私が漢語を学び始めた平成元年(1989)頃は、日本列島全体が自虐史観に飲み込まれていた。その当時、漢語学習者の中には共産主義のイデオロギーが大好きで、中国人の言いなりになる事がとても良い事だと思い込み、事実無根の南京事件を声高に吹聴する人種が多くいた。
とにかく、中国=善 日本=悪 という図式に何もかも当てはめないと、気が済まないらしく、その人種の近くにいると、こちらまで脳細胞が紅くなりそうだった。
私はその様な人種にはずっと違和感を感じていたし、数年間上海で暮らしていてもその様な思想には洗脳されなかった。しかし、それは上海だったからであり、もし北京に住んでいたら、完全ではないまでも、かなり洗脳されていた可能性は高い。
日本に帰国してから法政大学で東洋史を学びながら、戦時中の日中関係について考える学習会へも参加してみたが、やはりそこでも違和感を感じた。
その学習会で出会った人たちは、日本の植民地主義と欧米の植民地主義を同じに考えてはいけない。と、いう考えの人たちだった。その考え自体は私も全く同じ考えなのだが、よく話を聴いてみると中国人の言いなりになるのが良い事だと思い込んでる人種と同じだと感じた。主義主張は真逆だが体質的にはそっくりだった。つまり中国=善 日本=悪 という構図がそのまま逆になっただけ。
日本人の中にも善人と悪人がいる様に、中国人の中にも善人と悪人が存在する。それは、台湾人も香港人も同じなのだが、どうしてもどちらかに決め付けないと気の済まない人が多いらしいと気が付いた。そもそも、一人の人間の中に善と悪の両方が存在するのであり、どちらか片方に決め付けられる程人間は単純ではない。
そして災害時に、強姦を含む性被害に遭った女性が声をあげられなかったのも「日本人は善良で秩序正しい」との報道が全面を覆い「そうではないのだ」と言うこと自体が悪いことだとされる風潮がその当時は濃厚だったのだと感じた。
この避難所での性被害を公にするべきではないと考える人たちは日本=善 中国=悪 と考える人たちと体質的に類似している様な気がしてならない。 続く
