どうもお疲れ様ですぅ~www。
ここんとこ、体のあちこちが痛いわ、仕事でもストレスが溜まってるわで、肉体的にも精神的にも追い詰められている感じがしているドテチンさんでございます。
まぁそんなことは、これまで生きてきて様々な困難を潜り抜けてきた僕にとっては些細なことなんですがねwww。
ところで今月11日に、旧民主党菅内閣の官房長官だった元衆議院議員仙谷由人氏(72歳)が、肺がんのため死去したそうな。
この方は、昭和21年1月15日、徳島県でお生まれになって、東京大学で新左翼運動の活動家で、学生運動に明け暮れ、東大安田講堂事件にも関わっていたそうな。
んで、在学中に司法試験に受かって、東大を中退して弁護士になったっていう経歴を持っている。
学生運動上がりの赤い弁護士となった仙谷氏、同じ弁護士事務所の後輩にはあの悪名高い福島瑞穂もいたとか。
弁護士時代は、主に労組や日教組関連、極左活動家の弁護を引き受けていたようだ。
政界入りは平成2(1990)年に、衆議院選挙で日本社会党公認で徳島県全県区から立候補して初当選を果たした。
その後一度は落選したものの、平成8(1996)年に新設の徳島1区で当選し、紆余曲折がありながらも民主党政権時代、鳩山、菅、野田各政権では閣僚や党の要職を勤めたが、平成24(2012)年も総選挙で自民党候補に敗れ、政界を引退したんだ。
そんな仙谷氏を一躍有名にしたのが、彼が菅内閣の官房長官を勤めていた平成22(2010)年9月7日の
「尖閣諸島中国漁船衝突事件」
だろう。
この事件については、事件当時の当ブログで記事にしていたので参考にして下さい
https://ameblo.jp/55dotechin/entry-10707847514.html
中国に抗議されて慌てた菅内閣仙谷官房長官(当時)は、司法に圧力をかけ、簡単に逮捕した中国漁船の船長を釈放させてしまった。
元弁護士だってのに、都合が悪くなると簡単に法律を曲げてしまうこの『弱腰外交』が国民の大きな批判を浴びたのをご記憶の方も多いだろう。
さらに、この事件の一部始終を撮影したビデオ映像を中国への配慮から非公開とし隠ぺいしてしまったのだ。
結局この映像は、当時海上保安官だった一色正春氏によってYouTubeに流出されてしまった。
そしてさらに、仙谷氏のサヨク度は高まっていく。
平成22(2010)年11月18日の衆議院予算委員会でも、自衛隊のことを
「暴力装置でもある自衛隊」
とポロっと本音を言ってしまったwww。
まーその他にもいろいろやらかしてきた官房長官でしたね。
彼の最大の功績は、これまで国防や外交に鈍感だった日本人を覚醒させてくれたことだと思います。
死者に鞭打つようなことは控えますが、日本にとって悪夢の民主党政権時代の象徴のようなお方でした。
まぁ生きてる時は、僕もいろいろと批判もしましたけど、とりあえずご冥福をお祈り申し上げておきます。
合 掌
PS
そういえば今年は、翁長沖縄県知事が膵臓がんで亡くなったんですね。
中国の傀儡とみられた人物が相次いで亡くなった感じです。
国政選挙では、国民はもう民主党的な政党が浮かび上がることはないと思いますが、沖縄県では、また似たような人物が沖縄県知事に当選してしまいました。
困ったものです。
合わせて、ご冥福をお祈りいたします。