今の私はまだ十分じゃない



その前提から見てるから

今のわたしはまだ十分じゃないって

証明ばかり集めてくる



「自分を大切にできるようになった」

 ↓

「でも、もっとできるはず」



「自分の感覚がわかるようになった」

 ↓

「まだちゃんと感じられてない」



「人に合わせなくなってきた」 

「まだ人の反応を気にしてる」



「すごく気づけるようになった」

 ↓

「でも、まだ本質がわかってない」


成長そのものが

足りない自分を完成させるための活動になってる 

成長してない私は

わたしが許せなかった

だから、

どれだけ変わったとしても

変わらないとしても

この戦いは終わらない


まだ足りない

と思った瞬間の身体を観察すると


もっとわからなきゃ

もっとできなきゃ

もっと理解しなきゃ

もっと探さなきゃ

もっといいものがあるはず

なんでまだわからないの

そうすると

どーしよう

胸がぎゅとする

ガチガチになる

呼吸が早くなり焦りだす

頭がフル回転

そしてまた動く

ぐったり身体も心も疲れる

ずっと追いかけられて

責められてる感じで

休まらない


このまだ足りないって前提が

動き出す瞬間を経験すると

こんな感じ


こうやって

私の中では

休むなもっと働け

って自分をずっも厳しく見張っていた


この前提は、

私が生きるためにどんな役割をしてくてくれたんだろうなと考えてみた



「足りない」と思っていれば、

もっと頑張れたんだよ

もっと人に認めてもらおうとしたんだよ もっと失敗しないようにした

もっと自分を改善しようとした。

もっといいものに出会えるはず

もっと私は価値が出る

動けたんだ

頑張れたんだ


足りないって存在は

ずっとわたしを動かしてくれたものだったんだよね


「私はこの前提を土台にして、

こんなに長い間がんばって

生きてきたんだなー」


じゃさ

この前提がなくても私は動けるのかな?

本当はどうしたい?


もっともっとって

自分にはない

不足からじゃなくて

すべてある世界から見てみる


ここからは未知の世界

とてもワクワクしてくるラブラブ




いつもまず

何を学びに来たのか?


そこがそもそもすっこ抜けてた


そしてそれを言葉に出していく

自分で言葉にしてハッとした🫣


自分の人生を

自分自身に問い直すところから

自分を見る

自分の感覚をみていくところからだ


どうしたら幸せになれる?

どうしたら不安がなくなる?

どうしたら人に振り回されなくなる?


って考える前に

私は今どう感じてる?

私は、この人生で何を学びに来たんだろう?

自分の人生を見るときの

根源の問いになるんだと思う


人を変えようとすること

人の反応を気にすること

「こうしなきゃ」と自分を動かすこと

人の世話になってはいけないと思うこと

自分より相手を優先すること

「これくらいでいい」と自分を扱うこと

自分の感覚より、

頭で考えた正解を選ぶこと


「直さなきゃいけない欠点」と見るんじゃなくて、


私はこの体験を通して、

何を知ろうとしているんだろう?



自分を置いていかず、

自分の感覚を信じて、自分で自分の人生を選ぶこと


かもしれない


私は私を大切に扱っていい

誰かの正解ではなく、

私を生きていい

愛されるために自分を変えなくてもいい


みたいなものもあるかもしれない


静かに身体を感じながら、

「私、本当は何を知りたくて、この人生を生きてるんだろう?」


「魂と繋がる」

「私と私の魂」


特別な何かを感じることから始めるんじゃなくて、

「私、本当は何を体験したかったんだろう?」


その体験をたくさん積んで

体験を繋いで言葉にしていくことを積み重ねて行こうウインク


そもそも

ズレ出ることにも気づいてなかった

わたしの今の立ち位置に


魂先生にまずは、

身体感覚だよって教えてもらった。


頭と

実際に今ここで起きている感覚が違ってたんだよね


「みんなが楽しそうだな。私は一人」
ここで頭は、
「私は寂しいんだ」
「みんなと一緒にいられなくて悲しいんだ」
一人だから
寂しい、悲しいに決まってる
この状況から
 頭は感情を決めてる
こういう場面では普通
こういう風に感じるものだよねって
無意識に思ってた

