2024年に入り、ブログに書きたかった事がありました。

九曜紋のことが気になっていたので、2023年にあった出来事も交えて書いていきたいと思います。

 

※ネット環境が度々不安定で、新しい回線にするのですが、なかなか回線の開通とならない事態になっております。

ネット未通の状態が1週間ちょっとあり、その間💦汗する場面も。。(笑)

お付き合いに大きな支障が出てきますねガーン相手は知らないだけに、多々自分のみ焦る笑い泣き

休めという事と思い、少し休めた?のかもしれません。

 

ありがたいことに、ふと、従来のネットが不思議と繋がりまして(その日2時間半の配信動画も安心して見れ)、途中まで書いていた遅くなったブログを今のうちにと書き進めましたびっくり💦汗(笑)

 

今年のも綺麗でしたね。写真添えます(手前はの花)↓

 

本題へ入ります。

九曜紋自体の話では、妙見信仰または北斗七星信仰になりますが、今回は少し違う話にそれています。

さらっと書けたらと思ったのですが、なかなか難しく、全部書こうと欲張っていたようで、かえって書けない事態にガーンあせる

 

本当は、、いろんなことが繋がっていったのですが、あまりにも多すぎて書ききれません。

おもいきって、一つのことに絞ることにしました

 

九曜紋も、の絵やモチーフも結構目にしていました。

東京駅で見た、2024年の龍の絵と一緒に展示されていた飾り皿にもがついていました。

 

2024年新年の東京駅の龍の絵と鶴の皿↓

 

南部藩向鶴の紋(九曜紋入ってます)のことを書きながら、進めていきます。

なぜ?東北の南部藩のこと?と思うかもしれませんが、ある本との出会いがあったからなのです

 

少し、お堅い感じになってるかもですが、柔らかいイメージでお読みください。

 

南部藩(なんぶはん)とは、現在の岩手県中部を地盤に青森県東部から秋田県北東部にかけての地域を治めた藩。

東北の広大な土地を治めていた南部氏一族には多くの氏族があり、大きく二つの系統に分かれています。

 

 

大きな系統のひとつは

、南部氏の本家とされる三戸南部氏(さんのへなんぶし)、後の岩手県にあります盛岡南部氏もりおかなんぶし)

 

 

もうひとつの大きな系統が、

2、八戸はちのへに根城を築いた根城南部氏ねじょうなんぶし)(八戸南部氏)、後の岩手県にあります遠野南部氏(とおのなんぶし)です。

 

三戸南部氏根城南部氏は、各々が領地を持ちながら統治していました。

 

↓ちょうどいい図が根城の城にありました。

 

まとめると

現在の青森県三戸町を中心に勢力を張った三戸南部氏(盛岡南部氏)後に岩手県盛岡へ盛岡城(不来方城こずかたじょう)を築きます。

現在の青森県八戸市を中心に勢力を張った根城南部氏(八戸南部氏ともいう)後の遠野南部氏

※1 八戸市には復原された根城南部氏の城・根城(ねじょう)があります。

 

が主だったということですね。

 

当初は、根城南部氏が一族の中心的存在だったようですが、南北朝の争乱の中で衰えたため、三戸南部氏が南部氏の宗家という立場になっていったようです。

 

 

 

一旦、説明を終わります。

 

※2 南部藩どちらがいいとか悪いとかではなくて、最終的には枝分かれしていく中で…

運命の流れの中で同族ではあるそれぞれの南部藩は、時代は違うけれど数名の女性藩主などによりて守り抜かれていく時(時代)があったのです。

今回は、その中でも八戸・遠野の女大名になった「清心尼(せいしんに)について触れていきます。

安土桃山時代 から 江戸時代 初期にかけての 女性藩主 。 八戸氏 21代当主。

 

 

また、ここから話が変わりある日の出来事になります(笑)。

 

友達と久しぶりにランチに行くことになり、ネットで朝からお店を探していたら。

 

 

八戸のとあるカフェレストランの庭に最近現れたという、日本カモシカの画像を目にしました。

日本カモシカって、なぜか神聖な感じがしますよね。

あぁ、やっぱりいるんだとなんか嬉しかったりします。

 

