日々感じたこと、あれこれ

日々感じたこと、あれこれ

訪問ありがとうございます。
自分用に書いてる備忘録みたいなものです。
よろしくお願いします。

最近、若い人でも間違っていることを正しいと信じ込んで堂々と主張し


自分の考えを通そうとする人が増えたように思う


正しいと信じ込んでいるから当の本人に悪気はない


だけど私が間違いを指摘して自分の間違いに気付いたとしても謝罪しない、もしくは謝罪が軽い


それはさも『大したことではないのに騒ぐな』と言われているようにすら感じる


こんなことが当たり前になったら正しいことを言っている方がエネルギーの消耗が激しくなる


それでも一対一ならまだ戦える


だけど一対複数になると余程気持ちを強く持たないと


正しい方が数の力で捻じ伏せられる可能性が出てくる


だが、これが相手が日本語が通じるならまだいい


日本語が通じない相手だと本当に困る


コンビニ店員が全員外国人でカタコトの日本語で接客される機会が増えたが、


ちょっと込み入った話になるとすぐ会話が続かなくなり、客は諦め店員は自分の仕事に戻る


このような場面も増えたように思う


面倒な客を撃退するにはいい方法かもしれないが、


普通に買い物したいだけなのになぜこんな思いをしなければならないのか、とも思う


外国人がいるのは仕方ないと思うが、全員外国人というのは本当にやめてもらいたい


最低でも一人は日本人を置いてほしい


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

嫌がらせを受ける立場でよく思うのは


学校の先生や会社の上司は問題解決において本当に消極的だということだ


嫌がらせする人には『嫌がらせすんなよ』


そんな(私にとって重要度の低い)ことに時間割けるほど私は暇じゃないんだよ、だし


嫌がらせされる人には『嫌がらせされんなよ』


そんな(私にとって重要度の低い)ことに時間割けるほど私は暇じゃないんだよ、だ


どちらも同じ理由で面倒な関わりたくない存在だというのが正直なところだろう


どちらも問題児だからいっそのことどちらもいなくなればいいのに


と思っているのが透けて見える


そして話になる(話ができる)のは大概、嫌がらせされる立場の方だ


だから嫌がらせされてる側に我慢させて場を丸く収めようする


自分に余裕がなければ何をやってもいいのかと問いたい


そして極めつけは親までも先生や上司と同じ立場を取るということだ


自分が話にならない人にならなければ話にならない人とは戦えない、というのが現実


聞き分けのいい人は、話にならない頭のオカシイ人キャラをいつでも召喚できるようにならないと


面倒な人がいつまでも自分に纏わりついてくるだろう


嫌いな人にも嫌われたくないなんて自分の思考が何者かによって破壊されてる証拠だ


嫌いな人には嫌われた方がいいに決まってるじゃないか


自分が離れても相手は嫌がらせする為だけに必ず追いかけてくる


相手に嫌われて(面倒な奴と思われて)やっと嫌いな人が自分から離れて行ってくれる


迷惑以外のなにものでもないが、


嫌われるというマイナスのアクションですら渇望し


嬉々として嫌がらせを延々と続けてくる人が一定数この世には存在する


構ってもらえたり何か反応してもらえるのが嬉しくて仕方がないのだろう


人の誰かと関わりたいという欲はここまでくると恐怖すら覚える


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

ある動画で、


『私が今(たまたま)あなたの言動に対して思考停止してないからいいけどさー』という言葉から始まって、


自分をボコボコに言ってきた人に対して同じようにボコボコに言い返していたのですが(笑)


この考え方(関係)は大事だなと改めて思いました


人と人は本来こういう力関係が望ましい


相手に見捨てられたら自分が困るから必死に相手の機嫌を取って自分を守ろうとするなんて


実家にいる時に嫌という程やり尽くした


もう十分だ


私の機嫌を取れという人は自己主張が控えめな争いを好まない人が大好物だから、ずっと纏わりついてくる


本当に面倒臭い


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

感じの悪い人から学べる(気付ける)ことは2つあると私は思っている


1つは、


その不快に感じる言動を私は人に与えるようなことはしていない


少なくともその一点においては自分は相手と同じレベルではない(その課題は自分はクリアしている)、ということ


もう1つは、


そんな態度をとっても人が離れていくだけ


死ぬ訳じゃない


生きていくだけなら全く問題ないよ


あなたは何をそんなに怖がっているの?


と相手が問題提起してくれているということ


自分の中ではコレはないわーと思ってることが


相手はそうは思ってない、ということ


だから絶対真似しちゃいけないわけじゃない


むしろ相手が許せないなら同じことしてもいい


だって先にこちらがやられているのだから


やり返すのは正当防衛でしょう


残念ながら、やり返されるまで何も学べ(ば)ない人は一定数確実に存在する


どんなに面倒でも自分の時間とエネルギーが惜しくとも、一度は相手に同じ痛みを体験させないといけない


こういう病的な人はこちらが距離を取ると、もっと私の相手をしろと嬉々として追いかけてくるから本当に面倒臭い


こちらが相手にしないことで、いつまでもしつこく纏わりついてくる人は一定数確実に存在する


まぁここまで考えられる人なら、自分の不利になるような愚かなことはしないと思いますが


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

先日、


子どもから見た親の価値を、親という生き物を


その辺に生えてる雑草や石ころと同じ(又はそれらと大差ない)


という考え方も世の中にはありますよ


あなたはこの考え方からどんな気付きを得ましたか?


