大ベストセラー
「雑談の一流、二流、三流」の著者
桐生稔さんは、こう言います。

一流は、「褒め言葉の語彙が違う」。

 

世の中には、褒め言葉の「テンプレート」があります。

「すごいですね」
「素晴らしいですね」
「さすがですね」

どれも悪くありません。


日本の会社では、この三つでだいたい乗り切れます。

とりあえず相手の話にうなずきながら、
「さすがですね」と言っておけば、
会話は丸く収まります。

 

便利です。とても便利です。

ただし――少し二流っぽい。

 

例えば、ある経営者がこう言ったとします。

「昔、10億の借金があったんですよ。

でも7年で全部返しました。

今は毎年10億の利益が出ています」

 

普通ならこう返します。

「それはすごいですね」

まあ、悪くありません。
でも、ちょっと普通です。

 

ここで一段ギアを上げる。

「それは凄まじいですね」
「それは信じられない話ですね」

同じ「すごい」でも、
言葉が変わると、空気が少し変わります。

 

人は普段言われ慣れていない言葉を聞くと、
無意識にこう思います。

「おや、いつもと違うな」

これがポイントです。

一流は、褒め言葉の語彙力のプロ
褒め方にも、メニューがあるのです。

 

さて、ここからが会社員の話です。

会社にいると、
承認欲求の強い人にたくさん出会います。

特に――

経営者。
役員。
部長クラス。

だいたい承認欲求が強い。

 

まあ、そうでないと
あそこまで上には行けないのかもしれません。

そして、そういう人たちは
褒め言葉にも慣れています。

「さすがですね」
「素晴らしいですね」

毎日言われています。

 

つまり、免疫がある。

普通の褒め言葉では、あまり効かない。

 

そこで、少しアレンジを入れます。

「すごいですね。その馬力、普通の人には出せませんよ」

あるいは

「その洞察力、神様レベルですね」

少しだけ大げさにする。

 

すると、承認欲求の強い人は
だいたい気分が良くなります。

単純です。人間ですから。

 

しかも、この方法には
大きなメリットがあります。

お金がかからない。

コストゼロ。在庫も不要。

 

それなのに、
相手の機嫌はよくなる。

これはもう、
会社員にとってはかなり優秀なツールです。

 

雑談というのは、
大きな成果を生むわけではありません。

でも、空気は変えます。

その空気が、仕事を少しやりやすくします。

 

だから、たまには
「すごいですね」から一歩進んでみる。

言葉を少しだけひねる。

それだけで、
相手の表情が少し変わるかもしれません。

 

褒め言葉にも、語彙力がいる。

会社員の雑談力とは、
案外こういうところで差がつくのかもしれません。

「出来事にはすべて意味がある」

この言葉は、
スティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的映画
「フェイブルマンズ」に登場します。

 

映画を観ると分かります。
スピルバーグの幼少期は、なかなか波乱万丈です。
順風満帆とは、とても言えません。

 

でも、後年の彼はこう言うわけです。

「出来事にはすべて意味がある」

成功したから言えるのではありません。
意味を見出したから、成功につながったのです。

ここ、順番が大事です。

 

さて、話はぐっと現実に戻ります。

先日、会社で41日付の人事異動が発表されました。
転勤を伴う異動も多く、まさに悲喜こもごも。

 

抜擢され、責任あるポストに就く人もいます。

昇格も楽ではありません。
期待は重い。責任も増える。

 

一方で、どう見ても「これは厳しいな」という配置の人もいます。

降格と見える異動は、また別の意味でしびれます。

周囲の視線。
「どうしてこの部署に?」という無言の空気。
本人の葛藤。

 

会社員というのは、
自分の意志だけでは動けません。

「こちらの支店へ」 「この部署へ」

だいたいは、辞令一枚です。

 

キャリア戦略と言いたいところですが、
現実は、わりと受け身です。

だからこそ、意に反さない移動には心がざわつきます。

「なぜ自分が」
「モチベーションが上がらない」

自然な感情です。

 

ここで、スピルバーグの言葉に戻ります。

「出来事にはすべて意味がある」

 

ただし、注意が必要です。

これは
「会社の判断は常に正しい」という意味ではありません。

会社も人間の集まりです。完璧ではありません。

それでもなお、です。

異動という「出来事」に、意味を与えるのは誰か。

会社ではありません。自分です。

 

この異動は何を鍛える機会なのか。
この配置は何を試されているのか。
ここで何を身につけられるのか。

意味は、あとから作るものです。

 