その日、友達とランチ(別のお店)を楽しんだ後、そのまま帰らずに一人で神社に行きました。

 

以前から行ってみたかった小さい神社があり、数日前に「昔、階段登っていったけど雰囲気が怖くて、途中で帰ってきた」

という話をなぜか聞きまして(笑)…。

不思議なことに行きたいという方が勝り決行しました。

舘越山にある稲荷社です。

赤い鳥居をくぐり、長い階段を登っていきます。

階段の途中に井戸と、水を貯めていただろうという石の手水舎?がありました。

 

なんでもこの井戸のところに昔、自然にできたであろう河童かっぱ(地元ではメドツとも言う)の形をした石があったそうで、井戸からは水が湧いていたそうです。

でも、誰かが持ち去ったようで、その後井戸が枯れてしまったそう。

 

 

更に登り、登り切ったところに第二の赤い鳥居があります。

最近木を切ったようで明るく、住宅街なども見渡せるところでした。

あまり木は切ってほしくなかったけど、神社のところは手をつけてなくて御神木もちゃんとありました。

 

舘越山にある稲荷社は、思っていたより雰囲気が良い感じで、高台の山にありいい場所でした。

帰り階段をさがっていき横を見ると水が小さくではあるけど流れている所があり、何となくホッとしました。

昔、第一の鳥居の側に今はなき、河童に関する看板があったことを思い出します。

今はその看板は、八戸博物館に展示されています。

「危険だ!近づくなメドツがでるぞ」の看板です。

 

八戸博物館に保存せされています市民が撤去を惜しんだ看板です↓

 

メドツとは河童(かっぱ)の事なのですが、、、

子供の頃に本当にいるんだと、信じていました(笑)。

地元の新井田川にも、メドツが出るぞ!の看板があり(今な無き)、川に近づくなという配慮だったのでしょう。河童はいるのかな?

 

ちなみにこの館越山は、岩手県平泉から北に逃れた源義経一行(北行伝説)が八戸で最初に館を構えた地でもあります(余談)。

もしかしたらですが…義経と弁慶は…河童を見たかもしれませんね(笑)

 

 

無事参拝を終えて、自宅へ帰るまでの間に本屋に行ってみました。

「もしかして、、、ここ(本屋)にあるかも…しれない」(笑いではなく真剣(笑))

江戸時代に八戸・遠野の女大名になった、東北南部藩の支藩の「清心尼ねね」のことを書いたという本があることを少し前に知ったのです。

 

なかったのかなぁ。。と思った次の瞬間。ありました。3種類の本が一気に。

漫画版もあるの!?マンガ版を購入することができました。

改めて表紙を見て、裏表紙を見てビックリです。

表紙には「カモシカ」が、裏表紙にはなんと「河童」が描かれています。

「わー、そんなこともあるんだね。」偶然でも不思議でも引き寄せでもどちらでもいいんです。

早く読みたくて、ありがたくて、嬉しくてどうしようかと思いながら帰って、一気に読んでしまいました。

八戸・遠野の女大名になった、東北南部藩の支藩の「清心尼ねね」

↑かたづの!

 

去年見学に行った根城の城(青森県八戸市根城)。

お城のお殿様?の中に「清心尼様」が居たとは知らなかった…。

去年の早春に、見学をしに行き感動したお城です。

 

質素ながら、いろいろと素晴らしいのですが、お城のお屋敷の中に御祈祷の間があるのです。

そして外には土が盛り上がった場所があり、神聖なおまつりの場所だったのではないかという場所もありました。

こういうこともしていたんだね。

精神的な豊かさや安心を感じたりして、生きていたんですね。

 

根城の模型です。ココって↓の下をみますと、丸い所がありますよね。

ココがおまつりの場所です。

実物の写真はお見せできないのですが、実際に見るともっと土が盛り上がっています。

 

 

盛岡南部藩との関わりの中で揺れ動きながら、戦もせずに民を守り藩を守り続けた清心尼。

いろんな想像がふくらんで浮かんできます。

 

子供の頃の記憶を思い出しました。。。

「こんにちは」と私の顔をみて、笑顔で話しかけてきた尼さん。

{こんにちは}と言いながら、

「わぁー、女の和尚さん(尼さん)もいるんだ」私の心の声。

数名の男の和尚さんの中に、凛とした女性の(本物の)和尚さんがいて、子供(おさな)心に衝撃的な感動でした。

皆様もおなじみの、なにげないお寺での出来事です。

父の笑顔もありました。

 

かたづの!

