
今年、ファンケル創業者の池森賢二氏が神奈川文化賞(産業分野)を受賞し、神奈川県庁にて黒岩祐治神奈川県知事より贈呈された。ファンケルは横浜市栄区が創業の地。池森賢二氏は1937年(昭和12)年生まれ三重県宇治山田市(現・伊勢市)出身。ファンケルは1980年(昭和55)創業だ。今でこそ無添加化粧品は当たり前だが、ファンケル創業当時はそうではなかった。池森氏自身も最初から化粧品業界に身を置いていた訳ではなく、化粧品に関しては素人だった。だが、それが既存の概念に捉われずプラスの方向に働いた。
ファンケルが創業される30年程前の1950年頃より黒皮症という皮膚病の女性が増えだした。文字通り顔の皮膚が黒くなる病気で黒皮症を患った為に、離婚されたり、自殺したり、隠遁生活に入ったりした女性も少なくなかった。その後「黒皮膚病裁判」「化粧品公害裁判」などが起こり、化粧品公害・化粧品の安全性が社会問題となっていた頃池森賢二氏夫人が、使用していた化粧品が合わなくなり、顔に吹き出物が出来てしまった。知り合いの医師に尋ねると化粧品に含まれた添加物が原因で皮膚トラブルを起こす女性が多いのだという。その当時の化粧品には多量の界面活性剤や殺菌防腐剤・酸化防止剤・香料・色素が含まれているのが普通だった。そこで池森氏はそれらの添加物を含まない化粧品を創ろうと考えた。しかし、無添加化粧品が完成するまでには様々な紆余曲折があり、無添加化粧品が完成したのはファンケル創業の2年後だった。無添加の化粧水と乳液は防腐剤が入っていないので開封したら1週間で使い切らなければならない。その為、注射液のアンプル様小瓶に注入して販売した。その当時、化粧品はデザイン性の高い瓶に入れられ、香りもよく化粧水・乳液も透明ではなく、青・緑・紫・ピンク・黄色・オレンジ・水色・クリーム色など鮮やかな色調だった。既存の化粧品メーカー各社は「注射液みたいな化粧品など売れるはずがない」と、ファンケルを嘲笑していた。だが、化粧品による皮膚トラブルに悩む女性は思いの外多く存在していて、ファンケルは多くの女性から支持された。創業当時は社員数人しかいなかったが、40年後の今日誰もが知る大企業に成長した。