雨なので思い出話 | ローライダー
 何だかジメ〜っとした天気ですなぁ〜。
 気温は割と低くて過ごしやすいんだが、このまとわりつくような湿気で気分が晴れないんだよなぁ。
 ここんとこあんまり面白いこともないしなぁ。
 まだ給付金の10万円も貰えてないんだが、ヘルメットを購入する計画が、RX-8の修理代に消えそうだしなぁ。
 もう溜息しか出ないわ。ショボーン

 なんて景気の悪い話ばかりで、つまんないなぁ。
 こんな時は、昔の思い出に浸ってみようかなぁww。
 ってことで、これは僕が高校生だった頃に、友達3人で初めて泊まりがけでツーリングに行った時の思い出話です。



 ツーリング初めて物語ww

 そう、あれは1978年の高2の春休みのことでした。

 当時はまだ、みんな原付バイクしか持っていなくて、それでもなんだか楽しくて、地元周辺を中心にブリブリ走り回ってました。

 そんなある日、誰が言い出したかは思い出せないが
 「春休みに温泉に行こうぜ!」
なんて言い出した奴がいたのです。

 当時いつも連んでいた、T口君とI谷君と僕で何故かやたらと温泉の話で盛り上がっちゃって、これまた誰が買ってきたかわからないけど、温泉ガイド本を持ってきて、あーでもないこーでもないと行き先を相談していたのです。
 とはいえまぁ、高校2年生の多感なころです。

 当然といえば当然だが、頭の中は
 おねぇちゃん
のことでいっぱいになっていたころです。
 その温泉ガイド本に載っていた「歓楽的な」っていう一文に激しく反応した奴がいたのです。

 それが、T口君かI谷君か、はたまた僕なのかは覚えていませんが、その温泉がどこにあるのか、どんなとこなのかは二の次で行き先が決まってしまったのです。

 川原湯温泉

 今まで一度も、見たことも聞いたことない名前でしたが、そのガイド本に載っていた「歓楽的な」という16歳の高校生には物凄い想像を掻き立てる言葉に惹かれて決定でしたwwww。
 宿の予約とか、いろいろ準備をして、もう歓楽的な想像wwで股間も爆発しそうになりながらXデーを待つ。

 やがて決行の日。
ヽ(*^ω^*)ノ
 3月下旬ころです。
 前夜から僕の家に集合して、朝4時に出発しようということで僕の部屋で雑魚寝したのですが、それにしてもまだ若いし、翌日のこと…あんなことやこんなことwwいろいろ(エロエロww)想像しちゃって、ろくに眠れず2~3時間も寝ただろうか。
 緊張感もあって3時半ころには起きてしまい、いよいよ出発です。
 外はまだ真っ暗です。

 それぞれのバイクは
  T口君はYAMAHA GT80(ミニトレ)

  I谷君は同じく MR50
  そして私が同じく TY50
の3台です。
 バイクの荷台に、マジソンバッグwwとかゴムバンドで括り付けて、さぁ旅立ちだぁ!

 一路、東京都板橋区の自宅から国道17号線(新大宮バイパス)を北上して行きます。
  精々5・60km/hくらいしかスピードが出ない原付は、車道の左端をカルガモ親子のように一列になって走るのですが、そのすぐ右側を大型トラックが80km/h以上のスピードで追い抜いて行くんです。

 いや~っ!怖い怖い。
:(;゙゚'ω゚'):

 トラックが巻き起こす風圧に耐えて、よたよたと走りつつやがて群馬県の高崎に到達。
 そこから更に北上して、たしか渋川市内辺りだと思うが、T口君が私のバイクにいきなりおカマを掘ったのです!
(>_<)
 転倒こそ免れましたが、やっぱりここにきて疲れが出たのでしょうか?