幾多の困難を乗り越えていく清心尼。

八戸の故郷を愛し力強く生きていき、戦も交えず領民と藩を守り抜いたという清心尼ねねという女性がいたという事。

一緒に守り続けていた(いきたかった)愛する者を亡くしたからこそ、そのひたむきな思いと知恵で守り続けたんだろうなと思いました。

だからこそに周りからも守られたんだと思います。

なにかとても、温かい気持ちを頂ける本でした。

清心尼に興味が出てきたかもという方は、是非読んでいただけたら嬉しいです。

河童やカモシカも登場して、面白い展開になっています。

 

そして、1627年(江戸時代)には南部盛岡藩の南部利直の命により、根城南部藩の根城南部氏(八戸氏)は、岩手の遠野の遠野城(鍋倉城)へ移封となり、この領地替えに伴い根城は廃城してお城としての歴史を終えます。この時、清心尼も愛する八戸から遠野へ移ります。

 

私は、梅が咲いてるよという情報を耳にしていたので、さっそく根城へ行ってみました。

根城の見学(有料)は前にしていたので、城へ行く間の広い広場(ここも根城の史跡ですが無料です)へ春を感じに行きました。

↓あたり一面、梅の香り(深呼吸し放題)

 

 

すると案内の方に話しかけらました。正直に、清心尼のことが気になっていますと伝えると…

いろんな事を教えていただきました。

来て良かった。

私 「清心尼は八戸(はちのへ)にいたかったんですよね?」

案内の方 「もちろんだよ

その一言がこだまします。

 

 

この日の前の日が4月6日で城の日だったそうで、お城が無料開放日だったんだそうです。

後日ある無料開放日を教えていただき帰ってきました。

 

 

遠野へ移り、変わらず遠野の民と藩を守り抜いた清心尼。

今でも、八戸市と遠野市の交流は大切なものとなっています。

 

清心尼はとても優しくしっかりした方だったようです。

清い心の尼(清心尼)と呼ばれていたことからも、分かりますね。

 

そして、根城のお城は平たいお城で、天守閣の様に何階もある大きなお城ではありません。

南部藩のお城は、すべて平たいお城だそうです。(盛岡城、盛岡南部藩の八戸城(根城が廃城になった後に築城した盛岡南部藩の城で、盛岡南部藩内の八戸藩の八戸城『ややこしい(笑)』、三戸城など等)

 

 

以前、三戸城のお城で階段を登って楽しかった思い出は、三戸城ではありませんでした(その時代そのままのお城ではありません。。本当は平たいお城だったそうです。)

三戸城跡地(城山公園)にあります天守風の建物の「三戸城温故館」(三戸町立歴史民俗資料館)でした。高いところから展望する楽しみをさせようとできたのでしょうね。

 

 

真ん中が根城(遠野)南部藩の家紋です↓

実は向鶴(むかいづる)のくちばしは、阿吽あうんになっているんだそう気づきびっくり

右端が盛岡南部藩の家紋です↑

 

ほぼ似ていますが、すこし違うんですね。

 

清心尼が根城ににいる時、八戸市(青森県)にあります櫛引八幡宮(私がいつも(よく)行く神社)に加護を祈って参拝していたというところも、嬉しく感じました。

櫛引八幡宮は南部藩総鎮守の神社なのです。

 

本殿や拝殿に向かって右側に、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)様が奉られています神明宮があります。

4月に参拝した時、どうしても後ろ側が気になり周ってみると、気づき白い鳩?の彫り物が隠れていました。

白い鳩?が彫られています、神明宮の社殿の裏側になります(可愛いです)↓

 

やっぱり、神様のお使いが鳩である盛岡八幡宮(岩手県盛岡市)にも繋がっているのかもしれませんね(笑)

櫛引八幡宮のの御朱印↑(以前に購入)です。御朱印の中に鳩?がいますね

 

