どんな状況下でも不安はつきまとう。だからこそ「これからどうなるのか?」という話題は生まれる。この「これからどうなるのか?」という問いを当たり前のように問う。疑わない。
この問いこそ疑った方がいいのではないだろうか。なぜなら「これからどうなるのか?」という問いは、既定路線のなかで生きることを前提としている問いだからだ。
もちろん、既定路線のなかで生きるのがわるいのではない。その中でアウフヘーベンするのもいい。ところが、そのアウフヘーベンもまた既定路線のなかにいるのかもしれない。
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「見る前に跳べ」 W.H.オーデン
偶然を愉しむ。その偶然がいつか自然な流れだったと気づく。振り返ると自分をつくっているそのほとんどは、偶然な出会いである。それが、幾度となく重なり自然となった。オーデンの「見る前に跳べ」は、偶然を愉しむとも言い換えられる。横道に少しだけそれてみる。寄り道してみる。もっと偶然を信じたい。
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小林秀雄は「陸沈」を引用していた。
世間から捨てられたり、世間を捨てるのは易しい。また、世間に迎合するのは、水の中に沈むように易しい。では、最も困難であり、かつ積極的なのこととは何か。それが「陸に沈む」ことである。世間にいるのだが世間にいない。世間にいないのだが世間にいるのである。そのときホントのことができるのである。
少し飛び出してみるとはどのようなことなのか?それは「くらしのアナキズム」にもつながる。