アルバム別ポイント集計と“聖子さんが選ぶ曲の傾向”

アルバム別ポイント集計(上位のみ)

※データをもとにポイント(=リクエスト票)を合算しています。

 

1位:風立ちぬ(1981) ― 63ポイント

  • 雨のリゾート(14)
  • 流星ナイト(14)
  • 一千一秒物語(13)
  • いちご畑でつかまえて(9)
  • 冬の妖精(7)
  • 白いパラソル(4)
  • 風立ちぬ(2)
 

 

1位:ユートピア(1983) ― 63ポイント

  • ピーチシャーベット(15)
  • マイアミ午前5時(13)
  • ハートをRock(11)
  • 赤い靴のバレリーナ(9)
  • 小さなラブソング(8)
  • セイシェルの夕陽(6)
  • メディテーション(1)
 

 

3位:Pineapple(1982) ― 57ポイント

  • レモネードの夏(15)
  • ひまわりの丘(14)
  • 水色の朝(12)
  • P・R・E・S・E・N・T(7)
  • パイナップル・アイランド(3)
  • ピンクのスクーター(3)
  • SUNSET BEACH(2)
  • LOVE SONG(1)

 

4位:Candy(1982) ― 44ポイント

  • 星空のドライブ(8)
  • 黄色いカーディガン(8)
  • 未来の花嫁(7)
  • 真冬の恋人たち(7)
  • モッキンバード(5)
  • 野ばらのエチュード(4)
  • Rock’n’roll Good-bye(2)
  • 四月のラブレター(1)
  • 電話でデート(1)
  • ブルージュの鐘(1)

 

5位:SUPREME(1986) ― 30ポイント

  • 蛍の草原(12)
  • 時間旅行(10)
  • チェルシー・ホテルのコーヒー・ハウス(3)
  • 瑠璃色の地球(3)
  • 白い夜(1)
  • 雨のコニーアイランド(1)

 

6位:Canary(1983) ― 28ポイント

  • 蒼いフォトグラフ(16)
  • Canary(9)
  • LET’S BOY HUNT(2)
  • 瞳はダイアモンド(1)

 

7位:North Wind(1980) ― 27ポイント

  • 白い恋人(12)
  • Only My Love(8)
  • Eighteen(7)

 

8位:Windy Shadow(1980) ― 24ポイント

  • Star(14)
  • マンハッタンでブレックファスト(5)
  • 銀色のオートバイ(2)
  • Dancing Café(2)
  • ハートのイアリング(1)

 

9位:Citron(1988) ― 21ポイント

  • 抱いて…(13)
  • No.1(2)
  • 林檎種の日々(2)
  • 続・赤いスイートピー(2)
  • Marrakech(1)
  • You Can’t Find ME(1)

10位:Tinker Bell(1984) ― 20ポイント

  • 密林少女(7)
  • いそしぎの島(6)
  • Sleeping Beauty(4)
  • AQUARIUS(3)

 

聖子さんがリクエストで選びやすいアルバムは?

アルバム別ポイントを並べると、 圧倒的に強いのは1981〜1983年の3年間。

  • 風立ちぬ(1981)
  • ユートピア(1983)
  • Pineapple(1982)

 

上位曲を紹介

1位:制服(26票) (1983)

リクエストコーナーの絶対王者。

 

 

2位:蒼いフォトグラフ(16票) ―『Canary』(1983)

写真の中の一瞬を切り取ったような、 淡くて切ない世界観がファンの心を掴み続ける。

 

3位:ピーチ・シャーベット(15票) ―『ユートピア』(1983)

夏の匂いと少女の恋心が混ざり合う名曲。

 

3位:レモネードの夏(15票) ―『Pineapple』(1982)

爽やかさと切なさが同居する、 “夏の聖子ワールド”の代表曲。

 

5位:雨のリゾート(14票) ―『風立ちぬ』(1981)

雨に濡れたリゾートの情景が浮かぶ、 松本隆先生の詞世界が光る一曲。

 

5位:Star(14票) ―『Windy Shadow』(1984)

聖子さんの物語のような、 ロマンティックな輝きを放つ曲。

 

5位:流星ナイト(14票) ―『風立ちぬ』(1981)

タイトル通り、夜空を駆け抜ける流星のような疾走感が魅力。

 

5位:ひまわりの丘(14票) ―『Pineapple』(1982)

夏の光をそのまま閉じ込めたような曲。

 

9位:マイアミ午前5時(13票) ―『ユートピア』(1983)

都会の夜明けを思わせる、 大人びた雰囲気が魅力。

 

9位:一千一秒物語(13票) ―『風立ちぬ』(1981)

松本隆先生の詞が紡ぐ“少女の物語”。

 

9位:抱いて…(13票) ―『Citron』(1988)

女性ファンに人気の大人な世界。

 

(12票)

蛍の草原、水色の朝、白い恋人

 

(11票)

ハートをRock

 

(10票)

時間旅行、ベルベットフラワー、夏服のイヴ

 

(9票)

赤い靴のバレリーナ、いちご畑でつかまえて、Canary

 

(8票)

星空のドライブ、Only My Love、愛されたいの、小さなラブソング、黄色いカーディガン

 

(7票)

