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日本語って凄いなぁ、と思っていることについて

あれこれ書いていますニコニコ

 

先日娘と出演したYouTubeでも

出てきた話なのですが、

 

日本語って、主語がなくても

伝わる言語なのですよね。

 

英語やフランス語などは

必ず、主語を言います。

 

でも、

私たちが日常で

日本語を話す時には

「私が」とか主語を

使わないことがほとんどですよね。

 

それでも通じるのが日本語!

 

以前、聞いた話ですが、

日本語というのは、

聞き手や読み手を前提

文が組み立てられる言語なのだそうです。

 

つまり、

お互いが共通で認識している情報があり、

それを省いても通じるのだそうです。

 

だから、

主語も

話している人たちの間で

共通認識しているものであれば、

省略できるのです。

 

でも、

この共通認識、って

不確定というか、

実は曖昧なのでは、と思います。

 

だから、

相手も共通認識があるつもりで

話していると、

違っちゃった!、

からの誤解が生ずることがあるのです。

 

そのことについては

こちらでも書きました爆笑

 

https://ameblo.jp/55jun55jun/entry-12785321002.html

 

 

でも、逆に

主語がないからこその

自由さや趣もあると思いますラブ

 

例えば、

宮澤賢治の『雨ニモマケズ』は、

はじめからずっと

主語が書かれていません。

 

誰が「雨にも負け」ないの?

誰が「風にも負け」ないの?

 

って読んでいくと

最後に来るんです、

 

「そういう者に 私はなりたい」

 

ヒュ〜

カッコいいなあ〜ラブ

 

そして、ずっと主語がないまま

読み進めていくうちに

自分ごとになってくる感覚があります。

 

これは詩という表現の中だからかもしれませんが、

詩だったら、英語でも主語がないことがあります。

 

こうやって最後に

主語がドーンと来るなんて

 

奥ゆかしさと共に

より主語である「私」が浮き彫りになって

 

めちゃ感情に働きかけてくると

思いませんか?

 

普段話している時は

コミュニケーションを円滑にするためにも

主語を示すことは

大事かと思いますが、

 

あえて、

主語を明確に示さないことで

想像が膨らみ、

いろいろな感情が味わえるのも

日本語の凄さだと思いましたラブ

 

 


こんなTシャツもあるんだね爆笑