みたいな問いに思いを巡らせる機会があったのですが、


子どもが『親を特別視しない』ができるようになることは


子どもにとって1つの大きな課題なのだろうと思う


親をいつまでも特別視していてはいけない


世の中に、その人でなければならないことなど何一つない


親という他人にいつまでも大きな力を持たせていてはいけない


親は自分と大差はない


ただ自分より少し早く産まれただけ


たまたまその子の親がその人達だっただけ


『運』という言葉で片付けるにはあまりにも影響が大きい


それが親という生き物


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

他人と距離を取りたくなる時というのは


その人が嫌いだから、というよりも


人を嫌うのはエネルギーの消耗が激しすぎるから


だからもう今以上にその人を嫌いになりたくない


ただでさえキツイなーと思いながら毎日耐えて頑張ってるのに


もうそれ以上その人の目に見える醜態を見たくない


目に見えない醜態にも一切巻き込まれたくない


だから、距離を取りたい


そして願わくば相手に対して好感を持っていたい


その方が自分が楽だから


目的は相手の為ではなく、あくまでも自分の為


自分を犠牲にしてまで他人を優先するのはお互いの為にならない


赤子ではないのだから自分のメンタルくらい自分で何とかしてくれ


あなたの心が落ち着き、誰に対しても最低限の敬意を持って関わる様を見届けるまでは


私はあなたと関わりたくない


私はあなたの奴隷でもお世話係でもない


あなたの感情の乱れは私のせいではなくあなたの選択だ


という言い方の方が言葉として違和感が少ない気がする


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた





明けましておめでとうございます

初詣に東京大神宮に行ってきました


初めて行きましたが夜間にも関わらずそこそこ人多かったです


正月バイトらしき若いお兄さんお姉さん&警備の方々が寒い中お仕事頑張ってました


比較的大きな神社は大概、古くなったお守り等を引き取ってくれる場所があるのが有難いですね


そのことを失念していて今回は少ししか持ち込めなかったのが残念です


また機会があれば次こそは沢山持参したいと思います


また一年、頑張りましょう


今年もよろしくお願いします


ではまた

誰が悪いとかではないけれど、と前置きした上で


ある専門家の方が何かの時に言っていました


それは


世の中には『育てにくい子』というのが確実に存在する


それは間違いないと


またこうも言っていました


世の中には『子育てに向いてない親』というのが確実に存在する


それも間違いないと


それでも産んだ以上は育てなければならないし


子供もある年齢迄は親元で暮らさねばならない


そこから逃げるのは犯罪を犯す覚悟でもない限り社会(世間)が許さない


それはもう物凄い『圧』で子と親を追い詰める


そしてこうも言っていました


コミュニケーション能力が高く親子仲が良いとされる部類に属する人でも


自分が大人になってからの親との関わりには多少の苦労や残念な思いをすることは避けられないと


誰が悪いとかではない


むしろ誰も悪くないのかもしれない


だけど問題は間違いなく起きる


それは避けられない


そして少なくない数の人が自分以外の誰かが悪いと声高に叫ぶ


いや、叫ばずにはいられないというのが正解か


皆が皆、ひたすら自分は悪くないと主張し


それを第三者に認めて貰おうと必死になっている


そういうものなのだと理解しつつも、なんだかなぁと思う今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

子供の頃は誕生日が楽しみに思えたけれど


歳を重ねると誕生日を楽しめなくなる


そんな時は【誕生日=自分のレベル】と考えてみては?と提案した人がいました


『30歳になりました』より『レベル30になりました』の方が何か良くないですか?と


数字が上がれば上がるほど、それまで頑張って生きてきた自分を頼もしく思えるでしょう?と


レベル10より20、20より30の方が何だか強そうでしょう?と


レベル80とか100なんて、もうラスボスレベルじゃないですか、と


加齢をプラスに捉えるのは簡単じゃない


だからこそ、こういうユーモアのある言葉の引き出しを持っていることは


それだけで人として魅力がある


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

他人が絡むことならば、本当に欲しいモノの為なら


少し面倒な人になる(嫌われる)勇気はあった方がいい


もう少し粘れば手に入るかもしれない状況に対して


何を遠慮しているのか


何をイイコぶっているのか


目の前の相手に対して一生懸命何かを訴えて


カッコ悪いし恥ずかしいことこの上ないけれど


自分が引けばやっとうるさい奴がいなくなったと相手は喜ぶだろうけれど


私だってあなたと同様に日々色々あるのでね


どう思われようとも粘らねばならぬ時があるのですよ


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた