急に寒くなってきましたね。 

雪の便りも北の方からちらほらと届くようになってきた。


この時期になると思い出すことがある。

今日は久しぶりに、添乗員時代の思い出を書こうと思う。


時代は21世紀になってそれほど経っていない頃。2003年あたりだったか。


ぼくは流通小売業界の会社の一部門として旅行業に携わっていた。いわゆるインハウスエージェント、というやつだ。

毎年冬休みに小中学生対象の2泊3日のスキーツアーを企画・実施していた。


このブログの初期に書いた 、ゲロ🤮🤮まみれ子どもスキーツアーの話は毎年春休みに長野県の白馬で実施していたときのこと。


春休み白馬ゲロ🤮🤮まみれスキーの話はこちら↓


今回書く話は、毎年冬休みに企画していた新潟県の妙高へのスキーツアーのときのできごとだ。




参加者は小学生2年生から中学3年生までのおよそ40名。
最終日には、初めてスキーをする子も全員リフトに乗れるようになり、ボーゲンで緩斜面を滑り下りて来れるようになって、みんな満足して帰りのバスに乗り込んだのだった。

雪がしんしんと降っていた。
「バスに乗る前に必ずトイレに行っておきなさーい!!」
40名の子どもとバスに乗り込み、帰路についた。最終下車地の豊橋へは約400km、6時間半ほどの行程だ。

バスの一番前の座席に座ったぼくは、妙高高原インターから上信越自動車道に入ったところまでは覚えているのだが、3日間の添乗の疲れからウトウトしてしまった。
気持ちよくなっているところで、誰かが僕の肩を揺すって起こした。

バスガイドさんだった。

「添乗さん、おやすみのところすみません。大雪で高速が止まってしまいました…」

ボケボケの頭で事態を把握しようとするが、窓の外は真っ白。前方は渋滞していて、完全にストップしている。時計を見ると、1時間くらいは眠っていたようだ。

「いま…どこですか?」
「黒姫野尻湖パーキングのあたりです。」

なんだって??
まだ妙高高原インターから数kmしか来ていない。長野県に入ったかどうかのあたりじゃないか。

うーん。
ここは耐えるしかない。
しかし、心配になることがあった。

『今年中にこの子たちを家に帰してあげられるだろうか…』

この日は12月31日。
大晦日だったのだ。
バスの中で年越し⇨初日の出見学、という事態は何としても避けたい。

自分の事務所も年末で閉まっているから、同僚のHくんに電話を掛け現状を伝える。

彼は緊急対策本部として事務所を開け、そこに詰めてもらうことになった。大晦日でくつろいでいたところだろうに…申し訳ない💦


まずは各家庭に電話して状況を話し、帰着時刻が未定であること、予定が判り次第改めて連絡することを伝えてもらう。もしも保護者より質問などがある場合は添乗員の携帯ではなく、事務所に連絡してもらうことをお願いした。


グループでの参加もあるとは言え、何十軒もの家に独りで電話を掛けなければならないのだからHくんも大変だ。


バスの中のぼくも情報収集に努めなくてはならない。

まず、通行止め区間はどこからどこまでなのか。

その先の状況は?

天候はどうなるのか?


今のようなスマートフォンがある時代ではない。ガラケーで必死で情報収集を行なった。


しばらくすると、前方の車が少しづつ動くようになった。

ノロノロと渋滞の中を動くバスの中で、ぼくは次の課題の検討に入らなければならなかった。


『夕食どうしよう…』


大人のツアーであれば、サービスエリアに入って「食事取ってきてくださーい」と言えば済む。

しかし今の相手は子どもだ。そういうわけにはいかない。そもそも食事が取れるほどお金を持っている子は少ないだろう。さっき妙高高原駅前のおみやげ物屋さんでショッピングを済ませたばかりなのだ。


