大阪・梅田の阪急本店は12年に建替えられていますが、建替が実施される前、1972年から00年ごろまで存在した「阪急百貨店特別食堂」という豪華なレストランの壁面には、ある庭園の写真パネルが一面に飾られていました。

ウエイターさんに「これはどこのお庭ですか?」と尋ねた答えは「東京の六義園(りくぎえん)です。」と。

それで上京した際に行ったのが、和歌山との縁のはじまりだと私は思っています。



東京・文京区にある六義園は、山手線の駒込駅から徒歩圏内にあります。もとは徳川5代将軍であった綱吉に仕えた老中・柳沢吉保邸としてつくられ、その後荒廃するも三菱の創業者・岩崎弥太郎が復興し今に至るそうであります。



「片男波」「吹上」「妹背山(妹山・背山)」「藤白(藤城)峠」「紀の川」(※括弧内は園内の名称)など和歌山市・紀北地方の方々には馴染みある名称が使用されていて、和歌山の誇る名勝・和歌浦(わかのうら)の景観にインスピレーションを得て作庭されたことが窺い知れます。

この時に、和歌山の名が和歌浦に由来すること、そして和歌浦はその名のごとく「和歌」に由来することを知りました。私がまだ高校生の頃の話です。




そこから20年以上経った昨年、和歌山の街おこしを考える大学生とのご縁を頂きました。どこから手をつけて良いものかと悩む大学生に、私は和歌浦を見ることを強く薦めました。


街おこしというとすぐにイベントと直結させてしまいがちでありますが、イベントはあくまでカンフル剤でしかなく、連発すれば費用対効果が落ちることは実証ずみ。街おこしに永続性を持たせるためにはブランディング化、あえて日本語で置き換えれば世界観の醸成がマストであると私は考えます。


では和歌山の世界観とは何なのか?


海を知らない万葉人が足を運び、多くの歌人がこの絶景を和歌にしたことが名の由来とされる和歌浦、そしてその地に築いた城と城下を秀吉が「和歌山」と名付けた歴史…和歌山の原点は和歌浦にあり、という強い思いは、私が高校生の時に抱いて以来、変わっていません。


大学生にこうも問いました。

「和歌山」とは何なのか、どこを指すことばなのかと。


当然、和歌山県と答えるのでしょうが、広域自治体の道府県名はその本庁の所在地の地名(藩名)もしくは郡名が使われていて、和歌山県は徳川御三家の中で唯一、藩名が県名に採用されています(名古屋→愛知県、水戸→茨城県)。和歌山に本庁があるから和歌山県と名付けられているわけで、和歌山県を代表する観光地である白浜にしろ熊野・那智にしろ高野山にしろ、和歌浦に由来する「和歌山」とは明確に異なる文化形成があったと考えています。「和歌山とは何なのか」という私の問いには、単に街おこしの表層ではなく、そのルーツを正しく知り、地域が持つ素晴らしい文化性に気づいて掘り下げていくことが必要なのだというメッセージを込めたつもりであります。


その大学生になんで街おこしなのかを訊いたら、

「その地域の元気なコミュニティに参画して、一緒になって過疎化に立ち向かいたい」のだと。

こういう子の存在こそが、経済の減衰が加速度的に進む和歌山にとって最大のポテンシャルであります。私ができる事として、ブランド戦略の基礎から徹底的に叩き込み、当人の情熱と知見、そして人脈を基礎にしつつ、唯一無二の地域共創のスペシャリストにすることこそが、ありがたいご縁を頂いた私自身の責務であると思っています。


「その2」以降では、和歌山ブランド化戦略についてポテンシャルと課題を論じてまいります。


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