でも魂先生に
わたしは言葉で
「一人でいるの、楽」
って自分の口から言ってた

一人でいるのが楽って
言ってるのに
「え? 私、寂しいんじゃなかったの?」
って矛盾した事言ってるよな

指摘されなかったら
おかしいこと言ってることにも
気づいてなかった。

一般的にはこういう場面なら寂しいよね
じゃなくて
ほんとは身体はどう感じてるんだろ?
ほんとは私はどうなの?
を見てみた


そしたら
「……私は一人のほうが楽」

なら、
それが今のわたしの答えなんだ

寂しくないし、
悲しくない
それが答え

その答えを認めるのが嫌なだけだった

「寂しい私」でいたほうが、
筋が通る何かがあったのかもしれない

寂しいよ
だから誰かに気づいてくれないの
一人にしないでほしい 
愛してくれないの
傲慢なわたしが叫んでる前提があった
ほんとうにそうなのかな?

そこがわかってなかったから
威張りん坊で
傲慢で
幼稚な感情な感情で拗ねて
怒ってたんだ

そもそもがズレて
バグってたガーンガーン
ゼロになる


どーやったら
まわりの気を引けるか
ネガティブな問題行動で
現実化するのは卒業照れ照れ



わたしはどうしたい?
わたしはほんとはどうしたい?
わたしはどうありたい?

わたしがわたしに
やってあげるんだ




恥ずかしい

これ馴染みのある感覚

胸のあたりがソワソワする


恥ずかしいから隠れる

頭が真っ白になる

言葉がでてこなくなる

焦る

こんな感じになる


わたし

恥ずかしいの前は

どうなると思ってるんだ?


「笑われる」

「バカにされる」

「嫌われる」

「変な人だと思われる」


じゃあ、

それが起きたら私はどうなると思ってるんだろう?


「バカにされる」

「傷つく」

「傷ついたらどうなる?」

「自分がダメな人間だと思う」

「ダメな人間だと思ったらどうなる?」

「ここにいてはいけない感じがする」


「恥ずかしい」の奥に、

何をそんなに怖がっているのかが見えてくる

無意識にこんなことを感じてたんだ

いてはいけない存在

そりゃ隠れるし

焦るし

頭が真っ白になるよ


わたしはもっと

表現したいって思ってるのに


「表現したい」

「見られる」

「恥ずかしい」

「評価される」

「バカにされそうで怖い」

隠れる


魂先生の言ってることが

理解できなかったら恥ずかしい

理解できなかったら

存在がなくなってしまう

恐怖だったんだ


理解したいの中には

純粋な好奇心と

恥をかかないために理解しておきたい気持ちが両方あったのかもしれない


恥ずかしくないわたしに

なるんじゃなくて

恥ずかしいわたしのままで

わたしはなにをしたい?


