作曲と配信もやり終えたところで、また読書にエネルギーを注ごうと思い、先日読んだのが梁塵秘抄という歌謡集。
印象に残った点が2点ある。
それはタイトルにもある通り(このブログのね)フェミニズムとヴィーガニズムの観点から。
結論として言ってしまえば、当時のミソジニー、現在と比べて殺生に対して抱く感情が仏教的な観点から大きく違うのだなあ…といった印象を抱いた
具体的に書いていくと原歌116にあった
女人五つの障りあり 無垢の浄土は疎けれど 蓮華し濁りに開くれば 龍女も仏になりにけり
なんだけど、これは法華経の龍女成仏の説話を踏まえた今様とのことで…仏教には女性というだけで五つの障りがあると…
で、龍女は「女性であること」と「"畜生"であること」から、障りがあり、そのままの姿では成仏出来ないため、法華経の力で人間の男性になって成仏したと…
おえええ!
種差別と女性差別のダブルコンボ。
そもそもといってしまえば、この仏教に限らず宗教自体が男性中心主義とは切り離せない部分があるので、宗教的なものに抗うことはフェミニストとして、ある種の意味があるのかもしれない…。
ただ仏教に関して、もう1つ気になったのが原歌240としてあった
はかなきこの世を過ぐすとて 海山稼ぐとせしほどに 万の仏に疎まれて 後生わが身をいかにせん
で、魚を獲ったり、動物を狩ったりといった殺生を行う漁師・猟師が、その殺生のために後生を案ずる…という内容…と
古典て、仏教の影響が大きく受けたものが多いと思うけど、こういう歌が今様として、市民の中で歌われていた…と考えると「殺生」というものに対する想いが現代人とは全然違うんじゃないかなと思ったり。
動物の肉を食べる市民もそうだけど、漁師、猟師も、その殺生を罪として捉えて、死後の身を案ずる…みたいなのってないんじゃないか?
それを思うとカーニストのいう食べる時の「感謝」(まあしてないと思うけど)って、どういうところからきてるんだ?
この時代の今様として「罪」と捉えることと「感謝」として殺生を受け入れることは違うと思うんだけどなあ。
殺生を罪と捉え、忌むべきものと捉えること、それゆえに殺生をしない生き方をするっていうのはヴィーガニズムと通ずるところがあるとは思う。ヴィーガニズムにおいて、それは宗教的な「罪」を意味するものではないけれど(大事な点)
さらに言えば、殺生を自身の後生を思い、避けるものという姿勢から"脱搾取"の行動を起こすのであれば、それはあくまで利己的な理由であって、ヴィーガニズムの利他的な姿勢とは違うんじゃないかなとも思う。
これは声を大にして言っておくべきことだけど、ヴィーガニズムは宗教に基づくものではない。
よくヴィーガンに対して「宗教か」とかいう人いるけど、少なからずこういう宗教的菜食だったり、ニューエイジの菜食だったりが、アニマルライツ、脱搾取からの菜食よりも社会的に認知されていること…が少なからず影響としてあるのかもしれないね。
最近、シェイクスピアの十二夜も読んだけど、コレに関しては特に伝えたいことはない…(笑)
あえていうなら、やっぱりミソジニーを感じた…といったくらいかな。
ミソジニーって本当にどこでもぶち当たるよね…本読んでも、テレビ見ても、日常の人間関係でも。
こういうのって消耗するよね。
ミソジニーを憎んでる。
で、話は変わって、金曜日にxで知り合った、しんぺいさんと、わさび屋さんと、みなこさんとLINE通話にて雑談会があった
このメンツで話すことといったら、もう大真面目な話よね
自民党総裁選挙、立憲民主党代表選挙、ヴィーガニズム関連(動物園・水族館の是非、所有物として動物が扱われる現状について、畜産とフェミニズムとの関係、気候変動、コロナ等の感染症などなど…)、安楽死の是非、パレスチナ、レイシズム
13時から話し始めて、16時半くらいまで話してたな…他の人は残ってまだ色々と話してた。
大分、ヴィーガニズムについては推せた気がするよ…(笑)
学びのある雑談会でした。またやりたい