冬の妖精、未来の花嫁、Call me、ガラスの林檎、櫻の園、Eighteen、真冬の恋人たち、密林少女、P・R・E・S・E・N・T、花一色~野菊のささやき~、私の愛

 

(6票)

あなたに逢いたくて~Missing You~、いそしぎの島、セイシェルの夕陽、愛の神話、ボン・ボヤージュ

 

(5票)

モッキンバード、SQUALL、マンハッタンでブレックファスト、あなたのすべてになりたい

 

(4票)

Sleeping Beauty、野ばらのエチュード、惑星になりたい、潮騒、白いパラソル、WITH YOU、ボーイの季節

 

(3票)

Kimono Beat、夏の幻影、AQUARIUS、Romance、特別な恋人、Sailing、チェルシー・ホテルのコーヒー・ハウス、裸足の季節、瑠璃色の地球、パイナップル・アイランド、ピンクのスクーター

 

こんな変わり種の曲も

津軽海峡冬景色(石川さゆり)、聖子のピコレ(腕時計CM)

 

 

WITH YOUのリクエスト

 

2022年8月28日 ガイシ

2023年6月25日 大阪

2023年7月8日   武道館

2023年7月16日 福岡

 

セトリに入る礎は、築かれていたのですね。

 

― 新年度2回目、初夏の陽射しの中で ―

 

新年度2回目の練習は、まるで季節が一歩進んだかのような初夏の陽射し。 汗ばむ気温の中でも、誰ひとりケガなく最後までやり切れたのが何よりでした。

メニューはいつも通り、 ラジオ体操 → キャッチボール → ノック → トスバッティング → フリーバッティング。 フリーバッティングは 1セット目10本、2セット目5本 の計15本。 シンプルだけど、積み重ねるほどに身体が応えてくれるメニューです。

 

 

 

 

 

課題だったスローイングに光

長く悩んでいたスローイングに、ようやく改善の兆しが見えてきました。 「指にかかる感覚」 が戻ってきたのは大きい。 これがあると、手投げではなく 身体全体を使った送球 ができるようになります。

体重が乗れば、球の威力は自然と増す。 理屈では分かっていても、実際に感覚が戻ると嬉しいものです。

 

 

体験入部の方、衝撃の一打

今日の体験入部の方は、とにかく凄かった…。 フリーバッティングで放った打球は、草むらまで一直線。 公式ソフトボールのフェンスなら、完全にホームラン級。

自分とはまったく違うバッティングスタイル。 それでも、あの角度で球を飛ばせるのは 生まれ持った才能 なんだろうと感じました。

 

練習生として、今日も声を出す

自分はまだ練習生。 だからこそ、できることを全力でやるだけ。

今日も声を張り上げ、チームを盛り上げ、 支配下選手登録の日を静かに待ちます。

声は球よりも速い。 だから、誰よりも早くチームに届くはず。

 

 

 

──1980〜81年、聖子さん 初期サウンドの“失われた1曲”──

 

聖子さんの初期キャリアには、公式には語られない“未発表曲”がいくつか存在します。 その中でも特に語り継がれているのが、 『白い風は旅人』 という1曲です。

 

1980〜81年頃に録音されたとされるこの音源は、 正式なタイトルもクレジットも残されておらず、 “幻のデモ”として長くファンの間で共有されてきました。

 

 

 

 

1. 録音時期:1980〜1981年の“ハイトーン期”が最も自然

 

音源の声質は、 『SQUALL』(1980)〜『North Wind』(1980)期の聖子さんそのもの。

この時期の聖子さんは、

  • 透明感のあるハイトーン
  • 軽やかで細いビブラート
  • まだ芯が細く、少女らしい声質

が特徴で、1981年中盤以降の“キャンディボイス”とは明確に異なります。

 

 

 

 

2. 作詞者推定:文体分析では“三浦徳子先生”が最有力

 

三浦徳子先生と一致するポイント

  • 感情をそのまま言う(「行かないで」「好きなのに言い出せずに」)
  • 行動描写が多い(「胸を横切る」「肩に触れる指」)
  • 南国情景が説明的(スコール・椰子・リーフ)
  • 語彙が平易で少女の心を直球で描く

松本隆先生と一致しないポイント

  • 感情を直接言いすぎる
  • 比喩が単層的
  • 行動が多く、静けさが少ない
  • 語彙が文学的でない

文体的には三浦徳子先生が最有力。

 

 

3. 歌詞世界:少女の“一瞬の恋”を描く初期聖子さんの純度

 

歌詞の中心テーマは 「風のように掴めない彼」と「言い出せない少女」

 

「白い風は旅人」=彼の象徴

タイトルにもある “白い風” は、

  • 触れたと思ったらすぐに通り過ぎてしまう
  • 掴めない
  • でも心地よく胸を横切る

という存在= を象徴しています。

“旅人”という語が示すのは、 彼はとどまらない、自由で、どこか遠くへ行ってしまう人 というニュアンス。

少女はその風に触れた瞬間、 恋に落ちてしまった

 

スコール・椰子・リーフ—南国の情景

歌詞には南国のモチーフが多く登場します。

  • スコールの晴れ間の青空
  • 濡れたシャツが日差しで乾く
  • 椰子に背中合わせ
  • 遠いリーフ(珊瑚礁)

これらは “一瞬の恋の舞台” として描かれ、少女の心の揺れを強調します。

特に 椰子に背中合わせ

 という描写は、 “好きなのに言い出せない距離感” を象徴する名シーンです。

 

