に向けての陣頭指揮を担うものとみられていた。伊勢丹にとって歴史も長く売上規模も大きな三越との経営統合を順調に進めるための要職といっても良かった。

一方で、もともと武藤は先述の二橋か中込を自らの後継に考えていたという。しかしながら、この困難を切り抜け伊勢丹を再成長に導けるのは大西しかいないと決断、三越常務就任から1年経過せずして伊勢丹に呼び寄せ、陣頭指揮を託す。


大西は武藤と並び、伊勢丹の社長に就任する記者会見をおこなう。

大西はこの場でメッセージを発信する。

「強い伊勢丹を、取り戻したい。」


大西は社長に就任するとすぐ、店頭の異変に気づく。

二橋・中込が主導した増収策でフライングセールばかりの状態となっていたのだ。

セールの乱発で店頭の人財が自信を失い、客も長く続くセールに辟易としていたのだ。

それを見て就任早々、大西は全社に号令をかける。

「もうセールはするな。」

それによりフライングセールは中止、セール期間そのものも短縮されることとなる。


「(伊勢丹が低迷した原因は)1つは自分たちの都合で仕事をしていた点にある。(中略)たとえばオンリーアイに代表されるように伊勢丹にしかない商品を追い求めてきたが、その反動が出てきた。社内でのその成功体験が大きく、今でもモチベーションが高い。その結果、オンリーアイ作りに集中し、全体の商品政策が見えなくなった。だから、(伊勢丹新宿)本店でも本来顧客ターゲットが違う3階と4階のターゲットがあいまいになり、顧客が迷っている。これまでは顧客の店内での行動をイメージしながらフロアを作ってきたが、本来のマーケティング展開が崩れた。」

(2010.6.25 日経より)


大西は伊勢丹のあるべき姿について、誰よりも知悉していた。そして伊勢丹に訪れる客の期待を上回る事こそ伊勢丹のミッションであるとして、高いレベルでのストア構築に強い情熱を持っていた。12年夏にスタートさせたセール時期適正化もそのひとつ。セールスタートを他社から2〜3週間遅らせることでプロパー販売期間を延長し実需志向の客層に高い満足度を供する政策はきわめてコンサバティブなアパレル・百貨店業界に風穴を開け、大きな議論を巻き起こすこととなる。


その中で大西は、ストップしていた新宿本店の6次再開発、殊に婦人服フロアリモデルのリスタートの必要性を訴えていた。

しかし、社内で大きな反対が起こる。反対派の急先鋒となったのが三越伊勢丹HD専務で管理畑を司る高田。業績が急回復している中でリモデルの必要はないと。

「誰が責任を取るんだ?」

役員会で怒号が飛ぶ中、役員は総じて俯く。

その中で、ひとり堂々と、前を向いた男がいた。


結果的に投資の全責任は大西が負うことを条件に、単年度100億円の予算を勝ち取った。


本館2階〜4階を対象とする新宿本店のリモデルに際して、あるべきマーケティング展開を考察することからスタートした。その中で顧客層の捉え方をゼロペースで見直し、これまでのエイジと属性では計りきれないライフスタイルにおけるカテゴライズを導入することで、「ISETAN」を再定義した。

加えて環境デザインに建築的要素を織り込むために建築家の丹下憲孝とインテリアデザイナーの森田恭通を起用、両氏は館内を「美術館」に見立て、ふたつのエスカレーターとそれらを繋ぐ場所を「ホワイエ」に、そして「ホワイエ」をぐるりと1周することですべての「展示室」を訪れるような設計を発案した。

本館3階

(出典:三越伊勢丹)


