子や孫世代の幸せを願って

子や孫世代の幸せを願って

次世代の幸せを願って、日本の社会、経済について考えます。

少し歴史的な流れを振り返りましょう。

 

 

 

1917年から共産主義者による「ロシア革命」が始まり、1918年にはロマノフ朝皇帝ニコライ2世本人の他、家族や従者、女、子供関係なく銃や銃剣により惨殺されました。愛犬までも道連れです。ウィキペディアにその様子が詳しく紹介されていますが、おぞましい限りの内容です。

 

 

 

確かにニコライ2世は、専制支配にしがみついた愚か者との評はあります。しかしそれでもピョートル1世来のおよそ200年の歴史をもつ超大国ロシア帝国皇帝です。いずれ処刑するにせよ、それなりの計らいがあってしかるべきでしょう。事程左様に思想に狂ったものの所業は、およそ人間の行うそれではないのです。

 

 

 

当時の日本と関連する彼らの所業のひとつに、「尼港(ニコラエフスク)事件」(1920年)があります。現地に駐留していた日本軍守備隊が赤軍との戦闘で降伏。居留民を含め約700名が拘束された後、捕虜はもちろん、女、子供を含む民間人までその全員が惨殺された事件です。なかには生き埋めまであったようです。当時の日本社会に大きな衝撃が走ったことは言うまでもありません。

 

 

 

1919年にレーニンにより世界の共産化を目指す指導組織として設立された「コミンテルン」(共産主義インターナショナル)。ここから発した内容を端的に示せば「世界中の政府を暴力で転覆して地球上の金持ちを皆殺しにしろ。そうすれば、全人類が幸せになれる」(マルクス・レーニン主義)という過激なものでした。

 

 

 

なにしろその背景にあるのは、ダーウィンの進化論。これになぞらえ、「人類社会は進化しユートピアに至る、その進化を阻むものは淘汰の原則に従い抹殺することが科学的」というとんでもない考え方です。

 

 

 

戦時であろうがなかろうが、とにかく人類社会の進化を阻むもの、共産主義を否定するもの、対立するものは殺す。それは正当化される。こうした思想の延長線上に「国家転覆」や「資本家抹殺」、「文化・伝統破壊」などがあるのです。

 

 

 

その狂信の巣「コミンテルン」が「日本共産党」を日本支部として認定したのが1922年です。

 

 

 

日本では、共産主義者らによる「明治天皇暗殺計画事件」(大逆事件:1910年)を受け、翌1911年には、「国体(天皇を中心とした国民国家体制)」を変革しようとする動きを監視・取り締まるための組織として警視庁内に「特別高等警察課」が設けられていました。

 

 

 

それが日本共産党のこの動きを受け、1922年から1926年にかけて、北海道・神奈川・長野・愛知・京都・兵庫・山口・福岡・長崎など主要府県の警察部にも特別高等課が設けられ、その組織の拡充・強化が図られたのでした。

 

 

 

特高のような組織を設けて監視し取り締まるのは国家として当然の対応です。共産主義、特に暴力革命(殺人正当化)を志向する「マルクス・レーニン主義」という狂気の思想に囚われた輩を野放しにはできません。世界中でも同様に共産主義者を厳しく取り締まっていました。

 

 

 

そうした中、1925年「治安維持法」が制定されたのです。

 

 

 

 

次回に続きます。