「好きなのに言い出せずに」—少女の未熟さと切なさ

この曲の少女は、 恋心を自覚しているのに、言葉にできない。

  • 彼は風のように自由
  • 自分はまだ若くて不安定
  • 触れられると胸が高鳴る
  • でも怖い

 

という、“少女像”が非常に強く出ています。

特に 「揺れ動く心細さは若さのせいね」 という部分は、 少女が自分の未熟さを自覚している、 非常に繊細な自己分析です。

 

 「いいのよ」—少女の“覚悟”

歌詞の中で何度も出てくる 「いいのよ」

は、実はとても重要です。

これは “傷ついてもいい、あなたが好きだから” という少女の覚悟の表れ。

 “自己犠牲的な純粋さ” がここに凝縮されています。

 

物語のクライマックス

後半の 「肩に触れる指に愛が走る 怖いくらい」 は、少女の恋が“身体感覚として”一気に高まる瞬間。

ここで初めて 恋が現実のものとして迫ってくる恐怖と喜び が交錯します。

 

最後の「時間よ止まれ」

ラストの繰り返しは、 少女がこの瞬間を永遠に閉じ込めたい という願いの頂点。

しかし、 “風は旅人”である以上、 彼はいつか去ってしまう。

その切なさを知りながら、 少女はただ 「隣にいてね」 と願うしかない。

 

 

 

まとめ

 

『白い風は旅人』は、“少女の恋の瞬間”を最も純度高く閉じ込めた未発表曲。 

  • 風=彼
  • 時間よ止まれ=恋の永遠化
  • 南国の情景=一瞬の輝き
  • 言い出せない恋心
  • 若さゆえの揺れと怖さ

これらが非常に美しくまとまっており、 正式リリースされていれば初期の名曲になっていた可能性が高い と感じさせる完成度です。

 

 

1981年の春。 聖子さんは、わずか3か月の間に 「挑戦」から「飛躍」へと駆け上がる奇跡の変化 を遂げました。 その中心にあるのが、 『チェリーブラッサム』 → 『夏の扉』 という連続する2曲です。

 

この短い期間に凝縮されたエネルギーこそ、後に“黄金期”と呼ばれる時代の幕開けでした。

 

 

『チェリーブラッサム』―― 壁を越えた瞬間がスターを作った

 

■ 嫌いだった曲が、代表曲へ

『チェリーブラッサム』は、当初、聖子さんにとって嫌いな楽曲。本人も著書で語っています。

しかし―― 完成した楽曲は、聖子さんの新しい魅力を引き出す 革命 となりました。

 

■ “可憐な少女”から“アクティブなヒロイン”へ

『風は秋色』までの柔らかいイメージから一転、 『チェリーブラッサム』は 疾走感・爽快感・生命力 を前面に押し出した作品。

この曲で聖子さんは、 「アイドル」から「時代を牽引する存在」へ 大きくステップアップします。

 

『チェリーブラッサム』の成功が、次の扉を開く

 

この曲のヒットは、 ・スタッフ ・作家陣 ・そして聖子さん自身 に “もっと攻めていい” という確信を与えました。

その勢いのまま制作されたのが―― 『夏の扉』 です。

 

 

『夏の扉』―― 聖子さんの“永遠の夏”が始まる

 

三浦徳子 × 財津和夫の黄金タッグ

『チェリーブラッサム』で財津メロディに慣れた聖子さんは、 『夏の扉』でその世界を 完全に自分のもの にします。

声は弾み、伸び、光を帯びる。 まさに 「夏の聖子」 が誕生した瞬間です。

 

■ “開けて”の決定的瞬間

「開けて!」のフレーズとバイバイポーズは、 聖子さんのライブ史における 最も象徴的なシーン のひとつ。

この曲で聖子さんは、 観客と一体になるライブアーティスト として覚醒します。

 

『夏の扉』で確立した“聖子さんの夏”

 

『夏の扉』は、聖子さんの“永遠の夏”のイメージを決定づけた曲。

  • 眩しい笑顔
  • 弾けるポップネス
  • 青空のような声
  • 走り出したくなる疾走感

これらすべてが揃い、 松田聖子=夏の象徴 というイメージが確立しました。

 

 

 

 

⑤ なぜこの時期が“黄金期の始まり”なのか

  • 歌唱力が飛躍的に伸びた
  • 表現力が成熟した
  • ステージパフォーマンスが覚醒
  • ファンとの一体感が生まれた

これらが揃った1981年、 聖子さんはついに “国民的スター” へと到達します。

 

 

⑥なぜ「裸の二人」というドキッとするワードを歌詞にいれたのか

 

三浦徳子先生が描いたのは“肉体”ではなく“心の裸”

まず大前提として、三浦先生が意図した「裸」は、 性的な意味ではなく“心の無防備さ・純粋さ” を象徴しています。

『夏の扉』は、

  • 恋の高揚
  • 解放感
  • 夏の光
  • 未来への期待

こうした“青春のピーク”を描いた曲。

その中で「裸の二人」は、 飾りも嘘もない、ありのままの二人 という意味を持ちます。

つまり、

心が裸になるほど素直に向き合える恋 を象徴する言葉なのです。

 