「恥ずかしさをなくすこと」

じゃなくて、

恥ずかしがって

隠れようとする私も連れて、

ちょっとだけ表に出てみること


職場でフィリピンやベトナムの子がいて

英語はあまり話せないわたしなんだけど

わたしはコミュニケーションをとりたいって思った


言葉がわからない

恥ずかしさはもちろんある

だけど、そんなわたしを隠すんじゃなくて表に出て繋がりたいって思った

そこからコミュニケーションとってみた

ジェスチャーや少しの英語で会話できた

それが楽しかったんだ✨✨


やりたりことって大きいことじゃなく

日常の些細なこと

実際やってみて経験してみて

あっ大丈夫だった

なんか楽しい

やった後は気分が良かったニコニコ


あとバカにされるって

見下してる


「バカにされるのが怖い」の奥に

いたもの


「人からバカにされるのが怖い」

だけじゃなくて、


「私は私のことを、

バカにされても仕方ないような存在として見ていた」

自分がこんなことをーーーガーンガーン


魂先生が自分が先だよって言ってたびっくり

まさしくこれだ


人前に出ると、

「こんな私が出ていっていいの?」

「こんなこと言ったら笑われるんじゃない?」

「大したことないって思われるんじゃない?」

ってなってたなー😱😱


でも

それって相手が実際にそう思っているとは限らないよな


先に自分が自分を見下している。

だから「他人からどう見られるか」が、ものすごく怖くなる。


写し鏡だなーー


小さくなるわたしじゃなく

「じゃあ私は、私をどう見たい?」


いまのそのままのわたしを表現したい


「完璧になってから表現する」

じゃなくて、

「恥ずかしがってる私も、まだ理解できてない私も、全部込みで私として表現する」


楽しくなってきた

人生まだまだここからだぜ爆笑爆笑


今の自分を見て、


「私は人と話すのが苦手」
「私は積極性がない」
「私は表現できない」
と思っていたとしても、

積極性という質が
私の中にゼロなのではない

源には全部ある

今の私という着ぐるみでは、
そこがまだ表に出ていないだけ

だから「ない」を探して、
「どうしたら私は○○になれるんだろう?」

と外から足していくんじゃなくて

あれ? 
私の中にもうあるとしたら?
という方向にひっくり返していくと
なーんか軽くなる

でも
占いとかで
あなたの生まれは○○だから、
こういう性質です
って言われると
そーなんだ
私はこういう人なんだ
と答えをもらえる
けど、、、

これってそのときは納得しちゃうし
楽なんだよね

その答えに
自分を合わせ始めると

私はこういう性質だから、こうなるんだ
逆に自分の可能性をせばめているんじゃないのかと

一つの「答え」に
自分を固定すると、循環が止まって
問題が現象化しちゃう

「私は優しい人」だけじゃなくて、

怒る私もいる。
嫌う私もいる。
怖がる私もいる。
大胆な私もいる。
臆病な私もいる。
人と関わりたい私もいる。
一人になりたい私もいる。

こういう一見矛盾する質を全部持っているってこと

「私は優しい人間だから怒っちゃダメ」
なんじゃなくて

「怒りという質も私の中にあるんだ」
と認める
そうすると
自分の中の「質」の幅が広がってくる

わたしには表現力がないって思ってたとしても
ない自分を変えて、
何かを得ようとするんじゃなくて、
すでに自分の中にあるものとして見て
表現していえばいいんじゃないかラブ


答えを外からもらい続けることは
ずっともらわらないといけないってこと
自分自身を実際に生きてみることのほうが大事だと今体験してる


人から聞いた知識を信じるだけじゃなく、自分で体験して、
自分の知恵にしていくほうが
自分を生きてる👍

怒りは悪いものじゃないよって
教えてもらった
でも怒るのは嫌だ
怒っちゃうわたしは駄目だ
って怒るわたしを
めちゃくちゃ否定してた
早くなんとかしたかった
えっなんでそんなに嫌なの?
ただ怒ってるそれだけだよ
自然なことじゃん
怒りを感じても私は私でいられた
それから
怒りはわたしから湧いた大事な感情
大事にしよーって思えたんだ

実際に
怒りが出てきた時
軽く怒って
さっと終わった
はい終わり笑
なんかすごく気分がよかった


「私は○○を持っていない」
「じゃあ学んで手に入れなきゃ」
「もっと知識を入れなきゃ」
って今までやってた
けどそうじゃなくて
経験することで、もともと自分の中にあったものに気づいていく。

自分で経験して、
自分の人生で確かめていく
自分にとっての知恵になっていくんだな

妹が腰に痛みがあって辛そうだった
わたしはなんとかしてあげたい
そう思った
境界線を超えようとしてた

痛みがあって
自分でなんとかしようとしてるんだ
その人の仕事を取り上げようとしない
その人にはその人の人生があって、
その人自身の力がある。
それを見下さない

わたしはその人を信じて
自分の人生に戻る
そして祈ることはできる

その人を置いていかない
だけど、その人の人生まで背負わない

ほんとに助けて欲しいって
求められたら
オッケ~
任しておいてって
助けられる余裕、余白を持っておく👍

お互いに尊重、愛しながら、
人と関わっていきたいラブ