どうやら私にも「その時」が来たようでして、

本を出してみようかと思っています。
テーマはもちろん、

長年の会社員人生で拾い集め「働き方のリアル」
いわゆる「サラリーマンの心得」みたいなやつです。

 

先日、出版プロデューサーなる方と企画書の相談をしたところ、
開口一番こう言われました。

「ビジネス書は今、スマホのアプリ並みにあふれています。
 無名の人が売るのは、正直…かなりインパクトが必要です」

 

はい、いきなり急所。
こちらはアプリを立ち上げる前にフリーズしました。

さらに彼は続けます。

「たとえば、セミナーで1,000人動員して、

そのうち500人が人生変わりました!

と叫ぶくらいのバックボーンがあると売れるかもしれませんね」

いや、会社員やってると、1,000人どころか10人も集めるの大変なんですが。

 

でも結局のポイントはこういうことらしい。

「ネームバリュー、めちゃくちゃ大事」

たとえば、元京セラの名誉会長・稲盛和夫氏。
本のタイトルが 『心』
これだけで爆売れ。


そりゃそうだ。

あの「稲盛さんの心」なら、多くの会社員が読みたいだろう。

一方、私が『心』と題して出版したらどうなるか。
多分、書店で店員さんが、

「あ、これ誤発注だな」って返品ボタンを押すやつ。

 

というわけで、無名の私に必要なのは

エッジ

独自性

そして、会社員に骨まで寄り添うリアルさ

この3点セット。
有名人のビジネス書が「新幹線の総論」だとしたら、

私は「どローカル線の一点突破」で勝負するしかない。

 

具体的で、現場感あって、

読んだ瞬間に会社員の胃袋にスッとしみ込むやつ。

問題は、それを書くのがめちゃくちゃ難しいという現実。
(これ、ほんと。やった人はみんな言う。)


ビジネス書のあとがきに良くある、

作者の「もう挫折寸前でした」みたいな一文の気持ち、

いまなら100%理解できます。

 

ビジネス書界は、完全に戦国時代。
武器を持たずにフラッと入ると、

すぐに討ち取られる世界です。

それでも、
また企画書を書いてみようと思います。
会社員としての泥くさい経験こそが、

実は最大の武器なのかもしれないので。

12月に入りました。年末の風物詩といえば、寒さと忙しさと、

そして「年賀状どうする問題」。

 

当社では今年から、取引先への年賀状をきっぱり廃止します。

理由は色々ありますが、一言で言えば「もういいでしょ、年賀状」。

普段から会ってる相手に、

わざわざ紙で「今年もよろしく」と送る意味を見出すのが、

だんだん高度な知的ゲームになってきたわけです。

 

私自身、特に異論はありません。

むしろ「合理的でよろしい」と思っている派です。

出したければ個人的に出す。

 

ところが、この英断に最も衝撃を受けたのが、

うちの役員Aさん。

毎年、会社の年賀状を使って個人的に300枚送りつづけていた、

いわば年賀状界のヘビーユーザーです。

 

現役の取引先、過去の取引先。

さらには名刺交換で「一瞬だけ関係があった人」

「出しといた方がいいよね精神」が乗り、

300枚の大台に到達した模様。

 

会社が年賀状をやめると聞いたときのその役員の顔といったら、

まるで「信頼していた部下が突然辞めた」

くらいのショックを受けていました。

 

彼にとって、ここからの選択肢は三つ。

  • 300枚を一気に引退させる
  • 自腹で同じ枚数を続ける
  • 出す相手を絞って自費で継続する

合理的に考えればどうとでもなる話ですが、

彼にとっては「年賀状という儀式」そのものが大切だったわけです。

 

 

では、なぜそこまで?

おそらく彼にとって年賀状とは、

個人的なつながりの最後の一本の糸だったのでしょう。

特に、「かつての取引先」との関係。

 

もう仕事上は何の接点もない。

でも、もしかすると、またどこかで縁があるかもしれない。

そんな「儚い期待」が、

年賀状という形で現れていたのだと思います。

 

ビジネスの関係というものは、

基本的には仕事上の接点がなくなった瞬間から、

静かにフェードアウトしていくものです。

普通は相手に忘れられるし、こちらも忘れる。

それが自然の構造です。

 

しかし彼は、おそらくその自然の構造に抗いたかったのです。
「細くてもいい、一本でもいい、つながっていたい」と。

合理的ではないかもしれない。

でも、そんなところでバランスを取っていたのかもしれません。

 

合理的ではない。
でも、ちょっとかわいくて、なんだか人間くさい。

そんなAさんを見ていると、

「年賀状って、まだ案外悪くない文化なのかも」

と思えてくるから不思議です。

 

先日、当社も加盟している某業界団体の事務局を訪ねた。
で、出迎えてくれたのは――84歳の現役事務局長である。

 

この協会は設立33年。
そしてこの方は、その創設メンバーにして初代事務局長。
一度は「もうそろそろ潮時か」と勇退する予定だったのだが、
まさかの 「再登板」 が待っていた。

理由はシンプル。
後任が、引き継ぎの途中で音を上げて辞めたからだ。

 

この後任、キャリアは豪華だった。
東大卒 → 一部上場企業の役員経験 → 満を持しての事務局長就任。
(肩書きだけ見れば、完全に“できる人”である。)

ただひとつ……決定的な誤算があった。


就任前、この後任はこう思っていたらしい。
「事務局長なんて、椅子にふんぞり返ってればいいだろう」

ところが現実は、真逆だった。

 

この協会の事務局長は――
エクセルで資料を作り、ワードで議事録を書き、
対外文書もすべて自分で作成し、
Zoomのホストとしてオンライン会議も回す。
つまり 「お飾り」ではなく、「バリバリ働く実務職」 だったのである。

 

後任はこのギャップに耐えられず、
デジタルの荒波を前に 「これは無理」 と即退場した。

そこで白羽の矢が立ったのが、
一度勇退したはずの―― 84歳の事務局長。

 

つまり現役復帰したこの84歳、
後任が音を上げた「デジタル×実務の事務局長」を
いまだ普通にこなしているわけだ。

ZoomOK、ExcelOK、WordOK。
84歳にして普通にICTを使い倒す「働く事務局長」。

スマホ操作に億劫になって固まっている当社の60代役員とは、
もはや「デジタル適応度のヒエラルキー」が逆転している。

 

この84歳の姿に触れるたび、ふと考える。
会社員は何歳まで働くものなのか?