1981年のアイドル像を更新するための挑戦

 

当時のアイドル歌謡は、 「清純」「可憐」「控えめ」 といったイメージが主流でした。

しかし聖子さんは、 その枠を超えて“新しい時代のヒロイン像”を作ろうとしていた。

そこで三浦先生は、 少しだけ背伸びした言葉 を入れることで、 聖子さんのイメージを一段階大人へ引き上げようとしたのです。

「裸の二人」は、 その象徴的な一手でした。

 

 夏という季節が許す“大胆さ”

夏は、

  • 解放
  • 高揚
  • 無邪気さ
  • 少しの大胆さ

こうした感情が自然に高まる季節。

三浦先生は、 夏という季節の魔法が、恋人たちを素直にする というテーマを描きたかった。

そのため、 「裸の二人」という言葉は、 夏の光の中で心が開放される瞬間 を象徴する最適な表現だったのです。

 

聖子さんの声なら“いやらしくならない”という確信

 

三浦先生は、聖子さんの声をこう評価していました。

「透明で、どんな言葉も清潔に聞こえる声」

つまり、 同じ言葉でも、聖子さんが歌えば 純粋で、爽やかで、青春のきらめきとして成立する

だからこそ、 「裸の二人」という大胆な言葉を入れても、 曲全体のイメージは崩れず、むしろ深みが増すと判断したのです。

 

 “恋の解放”を象徴するキーワードとしての「裸」

 

『夏の扉』は、 少女が恋を通して殻を破り、世界が開けていく物語

その象徴が「開けて」というフレーズであり、 その延長線上に「裸の二人」があります。

つまりこの言葉は、 恋によって心が開き、世界が広がる瞬間 を象徴するキーワードなのです。

 

 

 

まとめ

 

『チェリーブラッサム』が扉を叩き、

『夏の扉』がそれを開いた。

  • 『チェリーブラッサム』=挑戦と克服
  • 『夏の扉』=解放と飛躍

この2曲の連続は、 松田聖子というアーティストが完成していく過程を 最も鮮やかに示す物語です。

 

 

 

 

 

1980〜81年 聖子さんの“心の季節”をたどります

1980年から1981年にかけての聖子さんは

 “アイドルとしての自我”を確立していく時期でした。

その変化は、 「風は秋色」「チェリーブラッサム」 の間に

 驚くほど鮮明に刻まれています。

 

 1980年「風は秋色」でつかんだ“自分の世界”

 

「青い珊瑚礁」でお茶の間に浸透

 

1980年夏、「青い珊瑚礁」がザ・ベストテン1位を獲得。 

この頃の雑誌インタビューでは、聖子さんはこう語っています。

「テレビに出るたびに、少しずつ“見てくれている人が増えてる”って感じるんです。」

まだ18歳。 しかし、すでに“自分がどう見られているか”を冷静に観察していました。

 

 

「風は秋色」――初のオリコン1位

 

続く3作目「風は秋色」で、ついにオリコン1位を獲得。 

ここから 24作連続1位 の歴史が始まります。

当時の『明星』『平凡』では、聖子さんはこんなコメントを残しています。

「“秋”の曲って、気持ちがすっと入るんです。 歌っていて、景色が見える感じがして好き。」

この“景色が見える”という感覚は

のちのセカンドアルバム『North Wind』の世界観にもつながる重要なキーワードでした。

 

 

『風は秋色』がもたらした聖子さんの変化

 

 1. 初のオリコン1位で「トップアイドル」へ

  • 『風は秋色』は 聖子さんにとって初のオリコン1位シングル
  • それまでの“期待の新人”から、名実ともにトップアイドルへと押し上げた曲になりました。

この成功体験は、聖子さんの自己認識を大きく変え

歌手としての自信を確固たるものにしました。

 

 2. 歌唱スタイルの確立

  • 作詞:三浦徳子先生、作曲:小田裕一郎先生というデビュー以来の黄金コンビによる最後のA面曲。
  • このコンビの“跳ねるようなアイドルポップ”は、聖子さんの声質とキャラクターを最大限に引き出し、「聖子さんらしさ」の完成形を示しました。

『風は秋色』で、聖子さんは“可愛い新人”から、独自の歌唱世界を持つアーティストへと進化していきます。

 

 3. イメージの深化と表現力の成長

  • 歌詞のテーマは「恋の痛みと切なさ」。
  • それを柔らかく、透明感のある声で表現することで、感情表現の幅が広がったと評価されています。

この曲を通じて、聖子さんは“泣き虫キャラ”などのバッシングを受けながらも、 「感情を歌に乗せる力」こそが自分の強みであると理解していきました。

 

 4. アルバム『North Wind』への橋渡し

  • 『風は秋色』は、冬をテーマにしたアルバム『North Wind』の世界観を象徴する曲でもあります。
  • この曲の成功により、コンセプトアルバムを成立させる表現力があることが証明され、アーティストとしての方向性が明確になりました。

 

なぜ聖子さん自身がこの曲を愛しているのか

  • 初の1位という“成功の実感”
  • 自分の歌のスタイルが確立した手応え
  • ファンとの強い結びつきが生まれた曲
  • デビュー初期の黄金コンビによる集大成

つまり『風は秋色』は、 聖子さんが「自分は歌で勝負できる」と確信した原点の曲なのです。

 

 

 

