師 | 剣道 稽古日記 ~終わりのない道~

剣道 稽古日記 ~終わりのない道~

剣道、稽古の日記です。
教え子や後輩に対するアドバイスなど
たまに違うかも!?

※あくまでも個人的な考え、意見です。

私には生涯、剣の師匠と仰ぐ先生がいます。


私が小学生の頃、先生は高校の教員として、

高校の部活動の指導をしながら、

私が通う地元道場(剣道教室)の指導員として、

道場に来られていました。


私が中学生になると、

別の指導員の先生と交代して、

直接指導を受けることはなくなりましたが、

高校受験を控えたある日、

久しぶりに先生がお越しになって、

先生が指導する高校に誘われました。


その当時、先生は40代前半で教士七段でした。

当時、高校教師でその年齢で教士七段の先生は、

あまりいなかったように記憶しています。


地元では、かなり有名な先生でした。


私は、剣道が強くなれる環境を望んでいたので、

先生のお誘いを受け、

先生が指導する高校に進学することにしました。


高校の剣道部は、かなり厳しかったです。

肉体的にも、精神的にも、

私の中では、

かなりキツい稽古を繰り返す毎日でした。


1年生のときから試合に出させてもらいましたが、

内容が良かったと言われたことは、

2回ぐらいしか記憶にありません。


身体操作や竹刀操作、相手との駆け引き、理合、

考え方や取り組み方など、

色々な事を教えて貰いました。


私が怪我をしたときに、

稽古を休みたいと先生に言ったことがあります。


大した怪我ではありませんでしたが、

普通でもキツいと感じる稽古なのに、

この怪我で稽古をして大丈夫なのか…、

ついていけるのか…、と不安を抱き、

稽古を休ませて欲しいと先生に言いに行きました。


先生は私を見て、

私の申し出を却下しました。

続けて、「何を心配してるんや。」

「少なくとも、学校の中におるときは

俺がお前の親代わりや。」

「学校の中におるときに、

お前に万が一のことなんか起こさせへん。」

「本当に無理になったら、俺が止めたる。」

と仰ってくれました。


その言葉通り、在学中は先生に

本当に沢山の面倒を見て貰いました。


剣道だけに限らず、勉強や進路など、

様々な場面で大変お世話になりました。


先生は、

生涯その高校で剣道を教えると仰ってましたが、

私が卒業した年に、

他校に転勤されることになりました。


私はその話を聞き、

すぐに先生に電話をして、

ずっとその高校でと仰ってたのに

どうしてかと尋ねました。


先生は、

「お前らも卒業したし、

もうええかなと思ってな。」

と仰いました。

そして、

「何も悲しいことではない。」

「お前らが剣道を続けてる限り、

またどこかで会えるはずや。」

と仰いました。


私が高校卒業後も剣道を続けたのは、

先生のその言葉があったからです。


また、高校時代に何一つ結果を残せなかった、

何一つ恩返しをすることができなかったので、

剣道を続けて、良い結果を残して、

先生の教えが正しかったと

胸を張って報告することが

恩返しになると思っていたことも

剣道を続けた理由の1つです。


高校卒業後も、

先生が仰ったように、試合会場や稽古会など、

色んなところで先生にお会いし、

助言を頂きました。


ここ数年は、年賀状のやり取りぐらいしか

できていませんでしたが、

私は先生に教わった剣道を軸に、

修錬を重ねてきたつもりです。


そして、私は、

今年の秋に、剣道の最高段位である

八段審査を受審できるところまで来ました。


ここまで来れたのは、

先生の教えがあったからに他なりません。


八段審査に合格することが、

どれほど難しいことなのかは

分かっているつもりです。


それでも、何とか合格することができたなら、

先生に報告に行く機会ができると思っていました。


しかし、合格どころか、

一回目の挑戦を迎える前に、

先日、先生の訃報が届きました。


年齢的にも、そういう年齢になっているのですが、

物凄く強い先生だったので、

なんだか、そういう事には無縁で、

いつまでもお元気でいらっしゃるものと、

勝手に思い込んでいました。


色々と無念でなりません。


私は、まだまだ八段審査に

合格できるほどの力がないことを

自覚しております。


しかし、先生の教えは、私の中に残っています。


いつの日か先生に良い報告ができるように、

もっと稽古に励み、

修錬を重ねていきたいと思います。


先生の弟子であるという誇りを胸に、

この道を進んでいきたいと思います。