初対面の人や私の手の異常に気づいた人の大体が「痛くないの?」という質問をする。私はそれに決まって「痛くないよ」と答える。嘘ではない。ただし何もなければの話である。

 

実際この会話をしている間に痛みがあるわけではない。常に痛みに耐えているわけでもない。しかし、確実に痛い時はある。たとえば、手を触られたときや何かに当たったとき、天気が悪いとき、何もないとき。日によるし、触れ方による。しかもおそらくみんなが想像する「痛さ」とは感覚が違う「神経に触った痛さ」である。

 

「痛くないの?」という質問に「痛い時もあるよ」と答えないのはこれらの説明がめんどくさいし、変に心配されたくないからである。それに、言ったところで、痛がったところで、心配されたところで、何も解決しないし対処法はないのである。お互い無駄に気を遣うぐらいなら最初から痛くないことにしておいた方が楽である。人の優しさを自分で無駄遣いして欲しくもない。

 

そんなことを言っておきながら、たまにはかまってほしくなる。非常にめんどくさい。普段言わない分たまにでいいから聞いて欲しいと思ってしまう。かわいそうだと思われたくなる。

 

痛くないように生活するのには意外と神経を使う。急所が指先にあるようなものである。ドアノブ、食器、本、体、あらゆるものに指先が当たらないように、かつ掴めるように、慎重に触れる。もしくは指を使わずに触る方法を考える。尚且つ人の視界に入らないようにする。これをずっとやっている。

 

実際、あまりに痛いときや痺れが続くときは家族に言ってみるのだが、共感を得られることはないので、あまりストレスが発散されることはない。