 

1981年――「チェリーブラッサム」への戸惑いと変化

 

1981年1月。 4作目「チェリーブラッサム」リリース。

 

作詞:三浦徳子先生、作曲:財津和夫先生

聖子さんは当初、この曲に戸惑いがありました。

「少しずつ春」をA面にしたい と申し出たという有名なエピソードがあります。

 

若松宗雄プロデューサーの説得

若松さんは強くこう主張したと言われています。

「この曲は絶対にヒットする。春の代表曲になる。」

その言葉を信じ、 聖子さんは「チェリーブラッサム」をA面として歌うことを決意します。

 

 

1981年の大ブレイク――静岡駅の生中継へ

結果は、誰もが知る通りの大ヒット。

ザ・ベストテンでは、 新幹線から降りて静岡駅で生中継 という伝説的な演出が行われました。

この頃には、 「チェリーブラッサム」はすでに“自分の代表曲”としての存在感を放ち始めていました。

 

 

 

 

そして現在――ギターを弾きながら歌うほどの“お気に入り”へ

時が経ち、 コンサートで歌い続ける中で、 聖子さんの中で「チェリーブラッサム」は特別な曲へと変わっていきます。

今では―― エレキギターを自ら弾きながら歌うほどのお気に入り曲。

最初は戸惑いがあった曲が、 長い年月を経て“自分の象徴”になる。 これは、松田聖子というアーティストの成長そのものです。

 

 

 

 

まとめ:1980〜81年の“心の季節”の移ろい

 

「風は秋色」

  • 初のオリコン1位
  • “自分の世界”をつかんだ曲
  • 『North Wind』の入口となった作品

「チェリーブラッサム」

  • 当初は不安と戸惑い
  • 若松宗雄さんの説得でA面に
  • 1981年の大ブレイク
  • 今ではギターを弾きながら歌うほどの代表曲

 

1980〜81年の聖子さんは、 “アイドル”から“スーパースター”へと変わっていく過程そのものでした。

この二曲を並べて聴くと、 まるで聖子さん自身の成長物語を追体験しているような気持ちになります。

 

 

 

この曲は、ちょっと不良っぽい男の子に惹かれながらも

主導権はしっかり握っている女の子の視点で描かれています。

 

 ・相手はカッコつけている

 ・モテるように見えて実はそうでもない

 ・強引なようで繊細

 ・彼女は彼を軽くいなしたり、試したりしながら距離を縮めていく

 

この“駆け引きの甘さ”が、80年代の聖子さんソングらしい青春の香りを作っています。

 

 

 

1. 冒頭:カッコつけ男子 vs 冷静な女の子

 

グッと渋い SPORTS CAR 髪にグリース光らせて

彼は「どうだ、カッコいいだろ」と決めている。 

でも彼女は冷静で、決めてるけど絵にならない

と、ちょっと茶化すように見ている。

さらに、

動機が不純だわ

と、彼の“下心”を見抜いている。

ここがこの曲の面白さで、彼女は恋に盲目ではなく、ちゃんと相手を観察しています

 

 

 2. でも本当は彼が気になる

 

彼はモテるように見えて、

1ダースも GIRL FRIEND がいる 話ほどはもてないのよ

と、彼女は“実態”を知っている。 つまり、彼の虚勢も弱さも全部わかっています

そして決定的なのが、

アドレスには私きりね

彼の本命は自分だと気づいている。 ここで彼女の心が少し揺れ始めます。

 

 

3. サビ:PURE PURE LIPS の意味

 

PURE PURE LIPS 気持ちは YES KISS はいやと言っても反対の意味よ

ここがこの曲の核心。

 ・口では「イヤ」と言う

 ・でも本心は「YES」

 ・“純粋な唇”=恋に落ちる直前の初々しさ

 

つまり、素直になれないけど、心はもう彼に傾いています

 

花びら色の春に I WILL FALL IN LOVE

“花びら色の春”=恋が始まる季節 ここで彼女はついに「恋に落ちる」と宣言します。

 

 

4. 中盤:彼の不器用さが愛しくなる

 

防波堤を歩きながら、彼はジョークを並べて笑わせる。 

でも黙るとムードが高まり、彼は照れてしまう。

君がス・ス・スキだと 急にもつれないで

彼は不器用に告白しようとする。 

 

彼女は、

時は逃げないわ もっとスローにささやいて

と、彼を落ち着かせる。

ここがとても美しい。

 

彼のペースではなく、二人のペースで恋を進めたいという優しさがあります。

 

 

 5. ラスト:恋が始まる“決定的瞬間”

 

横断歩道の白いストライプの上で、

信号が変わるまでの短い時間に、 彼女は恋に落ちる。

シグナル変わるまでに I WILL FALL IN LOVE

“日常の一瞬”が恋のスイッチになる。 この描写が青春そのもの。

 

 

まとめ:この曲が描く恋の魅力

 

「強がりな女の子が、ちょっと不器用な男の子に惹かれていく」 という

誰もが経験したことのある“恋の入り口”を、 軽やかでポップなメロディに乗せて描いた名曲です。

 ・彼の虚勢も弱さも全部見抜いている

 ・でもそんな彼が愛しくなる

 ・素直になれないけど、心はYES

 ・春の訪れとともに恋が始まる

80年代の聖子さんソングの中でも

恋の駆け引きのリアルさと可愛さが絶妙に混ざった作品と言えます。

 