 このアクシデントで、僕のTY50に装着していたノグチ製チャンバーが破損して、排気ガスがマフラーから出るはずが、溶接部が割れてしまい横からも出るようになっちゃって…
 まぁ、走行には支障が無かったからよかったんだけど、危ないなぁと思った。

 そうこうしている内に、だんだんと山道に入って行きます。
 チャンバー装着の私のTY50はパワーが上がった分、トルクが無くなり山道ではかなり苦労していたんだけど、とうとう動かなくなっちゃって。

 いやぁ~、参ったねぇ…

 なんて途方に暮れていたら、原因が判明した。
 なんのことはない、2ストオイルが無くなってしまっていたのです。
 だがこれは、僕の痛恨のミスだ。
 だって、もう山道に入っていたのでバイク屋もGSもないのですよ。

 どうしよう、今まで青息吐息の50ccバイクで、なんとか騙し騙し苦労して険しい坂道を登ってきたんだ。
 それなのに、ココから引き返さなきゃダメかな?なんて覚悟したら、なんとI谷君が
 「こんなこともあろうかとww」
なんて言いながら、ニヤリと笑ってバイクにくくり付けてあったバッグの中からオイルの1リットル缶を取り出した。

 アンタはエラい!

と思わず、小松政夫風に言ってしまったくらい感動しちゃいました。
(小松政夫って知ってるかな?)
 無事オイルの補給を終えて再度出発。

 それでもなんだか、どんどん山道を登って行って、そのうち道はどんどんと狭くなってきて、両側に雪が見えてきた。
 3月の群馬県を完全にナメてました。
 しかも、道は舗装も途切れて砂利道に…

 そもそもコースを考える時に、簡単に道路地図を見て
 「ここの道が近道じゃんwww」
なんて安易に決めたのがいけなかった。

 道の両側にあった雪が、路上に膝あたりまで積もってきて、辺りは真っ白なガスに覆われてきて…

 T口君のGT80は車輪が小さいからコントロールが効かずに転倒するし、私のバイクはチャンバーのせいで車高が低くてなかなか前に進まず、唯一調子いいI谷君はどんどん先に行っちゃうし、しかもなんと、みぞれまじりの雨まで降ってくる。
 ちょwwこれは、マジで遭難すんじゃないかと思ったくらいでしたが
 歓楽的な温泉❤️
を夢見て悪路に悪戦苦闘すること数時間、なんとか国道145号線に出たのです。

 そして、いよいよ川原湯温泉街に到着です!
 温泉街のメインストリートを進んで行くと…
 あれ?
 何だか人通りもなくて、なんとも寂しい感じです。
 埃だらけで傾いた「ヌード劇場」の看板…雨も降っていて誰も歩いている人もない…。

 だがこれも
 夜になればネオン輝く歓楽街になるのだ!
なんて、なんの根拠もない、まさに希望的観測だけを思いながら進んで行くと、一番奥まったところに確か川原湯温泉観光ホテルっていう名前だったか?
 とにかく目的の旅館に、やっとの思いで到着したのでした。

 とりあえず、荷物を解いて一休みしたのですが、もう疲れちゃって放心状態ですよ。
 ボケ~っとしている間に食事になり、少し休んでHなことを考えていたら?驚異的な回復力を発揮し、気力も体力もすっかり回復した。

 「よーし、野郎共!ネオン輝く夜の歓楽街へ出発だぁ~っ」

とばかりに歓楽街とやらに繰り出してみたら、やっぱりあたりは真っ暗で人っ子一人歩いてなくて、案の定ヌード劇場とやらは既に潰れていたのです。

 もうガッカリです…

 いったい何のために、一生懸命バイトしてお金貯めて、遭難しそうになるくらいの苦労してまでここまできたのか!

 ということで、ガックリと肩を落とし、意気消沈して宿に帰った。
 そしてまぁ、せめて温泉にでも入ろうぜーってなって、大浴場に行ったんだ。

 それでも若い僕らは、他にお客さんもいなかったからさ、キャッキャ・キャッキャと騒いでたんだ。
 そしたら、なんだかちょっとヤバそうなオヤジが入ってきた。

  僕たちは、そのヤバい感じの雰囲気に圧倒され、静かにしていた。
 見るとはなしに何となくそのオヤジを見ると、オヤジには体に絵こそ描いてなかったが、胸の下からヘソあたりまで縦に手術の痕があった。

