阪神タイガースが2005年以来18年ぶりの優勝に向けて、本日(23.8.25)現在でマジックを24に減らしています。きょうはその親会社のお話です。


阪急阪神ホールディングスは現在でも唯一といえる大手私鉄同士の経営統合であります。特に阪急と阪神はコンテンツ力に長けた企業集団であり、宝塚歌劇に代表される阪急は「グレード感」「エレガント」、プロ野球球団・タイガースが看板の阪神は「マス」「庶民性」がそれぞれの主だったイメージといえます。


(大阪・池田市の「小林一三記念館」にて)


阪急のグレードの礎を築いたのは創始者・小林一三翁(雅号:逸翁)であると私は考えていますが、逸翁はあくまで大衆により豊かなライフスタイルを提供するためのさまざまな提案を社会に投げかけていきます。大阪市内から当時は田園地帯であった池田・宝塚に伸びる線路を活用して住宅地をつくる際も、「美しい水の都は夢と消えて、空暗き煙の都に住む不幸なる我が大阪市民諸君よ」とパンフレットで強く呼びかけているとおり、あくまでターゲットは郊外に別荘を持つ富裕層ではなく、大阪市内に居住するサラリーマン。購入方法も日本で初めて住宅ローンを取り入れるなど画期的な取組も支持され、電車開業に合わせて開発した池田室町は瞬く間に完売、豊中や箕面線の桜井でも同様の開発が相次いでなされました。



宝塚歌劇団の発祥もそもそもは「家庭享楽」を謳ったもので、文化的なものを大衆に広く認知させるという大きな目的のもと、観劇料を下げる取組として4000人収容の大劇場の開業に至ったのです。阪急百貨店の開業時については、プレビュー招待は地元の名士たちではなく阪急電車の定期券を持った旅客だったのだそう。これも逸翁の大衆への強い思いが窺い知れるエピソードのひとつといえます。



逸翁の描いた大衆思考の大きなポイントは、ただ所得の低い者が安く消費行動を起こせるというイージーな思考ではなく、豊かな生活を志す人たちに対して、いかに夢を提供するかにありました。1929年の阪急百貨店開業時には平安神宮や築地本願寺のデザインも手がけた伊東忠太氏にコンコース空間の設計を依頼し、四神が鎮座する壮麗な駅舎と百貨店エントランス(新築ビル13階に移築、23年3月までレストランとして営業、その後の扱いは未発表)が誕生しています。現在は第一ホテル東京として営業している地に立っていた新橋第一ホテルもターゲットはビジネスパーソンであったため部屋は必要最小限の機能と面積に留めつつもロビーは当時ライドが設計した帝国ホテル並みの絢爛さであったと伝わります。「安かろう悪かろう」の着想を逸翁は徹底的に嫌っていて、宝塚の遊園地内の食堂でコストダウンを目的に海苔の質を落としているのを気づき、責任者を呼びつけ大いに叱責されたという逸話も残っています。




その中で当時の大衆、要はファミリー層が大きな所得を持つようになったとき、実直に自分たちに向き合ってくれた「阪急」への深い愛着を感じて、顧客として他社に転移しなかったため、阪急のグレード感は決定的なものとなり、高いブランドイメージを維持するに至ったと私は考えています。さすがの逸翁もここまでの「見返り」は期していなかった…というか、想像すら出来なかったのではないかと思い至る次第です。



対する阪神は工業都市を縫って走る鉄道会社でありました。阪神タイガースの名の由来はデトロイト・タイガースであり、阪神線の沿線と工業都市であるデトロイトの近似性から生み出された名とされます。公害や地盤沈下等による阪神工業地帯の大幅な衰退や阪神・淡路大震災による沿線の木造家屋の倒壊などより、今では高層マンションも建ち並ぶ近代的な景観が形成されつつあるものの、イメージの上では阪急沿線に及ぶべくもありません。


この両社の統合の契機となったのが05年のいわゆる「村上ファンド」による阪神電鉄・阪神百貨店株の大量保有問題。阪神電鉄は当時、簿価会計だったため、土地建物の多くを取得時(もしくは建築時)ベースで計上していたため、大量の含み益があると見越した村上世彰氏は、かねてより阪神電鉄株に興味を持っていたとされます。そこでタイガース優勝のご祝儀相場と見せかけた時期に大量の買い注文を入れます。村上氏の狙い通り、経営陣はご祝儀相場と受け止め買収防衛策を取らず、大量保有報告書が出た時にはもはや後の祭り。京阪電鉄などあらゆる企業にファンドが保有する大量の自社株の引き受けを依頼するも不調に終わっていた時期に、ある1社が阪神電鉄株買収に名乗りを上げました。


