あと二度の夜を越えてから迎える朝、カーテンを開ければそこに雪は広がっていないはずで、ここは誰の家だっけなんて朧気に考えながら、私はきっといつも通りにコーヒーを淹れて飲んでいるでしょう。
二ヶ月間が私にもたらしたものは計り知れなく、誰かの言った「何もムダになることはない」という言葉はそれ以上にその意味をなしていて、本人の意とは別のところでなんだかしっくりきているのです。
大人らしい大人のやりとりには大概にしてそういったところがあるように思います。
三日目の朝からなにが変わるかといえば、朝淹れるコーヒーがインスタントからドリップに変わることで、きっとああいう夢を見ることが少なくなるであろうということ。
私の自由にしてよい車があり、徒歩10分の駅からは、何処へでもすぐに出掛けられる。
何よりも、おそらくは誰よりも私を必要としてくれている人が隣にいるのです。
私は最近‘死’についてよく考えます。
それは死にたいとかではなく、怖いとかでもなく、嫌悪感すらもなく、ただただ考えさせられるのです。
たまたま読んだ小説やら、祖母のこと、学生時代の友人のこと、ありとあらゆる要素が結果としてそうさせているというだけなのですが、思考の隙間にそれはふうーっと頭を過ぎるのです。
思い立って昨晩彼に言いました。
‘お墓はセンスの良いものにしてね。
白と青の綺麗なお花がいいな。
延命治療は望みませんから。’
と。
ーさしあたる事柄のみをただ思え...
というのは私自身の指針になるような考えなのですが、とはいっても準備しておくほど安心なことはないのです。
こういったことを頭の中で練る為にも、やはりこの時間は大切でした。
目の前には幸せしか広がっていない。
不幸な未来なんて少しも描けない。
=幸せかどうかというのが当面の課題になることは間違いないのだけれど。
さて、ああいう夢をあまり見たくはないからそろそろ支度を始めよう。
ダンボールはきっと5、6箱で済んでしまうわ。
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