人は基本的に、話をあまり覚えていません。


エビングハウス先生の「忘却曲線」によると、
せっかく覚えたことも

20分後には42%忘れ、
1時間後には56%忘れ、
9時間後には64%忘れ、
1日後には66%忘れ、
そして1か月後には79%忘れる。

つまり、我々の脳は「高性能な忘却マシン」なのです。

 

ビジネスの現場でも、これが日常茶飯事。
「この前説明したよね?」
「え、そうでしたっけ?」

このやり取り、

全国のオフィスで1日1億回くらい繰り返されています。

 

逆に、レアな話を
「あの時の話、覚えてますよ」と言われた日には、
こっちが感動して忘れられなくなる。
まあ、年に3回くらいあれば御の字です。

 

つまり、「伝えた=伝わった」ではない、ということ。
こちらが「放ったつもり」の言葉は、
相手の脳内で静かに消えていくことがほとんどです。

いちいち「なんで覚えてないんだ!」と怒っていたら、
自分のメンタルが持ちません。


「覚えてもらえなかった」ではなく、
「覚えてもらえるような伝え方ができなかった」
自責モードに切り替えるほうが、圧倒的に健康的。

 

結局、

『伝えたことが伝わったことではなく、伝わったことが伝えたこと』。
この逆説を理解している人こそ、
本当の意味で「伝える力」を持っているのかもしれません。

 

どうやら今年は、

インフルエンザが早めにアクセルを踏んでいるようだ。
すでにその兆候が見られ、

ほかの感染症たちも

「おれも出番だ」とばかりに続々と顔を出している。

 

そんな中、うちの会社に「感染者」が現れた。
ある朝、同僚がマスク姿で出社してきたのだ。

しかも咳き込みながら。


「これはもしやインフルか?」と恐る恐る聞いてみると、
「いや、ただの風邪です」との答え。

で、念のため「大丈夫?」と重ねて聞くと、
「何とか大丈夫です」と即答。

 

が、ちょっと待て。
彼の「大丈夫」は「自分が」大丈夫という意味であって、
私の「大丈夫?」は「こっちにうつさないでくれよ」

の意味も含まれているのだ。
会話としては成立しているのに、心の翻訳がまるで違う。

 

コロナ禍を経て、

世間は「うつされる」ことに過敏になった。
だから今年の猛暑でもマスクを外さない人がいたのだろう。
「感染症リテラシー」が上がった結果、

もはや咳一つで周囲の空気がピリッとする。

 

会社員にとって、

風邪ひとつでも仕事の段取りが総崩れになる。
だからこそ、

「ちょっと風邪気味だから今日は出社を控えます」が
もっと自然に言える会社員であってほしい。

 

今や打ち合わせはオンラインで済むし、メールでも仕事は回る。
「熱はないけど咳が出るので、他の社員にうつさないよう、

今日はリモートします」
この一言で済む時代に、

なぜわざわざウイルス持参で出社するのか。

 

つまり、風邪気味でマスク出社する会社員が
「大丈夫です」と言うとき、
その「大丈夫」の方向を、少しだけ外に向けてほしい。

 

そう、「私にうつさないで!」という、
同僚たちのサイレントメッセージを

ちゃんとキャッチする感度。

これからの季節、体調管理だけでなく、
「コミュニケーションの翻訳力」も試されるのだ。

会社員というのは、

つまるところ「社内で認められてナンボ」の商売です。

 

どんなに立派な仕事をしていても、

それが社内で誰にも知られていなければ、

存在しないのとほぼ同義。

会社というのは、実にそういう合理的な生態系なのです。

 

特に45歳を過ぎたあたりから、

会社員は「専門性」という武器を

どこで振るうかを見極める必要が出てきます

 

たとえば、

大企業で取締役にまで昇りつめた人は、

社長や経営層に向けて貢献するタイプ。

いわば、「高級デパートの中に入っている有名ブランドのテナント」

みたいなものです。

 

一般客が「ふ〜ん、こんな店もあるのか」と通り過ぎる一方で、

富裕層の常連には絶大な人気を誇る。

扱う商品は一点もの、価格は応相談。

日々のテーマは「売れるかどうか」ではなく、

「どのVIP(社長や経営層)に気に入られるか」。

そんな、空気も値段も薄い世界で生きているのです。

 

一方で、部署やチームの数十人に向けて、

自分の専門性を発揮する人もいる。

こちらはまさに「駅前商店街の名店」。

 