それが、一三翁が創始した阪急電鉄からの伝統を誇る「阪急ホールディングス」でした。


阪急は1株930円でTOBをかけると明言、村上氏サイドには迷いもあったかもしれませんが、別件、ニッポン放送株の取引をめぐるインサイダー事件で逮捕間近であった村上氏は阪神株全株放出を決定、阪急HDは阪神電鉄を一旦子会社に置いたうえで、両社間で株式交換を実施、阪神電鉄をHDの100%子会社としたうえでHDは「阪急阪神ホールディングス」に社名を変更、いまに至ります。



この経緯から、阪急と阪神は「経営統合」とされますが、実質は阪急HDによる阪神電鉄の子会社化、および阪急HDの社名変更、というのが正しい解釈であります。ただし当初の役員比率であったり新社名やおもに逸翁が創始した企業連合におけるグループ名(阪急阪神東宝グループ、持株比率の関係から会社法上の企業集団にはあたらない)において阪神電鉄には最大限の配慮がなされていたことは特筆されます。



阪急HDにとって阪神電鉄株の「ウマミ」はどこにあったのか。その最たるものが村上氏が目をつけた同社の含み益であったことは言うまでもありません。バブル期においても堅実経営を続けた阪神は、この騒動前の段階で阪急を遥かに凌ぐ財務体質を誇っていた、それを取り込むことで、不採算事業からの撤退を進めリスタートを図らんとする自社の成長投資に繋げようと画策したということは容易に想像できます。事実として「阪急阪神」誕生後はきちんと成長投資を続け、企業としてふたたび成長軌道に乗せることに成功しています。


ただしこの「魂胆」を見透かす動きは阪神電鉄社内にも当初からありました。阪神電鉄の取締役会で阪急HDへのTOB要請の議案について、2人の取締役が反対票を投じています。ひとりは三枝輝行専務、阪神百貨店会長を兼務していて、ライバル阪急とは一緒に仕事はやれないと統合決定と同時に辞任した人物です。もうひとりは井本一幸副社長、不動産事業の責任者であって、やはり阪急HDの狙いを見透かして、役職を投げ打って反対票を投じたといわれます。


阪急阪神は「統合」して16年目を迎えます。この時のアレルギーからか、未だ旧阪神出身で阪神タイガースの社長として故・星野仙一氏を監督に迎えたことで知られる野崎勝義氏からは「タイガース球団の監督人事は阪神側が決めるべき」という発言が聞かれるなど、旧社意識は根強く残っています。企業イメージでも長らく阪急の後塵を拝し続けた阪神にとって、阪急へのアンチテーゼがあまりに強いことが窺い知れる面といえることに加えて、統合の経緯が阪神にとっては望んだものとはいえなかったため、グループ内における売上規模では数%程度という阪神タイガースの監督を決める人事ですら、HDと現場で軋轢が生じるという結果を生んでしまっています。これではガバナンスはどうなっているのかという疑問がステークホルダーから上がっても仕方ありません。



一方でHD統合の1年後に誕生した阪急百貨店と阪神百貨店の統合企業である「エイチ・ツー・オー(H2O)リテイリング」は見事に両社両本店を融合させたうえで、イズミヤや関西スーパーなども傘下に収めて売上(総取扱高ベース)1兆円に迫るほどの成長を遂げています。同社にももちろん課題はありますが、阪急阪神の統合企業の中では成功例といって良いと感じています。


強靭な財務体質を背景にしっかりビジョンを持った投資をおこない、収益力強化に繋げることで株価上昇に導くことこそがマネジメントが株主から背負ったミッションである以上、それぞれ「阪急」「阪神」に固執しつづけるのではなくて、収益化への早道を見出しアクションを起こすことが必要であります。そのためにはマネジメントの中枢から確固たる完全統合へのメッセージ発信が欠かせない。その意味で、宝塚歌劇と並んでグループのコンテンツビジネスを率いる阪神タイガースの球団オーナーへの「純然たる『阪急』出身者」である杉山健博さん(阪急電鉄・阪急阪神HD前社長)の就任は大いに歓迎すべき事案であると考えております。


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