こちらで払うにせよ、それだけ多くの添乗準備金が残っているわけではない。なにせ、ツアーの最終段階なのだ。

自分のクレジットカードは持っているが、この頃はまだ、今のようにサービスエリアでも使えるような環境は整っていなかった。


考え抜いた挙げ句、ぼくはひとりの知人に電話を掛けた。

その人、Aさんは長野でぼくと同じように流通業界の一部門として旅行業をやっている。

すごく親しい、というわけではなかったのだが、これまで共通の仕事を通して面識はあった。


「ご無沙汰しています。■■旅行センターのちゃーたろーです。実はいまバスの中で…」


ぼくがお願いしたのは、こんなことだ↓。

Aさんの会社は長野県内で何か所もスーパーを営業している。今からバスでそのうちの1店に向かうので、買い物をさせて欲しい。でも、お金を持っていないから売り掛けにしてもらって請求書をぼくの会社宛てに送ってほしい。

以上のことを会社としてご了承いただけるなら、スーパーの店長さんにもこのことを伝えてほしい。


Aさんは「わかりました。それは緊急事態ですね。さっそく掛け合ってみます」

と、関係各所に連絡を取り、すぐにOKを取ってくれた。


バスは長野インターでノロノロの高速を降り、目指すスーパーに向かった。

スーパーに到着したのは、もう薄暗かったから17時ころだっただろうか。

店長さんが待ってくれていた。

「お話は伺っています。大変ですね。今日は大晦日で、しかもこんな時間なのでかなり売れ切れの商品も多くて、あまりご満足のいくモノは残っていないかもしれませんが…」


お礼もそこそこに売り場に向かう。

おにぎりなどのご飯ものはほとんど売れ切れていたが、幸いパン類がたくさん残っていた。

1人2つとして…と頭の中で計算しながらカゴの中に入れていく。

飲み物のお茶も確保。


買い物の間にバスガイドさんには子どもたちのトイレへの誘導をお願いしていた。

買い物を終え、バスに戻る頃には子どもたちもスッキリ顔。

改めて店長さんにお礼を述べると、「正月三ヶ日はお店もお休みなので、賞味期限の短いパンなどをたくさんお買い上げいただいて、ウチも助かりました」と言ってくれた。

そして出発。


対策本部へ定時連絡。

「ただいま食糧を調達して長野のお店を出発。雪の降り方は弱いが高速はしばらく渋滞の模様。しかし松本より先は高速が順調な様子」


長野を出るころには、積んであった子ども用ビデオをすべて見終わってしまった。ガイドさんが子どもたちにそう言うと、子どもたちは「もう一回トトロ観る〜〜!」と元気だ。


交通情報が伝える通り、松本インターを過ぎると高速は順調に流れ始めた。

これでようやく到着時刻の見込みが立つ。


「おつかれさま。定時連絡です。現在岡谷ジャンクション通過。この先道路は順調です。

岡崎着は23:30頃、豊橋着は0:20頃の見込み。年越しはしちゃうけど、初日の出は見ずに済みそうだね」


バスはぼくの計算通り進行し、豊川市内を走行しているところで年越しを迎えた。

「3・2・1

明けましておめでとうございまーす!」


疲れているはずだが、子どもたちもテンションが高い。バスの中ということもあるけれど、こんな時間まで起きている事自体、非日常なのだろう。


岡崎でも豊橋でも、たくさんの保護者が迎えに来ていた。豊橋には対策本部として事務所に詰めていてくれたHくんの顔もあった。

保護者の皆さんは口々に「長時間おつかれさまでした。ありがとうございました。3日間子どもも楽しかったようです」とぼくにお礼を言ってくれる。

幸い、クレームを付けてくる保護者は1人もいなかった😀


全員が家路について静かになったところで、バスの運転士さん、ガイドさんが「添乗さん、今日はおつかれさまでした。私達もこれで失礼します」と声を掛けてきた。


そう、彼らはこれから新潟県にある車庫まで回送で帰らなくてはならないのだ。

本当に大変なのはバスの乗務員さんなのだ。


遠ざかるテールランプを見送りながら、ぼくは大きく伸びをして、煙草に火をつけた。