はるちゃんのHAPPYブログ
私は死よりも
「存在がなかったことにされる感覚」を
いちばん怖がっていた
潜在意識は
「感情そのもの」
を味わいたいというより、
“未完了の体験を完了させたい”。
潜在意識は
「良い・悪い」を判断しない
良い/悪い
正しい/間違い
楽しい/辛い
これを分けているのは私の思考
潜在意識にとって大事なのは、
その体験が最後まで
感じきられたかどうか
飲み込まれた感情は
「まだ感じ終わっていません」って
静かに待ってる
完了してないから、
形を変えてずっと現れる。
本当は怖かったけど、
感じる余裕がなかった
本当は怒ってたけど、
出せなかった
嫌だと思ったから来るんじゃない
私は嫌だと思うほど、
触れずに逃げて避けたから
同じ繰り返しをしてた
逃げたら来るんじゃなくて
途中で止まっちゃったから
今ここで感じることを分断しない
それが一番の近道だったってこと
今学び直してる途中
感じきるは、
感情を“なくすこと”でも
“二度と出なくすること”でもない
感じきるは
その感情に
「居場所を与える」こと。
感じきれてない時
↓
すぐ思考に入る
意味づけ・解釈・納得で終わらせる
早く楽になろうとする
「はい、分かりました」で締める
このパターンやってました
感じきると
↓
言葉が減る
時間感覚があいまい
じんわり・どよん・ぽかん
すぐに答えが出ない
余韻が残る
静か
その日は少し疲れる
感情が
身体の中を通過している感覚
完了すると
出てこないわけじゃない
でてきても
飲み込まれないし
引きずられない
思考は静か
悲しさって言う感情
私は死そのものより
存在がなかったことにされることが
ものすごく怖かった
死は「終わり」だけど、
存在がなかったことにされるのは
最初から“いなかった”ことになる。
それは、
いちばん耐えがたい感覚。
だから、あれほど怖かった。
悲しかったし
だから、身体が覚えていた。
それは私が見てなかった
私が見てなかったから
存在が確定しなかった
そもそも
わたしはここにいる
それは確か
見つけられた時点で、
在る。
今
誰にも見られていなかった
「私」に
ちゃんと目を合わせている
そしたら
確かに私はここにいる
ある日
お客さんがぽつっと言った。
「私が倒れたら、ざまーみろだって思う」
その人は
いつもクタクタで来てた。
家族のことで
ずっと頑張って
背負って
黙って引き受けてきた人。
もう、これ以上は無理だって
身体が言ってた。
その言葉を聞いたとき
わたし、深くうなずいて
思わず笑っちゃった。
あぁ、ほんとそうだよねって。
「ざまーみろだ」
責めでも
呪いでもなくて
もうとっくに
分かってた私の声。
限界なのに
いい人で
できる人で
居続けてきた。
やっと出てきた
反抗の声。
「ほら、だから言ったでしょ」
ズレたまま
無理やり生きようとすると
身体が先に止めに入る。
もう
今までのやり方じゃ
生きられないんだって。
戦わなくていい
証明しなくていい
正しくなくていい
そりゃ
そうなるよねって
ちょっと笑えた。
気合とか
根性とか
責任感で
身体のサインを超えてきた。
でも
耐えられたことが
正解じゃない。
身体に主導権を返す。
寒かったら温める
疲れたら休む
嫌なら、無理なら
言っていい。
今の身体に
一つずつ聞いていく。
今日は
久しぶりに
お客さんが二人。
身体、疲れた。
今のわたしは
一日一人。
制限じゃなくて
現在地の把握。
しかも
頭じゃなく
施術後の身体の声。
腰に違和感があった。
横になるか
歩くか。
歩いたほうが
楽な気がして
外に出た。
日差しがあったかくて
それだけで
少し元気になった。
頑張って
リフレッシュしようじゃなく
自然に
そうなった。
身体主導の回復。
自分のキャパを知るって
守りながら
広がっていく感じなんだなって
私はよく
言ってもわからないけど、、
この言葉を使ってた