異動をいつまでも引きずることはできます。

「あのとき、あんな辞令さえなければ」

でも、それを握りしめている限り、
未来は少しだけ曇ります。

 

一方で、

「この異動にも意味があるはずだ」

と考え始めた瞬間、人は少し主体的になります。

 

不思議なものです。

出来事は同じでも、
解釈が変わると、行動が変わります。

そして行動が変わると、
数年後の景色が変わります。

 

会社員人生は、
思い通りにならないことの方が多い。

だからこそ問われます。

様々な出来事に、どんな意味を与えるのか。

意味は最初から貼り付けられているわけではありません。
自分で貼るのです。

 

きっと、今回の異動にも意味はあります。

「出来事にはすべて意味がある」

正確に言えば、
意味を見出そうとした人にだけ、意味が生まれる。

そういうことなのだと思います。

人生で一番、

あなたを後押ししてくれるのは誰だろう。

 

ラーメン店「一風堂」の創業者、

河原成美さんの話。

 

若い頃は、いくつかの仕事を転々としていた。

そんなとき、兄の友人から

「店をやらないか」と声がかかる。

 

商売のことは、右も左も分からない。

そこで彼は「気合い」ではなく、

三つのルールを決めた。

 

・三年間休まない

・売上ゼロの日をつくらない

・三十五歳までには転機に出会う

 

理由はシンプルだ。

「自分を信じられなかったから」。

 

「覚悟を決めました」と言えば、

周囲はわりと納得してくれる。

でも、自分は騙せない。

 

心の中の自分はこう言う。

「いやいや。これまで何かやり切ったことあった?」

この内なる声が、一番厳しい。

 

だから彼は、

やる気ではなく「仕組み」を選んだ。

逃げ道をふさぐ仕組みだ。

 

三年間、店を休まない。

体調が悪い日もあっただろう。

気持ちが乗らない日もあったはずだ。

 

それでも開け続けた。

その結果、売上以上に得たものがある。

「河原成美も、やればできるじゃん」

と、自分から言ってもらえたことだ。

 

人生の扉が開いたというより、

自分への不信感が一枚、はがれたのだと思う。

 

会社員も同じです。

 

延長線上の仕事なら、

だいたいこなせます。

問題は、

「少し背伸びが必要な仕事」を渡されたとき。

 

その瞬間、

頭の中の自分がつぶやく。

「お前にできるのか?」

 

ここでブレーキがかかる人と、

「まあ、やれば何とかなるだろう」

と踏み出せる人がいる。

 

違いは能力ではない。

自己信頼の履歴です。

 

小さな約束を守ったか。

小さな挑戦をやり切ったか。

その積み重ねがある人は、

大きな挑戦の前で、少しだけ強い。

 

「できるかどうか分からない。でも、やってみよう」

この一歩を後押しするのは、

過去の自分です。

 

最大のサポーターは、他人ではない。
自分です。

ただし、
甘やかすだけの自分ではない。

 

やるべきことをやったときだけ、
「よし、いけ」と背中を押してくれる。

優しくて、でも少し厳しい自分。

その自分がいる人は、強い。

 

だから今日も、自分に小さな約束を守る。

派手さはない。

 

だが、その積み重ねが、

いつか大きな挑戦の前で、

「まあ、何とかなるだろう」

と言ってくれる自分をつくれるのです。

とんちで有名な一休さんに、こんな逸話がある。

 

一休さんが、いよいよ最期を迎えるというとき。

病床には弟子たちが集まり、

中には涙を流す者もいたという。

 

そのとき一休さんは、

一通の封書を弟子たちに渡して、こう言った。

 

「この寺に、どうにもならない事態が起きたら、

そのときに、この封を開けなさい」

 

弟子たちは、

「きっと究極のとんちが書いてあるに違いない」

と胸に刻んだ。

 

やがて一休さんは亡くなり、

寺は存続の危機に何度も直面する。

 

そして、

「もうダメだ」という絶体絶命の局面で、

ついに例の封書が開かれた。

中に書いてあったのは、たった一言。

 

「心配するな。なんとかなる」

 

弟子たちは顔を見合わせ、

「やっぱり一休さんだな」と笑ったという。

 

そして不思議なことに、

そこから気持ちを立て直し、

皆で知恵を出し合い、その危機を乗り越えた。

 

とんち、というより、

精神の設計図みたいな話である。

 

