セリナ'sDiary

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セリナのなう。書いていきます♪

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軽薄なものを信じられる程の青春なんてもうできない。

あの頃にはきっと誠実さでしかなかったであろう言葉や態度の端々に、今はあざとさを感じてしまう。

それはただ辛く悲しい。

つまりそれは大人になったということで、垣間見える未熟さとも言えるのだろう。

私は以前よりかは随分大人だけれど、

比べれば大分社会人らしくなり、人を褒めることを知り、一見してそのようには見えるのだけれど、

まだ未熟さをうまく隠せるほどの大人ではない。

以前と同じように気が効き空気の読める人の変わらぬ現在と、そんな器用さを持ち合わせなかった人の精一杯の出来損ないを、私はどうやって比較し選べるのだろう。


なにもかも失くなったのなら、

それならば、きっと色々は色々のまま消え去るだろうに。

とうに軽薄な計算をし飽きた私は、一体何者であればいいだろう。
高まりを覚え、高まりを抑え、ついには抑えきれなくなって、気づいたら泣きながら左肩に顎をのせていたりする。

あぁ、おっかない。

何年経っても忘れることのできない形を目の前にして、どうしても触れたくて、触れたくてたまらなくなって、手に触れ、寄りかかり、抱きしめた時の感覚を、どうしたら忘れられるのだろう。

7年越しでも変わらない安心感に包まれて幸せしか感じられなかった瞬間を、背中にあった腕を、忘れられるとは到底思えないのだけれど、忘れることがもしできたとしたら、それはきっと大人になったということなのだろう。

例えるならばこれは悔しさなのではないだろうか。

悔しいだとかを嫌う私にとっての、これは最大の山場なのだ。



足りないものを足りないと思わずに、満つることを夢見ては裏切られ、現在はどうかと問われたのならば、これはきっと満たされているようなものだろうと言うのだろう。

正しさとはなにかと思い、正しさを追い求めるのは如何かと思い、そもそも私の言うところの正しさとは一体何者であろうと思う。

そこで尺度を考えてみる。

そこで定義を考えてみる。

私なりのなにかしらがあるだろうかとひたすらに、かつ見栄はりの私らしく俯瞰で見た時にそれはどうであろうかと、

ただただ考えてみる。

脳細胞が一気に泡立つのを感じるけれど、泡立ちを持続できないことが私の欠点であろうと今更ながら思ってみたりすること自体がなんだか諦めのように思えてしまって嫌になってみたりする。

そんな感じだ。

まさに、ではないことがまずまずい。

まずさはずるさなんだ。

牧歌的に物事を考えたくなる。

そう、今の私は単にまずいのだ。