小学5・6年生の頃、クラスでは、いじめが問題になった。
この学年の頃の、いじめの理由などというものは本当に小さなものだ。
大抵誰かが「あの人は嫌だ」と難癖をつければ、ハブりが始まる。
誰か1人が、そう言えば、他の人も「ああ、あの人は嫌な人なんだ」と思い込む。
少し考えれば、なんてことない、いちゃもんだと、わかるのだが、わからない時もあるのだと思う。
「あの人は嫌だ」と言われれば「嫌な人なんだ」と思ってしまう。無条件に。
誰かの真似をすれば嫌な人になるんだ。
自慢をすると嫌な人になるんだ。
自分を好きだと言えば嫌な人になるんだ。
などなど
そうして「嫌な人」の条件が、自分の中に組み込まれていく。
それが「嫌な人」なのだと信じるようになる
けど、あなたは本当に、それが嫌なのだろうか?
単に自分の感情や考えに自信がないから、相手の考えを採用しているだけではなかろうか?
みんなが言っているから正しいに違いない
みんながやっているから安全に違いない
みんな同じだから私も大丈夫
こんな風に、自分の考えを放棄して、相手に責任をなすりつけてはいないだろうか?
自分自身の主導権を任せてはいないだろうか?
だって、みんなそう言っていたから
だって、みんなやっていたから
だって、みんなも同じことをしているじゃない
みんなと同じなら自分自身で責任を取らなくても良い。
誰かが正しいことをしてくれるに違いない。
もし、自分自身の考えに自信を持てるとしたら…果たして自分は、そんな風にふるまうだろうか
「自分を好きだと言えば嫌な人になる」
24才くらいの頃に友人から実際に、このように言われたことがある
「自分のことを好きだなんて言うと、人に嫌われるよ」と
その言葉に対し私は、「自分のことを嫌いでいるより、好きでいた方が良いと思う」と答えたのを覚えている。
大学生だった頃、私は留学生の歓迎パーティーで女の子に「可愛いですね〜」と声をかけた。(圧倒的ナンパ野郎感)
すると女の子は私に「そんなことないですよ〜」と…謙遜を。
私は、それを聞いて心の温度計が下がった。
なぜ自分の良いところを、そんな風に拒絶するのだろう、と。
誰かに褒められた時は謙遜して「違う」と言うこと。
それが正しい振る舞い。
そう思っている人は割といるんじゃないかな。
私は、そんな風に振舞われると「もう、この人のこと褒めたくないな」と感じてしまう
違います、違いますって。
あなたの褒め言葉は受け取れません(笑)みたいな…
そんな風に自分の良さを否定していると、ますます自分に自信がなくなるんじゃないかな。
周りの正しさに同調する→意思決断の主導権を相手に引き渡す→謙遜して自分自身は大した存在ではないと主張する→自分は大した存在ではないので自信が持てない
と言いますか。
つまり、自信を失うということは、自分自身を失うことなのだな、と。
で…
自分好き好きの私は先日、三脚を買ったので動画撮影をしました(笑)
私は自分の見た目も中身も好きっすよ(笑)
それでは、みなさん。
今日も素敵な1日を