ここから、少し私の話。

私の座右の銘も、

「心配するな。なんとかなる」だ。

 

会社員生活、気づけば30年以上。

壁にぶつからなかった、

などとは口が裂けても言えない。

特に45歳を過ぎてからは、

なかなか骨の折れる仕事が増えた。

 

しかも、

社内に頼れる援軍がいない。

「この案件、私ひとりですか?」

と内心つぶやく場面も、正直あった。

 

そんなとき、

頭の中で一休さんが顔を出す。

 

「心配するな。なんとかなる」

 

誤解しないでほしい。

これは、

「考えるな」でも、

「準備するな」でもない。

むしろ逆だ。

 

この言葉を唱えると、

こういう気持ちが芽生える。

「まあ、ちゃんとやれば、越えられるだろう」

「じゃあ、やることは全部やろう」

 

ハードルが

「絶望的に高い壁」なのか、

「努力すれば越えられる壁」なのか。

その見極めが、冷静にできるようになる。

 

たとえば、

私は仕事柄、セミナー講師を頼まれることがある。

 

中には、

医師向けに医療保険制度の話をする、

という、なかなか痺れる案件もある。

 

医療の専門家に向かって、医療保険制度を語る。

普通に考えれば、

胃が痛くなる仕事だ。

 

でも、

ここでも一休さんが出てくる。

 

「心配するな。なんとかなる」

 

だからといって、

手を抜くわけではない。

 

むしろ、

あらゆる角度から準備をする。

想定問答を詰める。

資料も練る。

 

そして、

「ここまでやったなら、もう大丈夫だろう」

という地点まで来たら、

あとは楽観的に臨む。

 

この「準備のあとの楽観」

が、実は一番強い。

 

「心配するな。なんとかなる」

これは、

無責任な慰めの言葉ではない。

 

前向きに構え、

やることをやり切った人だけが、

最後に使っていい言葉だ。

 

一休さんは、

「人が立ち上がるための言葉」を、

ちゃんと残していった。

 

会社員人生も、

だいたい同じだと思う。

心配しても、状況はよくならない。

ならば、「やるべきことを全てやる」。

 

そして最後に、こう言える自分でいたい。

「まあ、何とかなるだろう」

 

案外、

そこから本当に、

なんとかなっていく。

サイバーエージェントの代表取締役 藤田晋さんが、

最近、老眼鏡をかけているそうです。

 

藤田さん自身、

しばらくは老眼鏡を我慢していたらしい。

スマホも資料も、「まだいける」「気合でいける」と、

若干の根性論で見続けていた。

 

そこで紹介された眼科医の一言が、なかなか鋭い。

「老眼鏡をかけないのは、

合わない度のメガネを無理やりかけ続けるのと同じですよ」

 

これ、地味ですが本質を突いています。

「老眼」という言葉が嫌で避けていた結果、

目に無理をさせ、視力まで落としていた。

要するに、プライドが目を壊すという話です。

 

それに気づいてからは、

遠近両用メガネを堂々と使うようになり、

しかも「おしゃれの幅が広がった」とまで言っている。

この切り替えの速さ。

さすが「できる経営者」です。

感情より合理性。

 

さて、ここからが本題です。

私の会社でも、50歳を過ぎると、

老眼鏡デビューの人は一気に増えます。

遠近両用派、近眼用と老眼用の二刀流派。

 

問題は、そのどちらでもない人たちです。

 

スマホを顔の30センチ前に突き出し、

資料を限界まで目に近づけ、

背中を丸め、首を前に突き出し、

全身で「見えません」と訴えているおじさん。

 

正直に言います。

あれは、かなり見た目がよろしくない。

 

本人は必死ですが、周囲から見ると

「仕事ができない人」に見えることすらある。

老眼そのものが問題なのではありません。

老眼を認めない姿勢が問題なのです。

 

周囲から見ると、
「何か大事な判断を任せるのは不安だな」
という印象を与えてしまう
ことがある。

 

見えにくくなったら、潔く老眼鏡をかける。

それだけで、姿勢は正され、

動きはスムーズになり、

印象は驚くほど良くなる。

 

老眼鏡は「老いの証明」ではありません。

仕事の精度を上げるためのツールです。

潔さがないと、目にも悪いし、印象も悪い。

そして何より、本人が一番損をする。

 

藤田さんの話は、

「年を取るな」という教訓ではなく、

「合理的に年を取れ」という話なのだと思います。