総裁選挙に関して言えば女性リーダーの話が上がったけど「女性リーダーでも、その人がフェミニストでないのなら期待は出来ない」と、まあ私がそう言ったんだけど、みなこさんあたりとか、やっぱり同じ気持ちで嬉しかったな。私は小泉さんになって欲しいと思ってます。靖国参拝やめて欲しい…。
あとは「なぜ自民党議員は安倍氏をいまだに持ち出してくるのか」とか(笑)
自民党議員が出す本には、安倍氏と握手してる写真が、やたらと使われるとかw
実際、なぜ自民党議員は、あんなにも安倍氏の亡霊を追いかけているのかと疑問なので、みんなの話は参考になりました。
あと衝撃だったのは、小学生で魚が切り身のまま海で泳いでいると思っている子が実際にいる…という話かな
これはスーパーでパック詰にされている動物肉と、それが与える影響が頭によぎったというか…自分自身で殺生を行わず、それを他人に行わせるということが「殺生をしている」という事実と「肉は感情ある誰かの体の1部である」という事実を感覚的に覆い隠しているのだろうと。
しんぺいさんがアースリングスという映画を話題に上げた。
ヴィーガンなら知らぬ人はいないだろうといっても過言ではない超有名ドキュメンタリー映画だ。
アースリングスと並んで有名なのがDominionという映画。
私も、しんぺいさんもドミニオンの方はみてない。みられないかもしれない…。
みなこさんが「と殺動画をみなければならないと思うけれど、怖くてみられない」とのことで。
私個人的に思うに、肉を食べる人の方が、と殺動画に抵抗があるのではないかと思う。
それは食べるという行動に伴うグロテスクな抵抗、殺生の罪の感情を自身の中に引き起こすから…なのかな。
自分は菜食するまでは、と殺動画みられなかったので、そう思う。
殺生の罪を感じるというよりも、死体を食べるということに対するグロテスクな抵抗のためだ。
といってもヴィーガンになれば、と殺動画も抵抗なく視聴できるかというとそうでもない。
なにしろ私も、しんぺいさんもアースリングス、全部みてない…みきれなかったからね…それくらい、しんどい映画ですよ。
いかに自分が直接的な、この畜殺、と殺、動物実験、毛皮産業、諸々の暴力から切り離されているのか思い知ることになる。
私たちは誰かを殺すために、誰かの手を汚し、死体に嬉々として群がり貪る。
正直言って、殺すという言葉でさえ生温い、暴力の数々を動物たちに対して平気で行う。
そしてまた、それに付随して、人間さえも苦しんでいる。
畜産に付随する人に対する殺戮と、殺戮させる暴力。
それに付随する環境汚染による暴力。
この飾り立てられた日常という私の世界の裏には必ず影があり、隠された暴力がある。
そういった曲を以前にバンドのために書いたけれど、あれ本当に作品として作るのかな…。
とはいえ似たような切り口で資本主義に抗う曲を今年リリースしたので、載せておく。
あらゆる媒体にて配信中。YouTubeの詳細欄に記載しております。
畜産とフェミニズムとの関係についても、雑談会で、しっかりと、お話出来たので何よりでした
(妊娠させて、子を生ませ、その子を奪い、乳もまた奪うという女性搾取が畜産の基盤となっていること等)
ここでまた1つ別の話だけれど、最近、スレッズで「日本は住むにあたって良い国か」といった問いかけをされている問いかけされている海外在住の方がいた。
それに対してのコメントは「ノー」が結構多くて、私自身、正直、日本なんて良い国じゃないと思ってるし、好きでもないから「そうだよな」と思うんだけど、なんかちょっと残念だなと思う気持ちがあったんだよね…
その時に自分自身が日本という国家に対して、自分自身のアイデンティティを、そこに投影していたことに気付いて…。それが嫌だったんだよね。そういう愛国心の片鱗みたいなものを自分自身の中に見るのが。
愛国心は克服すべきものという姿勢なので。
なんか日本人が言う「日本嫌い」といった言葉には、あんまし抵抗感じないと思うんだけどね。
そこがまたキショイんだわ。愛国心は排外主義と隣り合わせだと思ってるからね。
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