「平凡」とノートにしたためて…から随分経ってしまいました。
では、その続き。
結局、タマラさんは3日間のツアーの中で
この「パン!」の言葉のことは、
全員の前では触れられませんでした。
なので、謎のままの人がほとんどです。
でも、その言葉に違和感が無かったり、
あってもそこから考えて、飲み込め、腑に落ちたのだったら
よし、なんだと思います。
私は、飲み込めませんでした。
夜になり、ウミガメの産卵をこの目で見て
夜の砂浜で、粘液とともに
砂の中にポトポト、ポトポトと
息継ぎしながら産み落とすその姿を間近に見て
息子を出産の時のことが甦り
ざぶーんと羊水が流れ出た時の「海だー」と思ったことなど
さまざまが甦って・・・
宵闇も手伝って
あちらが亀で、私が人間という境目が
どこかでなくなって・・・
本当に不思議な時間を過ごした。
が、宿に戻るとにわかに「平凡」を思い出した。
胸がざわざわする。
みんなが別棟の部屋に戻っていき、私たちも部屋に入るかというところで
「あの…ひとついいですか」と、タマラさんにギリギリの質問をした。
「あの昼間の パン! は何だったんですか?」
「ああ、Reikoさんは何だったの?」
「えっ…いや(言いたくなーい)、いや(言わんと!)
『平凡』だったんです」
「平凡でいいんだ?」
「嫌なんです!!!!!!!!!
だから、どうにも飲み込めなくて…。
なんでこの言葉だったのか…と」
「平凡じゃ嫌なんでしょう。
だったら、非凡でいいじゃない」
一瞬「きょとん」な私がいた。
でもその次の瞬間、芋ずる式にいろんなことが甦って来た。
小学生の頃の私は、下敷きに「非凡」と書いて
「非凡」でありたい!
そのためには…と、いつも考え行動していた。
そんな当時の私は、ちょっと行き過ぎた突飛な言動もあったのかもしれない。
教頭先生から、直々に「非凡」について説教?されたことがあった。
「非凡であることよりも、
まず平凡なことを平凡に出来ることが大事」
というような話だったように思う。
私の知らない「平凡の価値」があるのか?
あるならそれを先に知らないといけないんじゃないか。
それを知らずに「非凡、非凡」と言っているのは、
お馬鹿さんなのではないか。
強火を中火にするような「調整」
をかけはじめたのはその頃だったのかな…と思った。
それでよかったことも多々あったと思うが、
何か無意識のフラストレーションが溜まりだしたのもその頃からかもしれない。
4月に「アクセスハートコミュニケーション」の中級クラスの時に
タマラさんが、エネルギーワークの際、一人ひとりに言葉を掛けられた。
その時、私が掛けてもらった言葉が
「礼子さんは持っている能力を全部出していいのよ」
だった。
すっこーん!
ものすごく爽やかな、覆いがとれるような感覚があった。
心がにんまり!するのを感じた。
「いいんだ、出していいんだ!」
最後そこに繋がって、「平凡」は嫌な味がしなくなった。
「非凡で、いいんだ」と、すっきりしたが
今の私にとって「非凡であること」とは何だろう?
新たな課題が、目の前にぶらさがった。
……つづく。
☆アクセスハートプロジェクトより
来週は火曜日に「自分の能力を知るインプルーブ」
来週末は、1日の「自分と向き合うインデュース」
そして、直感を磨くアクセスハートコミュニケーション。
いずれも「東京」での開催です。
秋以降、再び中級クラスを開講する予定ですので
受講を目指す人は、コツコツアクセスを受講くださいね。