日々感じたこと、あれこれ

日々感じたこと、あれこれ

訪問ありがとうございます。
自分用に書いてる備忘録みたいなものです。
よろしくお願いします。

他人と距離を取りたくなる時というのは


その人が嫌いだから、というよりも


人を嫌うのはエネルギーの消耗が激しすぎるから


だからもう今以上にその人を嫌いになりたくない


ただでさえキツイなーと思いながら毎日耐えて頑張ってるのに


もうそれ以上その人の目に見える醜態を見たくない


目に見えない醜態にも一切巻き込まれたくない


だから、距離を取りたい


そして願わくば相手に対して好感を持っていたい


その方が自分が楽だから


目的は相手の為ではなく、あくまでも自分の為


自分を犠牲にしてまで他人を優先するのはお互いの為にならない


赤子ではないのだから自分のメンタルくらい自分で何とかしてくれ


あなたの心が落ち着き、誰に対しても最低限の敬意を持って関わる様を見届けるまでは


私はあなたと関わりたくない


私はあなたの奴隷でもお世話係でもない


あなたの感情の乱れは私のせいではなくあなたの選択だ


という言い方の方が言葉として違和感が少ない気がする


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた





明けましておめでとうございます

初詣に東京大神宮に行ってきました


初めて行きましたが夜間にも関わらずそこそこ人多かったです


正月バイトらしき若いお兄さんお姉さん&警備の方々が寒い中お仕事頑張ってました


比較的大きな神社は大概、古くなったお守り等を引き取ってくれる場所があるのが有難いですね


そのことを失念していて今回は少ししか持ち込めなかったのが残念です


また機会があれば次こそは沢山持参したいと思います


また一年、頑張りましょう


今年もよろしくお願いします


ではまた

誰が悪いとかではないけれど、と前置きした上で


ある専門家の方が何かの時に言っていました


それは


世の中には『育てにくい子』というのが確実に存在する


それは間違いないと


またこうも言っていました


世の中には『子育てに向いてない親』というのが確実に存在する


それも間違いないと


それでも産んだ以上は育てなければならないし


子供もある年齢迄は親元で暮らさねばならない


そこから逃げるのは犯罪を犯す覚悟でもない限り社会(世間)が許さない


それはもう物凄い『圧』で子と親を追い詰める


そしてこうも言っていました


コミュニケーション能力が高く親子仲が良いとされる部類に属する人でも


自分が大人になってからの親との関わりには多少の苦労や残念な思いをすることは避けられないと


誰が悪いとかではない


むしろ誰も悪くないのかもしれない


だけど問題は間違いなく起きる


それは避けられない


そして少なくない数の人が自分以外の誰かが悪いと声高に叫ぶ


いや、叫ばずにはいられないというのが正解か


皆が皆、ひたすら自分は悪くないと主張し


それを第三者に認めて貰おうと必死になっている


そういうものなのだと理解しつつも、なんだかなぁと思う今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

子供の頃は誕生日が楽しみに思えたけれど


歳を重ねると誕生日を楽しめなくなる


そんな時は【誕生日=自分のレベル】と考えてみては?と提案した人がいました


『30歳になりました』より『レベル30になりました』の方が何か良くないですか?と


数字が上がれば上がるほど、それまで頑張って生きてきた自分を頼もしく思えるでしょう?と


レベル10より20、20より30の方が何だか強そうでしょう?と


レベル80とか100なんて、もうラスボスレベルじゃないですか、と


加齢をプラスに捉えるのは簡単じゃない


だからこそ、こういうユーモアのある言葉の引き出しを持っていることは


それだけで人として魅力がある


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

他人が絡むことならば、本当に欲しいモノの為なら


少し面倒な人になる(嫌われる)勇気はあった方がいい


もう少し粘れば手に入るかもしれない状況に対して


何を遠慮しているのか


何をイイコぶっているのか


目の前の相手に対して一生懸命何かを訴えて


カッコ悪いし恥ずかしいことこの上ないけれど


自分が引けばやっとうるさい奴がいなくなったと相手は喜ぶだろうけれど


私だってあなたと同様に日々色々あるのでね


どう思われようとも粘らねばならぬ時があるのですよ


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

最近やっと腑に落ちたことがある


それは自分が誰かに対して一般的には良くないといわれることを言ったりしたりしている時


自分はその相手に甘えている、ということ


残念なのは自分が嫌いな相手にすらも隙あらば甘えたい


と思っている自分がいるということ


だけどもし、今までが相手に甘えられる一方だったのなら


これはいい傾向と言ってよいのではなかろうか


相手はあらゆる理由を持ち出して自分の方に甘える権利があると主張してくるが


もう何かしら反応するのも疲れてきた


私は相手に対して酷いことをしているのかもしれない


だけどきっとこれは今までの長年変えられなかった流れを覆す良い傾向なのだと思う


