ゴーゴー塾、塾長のじゅんじゅんです![]()
ゴーゴー塾

日本語の主語について連日の投稿です
お付き合いください![]()
昨日、
日本語というのは
話している相手とお互いが共通で
認識している情報があるので、
主語を省いても通じるのだ、
ということを書きました。
これって、凄いことなんじゃないかな、
って思いまして。
私たちが日本語を話す時、
共通の情報がすでにありき、
ってことに
なんか感じ入ってしまっています![]()
一般的に言われていることですが、
欧米は、”個”の文化と言われています。
”個”が際立ってこそ、成り立つ文化。
だからこそ、
言葉も「私は」「あなたは」とか
必ず、言わなくてはいけない。
でも、
日本語って、まず、
「私は」もですが、「あなたは」とか
言いませんよね‼︎
そこには
敢えて言わなくてもわかる、
共通の情報を共有している感じが
します。
その感覚が
一体感ともいうのかもしれません。
私たち日本人って、
古来からずっと
自然と共に一体になって
生きてきた民族です。
自分という人間の前に
まず
自然ありき、みたいな。
そうなると、
それこそ、自然と
”個”で考えなくなるのではないかなあ、
と思いました。
大きな括りの中での”個”である”私”。
そして、目の前にいる”あなた”。
あら、なんかステキ〜![]()
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そんな感覚もあって、
「私は」とか、いう必要が
無くなったのかなぁ。
日本語が
主語がなくても通じる、ということは
私たち日本人は、
本来
「人と繋がっていこう」
いや、もうすでに
「人と繋がっている」
という感覚を
持ち合わせているんじゃないかな。
もちろん、
どんな言語も
人と繋がるためにあるとは思いますが、
言語が
その為にあるのか
それとも
そのツールとしてあるのが、
では違ってくると思います。
日本語って、
自然と、人と繋がる為に
それをより繊細に
表された言語ではないかしら。
と思うと、
こうやって日本語を話したり
書いたりすることに
わくわく高揚感を覚えてきました![]()
ちょっと変態![]()
あっ、
でも、そうは言っても
「みんなが言ってる」
「みんなが持っている」
と言うのは、
ちょっと、その、人と繋がる感覚を
悪用?している気がする![]()
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この子とは共通の情報があるのか![]()