制度上は60歳で一区切りという会社も多い。
だが現実には、延長戦を自ら選ぶ人が少なくない。
その理由は、大方こうだ。

 

経済的な安定
年金と退職金だけでは生活はできても人生は楽しめない。
だから働く。

健康と活力
働いているほうがシャキッとする。
脳も筋肉もサビない。

社会的な関与
居場所がほしい。人の役に立ちたい。つながっていたい。

 

この84歳の事務局長を眺めていると、よくわかる。
「働く=自分がまだ必要とされている証拠」 なのだ。

社会貢献、人とのつながり、自分の役割、
この三つが揃っているからこそ、彼は今も自然体で働いている。

 

結局、定年後に必要なのは
「お金」よりも 「どう生きたいか」
「肩書き」よりも 「どこで役に立ちたいか」

この84歳を見ていると、
「働き続ける人生も悪くない」
そんな気持ちがふっと湧いてくる。

忘年会の誘いがチラホラ届く季節。


かつて営業畑にいた若い頃は、

12月のカレンダーなんて「ほぼ飲み会アプリ」だった。
上旬から月末まで、見事に真っ黒。

 

夕方スタート、場合によっては明け方フィニッシュ。
今思えば、あれは仕事じゃなくて「耐久レース」だったんじゃないか。

若さとは偉大で、あの頃は翌朝も普通に会社へ行っていた。
いや、行っていた「らしい」。記憶が薄いだけで。

 

しかし、この歳になると事情が違う。
忘年会も「選抜制」だ。

かつてのフル参加主義はどこへやら、
今は精鋭5〜6本にスパッと絞り込む。肝臓も有限資源である。

 

ただ、面白いことに――
その選抜メンバーはほぼ毎年同じ顔ぶれ。しかも少人数。
バラバラな業界の人たちなのに、

なぜか毎年この人たちとは集まりたい。
この謎を少し考えてみた。

上下関係もない。利害もない。
ただ、妙に気持ちのいい距離感で付き合える人たちなのだ。

 

要するに、
「相手の生き方を尊重していることを、いちいち言わないでやれている人たち」
なんじゃないか、と。

 

忘年会というより、
「今年もいろいろあったけど、まあ来年もぼちぼち行こうや」
と自然に思わせてくれる、そんなチーム。

歳を重ねて残った人間関係って、

この「尊重の残滓」みたいなものの集合体なんだろう。


だからまた来年も飲もうと思うし、
「お互い、まだもうちょい頑張るか」なんて、

妙に前向きにもなれる。

忘年会の本質って、
「酒の味より、人の優しさの濃度」なのかもしれない。

先日、会社の専務とか営業本部長とか技術本部長とか、

いわゆる「上の人たち」が集まる会議があった。

その場に、昔は役員を務めていた顧問の方も同席していた。

今は重要顧客への挨拶回りを担当している。

いわば「社外外交官」である。

 

会議の途中、その顧問がぼそっとつぶやいた。

「うちの会社、大丈夫か?」

はい、出ました。不安の権化みたいなセリフ。

最近この方の口癖なんです。

 

AIだのDXだのという言葉に触発され、

「ものづくりだけではもうダメだ」

「テクノロジーを搭載しないと」

、毎回のように危機感を口にする。

 

ここまでは立派。

問題は、その次だ。

「じゃあ、どうやってテクノロジーを取り入れるんですか?」と聞くと、

決まってこう返ってくる。

「いや、俺、テクノロジーのことはよくわからんのだよな」

 

……出た。「不安先行型リーダー」である。

何がどうヤバいのかはわからないけど、とにかくヤバい気がしてならない。

で、その「漠然としたヤバさ」を、部下に向けて全力投球。

「どうする?どうする?」と連呼する。

いやいや、どうするって言われても。

 

でも、この人が偉いのはここからだ。

「俺はわからないから、この人に会え」と言って、

自分に不安を提供してくれた人をちゃんと紹介してくる。

つまり、不安をひとりで抱え込まない。

むしろ、会社全体で共有財産にしてしまう。

結果、会社が動く。これ、実はなかなかできない。

 

この顧問には、そういう「救い」がある。

週に2日しか会社に来ないが、ちゃんと顧客を歩いている。

「この医療機関ではこういうことをしている」

「あの会社はこんな動きをしている」

と、自分の足で情報を拾ってくる。

 

そういう「リアルな不安」は、むしろ大歓迎だ。

机に座って新聞で株価を見ているだけの顧問より、

現場を歩きながら心配している顧問のほうが断然に健全。

 

不安は、動かしてやると、立派な燃料になる。

結局、会社に必要なのは「ただ不安を語る人」ではなく、

「不安を動かして、会社のエネルギーに変える人」なのだ。

 

不安を怖がるより、不安を動かせ。

静止した不安はストレスになるが、

動いている不安はイノベーションにつながる。