話してもわかってもらえないって
さみしくなるときがあった
でも、
ここで無意識に出てくるのが
わたしの口癖。
「言ってもわからない」
表層は諦め、遠慮
深層はわかってほしい切実
「言ってもわからない」の内側では
私はわかっている
あの人はわからない
という非対称が生まれてる
でもこれは
相手をバカにしてるというより、
自分の真実を守るために、
相手を遠ざけてる感じ
諦めてる“ふり”
大人でいようとしてる“ふり”
でも本当は、届いてほしい
という生き残りの知恵。
これって
見下し合いの世界なんじゃなかろうか
相手を下げているというより、
自分の真実を引っ込めている
「言ってもわからない」は
諦めじゃなかったよ
わかってほしかった、
ただそれだけだった
飲み込むことで、私は守ってきた
でも今は、責任を分けられる
伝えるのは私
受け取るかどうかは相手
責めることじゃなくて
私なりの守り方だったんだ
理解されなくてもいい
↓
諦めとか開き直りじゃなくて
責任の位置を戻してるだけ
責任の切り分け
私が伝えることで
受け取る相手のタイミングで
反応して気づくときが来る
私が飲み込んで
遠慮してたら
相手は反応する機会すら持てない
そのタイミングすら来ない
わたしは伝える責任を引き受ける
相手がどう受け取るかは
相手の人生、相手のタイミング
境界線を取り戻すこと
ここを分けたら
押しつけみたいな感覚もなし
遠慮もなくなって
見下しがなくなる
わかる、わからない
できる、できない
境界線の正体
↓
わたしが思ってた境界線は
「線を引いて、分ける、遮断する」
本当は違った
境界線
『私はここに立って感じています』という“位置”

私は私の身体の中にいる

私は私の人生を生きている

あなたの出来事は、あなたのもの
「境界線がない共感」
↓
相手の感情が自分の中に流れ込む
助けなきゃ、背負わなきゃになる
自分の人生がどこかに行く
これは
共感じゃなくて「同一化」
↑
わたしはこれやってた
「境界線がある共感」
↓
「感じている」けど「持たない」
胸は動くけど、足は地面についてる
相手の人生を尊重する
私はここにいる(立ち位置)
相手を見る・聞く
胸が動いて共感が起きる
でも、戻る場所がある
最初から「わたしはわたし」
立ってる
今までの私は
境界線=冷たい
境界線=突き放す
境界線=残酷
って無意識に思い込んでた

でも本当は真逆で
境界線がないほうが、
残酷だった
なぜなら
相手の人生を奪ってしまうから。
自分の人生も失ってしまうから。
無意識にやってた私
「相手と一緒にいても
私は私に戻れる」
境界線を持った優しさ
父親に言われた言葉に
カッチーン

「余計なことするな」
なになに
なんですとーーーー
私がやった事をそんな風に
言いやがって
この怒りが出てきた時
ホントの私が発動中のサイン
攻撃じゃなくて
自分を守る力
父親の言葉は単なるきっかけ
ほんとに反応してるのは
私の記憶の傷なんだ
余計なことばかりしてしまう
どうせやっても認められない
ここに触れてるから
痛いんだ😔
触らないでこれ痛いよ
内側の防御反応で
守ってくれてる
だから
ちゃんと怒りとして出るのは
大事なことでもある
「余計なことするな」
↓
また役割やってるよ
勝手に役に立とうとしなくていい
相手は求めてないよ
それあなたには重すぎるよ
って言ってくれてる
核心だから
ホントのことだから
役に立つ私=存在していい私
余計なことしなくていい
私がなんとかしなきゃ
助けたい力になりたい
誰かを守らないと
私は安全じゃない
生き残れない
そこに自分の存在価値を置いてた
じゃ私は何者として生きたらいいの?
私を一番にした瞬間
だれも守れなくなる
だれも助けられない私は
存在していいの?
恐怖で仕方ない
泣けてきて泣けてきて
そんなのでいいの?
役割で生きてきたから
それが愛されるって思い込んでた
自分を大事にするってことが
命の危機だったんだよ
役に立つ私=存在を許される私
役に立たない私=消えてしまう私
自分を守るために全力で生きてきたんだ
私が背負う必要ないし
そんなに頑張らなくて大丈夫だったし
私の優しさはもう充分伝わってる
限界超えてるよ
もう役割手放していいよ〜
こう言ってあげたら
ホッとした

ホントは今何したい?
奥の奥の方が痛い
痛くて痛くて
涙が溢れてくる
ただ泣きたい
おもいっきり泣きたい
お風呂の中で
泣いて泣きまくった
スッキリしたし
脱力でぼーーっとする
ほーーーーっ
なにもしない
誰かのためにも動かない
ただ呼吸して存在してるだけ
役に立たなくても
存在していい世界
知らなかった世界
新しい世界の入り口