 

聖子さんはなぜ資生堂からカネボウへ移ったのか

 

──1980年代・化粧品CM戦略の裏側を読み解く

 

1980年代、日本の化粧品業界は熾烈な競争を繰り広げていました。 

その中心にいたのが 資生堂カネボウ。 

そして、この戦いの象徴となったのが 聖子さんのCM移籍 です。

 

デビュー初期の聖子さんは資生堂の「エクボ洗顔フォーム」の曲の顔でした。 

しかし1984年、聖子さんはカネボウの“化粧品キャンペーン”の中心へと移っていきます。

いったい何が起きていたのでしょうか。

 

 

1. デビュー初期:聖子さんは“資生堂エクボの女の子”だった

 

1980〜81年、聖子さんの曲が流れていたのは 資生堂「エクボ洗顔フォーム」 のCM。

使用された楽曲は、

  • 裸足の季節
  • 風は秋色
  • 夏の扉
  • Romance

いずれも “清潔・健康・フレッシュ” を象徴する曲ばかり。 

エクボは中高生向けの洗顔料で、 デビューしたばかりの聖子さんのイメージとぴったり重なっていました。

 

 

 

 

 

 

2. 一方、カネボウは“恋=口紅”戦略を強化していた

 

1984年、カネボウは資生堂に対抗するため、 “化粧品キャンペーン”に全力投球 していました。

その中心に据えたのが聖子さん。

カネボウの狙いは明確でした。

  • 聖子さんの“恋する女性像”を最大限に活かす
  • 恋=口紅という物語を作る
  • 若い女性の憧れを聖子さんに集中させる

 

その結果生まれたのが、

  • Rock’n Rouge(1984)バイオ口紅
  • ピンクのモーファルト
 
 
 

 

 

 

 

これらはすべて “口紅=大人の女性への入口” という広告戦略と完全に一致していました。

 

 

3. カネボウは“聖子さんのために曲を作る”レベルで本気だった

 

1984年「Rock’n Rouge」 → タイトルに“Rouge(口紅)”を入れるよう広告側が要求

これは、 企業がアイドルの楽曲制作に直接介入した極めて珍しい例 です。

つまりカネボウは、 聖子さんをブランドの中心に据えるため、 曲・歌詞・映像を完全連動でプロデュースしました。

 

 

 

 

 

 

おわりに

 

聖子さんは“1984年の化粧品CM”そのものだった

1980年代の化粧品CM戦争は、 単なる企業競争ではなく、 アイドルの成長と企業のブランド戦略が交差したドラマ でした。

その中心にいた聖子さんは、 “恋”を象徴する存在として、 カネボウの広告史に深く刻まれています。

 

 

4. 化粧品CMの歴史

 

年(季節)

資生堂

カネボウ

1979春

  ミシェル・ルグラン                     

『I'm a lady』
 

布施明

君は薔薇より美しい
 

1979夏

 ツイスト

燃えろいい女

セルジオ・メンデス

『サマーチャンピオン』

1979秋

 

柳ジョージ&レイニーウッド

『微笑の法則』
 

 

桑名正博

セクシャルバイオレットNo.1
 

1979冬

田島裕子

『あざやかに生きて』
 

因幡晃

『きみはどこまで美しくなるのか』
 

 

1980春

竹内まりや

不思議なピーチパイ
 

渡辺真知子

唇よ、熱く君を語れ
 

1980夏

クリスタルキング

蜃気楼
 

甲斐バンド

ビューティフル・エネルギー
 

1980秋

加藤和彦

おかえりなさい秋のテーマ
 

郷ひろみ

How many いい顔
 

1980冬

内山田洋とクールファイブ

『魅惑・シェイプアップ』
 

加藤登紀子

『灰色の季節』
 

1981春

松原みき

『ニートな午後3時』
 

矢野顕子

春咲小紅
 

1981夏

吉田拓郎

サマーピープル
 

Sky

『君に、クラクラ。』
 

1981秋

桃井かおり

『メイク23秒』
 

ザ・ヴィーナス

キッスは目にして!
 

1981冬

ナイアガラトライアングル

A面で恋をして
 

 

 

1982春

忌野清志郎坂本龍一

い・け・な・いルージュマジック

HOUND DOG

浮気な、パレットキャット
 

1982夏

矢沢永吉

『LAHAINA』

山下久美子

赤道小町ドキッ

1982秋

 

山根麻以

『気分はフェアネス』

一風堂

すみれSeptember Love

 

1983春

EPO

う、ふ、ふ、ふ、

藤村美樹

夢・恋・人。

1983夏

 

ラッツ&スター

め組のひと
 

YMO

君に、胸キュン。

1983秋

原由子

恋は、ご多忙申し上げます

横浜銀蠅

『おまえに、ピタッ!』

1984春

 

高見知佳

くちびるヌード
 

松田聖子

Rock'n Rouge

1984夏

大沢誉志幸

その気×××(mistake)

中原めいこ

君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。

1984秋

 

香坂みゆき

ニュアンスしましょ

 

松田聖子

ピンクのモーツァルト

1984冬

 

薬師丸ひろ子

Woman "Wの悲劇"より

ハイ・ファイ・セット

『星化粧ハレー』

 