 オヤジはこっちが訊いてもないのに何故か
 「おぅ、お前らどっからきたんだ?」
って話しかけてきた。
 「東京です」

なんて答えると
 「この傷はなぁ…」
と聞きたくもない、オヤジの胃袋を摘出した物語を温泉でのぼせそうになるまで聞かされたwww。

 今となっては、そのオヤジの話の内容は全く覚えてないので、上の話はそんな感じの話かな…くらいに聞いておいて下さい。

 それでもなんだかヤバい感じっていうのは覚えてましたねぇ。
(^_^メ)

 その後、部屋に戻ったら布団が敷いてあって、あとは寝るだけっていう感じなんだけど、何だかみんなイマイチ納得できない。

 散々苦労してここまできたのに、「歓楽街」とやらは寂れているし…

 もう仕方がないから、TVの横にくっついているブラックボックスのお世話になるしかない。
 苦渋の選択です。
 確か30分300円っていう、当時の僕らにとってはべらぼうな金額がブラックボックスに書いてあります。
 しょうがないので、ひとり100円づつ出し合ってTVのチャンネルを2番に合わせて3人で固唾を飲んで見守っている中、I谷君が集めた100円玉を3個入れた。

 砂嵐状態だった画面がパッと鮮明になる!

 その画面に映っていたのは、なぜか真っ赤な薔薇の花びらが開いていってその真ん中に
 「完」
って書いてあって、ものの数十秒で砂嵐状態に戻ってしまったんですよ。

 え~~~っ、おいおい勘弁してくれよ~っ!
 未成年者の僕らが
 「エロビデオが映んねーだろうがコラ!」
なんて旅館にクレームつけるわけにもいかず、泣き寝入りですわ。
 ただ、この今の状況を信じることができず、目に涙を浮かべてTVの前から離れず、砂嵐の横のブラックボックスに100円玉を入れ続けた男がひとりいた。
 T口君と私はもうダメだと諦めたんだけど、I谷君だけは、なんとひとりで500円もの大金を突っ込んでいたのです。

 私とT口君はI谷君をはがい締めをするような勢いで
 「こら、もうやめろ!」
 「I谷君、もうダメだよー目を覚ましなよ」
 「オレ達には、ビデオも見る権利がないんだ」
なんて言いながら止めたのです。

 結局、歓楽的な体験は何もできず、見ることも許されず、さすがに朝4時から走りっ放しでここにきて疲れがどっと出てきちゃって早々に寝ました。

 帰りのことはよく覚えていない。

 翌日はよく晴れていて、多分順調な旅だったんだと思います。


 まぁ、青春の1ページでしたね。


 その時の仲間は今だに付き合いがあります。

 何年か後に、川原湯温泉や吾妻渓谷あたりがダムの底に沈むと聞いて少し寂しいな、なんて思ったのを覚えています。


 ということで、十代の小僧たちの冒険物語でした。


 おしまい



 今から四十数年前のツーリングのお話でした。
 バカですねー、3月の群馬って、まだスキーができる時期ですからね。

 しかも、例えヌード劇場が開いていたとしても16歳やそこらの小僧が、そのヌード劇場とやらに入れてもらえるのかってことまで考えてなかったわwww。


 十代の小僧にとってエロというのは、思考力や判断力を奪ってしまう代わりに、不屈の精神と無尽蔵の体力を与えてくれるものだと知った16の春でしたww。


 ちなみに、この川原湯温泉は未だにダム建設が進まず、数年前まで残っていました。
 そのダムというのが、民主党政権発足当時
 「コンクリートから人へ」
とばかりに工事を中止してしまった
 八ツ場ダム
なんです。

 今は工事が再開されて、もう出来上がっているのかな?
 かつてあった、川原湯温泉の場所はダム湖の底に沈んでしまうそうです。
 これが約1年前の八ッ場ダムの状況ですね。

 ということで、四十数年前の話なので、記憶違いやニュアンスの違いなどあるかも知れませんが、これは事実です。

PS
(これは2012.11.17「ツーリング初めて物語」を再掲リニューアルした記事になります)