一昨年の12月上旬に「みいたんが大変」というブログを書きました。我家のお母さん猫、みいたんについて書いたブログです。その中に以前シベリア抑留経験者の父親が飼っていたおばあちゃん猫「たま」のことに少しだけ触れました。3年前の夏他界した父親の家から「たま」を引き取り、我家に連れて来た時には、たまは痩せてガリガリでした。動物病院に連れていくと、「腎不全を起こしている」と言われ、「この状態ならば5、6歳までしか生きられないはずだが、今はおまけで生きている」と告げられました。つまりいつ死んでもおかしくない状態でした。そして、たまは物凄くキツイ猫で、他の猫が近づくと物凄い勢いで「シャー」と威嚇して、他の猫は誰もたまには近づきませんでした。そんなたまでしたが動物病院でしか購入出来ない、治療食のキャットフードを与えていたら、半年程した頃、いつの間にか腎不全が自然治癒していたのです。そして以前は体力が衰弱し切っていたのですが、体力も回復していました。動物病院で「今なら手術可能なので牙を全部抜いた方が良い」と言われ、その日のうちに、「緊急救急救命センター」で手術して牙を全部抜歯しました。続く

 

 

私は、最近歯の治療に通っています。以前に、治療した歯が壊れてしまったからです。今までにも壊れてしまった歯は何本かありました。中には10年もしないうちに壊れてしまった歯もありましたが、これらは全て大人になってから、治療した歯ばかりです。

私が子供の頃以前住んでいた家の近くに歯科医院が在りました。その歯科医院は大きな医院ではなく、先生がご自宅の一角を改造して、その先生お一人で治療している歯科医院でした。その先生は私が通っていた小学校の校医をしていました。そしてその先生に治療して頂いた歯だけは半世紀前後経っているのに、一本も壊れていません。半世紀が過ぎてからあの先生の腕の良さが分かりました。私の父親よりも10歳程若かったと思いますので、ご存命ならば90歳前後になられているはずです。

3年前に他界した私の父親は、自分の歯がほとんどありませんでした。しかしそれは加齢によるものではなく、シベリア抑留中に栄養失調により抜けてしまったのです。1日にパン一切れしか支給されない日もあり、徐々に体力が衰弱して歯がぽろっ、ぽろっと抜け落ちていきました。私はパン一切れと、聞いて白い食パンを想像していたのですが、日本人には食べにくい酸味のある黒パンであることを建部奈津子さん(シベリア抑留体験を語る会札幌)のブログを拝読して知りました。栄養失調で他界した日本人抑留者も多数いたのですが、何としても日本へ生きて帰る為に蛇や野鼠を捕獲して食べながら飢えをしのぎました。このシベリア抑留者の中には朝鮮人、台湾人も含まれています。

 

 

日本を含め西側諸国はいわゆる東南アジア地域を東西冷戦下において、反共の砦としていた。

例えば、1954年に米・英・仏・澳大利亜(オーストラリア)・泰国・新西蘭(ニュージーランド)・菲律兵(フィリピン)・巴基斯担(パキスタン)に由り東南アジア条約機構・SEATOが結成されたが、その目的は東南アジア・太平洋地域における反共軍事同盟としての意義があった。1967年には泰国・印度尼西亜(インドネシア)・菲律兵・馬来西亜(マレーシア)新嘉坡(シンガポール)の5ヶ国が東南アジア諸国連合・ASEANを結成し、越南(ヴェトナム)戦争末期の1971年に東南アジアの中立化を宣言。社会・経済等の地域協力促進機構に移ったが、結成当初は反共軍事同盟の意味もあった。 

越南戦争期には「ボートピープル」と呼ばれる難民が大量発生し、日本へもやって来たが、その難民の多くは実は華人なのであった。この様な現象の発生は反華感情とは切り離して考えられない。 現在、東南アジア諸国へは日本からも多数の専門家の派遣が行われており、東南アジア諸国からの研修生も受け入れている。特に近年では越南からの留学生研修生が急増している。 終わり