先日、ショップリスト?というサイトで売っていた黒のロングスカートを…買ってもらいましたw
今、部屋で履いてるw
やはり全身を黒で固めると安心する
さて、来月からまた曲作りをしようと思う。
友人3人と行なっているゲーム制作のためにも作らなきゃだし。
ゲーム制作の方は、
・シナリオ作り担当
・プログラミング担当
・絵担当
を3人が行なっていて私は、ちょっと絵と音楽の方を。
ゲームは2種類制作中。
片方は私がシナリオ編集をしている。
エニアグラムに基づいたキャラ設定を、とのことだったので、キャラ特徴なんかも私が書き出した
そっちの制作とは別に曲作りをしようとは思うが…なんだか、あまりたくさん作る氣になれない。
思いついたフレーズなんかをメモしたノートも見つからないwwww
モヤモヤするーw
20代前半までは「何か作って残さなきゃ」といった使命感を強く感じていたのだが、今は、そういった使命感はない。
あの頃は
自分自身の軌跡を残したい
自分自身の個性を形にして残したい
自分だからこそ生み出せる物を残したい
そういった想いがあったけれども、今は、それほどの想いを抱いてはいない。
そうした想いは精神世界に足を踏み入れてから徐々に無くなっていった。
何かをすることや、何かを得ることに幸せを見出さなくなったからだ。
(もちろん何かをすること、何かを得ることで楽しいと感じることはある)
何かをしてもしなくても、何かを得ても得なくても、自分は幸福になれると思う。
そもそも何かを得るというのも幻想だしなあ。
ただ、こうした物質世界で生きていれば幻想の世界に身を落とすこともあるというか、よくある。
あんなに自分の軌跡を残したいと思っていたのに、どうでもいい。
アートを楽しむこと自体は好きだが。
アートを作ることで繋がる世界もあると思うし、そこから新たなチャンスを「得る」こともあると思う。
例えばゲーム制作みたいな。
それ自体は面白い体験だ。感動もある。葛藤も。
しかし私が作る必要があるのだろうか。
私が作らなくても他の人が作るのではないか。
(特に英語で作る曲なんて)
自分は日本語ネイティブなので1番自然な日本語で曲を作れば良いと考えるタイプ。
ゆえに、英語で曲を作るときは日本語バージョンも一緒に作ってきた。
まあ未熟だなあと感じる曲なのでお蔵入りしつつあるけど。
で…自分が作る曲って需要あるのかなあ。
などと思うようになった。
ゲーム制作で求められているように一定の需要はあると思うけど…
とりあえず3曲は作りたい。
1つはチェンバロのみの曲で。
曲作りは楽しさもあるけれど、すごく大変。
大変だからこそ、あまり意味のないものを作るのは…。
もちろん曲そのものに想いやメッセージはあるのだけれども、求められているわけではないなら作っても仕方がないような…。
ただ自分の中に溢れかえるアイディアを、アートとしてアウトプットすることで昇華出来る感情はあるね。
音楽作りの労力半端ないけどねw
自分には音楽作り以外にも入れ込んでいるものがありすぎる。
お香作り
読書
語学学習(主に英語、韓国語、ノルウェー語、ヘブライ語)
写真(自分自身、きっちりキメて撮る写真w)
絵
楽器(ピアノ、クラシックギター、エレキギター)
…あたり。
前は詩も書いていたけれど、それは、やめちゃった。
歌詞だけ書けばいいかな…と。