地味だけど、いつも人が立ち寄る。

困ったときには「あの人に聞けば間違いない」と頼られる、

いわば「地域密着型の知」。

会社という街が回っているのは、

実はこういう商店たちのおかげだったりします。

 

要するに、貢献のスケールは人それぞれ。

ただし大事なのは、

「自分の専門性をどこに、どのように差し出すか」です。

 

いくら素晴らしい専門性を持っていても、

それを誰にも渡さず、ひとりで磨いているだけでは

「社内の仙人」になるだけ。

いや、下手をすると「ただの偏屈なこだわりおじさん」

として処理されてしまうリスクもある。

 

45歳を超えたら、

「自分は誰に貢献しているのか?」を常に意識する。

それが会社員としての「生存戦略」であり、

「再評価の起点」でもあるのです。

先週、40代半ばの同僚が会社を去った。
4月に首都圏の支店から本社の「経営企画本部」へ、

「華麗なる転身」を果たしたばかり。
普通なら「これからが本番」なタイミングである。

 

支店時代の彼は営業課長として、数字も現場もがっちり押さえ、
製品開発や営業戦略への提言まで飛ばす万能プレイヤー。
その成果が買われて、

晴れて経営企画本部に「抜擢」された。

要するに、社内版「メジャー昇格」だった。

 

そして、転職先はなんと顧客筋の販売店。
社員は約50名。
上場企業からいきなり「スモールワールド」へ。
周囲は「え、子供の教育費まだまだかかるよね?」とざわつく。

「なぜ?」のクエスチョンマークが乱れ飛ぶのも無理はない。

 

最後に話したとき、

彼は自分のやりたいことを静かに語ってくれた。
営業の最前線ならまだしも、

経営企画というポジションではその夢は形にできない、

そう感じていたらしい。


加えて上司との関係も、

決断のスイッチを押す「最後の一押し」になったようだ。

 

僕がその話を聞いて思い出したのが、ある言葉だ。
「今がその時、その時が今」。


いつか本当にやりたいことが降ってくる…なんて待っていても、
真剣に目の前に取り組んでいる人にしか、

その「チャンスの瞬間」は訪れない。
 

そして来た瞬間に、迷わず手を伸ばせるのは、

準備を怠らなかった人だけだ。

彼には、その瞬間が確かに来たのだろう。


上場企業という安定パッケージを捨て、

小さな会社に飛び込む。
普通の人から見れば「安全第一」の真逆だが、
彼にとってはこれ以上ない「攻めの一手」だったに違いない。

 

彼がいつか、「あのときの選択は大正解だった」

と笑いながら語れる日が来る。
僕はその未来を心から楽しみにしている。

先週、札幌に出張してきた。

目的は、関連会社の重要顧客向けに、

「医療介護の制度セミナー」の講師を務めるため。

 

午前・午後の二部構成で90分×2回、

各回参加者は約100名。

これがなかなかタフ。

セミナー終了後のビールを妄想しながら、

声帯と脳みそをフル回転させた一日でした。

 

で、講師として一番ドキドキする瞬間はどこか?

それは終了後に集計される「聴講者のアンケート」。

ここには私の自己評価など一切関係ない。

書くのは聴講者。しかも無記名。

 

匿名というのは恐ろしい。本音が飛び交う。

講師の善し悪しが、

五段階評価の数字と自由記述欄に凝縮されて返ってくる。

講師にとって、これは公開テストであり、

もはや血液検査の数値に近い「ドキドキ感」。

 

関連会社の担当者は

「いやあ、本当にお疲れさまでした。おかげで顧客サービスになりました」と、

いかにも好意的なコメントをくれる。

もちろんありがたい。

だが、彼の評価は「社交辞令スコア」です。

 

一方で聴講者アンケートは、顧客満足の生データです。

今回ありがたいことに

「大変役に立った」「役に立った」が大半。

何とか役に立ったようでホッとする。

 

しかし、ひとりだけ

「まあ、あまり役に立たなかった」という回答が。

これが、気になる。

90%以上が高評価でも、たった1人の「低評価」が、

喉に刺さった「魚の小骨」のように残ります。

 

とはいえアンケートは、

講師をアップデートする最高のフィードバック装置。

 

特に「自由記述」の評価が参考になる。

重要な顧客から匿名で、

「もっとこうしたら?」と言われる機会なんて、

会社員人生でそうそうない。

怖いけれど、成長にはこれ以上ない栄養です。

 

札幌の冷たい風に吹かれながら、私は改めて実感した。

評価は怖い。

でも怖いからこそ、次が面白くなる。