本日、日本の新元号が「令和」と発表されました。
ほとんどの日本人の、想定外の元号だったと思われます。
「令」を予想していた人は、恐らく1%ぐらいではないのでしょうか?
それにしても、平成の年号が発表された30年前と現在とでは、社会思想がかなり異なっています。私が中国語を学び始めた、平成元年(1989年)頃は、良く言えば進歩的な悪く言えば自虐史観的な社会思想が日本を覆いつくしていました。具体的には「大喪の礼による交通規制は人権侵害である」とか、「元号を廃止し西暦のみにすることが国際化だ」とか、「天皇制そのものを無くすべきだ」とかなどの発言をする知識人・文化人が大勢いて、TVニュースでも大きく取り上げられていました。
中国学習者の中にも、その様な「進歩的思想」の人が多くいて、中国人の言いなりになることが、とても良い事だと真剣に思い込んでいたり、親日的な台湾を敵視したりする人までいて、「この人たちは本当に日本人なのだろうか?」「もしかして脳細胞が本当に真紅なのではないのか?」等と疑わずにはいられませんでした。
最近ではその様な思想を持った中国語学習者はかなり減り、だいぶ心が安らかになりました。その背景には、あれから30年経って当時進歩的思想の中心であった30代後半から40代50代の人たちが減少したことと、日本を取り巻く国際情勢が大きく変化したことがあると思われます。
新元号の「令和」は従来の中国の故事に拠るものではなく、万葉集を拠所としている点に意義があります。
平成元年(1989年)に大陸で起きていたのは天安門事件ですが、今後はこの事件を知る人はいなくなるかもしれません。
天安門事件から今年で30年経ちますから、人々の記憶から遠くなっているのも事実です。しかし、あの様な衝撃的な事件は完全に脳裏から忘れ去ることはありません。では何故知る人がいなくなるのかといえば、習近平氏の政策によるものです。天安門事件以後大陸では、歴史の教科書に事件の事が記載されていました。その内容は勿論、中共政権に有利なものでした。「中国共産党の政策に異議を唱える反革命分子がいたが、人民解放軍の働きにより鎮圧された」と、いう様な内容が書かれていました。それにより、天安門事件以後に生まれた青少年も、事件のことは一様知っていました。ですが、習王朝が開かれてからは習近平皇帝が即位すると歴史の教科書から天安門事件が削除されてしまいました。今すぐに、天安門事件を知る人がいなくなるわけではないのですが、50年後にはいなくなる可能性がかなり高いです。しかし、50年後に習王朝が存続しているかどうかも分かりませんので、もし今後大陸が民主化されたら、再び歴史の教科書に天安門事件が記載される可能性もあります。まあ、その頃には私自身が生きているかどうかも不確実です。

