2月26日 亡くなる5日前 | forget-me-not

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大腸癌末期の父→腹部大動脈周辺・肺転移→脳転移 残された時間は・・・
日々の症状や家族の思い、病院の対応等々綴りたいと思います。

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この日は午前10時半よりリハビリが入っていたため実家へ。


リハビリの若い女性と挨拶するも、父の様子がおかしいのにすぐ気がつきました。


目がうつろで何だかぼーっとしている。


腕を揉んでもらうもすぐに寝てしまい、


「○○さーん、○○さーーん、 聞こえますかー?」


ようやく気がつき目を開けたのですが何とも朦朧としている感じ。


朝はもっとしっかりしていたと母は言っていたのですが。


とりあえず、簡単なマッサージのみのリハビリを終えたのですが、

契約に関することなど話している途中、12時半頃に苦しいと訴え始めました。


手に軽い痙攣も出ていました。


初対面のリハビリのかたに


「こんな状態で大丈夫なんでしょうか?」 と聞くと


「いつもとすごく様子が違うなら病院へ行ったほうがいいかもしれません」 と。


ここ数日明らかに悪化しているのはわかっていましたが、病院へ行くか迷いました。


そして時間が経つにつれ更に苦しさを訴え、意味不明なことを言い始めたので、


母が 「救急車でやっぱり病院に行こう、お父さん!」 と言うと


父は 「救急車!?」 と呆れ顔をしたものの寝てしまったり起きたりとうつらうつらし始めました。


その後呼びかけに反応しなくなってしまったので病院へ電話をし、状況を話すと


すぐ救急車で来て下さい、と。


そのまま即入院となりました。


酷い脱水状態だったようで病室へ運ばれるとすぐに点滴をされ、


心拍数や血圧、酸素量、呼吸数など測る機械などあれこれ身体に繋がれ


目が覚めた父はとても不機嫌そうでしたが、そのうちにまた眠ってしまい、


今日はこのままお帰り下さって大丈夫ですと言われ6時過ぎに帰宅したのですが


7時前に夕食の準備をしているところに病院から電話。


急変したのかと思いきや、家に帰ろうとしたのか何度もベッドから降りようとしてしまうので


今夜は付き添って頂きたいとのことでした。


病室へ着くと父は安定剤を打たれ寝ていましたが、一度だけ目が覚めて私を見たので


「ずっとここにいるから大丈夫だからね」 と伝えると安心したのかまたすぐ眠りについてしまいました。


父は血圧がとても低くなっておりすごく状態が悪いようでした。


この時の心拍数108、血圧78・58、酸素量94、呼吸数は9~13でした。


「今日来てくれて良かったです」 


そう看護士さんが言ったのでした。 そして急変の恐れがあるとも。


父はソリューゲン液とビーフリードと書かれた栄養の点滴を入院中ずっと交互にされていたのですが、


癌の末期に点滴をすることは良し悪しだそうで最後まで疑問が残りました。


幸い、浮腫みなどはこの時はまだ出ていませんでしたが。


看護士さんが来て、


「先生が延命措置について明日にも話したいそうですのでご家族で話し合っておいて下さい」


何だかこんな場面をテレビで見たことがあるけどこうして自分の身に起こるとは


嘘のような本当の話なんだと不思議な気持ちでまだ実感はありませんでした。


父はこれまでおむつをしたのは前回の1月の入院中の数日のみで


自宅ではちゃんと下着を付けトイレも行っていたわけですが、


ここに来て起き上がることが困難となったため紙おむつとなりました。


尿の出も急に悪くなってしまったため尿管も入れました。


1時間置きくらいに看護士が巡回に来てくれるので安心でしたが、


一度だけとっても苦しそうだったのでナースコールしました。


その後も時々苦しそうな表情を見せ、胸をはだけようとするのでした。


そのたびに心拍数のシールが取れてずれてしまい交換してもらいました。


私はじーーっと測定器を見つめていたのですが、入院当日から呼吸に変化がありました。


自宅では息をしているかもわからないほど静かな呼吸だったのに、


無呼吸と少し深い呼吸を交互にしていました。


そして深い呼吸時に苦しそうな表情になるのでした。


そのたびに父は起きてしまい、この日は私は一睡も出来ずに朝を迎えました。


父も寝不足だったと思います。