ただそんなことを思っただけ


訪問ありがとうございました


ではまた







嫌なことを言われたら


『あなたがそう言ったこと、覚えておきますね』


これくらいの言葉はいつで出せるよう、自分の中に常に準備しておきたいものである


そして実際に何かの媒体に記録に残しておく、くらいの努力はしたいものである


非常に面倒だが、それが自分をやられっぱなしにしない努力だと思う


もし大事にしたい人なら


『大丈夫?もしかして体調悪い?』


くらい言ってあげれば察しのいい人なら自分の言動の雑さ(キツさ)に気付くだろう


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

たとえどんなに生き辛くとも


自分を障がい者にしたくないから病院には行かない


我が子を障がい者にしたくないから病院には連れて行かない


医師に診断されるまでは自分(我が子)は問題ない、ということにしておきたい


自分を含め精神科とか心療内科に行った方がいいんだろうけど行ってない人の中には


きっとこういう人も沢山いるんだろうなと思う


こういう人は本当に困って他に選択肢がなくなってやっと病院行くんだろう


行って良くなったという実感を得にくい(気がする)のも行くのを躊躇する理由になっているように思う


日本では精神科も心療内科もまだまだハードルが高いし、障がい者認定されることは本当に不利なんだなと感じる


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

お金を払う側と貰う側はゴール位置が違う


お金を払う側は自分がイメージしたような商品なりサービスなりを受け取ったら、それがゴール


お金を貰う側はお金を受け取り、客が望む商品やサービスを提供又は納品したらゴール


だけどお金を貰う側は商品やサービスよりもお金を貰う又は契約を取ることがゴールになっていることが少なくない


だからお金や契約書のやり取りが終われば客への対応が雑になりがち


お金を受け取ったり契約が成立した瞬間、もう気持ちは次の見込み客に向かっていると思ってほぼ間違いない


買い物のゴールは売手側の方が先に来る


しかし売手側のゴールは買い手側のスタートなので、そこで温度差(又は熱量)に必ず差が出る


買い手側は売手側に支払った代金分はきっちり仕事させるように、全てが終わるまで引続き売手側の仕事ぶりをチェックし続けなくてはならない


また、売手側の仕事が雑であればきちんと指摘し改善させなければならない


それが買い手側の権利であり手間である点だと思う


高額商品になればなる程、買う側の大変さは増す一方だ


お金を払えば相手はきっちり仕事してくれるはずなんて絶対に思わない方がいい


そんなのは頭の中お花畑もいいところだ


また売手側は買い手ほど買い手のことはわからない


だから買い手側は言葉を尽くして売手側に自分の要望を伝え、自分の望みに少しでも近付けてもらえるよう粘り強く交渉していかねばならない


売る側は売るまでが大変、買う側は買ってからが大変


だけど詐欺等にあわない為にはお金を出す側が売る側の言動や経過をしっかり見続けて慎重に対応しなければならない


『あなたに任せる』なんて口が裂けても言ってはならないし弱みを握られてもいけない


それは売手にはいい言葉だが買手には悪い言葉だ


売手なんて基本絶対に信じてはいけない


信じたくなるのは自分が楽をしたい(相手の仕事ぶりをいちいちチェックしたくない)と思っている証拠


常に疑って頻繁に進捗確認のチェックを入れて、やっと自分の望みに近い商品が出来上がってくる


面倒な客になって多少嫌がられるくらいの覚悟が買い手側には必要


これは給料から湯水のごとく引かれていく税金にも言えること


国民は政治家にお金の運用方法も含めてめちゃくちゃお金を払ってる


政治家が全員がちゃんと仕事してるなんて絶対思わない方がいい


政治家の怠慢は国民が政治家の仕事ぶりを常にチェックしてない国民の怠慢


選挙前は耳障りのいいことを何とでも言える


だが選挙後にやると言ったことをやらせるのが国民の仕事


やると言ったことをやらせる為に、その人に投票したのだから


きちんと政治家が仕事をやりきるところまで見届けなくてはならない


本来であれば、もし自分の任期中にできなかったなら自分が辞める前に


やると言ったことはどこまで進んだのか進捗を国民に報告する義務がある


できない(やらない)言い訳なんて腐るほど出てくるだろう


だけどそれを国民に言ったところで何になる


国民に同情されたい(できない自分を許されたい)のかもしれないが


国民が求めているのは『やると言ったことはやってくれ』その一点につきる


やはりお金は出す側の方がエネルギーがいる


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

いつの頃からかは忘れたが


私の中で親は『取引先』と位置付けるようになった


それを意識するようになってから、心乱されることが少しは減ったように思う


迷った時は、与える時も貰う時も取引先ならこのくらいはするだろう


と思えること以上のことはなるべく踏み込まないし踏み込ませないようにしている


この試みは私の中で『今までが間違っていた』


相手に多くを求め過ぎていた(要求が多すぎた)、お互いに


ということに気付く良い基準になっている


ただそんなことを思っただけ


訪問ありがとうございました


ではまた