 

 

八戸市の根城に城が築かれたのは、建武元年(1334)のこと。

この根城を築いた南部師行(なんぶもろゆき)は、はるばる甲斐の国、現在の山梨県南部町からやってきました。

本姓源氏家系清和源氏の一流で河内源氏の傍流・甲斐源氏南部氏流にあたります。

 

1333年、後醍醐天皇より陸奥守に任じられた北畠顕家(きたばたけ あきいえ(美貌だったらしいです))に付き従い奥州へ赴いた地頭職の南部師行は、1334年に根城(現 青森県八戸市)を築城します。

根城は、師行の子孫が1627年岩手県の遠野氏へ移住するまで約300年間続きました。

その間、一度も落城することがなかった名城です。(日本百名城)国史跡になっております。

 

向鶴に九曜紋について

向鶴に九曜紋の由来が伝承されています八戸にあります月山神社へ去年の2023年12月に参拝させていただきました。

こちらの神社は、南部藩の家紋の向鶴の紋のきっかけになった場所なんだそうです。

 

その時の由来が書かれている由来説明板です↓

 

殿様の神社とも呼ばれていた月山神社↓

 

九星寺でもありました↓

妙見信仰も関係があるようですね。

 

話の内容が長くなるのでまとめた感想です。

私の中で…いろんな事を知るきっかけ(例えば、だからなんだ…なるほど)になる出来事だったと思うとともに、奥が深いと思いました。

伝わるといいのですが難しかった(笑)

ブログを書くと、いろんな事がありますね。

 

 

 

さて、ここからは桜咲く春の景色、門をくぐり根城の城の花見です。

4月20日(無料開放日)行ってきました(ここでの花見は初めてです)桜

 

 

桃の花が咲いていました。邪気を払います。綺麗な濃いピンク↓

食べるものとして、果物や栗などの実がなる木を植えていたそうです↑

 

 

 

 

お城へ向かう、空堀にかかる橋を渡ります↓

 

お城の門の中へ↓

 

素敵すぎる桜にうっとりです。清心尼がいた場所。根城のお城。↓

ずっと長いこと眺めていました右端の桜↑

 

お城から出ても、帰りも行きも素敵なのです。

空掘の桜↓

 

かたづの!の本の中で、遠野の海のように見える海雲を見て清心尼が詠んだもの。

きっと八戸の海も思いだしながら。。のシーン。

 

神々の戯れたまふ明仄(あけほの)の

       雲居に浮かぶ湖の城   ―清心尼―

 

自然に私の眼から、大粒の涙が(ぶわっと)溢れた。

 

楽しかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと、許せなかったこと…、

嬉しかったこと、温かかったこと、ありがたかったこと。

怖かったこと、胸がいたかったこと等々。

いろんな思いがあふれてきたけど、

最後に思い出す(浮かべる)のはやっぱりいつも…楽しくて笑っていた時の笑顔。

大切な時感

 

櫛引八幡宮で、河童のおみくじを引いてきました。

黄色い紙が入っていると、金色の河童が当たるらしいんだけど、どこにあるのか分からず

「河童どこ?河童どこ?」うろうろしていたら。。

境内でタロウという河童の絵を見つけました(笑)。(写真撮り忘れ)

 

河童のおみくじ無事見つけて購入、金色の河童は当たりませんでしたが、

おみくじの内容が素晴らしかった。

 

「このみくじにあう人は」で始まるおみくじ私は初めてでした。

 

内容は内緒ですが、幸せ来たるでした照れ

 

幸せ来たるクローバー

 

幸せ来たる。

あなたにも神仏のご加護のもとたくさんの幸せがありますように。

あなたのもとにも幸せ来たる。

(ヒントを添えて)

 

河童のおみくじ↑

河童は金色じゃないけど、なんか可愛く輝いてます(笑)↑

 

桜茶をどうぞ桜

花見から帰ってきた日は桜茶にしてみました。

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

今年2024年のお花見は、お城の中での花見でした桜

 

 

今度は、根城南部藩ではなく、

盛岡南部藩内の八戸藩で、南部藩全体の運命に大きな役割を果たした姫の話

未定ですが、ブログで書く機会があったらなと思っています