~我が宿敵は真田なり~
一年、私は上田の、真田の懐にて育まれ、現在、沢山の方の御厚意と御助力を賜り私はもてなしの戦に立っている。
実はこの徳川方の将として関ヶ原に参陣するのは浪人となった直後から決まっていた。
だからこそ、私は長岡京の戦前に大坂にてしっかりと幸村公へ御礼とお別れの挨拶に伺ったのだ。
常々、もてなしの戦場に立つ際に自分に言い続けた事は、敵方となる相手にも戦う理由と守りたいものがあり、そこに命を懸けていたと言う事。
真田の事情は十二分に知っているつもりだ。
しかし、その相手側である徳川にも事情はあるのだ。
昨今、我が殿、
徳川秀忠様
が、何やら軟弱な描かれ方をしている物語をよく見る。
確かに、我が殿は第二次上田合戦において、齢は二十二。
三万八千を越える軍を指揮するには些か頼りないやもしれぬ。
だからこそ我らがいる。
父、大久保忠世が辛酸を舐めさせられた上田城。
徳川の力を今度こそ思い知らせてやる。
そして声高に言わせて貰おう。
秀忠様のような
「孝心深く謙虚な性格こそ、太平の世の君主にふさわしい」
と。
我が背に背負うは
上がり藤 剣大字
またの名を大久保藤。
我こそは
大久保忠隣(おおくぼただちか)
家康公の覇業を継ぐであろう徳川秀忠様の盾となり、刃となり、我が名が表す通り、主と共に歩み、『隣にて忠義を尽くす』者也!!
一年間、上田で培ったモノを、幸村公から頂いたモノを今年の最後の戦で当人にお見せできる。
なんて燃える展開だ(笑)
私は本気で真田を叩き潰す心構えで今回の戦に挑んだ。
それが礼儀だと思うからだ。
その戦の顛末がどうなるかは…このもうしばらく続く関ヶ原の陣の噺にお付き合い頂いてからにしようと思う。