ユノとチャンミンのスカウト、オーディション等のエピソードをいくつか紹介します‼
ダンスは小さい時から好きだったので、本格的に中学2年から友達と「Aプラス」というダンスチームを作って、YMCAの大会で優勝し、公演をたくさんしてきました
2000年の冬
ユノ 中学3年生
事務所のオーディションを受けに行きました
予選は光州でありました
想像していたオーディションと違って、人が多いので、踊っている途中で止められるんです
約15秒ぐらいなので、本当の力は出せません
「73番 チョン・ユンホです
落ちてもいいから、最後まで見て下さい」
と言って、最後まで踊りました
そして、予選に合格しました
本選を受ける前日にソウルで不良に絡まれました
「こっちにこい」と言われ、何もわからずついて行きました
ゆすられ、オーディション用のCDを取られてしまいました
翌日なのに、夜遅くてCDショップは閉まっていて買えませんでした
その夜は叔母の家に泊まったんですが、そこにジョンヒョンの「平和」というCDがありました
僕が振り付けしていたのと、ビートが似ていて、それに合わせて踊ってみました
オーディション本選では、この曲を踊って合格しました
ユノは、父親と祖父に芸能界入りを反対され、親からの援助を一切受けず、アルバイトをしながら、ソウル駅や公園で野宿をしたり、ジュンスの家に泊めてもらったりしていた
高校に進学する年に上京したので 家も服もない状態で、アルバイトの日々でした
長時間の仕事はできないので、午前や深夜だけの仕事をしました
月~水曜日は、朝の6時から雪道に砂を撒く仕事をして練習に行き、火・木・土曜日の練習がない日は、ビュッフェでサービングをしました
でも成人じゃないから、もらえるアルバイト代はわずかでした
2001年~02年
女性歌手DANAのバックダンサー兼ラッパーとして活動する
https://youtu.be/OeX7KI2ys6k
その後、DANAはソロから天上智喜というSMのグループで活動し、日本でもエイベックス所属で活動していた
「練習生が選ぶ努力派」で1位に選ばれてCDプレーヤーをもらい、そのCDプレーヤーが壊れてゴムでぐるぐる巻きにするぐらいまで練習していた
2002年の秋
チャンミン 中学3年生
デビューする前まで1度も歌手になりたいと思ったことはありませんでした
学校の体育の授業でバドミントンをしていたのですが、ある女性が校門から僕を見ていたので、友達と変な人だなと話していたら、下校の時に待ち伏せしていて(その人はSMEの人)
「オーディション受けてみない?」
と声をかけられました
名刺をもらって、その日の夜に両親に話したら、母は、
「面白そう BoAに会えるの?」
と言っていたが、父には大反対されました
でも、父に内緒で、母とバスに乗って事務所に行きました
その日は、オーディションの日ではなく、個人的に行きました
「踊って」と言われましたが、母の前で踊ることも、初対面の人の前で踊ることも恥ずかしくて、ダンス経験もゼロでした
軍隊で、軍人がする拍手があるでしょう
「それでもいいからしてみろ」と言われて、面接なしで終わりました
「3週間後に連絡する」と母に言っていましたが、3日後に連絡がきて合格しました
お互いの第一印象
僕の練習生時代は3年半
いつデビューになるかとストレスを感じていたが、勉強ができるエリートが入ってくると噂を聞いた
チャンミンだった
着ている服を見て「お坊ちゃん」だと思った
事務所の方からユノを紹介されました
冷たくて挨拶も適当で、僕は挨拶をきちんとしたんですが、ユノから
「ああ、頑張りなよ」って方言混じりで言われました
先輩風を吹かしているようで、冷たくて新しい練習生が入ってくるたびに
「やめるなら早い方がいいぞ」
って、ぶっきらぼうな言い方でした
チャンミン
「父親から予備校に行くような気持ちで行きなさいと言われたので、深く考えずに参加したら、練習生達から変な目で見られた
何もできないのに、どうやって入ったんだ?と」
ユノ
「チャンミンを見てコネで入ってきたと思った
初めて会った時の挨拶の声でわかるでしょう?
本人の意志で来たのか、誰かに連れられて来たのかって
運って本当にあるんだなと思った
チャンミンの顔つきが他の練習生と違って、あまりやる気が見えなかった
グループを結成しては解散になることが続いて大変だったから、生半可な気持ちではやってほしくなかった」
チャンミン
「カッコ悪い姿を見せたくなかったので、人より多く練習をして、少しずつ上達しました」
※画像お借りしました
※参考資料
TV「強心臓」
「夜心萬萬Ⅱ」
「決心の一万時間」
「Do Dream」
「黄金漁場」