これは現在の伊勢丹新宿本店の本館3階。美術館のホワイエに見立てた空間を「パーク」としてフロアコンセプトごとに最新・最旬のものを提案できる場として展開、先述の通り「パーク」の外周をひとまわりすると北側の「スペシャルブース」と位置付けたフロア以外のほぼすべてのフロアを、まるでミュージアムで美術品を愛でるとにゆったり買い回れる空間に仕立てた。現状、「パーク」の中央ゾーン以外には箱型のショップが展開されているが、これは本来の「パーク」の主旨とは反する。現況への批判は加えないまでも、大西時代の新宿本店にはなかったものであることは付け加えておかねばなるまい。


各階の展開分類はこうだ。

3階は世界の4大コレクションを伊勢丹なりに解釈し落とし込んだ「モード」のフロア。まさにここは伊勢丹が常に日本をリードしてきたフラッグシップとしての矜持。4階はオーセンティックを基軸にジュエリー・ウォッチを包含した「本物・上質」を集めたフロアに。他の百貨店ではラグジュアリーはほぼワンフロアに収められるが、伊勢丹の場合は3階と4階で各々との親和性を鑑みて分離展開となった。残る2階は社内で色々議論があったというが、「TOKYOトレンド」のフロアとして展開するに至った。もとは新宿本店の2階はヤングレディスの聖地であったが、あえてエイジレスとしたことでフロア全体に新たな活気を呼び込んだ。「イセタンガール」が2階に移転した後のB2には2階の「ビューティーアポセカリー」が2倍に拡張して展開され、新たに90席のカフェやエステサロン、レディスクリニックなども併設し、女性の美を全面的にサポートするフロアとなった。


新たなストアテーマ。


世界最高のファッションミュージアム


伊勢丹は日本一ではいけない、世界最高であるべきとの大西の強い信念が込められたメッセージだ。



2013年3月6日午前10時。

伊勢丹新宿本店、リモデルグランドオープン。


復原された正面玄関を取り囲むメディアに、この日を待ちに待った客の行列。社長の大西は正面玄関のすぐ脇に立ち、ひとりひとりの客に丁寧に挨拶していた。


実はこの前日、大西は眠れなかったらしい。社内の反発をも押し退けてリモデルを成し遂げた興奮に加えて、客に受け入れられるかという一抹の不安もあったのかもしれない。しかしながらその不安は杞憂のものとなる。フロア内のトラフィックの変化により売場面積は12%も減らした中で10%の増収を目指すというチャレンジングな目標値をなんなくクリア、なんと目標の増収額のほぼ2倍の20%の増収を達成したのだ。


大西が社長を退任して丸6年。酷い経営者に支配されて厳しい時代もあったが、今では富裕層に支えられるかたちで過去最高額の売上を叩き出すに至っている。でも私は心のどこかで素直に喜ぶことができない。その全てを論うことはここではしないが、ひとつだけ申せば、「世界最高のファッションミュージアム」…「世界」を見据えた夢や野望、あるいは豊かな感性が消え失せてしまい、「日本一」や「過去最高」などという数字や単語に満足してしまってはいないか。

かつて大西はこういう事態に直面している。あるラグジュアリーブランドのシューズブティックに担当レベルが平場移転の要請をしたところ、"箱"でなければ退店すると伝えてきた。10坪くらいで年間2億を取ってくる稼ぎ頭の退店は困ると社長の大西に泣きついたところ、大西はこう言い放ったという。

「出ていくって言うなら仕方ないでしょ。」

後日、大西はその真意を、笑顔を湛えた優しい目でこう語っている。

「箱にすれば目的性を持ったお客様には良いが、伊勢丹のお客様には合わないですからね。それは伊勢丹がやるべきことじゃない。」

「伊勢丹のお客様」目線を貫き通さんがために、あっさりと2億を捨ててしまった経営者。

でも、私はこの頃の伊勢丹新宿本店が好きでたまらない。

どこまでも、どこまでも、客を主役にするストアを目指した大西が創りあげた「世界最高のファッションミュージアム」。これこそ、私にとってのマイストア…永遠のマイストアであることに、生涯変わりはないだろう。


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