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日本語の主語について連日の投稿です

 

お付き合いください爆笑

 

昨日、

日本語というのは

話している相手とお互いが共通で

認識している情報があるので、

主語を省いても通じるのだ、

ということを書きました。

 

 

これって、凄いことなんじゃないかな、

って思いまして

 

私たちが日本語を話す時、

共通の情報がすでにありき、

ってことに

なんか感じ入ってしまっています照れ

 


一般的に言われていることですが、

欧米は、”個”の文化と言われています。

 

”個”が際立ってこそ、成り立つ文化。

 

だからこそ、

言葉も「私は」「あなたは」とか

必ず、言わなくてはいけない。

 


でも、

日本語って、まず、

「私は」もですが、「あなたは」とか

言いませんよね‼︎


そこには

敢えて言わなくてもわかる、

共通の情報を共有している感じが

します。

 

その感覚が

一体感ともいうのかもしれません。

 


私たち日本人って、

古来からずっと

自然と共に一体になって

生きてきた民族です。

 

自分という人間の前に

まず

自然ありき、みたいな。

 

そうなると、

それこそ、自然と

”個”で考えなくなるのではないかなあ、

と思いました。

  


大きな括りの中での”個”である”私”。

 

そして、目の前にいる”あなた”。

 

あら、なんかステキ〜ラブラブラブ

 

そんな感覚もあって、

「私は」とか、いう必要が

無くなったのかなぁ。

 


日本語が

主語がなくても通じる、ということは

 

私たち日本人は、

本来

「人と繋がっていこう」

いや、もうすでに

「人と繋がっている」

という感覚を

持ち合わせているんじゃないかな。

 

もちろん、

どんな言語も

人と繋がるためにあるとは思いますが、

 

言語が

その為にあるのか

それとも

そのツールとしてあるのが、

では違ってくると思います。


日本語って、

自然と、人と繋がる為に

それをより繊細に

表された言語ではないかしら。

 

と思うと、

こうやって日本語を話したり

書いたりすることに

 

わくわく高揚感を覚えてきましたラブ

ちょっと変態爆笑

 

あっ、

でも、そうは言っても  


「みんなが言ってる」

「みんなが持っている」

と言うのは、

ちょっと、その、人と繋がる感覚を

悪用?している気がするチューチューチュー


この子とは共通の情報があるのかチュー