〜CAへの憧れが導いた、人生最初の大勝負〜

 

 CAになりたい――聖子さんの胸に灯った夢

 

中学時代の聖子さんには、ひとつの強い憧れがありました。 

それは キャビンアテンダント(C・A)になること

 

きっかけは、当時人気だったテレビドラマ 『アテンション・プリーズ』

 華やかな制服、世界を飛び回る姿、凛とした立ち居振る舞い

―― 画面の向こうの世界に、聖子さんの心は一瞬で奪われました。

 

「私も、あんなふうに空を飛びたい」

 

その思いは、やがて“夢”へと変わっていきます。

 

 

 

夢を叶えるために必要なのは、英語力

 

CAになるには英語が必要。 ならば、英語教育に力を入れている高校に進学しなければいけない。

そう考えた聖子さんが選んだのが

カトリック系の名門・信愛女学院(現:福岡海星女子学院の前身校のひとつとして語られることも多い)でした。

当時、信愛女学院は英語教育のレベルが高く

 “英語を本気で学びたい生徒が集まる学校”として知られていました。

 

 

 

進学相談――先生の言葉が火をつけた

 

進学相談の日。 聖子さんは、はっきりと先生に告げました。

「信愛女学院を受けたいと思っています」

しかし返ってきたのは、厳しい現実でした。

 

「信愛ねェ。いまの成績じゃちょっと無理と思うよ。 もう一ランク下の学校を受験した方が安全じゃない」

偏差値表を示しながらの“現実的な助言”。 けれど――

ここで火がつくのが、聖子さんという人です。

 

 

負けず嫌いの本領発揮。受験モードへ突入

 

「無理」と言われた瞬間、 聖子さんの中でスイッチが入りました。

“絶対に受かってみせる”

12月から1月。 わずか2か月間の短期決戦。

聖子さんは ねじり鉢巻き を締め、 毎日机に向かい続けました。

両親が心配して声をかけるほどの猛勉強。

「身体をこわしちゃ何にもならないから、少しは早く寝たら」

それでも、聖子さんは手を止めませんでした。 夢のため。 自分の未来のため。

そして、何より――負けたくなかった。

 

 

努力は裏切らない。奇跡ではなく“必然”の合格

 

迎えた合格発表。 結果は、誰もが驚くものでした。

合格者500人中、50番以内。

先生が“無理”と言った学校に、 堂々たる成績で合格したのです。

これは奇跡ではなく、 あの2か月間の努力の証そのものでした。

 

 

 

昭和52年4月――信愛女学院へ入学

 

こうして聖子さんは、 昭和52年(1977年)4月、 カトリックのミッションスクール 信愛女学院 に入学します。

制服に袖を通したその日、 胸の奥でそっとつぶやいたかもしれません。

「ここから、私の夢が始まる」

この“受験の冬”は、 後に国民的スターとなる松田聖子の 最初の大きな成功体験 であり

 “努力すれば夢は叶う”という信念の原点でもあります。

 

 

 

1983年、聖子さんをめぐるオリコン物語

 

──「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」から「瞳はダイアモンド」へ

1983年の後半、聖子さんの周囲では、オリコンチャート史に残る“奇跡の逆転劇”が起こるところでした。 その中心にあったのが、8月に発売された 「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES と、10月発売の 「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」 の2作です。

 

 

「ガラスの林檎」順調な1位スタート

 

1983年8月1日に発売された「ガラスの林檎」は

松本隆 × 細野晴臣という黄金タッグによる、都会的で洗練された名曲。

 

発売直後のオリコンでは、 8/15付で見事1位を獲得。 

ここまでは、誰もが予想した“順調なヒット”でした。

しかし、このシングルには後に“主役交代”が起きます。

 

 

ペンギンのCMがすべてを変えた

 

サントリー「CANビール」のテレビCM。 

バーの片隅で、ペンギンがしっとりと歌う「SWEET MEMORIES」。 

それを聴いたもう一羽のペンギンが涙する──。

 

このアニメCMが放送されると、 「あの歌は誰?」という問い合わせが殺到。

当初はB面だった「SWEET MEMORIES」が、 一気に表の主役へと浮上していきます。

 

 

 

 

 

 

異例のA面化そして1位返り咲き

 

CM効果は凄まじく、レコード会社は急遽、 「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」を両A面扱いに変更

ジャケットもSWEET MEMORIES版が制作されます。

 

そしてついに──

19831031日付オリコンで1位返り咲き。 

発売から約3か月後の返り咲きは、当時としても異例中の異例でした。

 

 

11月、歴史的な“1位・2位独占

 

10月24日には新曲 「瞳はダイアモンド」 が発売。 

こちらも当然のように大ヒットし、 11/7付オリコンで1位を獲得。

その同じ週──

  • 1位:瞳はダイアモンド
  • 2位:SWEET MEMORIES

という、 聖子さんが1位・2位を独占する歴史的快挙が生まれます。

しかし、この瞬間にはもうひとつのドラマがありました。

 

 

聖子さんの連続1位記録を聖子さん自身が阻むという珍事未遂

 

当時、聖子さんは 連続1位記録 を更新中。 ところが、11/7週の1位争いは──

  • 新曲「瞳はダイアモンド」
  • ロングヒット中の「SWEET MEMORIES」

という、どちらが1位になっても聖子さんの曲

つまり、 聖子さんの連続1位記録を阻む可能性があったのは

他ならぬ聖子さん自身の曲だったのです。

 

結果として「瞳はダイアモンド」が1位となり、記録は守られましたが

この“自分との戦い”は、後世まで語り継がれるエピソードになりました。

 

4月とは思えないほどの初夏の陽射しに包まれた日曜日。 

ついに――聖子ちゃん野球部が、待ちに待った初の対外試合に挑みました。

 

 

 

初回から魅せた!理想的なスタート

 

試合は立ち上がりから動きます。 

兄貴がしぶとく出塁し、後続打者がしっかりとヒットでつなぐ。 

そして極めつけは、HIROヘッドコーチのタイムリー。

 一気に3点を先制し、ベンチの空気は最高潮に。

「これはいけるぞ」 そんな期待が自然と湧き上がる、最高の立ち上がりでした。

 

 

 

 

松山監督、変幻自在のピッチング

 

その裏、足立区チームの反撃を受けますが、松山監督が落ち着いた投球で1点に抑えます。 

高低を巧みに使ったピッチングで、相手打線を翻弄。

2回にも1点を追加し、スコアは4–1。 初試合とは思えないほどの勢いがありました。

 

 

最終回、まさかの展開

 

あとアウト3つで初勝利―― 誰もがそう思った瞬間、足立区チームが粘りを見せます。

じわじわと点を返され、気づけば同点。 結果は4–4の引き分けとなりました。

 

初勝利は次回へ。でも、確かな手応え

惜しくも初勝利はお預けとなりましたが

試合形式に慣れれば勝利はすぐそこだと感じさせる内容でした。

 

初めての対外試合で、ここまで戦える。 それだけで十分すぎるほどの収穫です。

次こそ、聖子ちゃん野球部の歴史に「初勝利」の文字が刻まれるはず。 

チームの成長がますます楽しみになった一日でした。

 

ミス・セブンティーン九州大会

――郷ひろみさんに会いたくて始まった“運命の物語”

 

CBSソニー創立10周年記念の新人募集

―― 雑誌に掲載されたその告知を見つけたのは、聖子さんと仲良し3人組でした。

 

とはいえ、3人とも「芸能界に入りたい」という強い願望があったわけではありません。

 芸能界は自分とは無縁の“別世界”。 ただ、ひとつだけ胸をときめかせる理由がありました。

 

「予選を通れば、全国大会で郷ひろみさんに会える」

 

それだけで十分でした。

 

応募には履歴書、写真、そして自分の歌を吹き込んだカセットテープが必要。

 聖子さんが選んだ曲は、桜田淳子さんの 『気まぐれヴィーナス』

「ねェ、返事きた?」 「まだ来ないわ」 「失礼しちゃうわよね」

そんな会話を繰り返しながらも、連絡は来ず、応募したことすら忘れかけていました。

 

 

 

 

 

突然届いた“書類審査合格”の知らせ

 

「第一次書類審査に合格しました。福岡市民会館にて九州大会を開催します」

九州地区の応募者は 4,565。 

その中から書類審査を通過したのはわずか 約50名

 3人のうち合格したのは聖子さんだけでした。

「ノリ、あたし達の分まで頑張ってよ」 「当日は応援に行ってあげるからね」

 

 

 

ここからが“秘密の物語”――親に内緒の出場

 

実はこのオーディション、親には内緒で応募していました。

九州大会当日。 聖子さんはお母さんと一緒に博多へ“遊びに来た”という体裁をとり

「コンサートを見に行くから」と言って、ひとりで会場へ向かいます。

お母さんはまさか娘がオーディションに出ているとは夢にも思っていません。

 

 

第二次・第三次審査――光る落ち着き

 

第二次審査は歌唱と面接。 50名 → 28名へ。

 

第三次審査ではステージ上で歌とインタビュー。

 緊張でしどろもどろになる参加者が多い中

 聖子さんは質問にテキパキと答え、落ち着きが際立っていたといいます。

 

28名 → 8名へ。 いよいよ九州代表を決める決戦大会。

審査員協議中には、ゲストの 川崎麻世さん が歌唱し

会場は静まり返るほどの熱気に包まれました。

 

 

 

そして――母親が迎えに来た瞬間

 

オーディションが長引き、そろそろ迎えに行こうとお母さんが会場へ。 中へ入ると――

ステージの上で歌っているのは、ほかでもない自分の娘。

お母さんは驚き、言葉を失ったといいます。

 

結果発表。 まず2位の2名が読み上げられましたが、聖子さんの名前はありません。

「ああ、落ちたんだ…」 そう思い、腰を浮かしかけたその瞬間。

「九州地区代表第1位。蒲池法子さん!」

思わず「えっ!?」と耳を疑う聖子さん。 しかし次の瞬間、胸に広がったのはただひとつ。

――郷ひろみさんに会える。

その喜びでした。

 

 

補足:この“秘密の挑戦”が日本の音楽史を動かした

 

この九州大会での優勝が、スカウトへとつながり

結果として 松田聖子という日本のポップアイコン誕生の第一歩になりました。

親に内緒で応募し、母親が偶然その晴れ舞台を目撃する

―― まるでドラマのような展開ですが、 そのすべてが“運命の導線”だったのかもしれません。